どこへ行くのかと尋ねられたから、こう答えた。

「散歩。付き合うか?」

斜め上を向いて一瞬思案した彼が、何も言わずに近づいてきて隣に並んだ。そして歩き出す。目的などなく、ただぶらりと校内から屋外を回り帰って来るだけの暇つぶし。
……ほんとうに、そのつもりだったんだけどなぁ。




「君の散歩って毎回これかい?ならもう二度と付き合わない」
「別にいつもじゃない」

声の響く廊下だというのに足場は悪い。柔らかいし、歪曲していてひどく不安定だ。端で背中を壁に預けていた彼を振り返ると、ちょうど視線が同じ高さにあった。
ああ、2年前、初めて会ったときのこいつは、今より20センチも背が小さかったはずなのにな。

「殺してやしないだろうね」
「多分な」
「それにも興味ないのか?退学になるぞ。死んでたら最悪アズカバン行きだ」
「それこそ興味ないな」

"その場"から降りようと片足を上げると、踏みつけていた誰かが微かに声を上げた。うん、生きてる生きてる。
硬く安定した地面に靴底をつけると、自然とリドルに見下ろされる形になった。
上から注がれる非難の目を無視して右手を出すと、彼は不躾にこちらを睨みながらも、差し出した右手に杖を置いた。数分前、拳を握ると同時に、リドルに投げるようにして託した、使い慣れた己の杖だ。
どーもとそれを受け取って、汚れた自分の拳に向ける。瞬間、拳に飛び跳ねた相手の血が、跡形もなく消え去った。
リドルは地面に倒れている生徒数人に向かって杖を振った。ふわりと、意識のないその体が浮き上がる。全員を空中に浮かせると、リドルは何も言わずに歩き出した。多分、医務室に向かって。
その背中にちらりと目をやってから、杖をポケットにぞんざいに突っ込んだ。前を歩くその背中を追って、自分も歩き出す。

「僕がこいつらを助けても、何も言わないんだな」
「別に、そいつらが憎いわけじゃないし。優等生の義務ってやつだろ?それにお前だって何も言ってないし」
「……さっきからずっと非難してる僕のこの声は、君には届いていないわけ?」
「でも一番言いたいことはまだ言ってないだろ」

ぴたりと、リドルが足を止めた。振り返ると同時に、上に向けていた杖腕を下す。その動きに導かれるように、ドスン、ドスンと浮かされていた生徒たちの身体が廊下に落ちて嫌な音を立てた。
ああ、やっぱりこいつは優等生とは程遠い。床にくしゃくしゃに投げ出された生徒たちを見て、そんな資格はないとわかっていながらも、「今のは痛いだろ……」と声に出してしまった。
リドルは後ろなど意に介さず、ただこちらを見据えて距離を詰めた。お互い目は逸らさない。彼はその長い脚を二、三度往復させただけですぐそばまで来た。後ろの壁にそのまま右手をつく。息がかかるほどの至近距離で、リドルは探るような目で言った。

「なぜ魔法を使わない?」
「運動不足とストレスの解消に」
「ちゃんと答えろ」
「……お前が納得するかどうかは責任持たないからな」

有無を言わせぬ物言い。今回は抗えそうにない。リドルはそれ以上何も言わずに答えを待った。至近距離から圧をかけられて、耐えきれず視線を下した。……ああ、靴が汚れている。名も知らぬ生徒の血や吐瀉物で汚れた靴はひどく現実的で、自分が招いたことだと重々承知していても、やはり気分は悪い。
けれど杖を振れば、靴は一瞬で美しさを取り戻すだろう。魔法とはそういう便利なものだ。だからリドルは魔法を使えぬマグルを蔑視する。彼なら殴らずとも、人を地面に伏せさせる。手や服や靴を汚さずとも、人の命を奪える。
痛みも代償もなく、他人を傷つけられる。魔法とは、そういう便利なものだ。だからこそわたしは、


「魔法の方が残酷だと思う」

この言葉を、リドルは理解しないだろう。わかっていてもそう告げたかった。何故かは分からないが。

「情けってことか?」
「その答えは的外れだな。もっと自己的な問題だよ」
「……僕には理解できないし、する気にもならないな」
「そう言うと思った」

予想通りの応えに口元が緩む。視線を上げないでいると、リドルの指が髪を掬った。

「魔法とは力で、僕らは力を持つ者だ。……マグル脳の君に解りやすく説明するなら、君は銃を腰に下げておきながら、弾も込めずに拾った小石で戦っているようなものだよ」
「つまり、銃を使えってことか?」
「使い方は知ってるのに、君は使おうとしない。それが愚かだって言ってるんだ」

掬われた一房の髪が、彼の手の中でくしゃりと音を立てた。強く握られた拳から不恰好に飛び出す毛は、彼が力を込める度に、まるで逃げ出そうともがいている様だった。
視線を上げてリドルを見る。けれど人一倍上手く感情を隠す彼の表情からは、僅かな苛立ちが読み取れただけだった。無意識に、口の端から苦い笑いが零れる。
銃を抜かないのは銃が怖いからだと言ったら、彼は鼻で笑うだろうか。


「君の見ている世界が屑なら、君もただの屑だ。……僕としては、君はそこまで馬鹿じゃないと思いたいけどな」

息のかかる距離にいた彼が身を引き、くしゃくしゃに握りつぶされていた髪がようやく解放されて重力に従った。
なにも言わぬまま杖を振り、気絶した生徒たちのを再び宙に浮かばせる。今度こそ振り返らず、何も言わず、彼は医務室へ歩き出した。その背中を見て思う。ああ、こいつからすれば、わたしは確かに屑だろうなと。彼の理論は正しい。正しいことを理解した上で、それでも私は、杖より拳を握るのだろう。


「でも、リドル。小石でも銃でも、握る目的は一緒だよ」

ぽつりと呟いた声は、リドルには聞こえない。
壁を背にしたまま、今度こそわたしは彼を追いかけなかった。






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