外れの教会で歌う美しい声の噂が周知されはじめてから、ここさいきんで男どもが夜のあいだに姿を消すのさ。帰ってこないやつらを朝になって村の男たち総出で捜索すると、教会へと続く道でそいつの服や持ち物だけが見つかるんだ。それももう今朝で4人になる。
尋常じゃない血がついているから、もうみんな、そいつが帰ってこないことは分かっているよ。だからさいきんじゃ毎日喪服を着て、村全体が毎日葬式みたいだ。
嘆かわしいことさね。どうも前日にどいつもこいつも同僚や飲み仲間と噂について話してたって言うじゃないか。
うつくしい歌声の持ち主はその姿もさぞかしうつくしいだろうって、一目見ようと興味本位で近づいたんだろうさ。
一昨日はとなりのご主人の服が見つかったんだがね、奥さんなんてその日からずっと閉じこもったままで、外からきたもんだからこの村では2人といない深い翠のきれいな瞳も泣き腫らして台無しさ。
今朝も声をかけたんだがすすり泣く声しか聞こえない。運んでやってる食事も手つかずだ。まだ新婚だったのにかわいそうにねえ。
外に出ている村人がすっかりいなくなると、村唯一の宿で休憩とたらふく腹ごしらえをした。そのあいだも夫婦で造り酒屋をしているらしくワインの樽を担ぐ姿がよく似合う、恰幅のいい女性から聞いた話を頭のなかでくり返していた。
それも済むといよいよ村の外れ、直線距離を考えるとずいぶん遠まわりな道のりで、北の丘をアニマトに案内されながら進んでいく。
実も葉もついていない木々で羽休めをする鳥の声があたりに木霊する。地面に落ちている乾いた細い木の枝を踏んでパキリと折れる音が、時折不気味な雰囲気により色をつける。
――さながら渚のローレライだね。うつくしい歌で男を惹きつけ、若い男の血肉をまるっと食っちまうのさ。
言い得て妙だとでもいうように、その言葉が何度も蘇った。ほかにもいろんな村人から似たようなはなしを聞いたのに、よほど話上手だったためかそればかり反芻してしまう。
渚のローレライ。惹きつけた村人は、アクマが殺してしまう。
歌声とアクマの関係性は?歌声の正体は?協力関係にあるなにかなのか、アクマそのもの?はたまたイノセンス?
今夜はその歌声が聴こえてくるんだろうか。
「ウォーカーさん、止まって!」
どうも思考を巡らすのに没頭していたらしく、絞られたその声で我にかえったようにハッとする。とっさに止まったつもりの身体は前を歩いていたアニマトが出した腕にぶつかる。
いったいどうしたのかとその表情を伺おうとしたとき、ひやりとした空気とともに微かな声らしきものがようやく耳に届いた。
《……な…………》
《…………来るな》
《ここへは来るな……》
背筋が凍るとはこういう事だろう。僕たち2人以外にだれもいないはずのこの場に突如響いたのはたしかに女性の声で、けれど聞いていたものとはずいぶん印象がちがっていた。
ゆったりと、それでいていっそわざとらしいほどの震わせた声で発されたその言葉が、誘いだす文句ではない事を恐怖心で鈍った頭がすこし遅れて分析しはじめる。
アクマならそのうつくしい声を存分に使って、人通りのない教会までの道へ招き入れるだろう。真逆の事をいう声の主は、まさかほんとうにこの土地で亡くなった人の幽霊なのか、それとも――――
「おかしいなあ……。さっき肝試しにきた子たちはこれで帰ったのに。もっとちいさな子にしか効かないのかな。はあ……大人たちはバカばっかりだし。白い服のほうはこのあいだも来てたよね。いったいなんの用があってあんな廃れた教会なんかに。……もーっなんで私がこんな必死にならなきゃいけないのよ。夢のなかくらい穏やかにのんびりゆったり歌わせてくれてもよくない!?」
唐突の“素”らしい声に、ごく普通の話し口に変わったそれに呆気にとられる。どちらからともなくアニマトと顔を見合わせた。
どこからの声だ?ふたりで右に左に視線をさまよわせていると、上から降ってきたかのように彼の肩に手を置くかたちでそれは姿を現した。
「ねえ、聞こえてないの?この先はバケモノがいるから引き返してったら!」
目の前に魂が浮かんでいる。けれどその魂は拘束されているわけでもなく、半透明にむこうの景色が透けていなければ生身の人間かと思うほどに頭のてっぺんから靴のさきまで、ふつうの少女の姿をしていた。
そして、その魂の下にあるはずのアクマのボディもない。
しいていうならアニマトの身体があるだけだ。その彼が、なんかぞわぞわする!?だとか言いながら肩をさすりだしたけれど、払いのけられるはずの少女の手はぴくりとも動かずそこにある。
ああ、やっぱり幽霊なんじゃないか。それにしてはらしさがどうも足りないけれど。
そんなふうに思いながらも、慌てるアニマトも尻目に、僕はその少女から目を離せないでいた。凝視していた僕の視線と視線がかち合った事にはさすがに気がついたらしい。苛立ちを含んだ表情からふいに力が抜ける。
恐る恐るというふうにその左手が僕の目の前でたっぷり時間をかけて横に三度ほど振られる。降ろされた手のひらの先では、この村の見所である碧い海のような瞳が不安げに揺らいでいた。
「見えてるの……?」
ウォーカーさん?視えてるって、うそでしょ?だなんてさすがに僕の反応がない事に気づいたようすのアニマトが、さっきの少女の動きと同じように手のひらでぶんぶんと視界を遮る。おなじ挙動をしたがために被ってしまった立ち位置をさけ、今はすぐとなりに移動した存在にはどうやら声以外ほとんど気がついていないらしい。
現実離れした展開をようやく現実と認識したのか、思考停止を解いた僕の脳に血を巡らせるように、心臓が急にバクバクと主張をはじめる。
アクマの魂が話しかけてきた!?いや、アクマの魂じゃなくて、これがほんとの幽霊ってことなのか……?
今まで視たことなんかなかったのに、急に視えるようになった?ああ、アニマトがさっき視えるかもなんて言うから!
「ねえ、白髪のひと」
「白髪って言わないでくださいっ!」
とっさに口を突いて出た言葉に目の前の2人がおなじように目を丸くする。
わあ、返事してくれた人なんてはじめて。
ウォーカーさん、幽霊と会話を……?
なんだかさっきから反応が似ていて兄妹みたいだ。そう思うとその存在にわずかばかりの親近感が湧いた気がした。
うつくしい歌声と言われる噂からは想像もしていなかったほど、話す声も姿も幼い。僕と変わらないか、もしかしたら年下くらいじゃないか。けれど間違いなく、声の正体は彼女なのだとどこか確信があった。
華奢な体躯は日焼けのない白で、半透明なせいか暗闇の中で発光でもしているかのようだ。見事なプラチナブロンドのめずらしい髪はクセ毛なのかふわふわと胸元まで波打ち、ぱっちりとした大きな碧い瞳との組み合わせは女性ならだれしも憧れるだろう。
絵に描いたような可愛らしい容姿だけれど、肩を出した足首までの白いワンピースがよく似合っているという感想が、可愛らしいのかはたまた幽霊的なのかは判断に苦しむ。
「……えーと、君が渚の……じゃなくて、この先の教会で歌っている声の正体ですね?」
ひとまずここまでの短い間ではごくふつうの反応を返してくれるようすだったので、会話を試みる。
アニマトはまだ状況を掴みきれていないらしい。タッパのある身体をすこし猫背気味に縮こませているのは、身を守りたい気持ちからくる行動なのだろうか。
僕はというと、いつの間にやら恐怖心とはすっかりお別れしていた。べつに幽霊が得意なわけでは決してなかったんだけれど。怖がる必要を感じさせない子だったとでも言うべきか。
彼女はすこし考える素振りを見せたあと、そうだよと言って大きく頷いてみせた。
「それであなたたちも来たの?もしかしてそこの村の人たちに頼まれて悪霊退散しに来たエクソシストとか?管理されてるようすもなかったし、村からはすこし歩くからだれも気づかないと思ったんだけど」
否定も肯定もしづらいところだ。さらりとエクソシストという名称が出たけれど、もちろん彼女の言っているのは実体のないものたちを祓う祓魔師の事であって兵器を壊すエクソシストの事ではない。村人からの依頼でもないが、アクマじゃなくても害あるものなら放っておくわけにもいかない。正体を見極めるのも、いちおう任務のうちだ。
そんな事を考えて逡巡していると、少女はそのまま言葉を続けた。
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