成績は中の中。得意教科なし。協調性、積極性、及び責任感に欠ける。生活態度難あり。忍耐力の欠如、並びに凶暴性に問題あり。7年間で87回の減点、36回の罰則指示あり。うち31回の罰則拒否。器物破損22回、休暇中の魔法省からの注意通告4通。停学期間合計18日間。接近禁止を命じた生徒15名。

「これが、お前の学生生活の全てだ」


それが寮監の最後の言葉だった。聞くともなしに聞きながら、罰則の数なんてよく数えてたな、と他人事のように思う。もともと私になど興味を持たず、最初から関わりたくないオーラ全開だった寮監は、その言葉が縁の切れ目と言わんばかりに右手を振った。出ていけ、という意味だと理解し、静かに席を立つ。
この男に恩を感じたことはない。それでも、あえてひとつ彼の美点を上げるならば、面倒事とは極力距離を置こうとする、この姿勢だろうか。

「せんせ」

扉に手をかけて振り返る。とっくに次の作業へ気を移していた寮監へと、とびきり優しい声で呼びかけた。ちらりと視線を上げたセイウチ顔にむかって、にこりと笑顔を作る。最後に一言、どうしても言ってやりたくなったのだ。

「ご自分の目をあまり過信なさらない方がいいですよ」

お気に入りに、噛みつかれないといいですね。
これまで使ったこともないような、丁寧な言葉使いと、朗らかな声でそう告げた。そして、ぽかんとした顔が言葉に込められた侮辱に気付き、眉を吊り上げる前に扉を開け放つ。踏み出した一歩が、石の廊下にコツンと冷えた音を響かせた。



生活態度に難あり。そんな生優しい言葉で締めくくってくれるとは、さすが天下のホグワーツ。くつくつと喉の奥で笑いを殺しながら、冷たい廊下をいつものように歩く。その学生生活も、あとひとつ、卒業式を残すのみとなった。当然式に出席する気もないので、何の気もなしに外へと足を向けた。
空は上へいくほど青みを増し、涼やかな風に夏の匂いを窺わせている。
あちこちから別れを惜しむ声が聞こえてくる。母校に別れを告げる卒業生たちは、抱き合ったり、後輩に花を贈られたりと皆忙しそうだった。名残惜しそうに城を見上げる者もいる。
そんな喧騒から距離を置いて、森に向かって足を進める。こちらに視線を向ける者はいないかった。こんな晴れやかな門出に、問題児と関わろうとする者など当然いない。
久しぶりの視線のない解放感に満足しながら、禁じられた森の端までやってきた。背の高い木を選んで、杖を振る。浮きあがった体が太い枝に着地してから、目を瞑ってぐっと伸びをした。

「あー、終わった終った」
「式はこれからだぞ」

叫ぶような独り言に、思いがけず返事が返ってきた。その声にびくりと肩を揺らして腕をおろすと、目の前にリドルがいた。幹に寄りかかるようにしていた私から数十センチのところに腰をおろし、優雅に組んだ無駄に長い脚をぶらぶらと持て余している。

「お前なぁ!気配もなく現れんな、落ちたらどうすんだよ」
「最後の最後にそんな滑稽な君が見れるなんて幸運だな。目に焼き付けるよ」
「最後の最後まで下衆だな、お前は」

大きく舌打ちして、ドカッとその場に腰を下ろす。太い枝が衝撃に揺れて葉がざわめくと、揺れる枝の上でリドルが「折るなよ」と眉を寄せた。その言葉に、「いっそ折ってやりたいよ」と返す。
こいつ、ホント、このまま枝ごと落ちてくんないかな。
折れた枝とともに重力に従う彼の姿を想像すると、少し気分がいい。が、立場が逆なら彼も同じことを思うのだろう。笑うのはいいが、嗤われるのはごめんだ。そう思いながら頭の後ろで指を組んだ。

「あーあ、あのバカ寮監もさっさとこいつの本性に気が付かねーかな」
「まさか余計なこと言ってないだろうな」
「言ったところで、あのバカがどっちを信じると思ってんだ」
「哀れだね。プライドとかないのかい」
「そんなもん犬にでも食わせとけ」
「そういえば一度も聞いたことがなかったけど、君、卒業した後はどうするつもりなんだ?」
「別になんも決まってないけど」

こともなげに答えると、リドルが予想はしていた、と言うような表情で肩を竦めた。なにせホグワーツきっての問題児だ。当然、就職など決まる訳もない。

「ま、死にゃしないと思うから、そのうちどっかで会うかもな」
「確かに、死ななそうだな」
「お前には言われたくないけどな」

嫌味の応酬が続く2人の間を、場にふさわしくない、爽やかな風が通り抜け、葉を揺らしていく。青々と繁る緑葉の中で、少しの沈黙の後、リドルが口を開いた。

「最後にひとつ、聞いておくよ」

リドルが向きを変え、正面からこちらを見る。
向かい合うと、思った以上にリドルの顔が近かった。胡坐を組んだ足が、リドルの膝とぶつかる。彼は視線を逸らさないまま、左手を私の顔の横に伸ばした。その指には相変わらず、あのぞくりとするほど美しい黒い石の指輪が嵌っている。耳元の髪を掠めた彼の掌が背後の幹に添えられたのを、微かな揺れで感じ取った。

逸らされない目と視線が交わる。その目からは、彼にしては珍しいことに、侮蔑や軽蔑と言った感情は読み取れなかった。鼻先が触れそうな距離。そんな距離で、リドルは吐息を吐き出すように言葉を紡いだ。


「君には、僕がどう見える?」


真意の見えない質問。ただそこに、ふざけた態度や、何かを企てているような様子はない。どう見える。そう問われて、私は改めて彼を見た。その瞳が今、かつてないほど近くにある。
この4年間、一緒にいる時間が格別多かったわけではない。冷酷だとか、生意気だとか、彼を表す言葉はたくさんあるが、今更伝えたいことは思い浮かばなかった。自分が彼に言えることなど、何もない。
暫くその目を見つめて、私は凭れていた幹から少しだけ背中を浮かせる。それだけで届いてしまうほどに、その時、リドルは私の近くにいた。
たった2秒の、短いキスをした。触れていたほんの数秒間、私は柄にもなく目を瞑った。だから彼がその瞬間、どんな顔をしていたかはわからない。けれど冷えた唇の感触を残したまま目を開けたときには、彼もその暗い色の目を伏せていた。
背中が凹凸のある幹に再び触れ、私は口角を上げて彼の頬に手を添える。

「大っ嫌いだよ、クソガキ」


的を外した答えだと、自覚はしていた。けれど自身が彼に抱く感情を彼自身に伝えるには、これが一番ふさわしい言葉だった。
視線を絡ませたリドルが、ふっと口角を上げる。その笑みは自分と同じ笑みだと、何故だかそう思った。愛してほしいわけじゃない。そもそも愛など願い下げだ。理解するつもりもない。
けれど自分の手が無意識に、思っていたよりずっと優しく彼の頬に触れてしまったことを、ほんの一瞬だけ後悔した。

「気が向いたら、君を見つけるよ」
「そりゃ楽しみだ。雇ってでもくれんの?」
「僕の下に付く気があるのか?」
「まっぴらごめんだな」

いつも通りの嫌味の応酬。これだけ近くで、囁くように話しているのに、まるでキスなどなかったかのような過剰感のない空気。この空気に、私は居心地の良さを感じていたのかもしれない。
彼と私は似ている。あまりにも異常で、逸脱していて、思考も目的も憎むものも、何もかもが違うのに、似ている。だから解る。お互いがお互いを求めることなど、一生ないだろうと。
くすりと笑みを零して、私は立ち上がった。座ったままのリドルをその場に残して、跳躍する。名残惜しさはない。この学校にも、彼にも。

「じゃあな、リドル」

振り返る必要さえ感じなかった。同じように、それを彼が求めていないことも、私は理解していた。城の中では厳かに卒業式が執り行われている。7年間を過ごしたホグワーツ城も、もう自分には無関係の場所だ。そして私は一歩踏み出す。あてもなく、目的もなく、漠然とした、それでいて迷いのない歩みを続ける。これまでと同じように。
別れの言葉に対する応えはない。それが私たちにとって一番自然な形だと、疑いもなくそう思える。
何の蟠りも柵もなく、私たちの出逢いはこうして終わった。


そして次に会ったとき、彼はすでに「リドル」ではなくなっていた。





===20140719