「ご両親が?」
「ええ、クリスマスは毎年必ず帰ってこいって」

指先で羽ペンを弄びながら、私は不満を隠さずそう言った。

「私がスリザリンに入ったこと、まだ本心では受け止められていないのよ」

机に頬杖をついて、持っていた手紙をセブルスの方へ押しやる。
スリザリンの談話室でそんなことをすれば、育ちの良い先輩ご令嬢方に諌められるだろうが、今日のように人気の少ない図書館ならそんな目も気にしなくて済む。

スリザリンに選ばれたことは光栄だったし、後悔もしていない。けれど歴史の古い純血の子息令嬢に四六時中囲まれているのは流石に息が詰まった。
ブレイン家も純血の家系ではあるが、父も母も所謂「社交界」とは無縁だった。大きな屋敷もしもべ妖精もなければ、ドレスを着てダンスを踊るような大掛かりなパーティに参加したこともない。
それなりに作法の心得もあったのだが、スリザリンの家系に囲まれてしまえば私の処世術など赤子のようなものだった。
それが嫌なわけじゃない。彼らから学ぶことは多いし、間近で見れば見るほどその所作の美しさには尊敬を覚えた。
同年代の他寮生と比べるとその違いは明らかだ。一度その違いを実感してしまったら、自分もその技術を身につけたいと思うのは当然のことで。
けれどやっぱり、慣れないことを続けると心が疲れてくる。だからスリザリン生の目の届かない場所は、多少の罪悪感はあれど居心地がよかった。それがセブルスの隣ならば、なお良い。

ちらりと彼に視線を向けると、羽ペンを持つ手を止めて、私が押しやった手紙を読んでいる。
勉強中に押しかけたのは私だと言うのに、彼は嫌な顔ひとつせずに隣の席を空けてくれた。今も、私のくだらない話を聞いて、手を止めて付き合ってくれている。

表情は少ないが、セブルスは優しい。
初めて彼と会った時から、セブルスとリリーは私にとても良くしてくれた。右も左も分からない私にホグワーツのことを教えてくれて、両親がレイブンクローであること、けれど私はスリザリンに入りたいことを話しても、2人とも嫌な顔をしなかった。
最初こそリリーに比べて口数の少なかったセブルスだったが、寮の話をすると「スリザリンに選ばれたらよろしく」と歓迎もしてくれた。
しかも彼はスリザリン、リリーはグリフィンドール生なのに、2人は友人なのだという。スリザリンに偏見を持つ人としか関わってこなかった私にとって、彼らはとても心強い存在だった。

「ご両親が戻れというのなら、戻った方がいい」

読み終わった手紙を私に返して、セブルスはそう言った。
娘への久しぶりの手紙と言うよりクリスマスの帰宅督促状に近いその手紙を受け取り、ポケットに突っ込む。彼ならそう言うと思っていた。けれど私には私の、ホグワーツに残りたい理由がある。

「でも、だってセブルスは残るのでしょう?」
「スリザリン生の殆どは家に帰る。去年は僕とマルシベールのふたりだけだった」
「ふたりがいるなら充分だわ。マルシベールは先日呪文学の課題で困っていたら手伝ってくれたの。それに私、ホグワーツでクリスマス休暇を過ごすのが夢だったのよ」
「たぶん女生徒は誰もいないけど、いいのか?同学年1人も残らないだろう。それに、ナルシッサも毎年家に帰ってる」
「シシーにはここからカードを送るもの」

本当のことを言えば、シシーにはクリスマスのパーティーに誘いたいと言われていた。
ナルシッサはスリザリンの中で一番最初に仲良くなった先輩で、頼れる姉のようであり、私の拙い作法を優しく指導してくれる先生でもあった。

けれどシシーが言うクリスマスパーティーとは、ブラック家が催す大きなパーティーだ。
詳しくは知らないが、手作りクッキーを持ち寄って、ケーキを食べたりプレゼントを交換したりするパーティーでないことだけは確かだ。
当然、子供が1人で行けるような場所ではないし、マグル贔屓の私の両親がブラック家のパーティーに呼ばれるはずもない。
彼女もそれを理解しているはずで、それでも、もし許されるなら私のお客様として貴女をお迎えしたいのよ、と、少し申し訳なさそうにそう言った。
他にも同学年のご令嬢方から同じ様な話を頂いたが、彼女らの誰もが形式的な社交辞令としての誘いであり、私が本当に出席するなんて思っている人はいないだろう。

誘ってくれる気持ちは純粋に嬉しい。けれどこういう場合の丁重な断り方が分からずに、私は「クリスマスは学校に留まりたいと思っているから」となるべく柔らかく、私の持てる限りの優しさと対人術を駆使して断りを入れたのだ。(後日、どうしても自身の対応に自信が持てず、結局ルシウスに教示を仰いだ。ルシウスは一瞬思案した後、誰もが納得するような素晴らしい回答をくれたのだが、まだまだ社交術に対して一片の恥ずかしさを持つ私には難易度が高すぎたので、実践練習は次の機会に先延ばしすることにしたい。)
しかし学校に留まれないとなれば本末転倒だ。彼女らに対する言い訳が成り立たなくなってしまう(つまり、ルシウスから教示頂いた方法を取らざるを得なくなる)。それも学校に留まりたい理由のひとつだった。

「今年は無理に駄々を捏ねずに、ご両親を説得したほうがいいんじゃないか?クリスマス休暇はまだあと6度ある。OWLが近づけば言い訳もしやすい」

正論だ。文句の言いようもない。
セブルスの諭すような言葉に、私は二の句が告げなくなってしまう。けど、でも、と頭の中で言い訳を探しては、あまりの拙さに自ら却下する。
眉を寄せたり上げたりしながら悶々と考えている私に、セブルスは更に付け加えるようにこう言った。

「……それに、マルシベールは昨日呪文学で減点されたばかりだ。彼が苦手な呪文学の課題を手伝ったのは、君のお礼が欲しかっただけだと思うよ」

視線を逸らしながら言ったセブルスを見て、エミリアは考えるのをやめた。頬杖を解いて、窓の外を向いてしまったセブルスを見る。
ㅤㅤㅤㅤㅤ私はあなたの礼が欲しい。
その横顔を見ながら、ぼんやりとそう思う。

この時はまだ、彼に対する私の気持ちは恋や愛と呼ぶものではなく、親しみであり、尊敬であり、友愛であったと思う。
純粋に懐く私を、彼も妹のように思ってくれていたのだろう。実際にそう言われたこともあったし、事実彼は本当の肉親のように私を気にかけてくれた。周囲のスリザリン生ですらセブルスを遠巻きにする中で、私だけが自ら彼の隣にいた。

私がホグワーツに入学したとき、彼はまだ寮内でも孤立している状態だった。自分で言うのもなんだが、この先数年かけて彼が他と打ち解け、友人を持つ過程へ至ったのには、私とルシウスの計らいが非常に大きい。
それまでの彼は優秀さから嫉妬され、出自と身なりで偏見に晒されていた。

「君は優秀だから、ご両親の説得もそう難しくはないだろう」
「……厄介なのは、両親もかなり優秀だってことね」

ふたり揃ってレイブンクロー卒の両親は、知を重んじるレイブンクローらしく、私の勉学にかなり力を注いだ。それを不満に思ったことは一度もないし、良識高いスリザリン生に囲まれる今となっては、寧ろ感謝こそしている。
もちろん他寮と同じように、スリザリンにも勉学の優劣は有る。けれど家柄の格式も社交術も持たない私には、唯一出来る勉強だけが、身を守る盾のように思えたのだ。だからこそ、レイブンクローの両親から受け継いだこの頭脳は、ここでは私の武器でさえあった。
しかし、頭のいい両親だからこそ、子供の考えつく言い訳など端から論破される。ふたりがもともとスリザリンを好ましく思っていない事が、余計問題の難易度をあげていた。
ここは、大人しく白旗を振るべきかもしれない。
頭のかたい両親を懐柔する為にも、これ以上スリザリンに対してマイナスのイメージを与える訳にはいかないのだ。

「あなたの言う通りだわ。今年は諦める。……もしかしたら、来年も難しいかも。でも、あなたが卒業するまでには両親を説得してみせるわ」

拳を握って子供のように決意を固めた私に、セブルスは表情を柔らかくしてそうか、とだけ言った。けれどその顔はどこか寂しげでもあって、もしかしたら休暇中に私がいないことを少しでも寂しく思ってくれたのかもしれないと、そう思うと単純に嬉しかった。
セブルスにも、必ずカードとプレゼントを贈ろう。彼が以前呟くように好きだと言った紅茶と、とびきりのお菓子を。それから同学年で仲の良い数人と、お世話になったシシーとルシウスㅤㅤㅤㅤㅤこの二人は特に失礼のないように気を付けなければいけない。何せカードは、彼らの自宅に届くのだから。シシーに教わったばかりのマナーを反芻しながら、私は私の梟が、彼らが家族と過ごす時間をぶち壊さない事だけを祈った(梟の躾も礼節を量るひとつだと、以前ルシウスが、食卓に突っ込んでいったグリフィンドール生の梟を見て呟いた事がある)。
それと、忘れてはいけない大切な友人がひとり。

「ねぇセブルス、リリーもクリスマスは家に帰るのかしら」
「そう言っていたが」
「リリーのお家にもカードを送りたいわ。でも彼女の家ってマグルの街にあるんでしょう?迷惑になるかしら」

マグルは梟を使わない。父母の交友関係もあって、その事実は幼少の頃から知ってはいた。が、ならばどうやって手紙を届けるのか。私はその先を知らなかった。マグル出身の友人達も父母相手には梟を使っていたからだ。
大切な友人へカードを送りたい気持ちと、迷惑はかけたくないという気持ち。知識の未熟な私は、そのふたつを叶えるための答えをまだ持たなかった。
けれどセブルスは、私の言葉に穏やかに微笑んで、一言だけこう言った。それは事の解決には繋がらない答えだったが、迷う私の背中を押すには十分な言葉だった。


「きっと喜ぶ」


この短い彼の言葉に幼い愛情が潜んでいることに、この時、私はまだ気付いていなかった。


===2020.5.7