「それは、おかしいよね?だってアレンはここの人間で、世界を救うために闘っていて、イノセンスを集めてるんでしょ?なのに目の前の貴重な戦力のひとつかもしれないものを隠すなんて」

 つい今しがた僕に対して怒っていたはずの表情からは、怒りなんてもう欠片も感じられなくなっていた。
 教団に差しだそうとすれば怒りを露わにするのに、隠そうと提案すれば僕の立場を並べたてて、差しだす事が自然だとでもいうように……ひょっとしたら、心配なんかしてくれているのかもしれないなんて、相当めちゃくちゃだ。

「なのに、なんで……そんなに」

 ミーアの瞳が、僕に視えていると気づいたあの時のように戸惑いに揺らぐ。氷解したそれは色と相まってまるでちいさな海がそこでゆらゆらと揺らいでいるかのように思えた。
 僕は安心させるように少しゆっくりとかぶりを振る。すると彼女はとうてい信じられないものでも見たかのような顔をして、怒ったように声を張りあげた。けれどそこに氷のような冷たさはもうない。あえて言葉に当てはめるなら、思い上がりかもしれないけど照れ隠しのようだと思えた。

「っだいたい!だいたいね、リスク冒して匿ってもらわなくたって、私がここから離れちゃえばそれで済むのよ?アレンがわざわざ裏切るような真似をする必要はどこにもないじゃん」

 ほかでもなく僕が君ともう少し話がしたい。そう言えば引き留められるだろうか。
 分かってる。リスクを冒さないのは君のためであり、僕のためでもある。それに見ないフリをしてまで彼女を引き留められるような言葉が、彼女の事をほとんど知らない僕に出せるわけもない。
 うつむくようにもう一度深呼吸の素振りを見せたミーアは、こちらに目を向けたかと思えばにこりと人好きのする笑顔を見せた。

「だからさよならアレン。でもありがとね、気持ちはすごーく嬉しかったよ」

 縦長の窓は僕くらいの体格であればちょうど抜け出せそうなおおきさだが、残念ながらはめ殺しでひらく事はない。そんな事はお構いなしと実体のないミーアが僕の反応も待たずに窓の先へするりと抜けた。
 まるで埋まらない生と死の差を見せつけてこれ以上の手出しはするなと突っぱねられたような気分だ。
 今すぐ対アクマ武器でも使って壊さないかぎりは追いかけることもできないけど、壊したところでけっきょく追いつけるはずがない。なぜって、いったいここを何階だと思ってるんだ。

 左手でくしゃりと髪をかき乱す。ぞんざいにされた髪の乱れは今の僕の心境にならっているかのようだ。
 反対の手のなかでは掴んだままだったティムがいい加減放してくれと言っているのか、僕を心配してくれているのかちいさな翼で手の甲をぺちぺちと叩いてくる。

 ああ、僕って無力だなあ。最後まで引き留める言葉を探してはいても、けっきょく口に出せるようなものはなにも出てきやしなかった。
 ありがとうと言って微笑んだミーアになにも言えないまま、今度こそほんとうに、終わってしまったんだ。


「…………あのー、アレンさん?」
「うわあっ!?」

 さっきミーアが現れた時とそっくりな悲鳴をあげて、僕はまた飛びあがる。とっさにひらいた拳からティム・キャンピーがこれ幸いとばかりに脱出した。
 声のしたほうを振り向くと、すぐそばにはミーアがいた。

「戻ってきてくれたんですか!?」
「ちがうの、身体……じゃなくて幽体が勝手に!」

 今のは幽霊ジョークなんだろうか。いかんせんツッコミづらい。
 僕があからさまに喜んでいたからか、なんとも言いがたい顔をして戸惑ったようすでそう言われた。勝手に?言葉の意味合いを理解できずに小首をかしげた僕に居たたまれないとでもいうように視線をさまよわせた。

「ええと、とりあえずもっかい行きまーす」
「えっ?ちょっと」

 僕の声に振り返りもせずさっきの窓とは反対にある部屋の扉をすり抜け廊下のほうへ出てしまう。今度はとっさに追いかけようと扉をひらくと、左右に伸びるゆるい曲線になった廊下の左手側に沿って飛んでいく目当てのうしろ姿があった。
 廊下の闇に飲まれるより早く、ふいにその背中がこつぜんと消え、驚く間もなく僕の目の前に瞬間移動してその姿はぱっと現れた。まじろいで固まりついた僕を見てか、彼女が気落ちしたように表情を曇らせる。
 そんな事を前後左右上下にいたるまで幾度くり返しても、まったく変わらない結果が現れるだけだった。



「なんていうか……ゲームの2Pが離れすぎたら自動で画面内に引っ張られるみたいな、そういう現象が起きてるのかな」

 ミーアがしばらく難しい顔をしてから出した結論はこうだったが、僕にはいまいち理解する事は叶わなかった。

「つーぴー?なんの話ですか?大事な話の最中にトランプはさすがにどうかと」
「カードゲームじゃなくてえ……」

 じゃあチェスかな?と頭をひねる僕の心を読みとるようにミーアが不満げな顔をした。けれどその表情とは裏腹に、おそらく僕にも分かるような表現を探してくれたのだろう。すこし考える素振りのあと、ひとりごとのように呟いていた彼女が今度は僕と視線を交わらせる。

「たとえるなら、強力な磁石同士が一度くっついたらなかなか離せないのとおんなじで、どうやら私の事が見える唯一のアレンと出会ってしまったからには、その近くを離れられないみたい」

 困ったね、とどこか上の空なような表情をしたミーアに、僕はまったく同意ができなかった。
 理由は分からないけれどとにかくミーアは今僕からあまり距離をとれないという事と、W彼女と話したいWという僕の気持ちには図らずも猶予が与えられたらしいという事は、少なくとも事実として受けとっていいのだと納得する事にした。
 村で消えたはずの彼女がとつぜん僕の目の前、つまりいるはずのない教団内に現れたのもそのせいか。

 こうなったら仕方ないね。あきらめたように呟いたミーアにそうですねと今度は声にして同意した。
 彼女の意思がそうじゃなくとも、ひとまず僕と行動をともにする事は決定事項なわけなのだから、そうと決まればこれからの話をしなければ。

「それじゃあ、あらためて約束してください。僕以外に聞こえるような場所ではぜったいに喋らないって。例えそれが、あの日いっしょにいたアニマトでも」
「…………うん」

 こうして僕とミーアの秘密の生活がはじまった。

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