自分が魔女だと知ったのは9歳のときだ。

魔法族であった両親がわたしにその事実を知らせなかった理由は2つある。
ひとつは、母の夢。非魔法族の両親のもとに生まれた母の夢は、亡き祖父の店を継ぐことだった。街の小さな洋裁店で、祖父が立ち上げたまだ新しい店だ。父は母の願いを受け入れて母の実家へ婿入りし、そしてその小さな店でわたしが生まれた。
ふたつめは、力の暴走。
2歳の時だという。あまりにも唐突に、わたしの力は暴走した。部屋中の物という物が砕け、柱が軋み家が揺れる。泣き叫ぶわたしを、母は思わず打ったらしい。すると途端に揺れは収まり、わたしは驚きと恐怖で目を丸くして口を噤んだ。
両親がほっとする中、魔法を知らない祖母だけがわたしを見て震えあがった。ヒステリックに叫んでわたしを罵り、魔女になんか絶対させるなと両親にきつく当り散らした。幼少期には誰にでも起こりうることなんだと、みな学校で制御を学ぶのだと両親が何度説明しても祖母は首を縦に振らなかった。
それ以来祖母はわたしを嫌い、幼いわたしが泣く度に、理由など構わず何度も頬を叩いた。恐怖に震える声や憎しみのこもった目を、幾度となく向けられてきた。わたしは、自分が魔女であることを知らぬまま、祖母の目に怯えながら暮らしてきた。

けれど、10歳までの短い人生の中で、既にわたしは自分に宿る特別な力に気付いていた。高いところから飛び降りても骨を折ったことはないし、傷や痣がついても2、3日ですぐに治った。感情が高まった時は、怒鳴るだけで教室の窓が割れたこともあった。
それに何より、わたしは周りの人間にとって恐怖の象徴だった。

5歳のとき、遊びが過ぎたせいで野良犬を死なせてしまったことがある。母親に言いつけると走り出した男の子の後ろ姿に向かって、わたしは咄嗟にこう叫んだ。
「お前が殺したんだ!」と。
駆けだした男の子はその場でぴたりと足を止め、そして振り返ってこう言った。
「僕が殺したんだ」と。

その時はじめて、自分には他人の意志を操る力があると気付いた。


それが魔法の力だと知ったのは、11歳の春だった。気付いたらわたしは血に濡れていて、学友たちは地面に倒れて唸り声を上げていた。怯える先生が教室の隅から震えながらわたしを見ていたのを覚えている。顔は忘れてしまったけど。
両親が呼び出され、警察がやってきてわたしは取り囲まれた。周りの大人が何を話していたのかも覚えていない。けれど両親の、そわそわした態度だけは鮮明に覚えている。どれだけ時間が経ったのかわからないが、後からやってきた人たちによってその事件は揉み消された。
彼らは部屋に入るなりにこりと笑みを浮かべて、杖を取り出し魔法をかけた。
わたしと両親以外の全員がぼんやりと視線を漂わせる中、わたしはほっとしたような両親とともに学校を後にした。

そして知った。魔女であること、魔法界という存在、魔法学校、祖母の畏怖の理由、それに梟が運んできた手紙。
知ると同時に実感した。魔法という物の便利さと、恐ろしさを。この力は他人を地に斃し、存在そのものを寂滅させることのできる力だと。





「今、眠ってた?」

低い声が正面から聞こえて視線を上げる。
いつものざわめきは止み、部屋の中は静かだった。天井から降る淡い緑と蝋燭の揺れる灯り中で、黒い影がふわりと動く。ほんの数秒前まで談話室の真ん中で人の輪に囲まれていたリドルが、物珍しそうな目でこちらを見ながら、向かいのソファに腰を下ろしたところだった。

「いいや?」
「ああ、そう。珍しくそんなもの開いてぼんやりしてたから、寝てるのかと思ったよ」

優雅に足を組んだ彼が視線で促して、こちらの手元に視線をおろす。途端に、風もないのに本のページがパラパラと捲れた。ページを抑えて睨むように視線を上げ、僅かに口角を上げた楽しそうなリドルの顔を見る。

「勝手に捲んな。どこまで読んだかわからなくなる」
「君が真面目に勉強だなんて、何事だ?ついにダンブルドアが君に服従の呪文を掛けたのか?」
「お前にかけてやろうか?黙ってろってな」

舌打ちしてソファに沈み込み、開いていたページの端を折って本を閉じる。もう落ち着いて本を読む気分でもない。もともと内容なんてほとんど頭に入っていなかったけど。
「あの煩い司書が見たら卒倒するまで怒鳴り倒すぞ」と、放り投げた本を目で追いながらリドルが言う。知るか、とだけ返して、ソファの上で胡坐をかき、読書で固まった肩を伸ばそうとぐっと伸びをした。

「で、演説はもう済んだわけ?」

欠伸交じりにそう聞くと、リドルは一瞬目を丸くした。

「いつ演説なんてしたかな」
「取り巻き集めてぐだぐだ言ってただろ、さっき。マグルがどうのサラザールがどうの」
「ああ……別に演説じゃない。学生同士の有意義な話し合いってやつだよ」
「皮肉もそこまで行くと清々しいな」

本当に、こいつは下卑た皮肉がよく似合う。しかもその皮肉を相手に気取らせないから余計に性質が悪い。だれも、彼が心の奥底では自分を蔑んでいるとは思わないのだから。
彼に集る者はみな、一様にしてそういう傾向がある。才能を尊敬し、人柄を称え、自分はそんな彼に少なからず近い場所にいるのだと思い込んで逆上せる。彼は誰も必要としていないのに、その本心を上手く隠して人を利用する。それが誰より上手いのだ。相手の心を操ることが。
まったく、馬鹿ばかりだ。嘲笑を含んだ笑いを零すと、近くにいた女子のグループが嫌悪の目でこちらを盗み見た。何か言いたげに目を細めていた彼女たちをちらりと見て、リドルと一緒に口角を上げる。

「本当に敵が多いね」
「女どもの半分はお前の責任だ。そろそろ鬱陶しくなってきた」
「笑顔で手でも振ってやればいいさ」
「メリットがない。却下」

声を落として話すリドルはどこまでも楽しそうだったが、こちらとしては不快でもある。こうして彼と話すようになってからは、非難や恐怖の視線に嫉妬も含まれるようになったからだ。
嫉妬という感情には不慣れで、恐怖や嫌悪とは違い、扱いに困る。直接ぶつけてくるのでも、離れていくのでもなく、遠巻きにずっと見張られているような感覚だ。遠くにいる者にわざわざ近づいていってまで喧嘩を売るほど馬鹿じゃない。だからこそ鬱陶しいのだが。

「……君は思わないのかい?」
「何が?」
「マグルは排除すべきだと」

そんなイライラとひとり葛藤していると、ふいにリドルが強い口調で言った。穏やかで楽しげだった声から一転して、低く、どこか艶めかしい声で。
彼は時々こういう声をする。有無を言わせない、本当の意味で相手の応えなど求めていないときの声だ。それは、彼が本当に己の才能を駆使するときの癖だと理解している。「意見」ではなく、自分の思考に沿う「賛同」を導かせる声色。リドルは、他人に答えを求めるとき、いつもこういう声を出す。そしていつも思う。彼は一見手を差し伸べているように見えて、実は頭を押さえつけているのだと。

「……排除される側にならなきゃいいけどな」

そして、だからこそ、それに抗う瞬間はひどく気持ちがいい。
その声色に易々乗せられるほど馬鹿じゃない。彼の取り巻きにはそんな人間が多いが、そのうちの一人になる気はない。

「興味ないよ」

こういう時は、自分でも不思議だが、これ以上ないってほど穏やかに微笑むことが出来る。それに反して、リドルはいつも不服そうに眉を寄せるのだ。

「君はマグルじゃない」
「それも同じだ。興味ない」

この話題になると、リドルは決まって線引きを明確化させたがる。魔法族、非魔法族というカテゴライズに執着しているのは彼だけではないが、彼は特に異常だといつも感じていた。そしていつも答えを迫る。「わたしはマグルではない」と、その言葉を求められる。
けれど、本当に興味がないのだから仕方がない。相手に杖があろうとなかろうと、見える世界はさして変わらないと、ここへ来て学んだのだ。

「誰だろうと、何だろうと、どうせみんな屑みたいなもんだろ?」

結局世界はそれが全てだったのだから。
放り投げた本に杖を向けると、鈍い音を立てて一瞬で炎が上がる。禁書の棚から勝手に拝借したものだったが、それは大した問題じゃなかった。パチパチと音を立てて、乾いた紙は瞬く間に灰になる。絨毯に焦げ跡をつけながら火花を散らすその本を、リドルは驚きもせず、抑揚のない目でただ見つめていた。






===20130715