この会話から数週間が経った頃のこと。

黒の教団では今日も非番のエクソシスト達が修練場で己の腕を鍛え上げる。
そこでは汗を拭き水分補給をしながら、これまでと変わらずアレン達の組み手を少し離れた位置から眺める依泉の姿があった。
相手が技を決めようとした時、アレンが相手の足を引っ掛けてフォルムを崩す。体勢を立て直す一瞬の内に勝負はついた。見物人からおおっと歓声が上がるも、実力勝負を望んでいたらしい組み手の相手からは抗議の声が上がる。「勝負にせこい手も何もありませんよ」紳士と名乗るには余りにも悪人顔の笑顔で言い放たれたその一言を皮切りにして喧嘩が勃発しようとしたその頃、いつの間にか階段へ続く通路に足を向け、そそくさと修練場を出て行く依泉の姿があった。
気付けばその姿が忽然と消えていた、なんて事をここ暫く何度か経験していたアレンは今回は見逃す事なくそれに気付いた。目の前の険しい顔をした喧嘩相手を放置して、その後ろ姿を少し急ぎ足になって追いかける。

「待って下さいよ依泉!」

天井の高い建造物である黒の教団は階段も広く長い。一度見失った後ろ姿が踊り場を曲がったところでようやく見えた事に気が急き、アレンは階下の廊下に鍛錬用でヒールのない靴音を静かに響かせていた依泉を呼び止めた。

「あれっ神田はもう良いの?」

その場で足を止めて振り向いた少女の顔は呼ばれた事が随分意外そうに呆けており、大きな瞳はいつもより開かれた目蓋の為にそれをより一層大きく見せた。あんな人いつだってどうでも良いですよ。階段を駆け降りながら気の無い返事を返したアレンは、そんな事より、とここ最近聞こうと思っていた事を口にする為に言葉を続けた。

「最近、突然どっか行っちゃいますけど、僕何かしましたか?」
「えっ」

先程の表情に続いて依泉からはまたも思ってもみなかったかのような素っ頓狂な声が発される。汗かいちゃったから着替えに一度戻ろうかなって。そう言いながら依泉が自室のある方を指差す。
この問いだけで全てを答えてくれるようなら、最初から依泉は面と向かって言っていただろう。とぼけられるのをアレンも予想していなかった訳ではなかった。

「前だったら可笑しそうに僕と神田の喧嘩も眺めてたでしょ。今だけじゃなく、手合わせする時も僕と当たるの避けてますよね。とにかく近頃ずっと僕のこと避けてて……うん?いえ、避けられてはいませんけど、任務が別でもコムイさんに抗議しなくなったって聞きましたし。なんていうか……その、」

言葉を連ねるごとに声はどんどん尻すぼみになっていく。
避けられているかと思えば非番は前よりも長く一緒にいる。けれど先程まで一緒にいたのに突然逃げるようにその場を去る。それが一言声かけがある時もあれば、今回のように黙って姿を消してしまうことも往々にしてある。任務が別になっても文句は言わないが、帰って来たら真っ先にアレンの元へ向かうのは変わりない。
任務については文句どころか自分から別になる事を望んだのだが、それは彼の知るところでは無かった。
やっている事がちぐはぐで、理由を知らないアレンが混乱するのも、形容し難い心境を持つのも無理はないだろう。
言い得て妙が見つからないのか、直接的な言葉を言うのは子どもっぽいと言い淀んでいるのか。気まずそうにうーんと腕を組み始めた彼に、観念したのは依泉の方だった。今降りてきた階段に腰掛け、アレンに手招きで隣に座る事を促す。

「ごめんなさい。アレンは悪くないよ。……不安にさせた私が悪いんだからちゃんと言う。あのね、私」

言葉を切った依泉が覚悟を決める為か深呼吸し、その間を埋めるようにアレンが固唾を呑む。
コムイに伝えるのにも勇気を要したが、彼がそれで不安を抱えてしまったのならば、言わない訳にはいかなかった。それでその後に彼が結局悩む事になろうとも、隠し事に悩んで疑心暗鬼になるよりはまだ良いのかもしれない。
ゆっくりと開いた依泉の口がもう一度、私は、と動く。

「世界で一番、ピエロがこわい」
「………………はい?」

素っ頓狂な声を出すのは今度はアレンの番だった。眉間に寄っていた皺どころか、顔に込めていた力が抜けていく。予想の範囲を余裕で飛び越えた突拍子の無さすぎる発言に凡そ理解が追いついていない様子だった。
道化恐怖症。依泉にとってこれは別に今に始まった事ではなかった。
おどけるような仕草がこわい。
涙を零しながらも描く笑顔がこわい。
それに付随する設定がこわい。
真っ白なおしろいを塗った肌がこわい。
目や口周りを誇張し、素顔を隠してしまうペイントがこわい。
ピエロを連想させるもの、その要素全部がこわい。
素顔や表情を隠すものはピエロに関わらずこわくなった。
もしも任務なんかで仮面舞踏会の場にでも放り込まれた日にはコムイを一生恨むに違いない。
そんな事を言っている場合でも立場でもないので今まで一度も依泉が口にする事はなかったが、正直なところは進化したアクマの多くも、千年伯爵もこわい。

「見た目が?」
「見た目が」

深く頷いた依泉にさすがに気の毒に思わざるを得ない。恐怖症に合致する見た目の持ち主と日々戦っているだなんて。

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