「んーでも、はやく帰ったほうがいいと思うよ。たぶん私にお祓いは効かないし、さっきも言ったけど、私なんかよりずっとやばいのがいる」

 いろいろ彼女についても聞きたい事はあるけれどひとまずの本題はこっちだな、と思考を切り替える。この子からもなにか有力な情報が聞けるかもしれないと思い、その続きを促した。

「私はただね、ちょっと前にここ見つけて、たまに気分よく歌ってたの。でもすこしして下の村の人に気づかれちゃったみたいで、ちょくちょく覗きにくる人が出てきちゃって。まあ聴いてくれるんなら嬉しいし、見えてないっぽいのに怖がるより好奇心って感じだったからそのときは気にしてなかったんだけど」

 そこまで言うといったん言葉を切って、少女は寒気を感じたように腕をさする。分かりやすく眉根を寄せて、その表情がみるみる陰っていくようだった。

「なのに、ここしばらくはずっとおなじ人たちがいて……ううん人じゃなくて、とつぜんヘンな姿に変わるバケモノだったの!その姿のまま夜のあいだ教会まわりをうろついてたり、たまにふつうの人?が来たと思ってもおおきな音がして静かになって……これってそういう事だよね!?そう思うともう怖くて」

 たぶんバケモノにも私は見えてないっぽいんだけど、念のため隠れてやり過ごしてたの。私だって見たくなかったし。
 そう付け足しながらも、決定的な言葉は意識的に避けているようだった。この世のものではないと主張するかのように淡く光を帯びる彼女の肌はまるで月明かりのようだ。青白い顔が透けているためだけでなく蒼褪めているのが暗闇でもはっきりと見てとれた。
 じゃあ、アクマとこの子とはなんの関係もなかったんだ。やっぱり幽霊で間違いなさそうだ。

「それで、白髪くんと白ツナギの人は」
「アレンです!」
「あ、ええと、自分はアニマトといいます」
「アレンね。それにアニマト。……ねえ、もしかしてあのバケモノをやっつけられる?」
「はい。そのためにここへ来たんです」

 ふうん、と気のない相槌が返ってくる。どうやらもう止めるつもりはないらしい。

「悪霊退治じゃなくて、化け物退治しにきたってコト?どうりで私の事、」

 途切れた言葉を疑問に思うも、とっさにはどんな言葉も出てこなかった。今の今までふつうに話していたはずの彼女のその表情が、ひどく苦しげに歪んでいたからだ。
 視線は僕にまっすぐ向けられていて、かと思うとためらうようにそっとその右手が僕の左頬へ添えられた。

「いたそう、だね」

 触れたような位置にある右手からはなにも感じられない。感触も温度もなかった。さっきのアニマトはなにか感じていたようだったけど。
 暗闇でよく見えていなかったのだろうけど、今になって僕の左眼を通って額と頬を縦に裂く傷に気がついたようだった。けれどどうして自分が傷ついたかのような、そんな表情をするのかは聞いていいものか判断に迷う。もしかしたら、彼女はよほどつらい死にかたをしたのかもしれない。

「……痛くはないですよ。古傷ですから」

 なんとなくそうしたほうがいいような気がしたから、口角を上げて返事をした。当時の痛みを忘れたわけじゃない。けれど傷ではなく痕となった今では、もう痛みはない。
 彼女はその返答になにかを飲みこむように口を動かして、そしてそのまま声を発することなく閉ざした。
 なにか失敗したかな。気まずい思いをしながらふと隣の彼を盗み見ると、微妙な空気を残して止まった会話に分かりやすく困り顔をしていた。

 アクマが視える左眼なら、きっと視える。
 ふとアニマトの言葉を思い出し、気になった僕は顔の左半分を手で覆ってみた。

「…………あ」
「ウォーカーさん?」
「ああいえ……なんでもありません」

 アクマと違って左眼は反応してはいない。けれどやはり左眼を通して視ていたらしく、右眼だけではその姿は映らなかった。
 ちいさな声を洩らした僕に怪訝な顔をしたアニマトがすかさず反応を示したが、それを言う気にはならなかった。



「エクソシすト……」

 先に教会まで行って待ち伏せできたらと思っていたけれど、どうやら立ち話に時間を割きすぎたらしい。来た道のほうから聞いていたのとおなじ数の、3人の男が歩いてきていた。ぎこちない言葉が耳に届くころには、左眼はすでにアクマの魂を捉えていた。
 うわあ、出た!兵器の姿へとすっかり変貌してしまった村人を見て、アニマトと少女の声が重なる。

 左腕の武器を発動し、アクマが動きだす前に対複数を一手に仕留められる技、ス・グレ イヴで片をつけた。
 静かな夜に3つの爆発音が同時に轟き、周囲の木々を騒めかせる。

「ひえ……爆発した!っていうか、い、一撃?3人も?すごーい…………」

 腕で顔を突風や砂埃から守っているアニマトとちがい、その必要のない少女は風が収まるよりはやく上擦りぎみの声でそう洩らした。
 風がやんでも新手の気配はなく、時折聞こえていた鳥の声も避難してしまったのか聞こえてこない。今度こそほんとうの静寂が訪れた。イノセンスの発動を解き、物々しいほどの赤と埋めこまれたような十字架を手袋で隠してしまう。
 呆気なく任務完了、だろうか。為すべき事がすべて片づいたわけではないけれど。

「お仕事終了?じゃあ、もう帰っちゃうんだね」

 つまらなさそうにそう言われたのが意外だった。こういうと失礼になるかもしれないけれど、てっきり幽霊にとっては好ましい場所に安息と静寂を取り戻してもらえれば、それでいいのだろうと思っていた。
 けれどたしかに幽霊と一括りにしてしまうのもよそよそしい。
 さっき知り合ったばかりに違いないものの、第一声からして彼女は僕らを助けようとしていた。悪霊まがいの脅しかけをして危険から遠ざけようとしてくれていたのだ。怖がられ悪い意味で騒ぎになればここにいるのも難しくなるだろうに。
 そして僕の古傷を見て自分のことのように辛そうな表情を浮かべた姿は、肉体のない幽霊らしからぬものだった。

 彼女に関してそういえば名前すらも知らないけれど、赤の他人と言うのもためらわれると、僕はこの時たしかにそう思ったんだ。

「いえ、ここにきた目的はもうひとつあるんです。すこし話にお付き合いいただきたいんですがその前によければ、名前を教えてもらえませんか?」

 口角を上げて恭しくそう言ってみれば彼女は、あれっさっき言うの忘れてたんだっけ?だなんて驚いて、はにかむように微笑んだ。

「ミーアだよ!たのしいお話なら喜んで。マジメなお話でも、まあ、せっかくの縁なので喜んで」


 ◇


 教会のなかは手入れがされてなくキレイとは言いがたいものの、備品がそのまま残っているらしく、長話なら屋内でゆったり座ってという事になった。
 ――だいじょうぶ、歌を聴きにきてくれた人が座って待ってたこともあるから壊れたりはしないはず!
 その台詞で逆にすこし不安になったが、アニマトも調査初日にひと通りあちこち触っているらしく、丈夫な造りをしていたと記憶にあったらしい。
 こじんまりとした教会内はたしかに人の手を失ってしばらく経つようで、建物のなかは砂やホコリっぽい。すでにさっき盛大に砂を巻きあげた突風を受けた身なのであまり気にする事はないが、せめて椅子につもったホコリは払ってから座ることにしよう。

 ミーアが祭壇の左側にあるパイプオルガン一体型の椅子に座るようにそこに留まり、旋律を奏でるように指を動かしだしたので、鍵盤のホコリを軽く払うとうれしそうにお礼を言われた。
 僕とアニマトはそこからいちばん近いチャーチベンチに腰を下ろす。アニマトがあいだに置いてくれた火事の起こりにくい発電式のランプが、申し訳ていどにその場を照らしてくれる。
 怪談話でもはじまりそうなセッティングだなと思っていたら、背を向けていた少女が手を動かすのをやめてこちらに居直った。

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