これは、わたしが死ぬ少し前の話。
彼と再会した少し後、そして彼が力を失った夜より少し前の話だ。



「予言ねぇ……」

薄暗い部屋の中、唯一の光源を見つめたまま独り言のように呟く。革張りの古い1人掛けソファに腰を沈めて、だらしなく足を放り出す。
汚れた服に不釣り合いなほど見事な椅子。その肘掛けの、古めかしい装飾を指でなぞる。つくづく自分には似合わない椅子だと思った。しかし座り心地は最高で、深く沈み込めばそれだけで疲れが取れていくような気もする。
いいとこ住んでんなぁ。と、声に出さずに皮肉った。寂れた屋敷は広く、手入れが行き届いている。廊下も庭も埃ひとつ無い。その上、どこもかしこも薄暗くて時化っていて不気味だった。広い庭に花はなく、オブジェの趣味も最悪。極めつけに、ここの空はいつでも曇天だ。
いっそ気色が悪い。この間まで泊まっていた、マグルの街の安宿の方がまだましだと思える。だがそれをこの男の前で口にするほど、自分は馬鹿じゃないという自負もあった。

「つまり占いみたいなもんでしょ?くっだらね」
「こいつはよく働く忠実な部下だ。俺は信頼している」
「あっそ」

彼の足元で首を垂れる男が、一瞬視線を上げてこちらを見た。黒くべたついた髪の隙間から覗く眼には、はっきりと嫌悪が窺える。同じように、部屋の隅に並ぶ数人の手下共からも似たような視線が注がれていた。それを知っていながら、口角を上げる。

「で、何。つまりその予言曰く、今はまだ形も出来あがってないようなガキンチョに、あんたいつか殺されるかもよ、ってこと?」

背後の殺気が増す。それを感じ取りながらも、しかし笑いをこらえる理由にはならなかった。暖炉に照らされたリドルの顔は、手下どもを窘めるでもこちらを諌めるでもなく、ただ無表情にその炎を見つめていた。

「いいねぇ、それ。もし本当にその予言が実現するなら、あんたの死に様、特等席で見学させてもらうおうか」
「口に気をつけなよ」

部屋の隅から進み出てきた影が、こちらを見下ろすような形で背後に立った。顔をあげて背凭れ越しにその目を見上げる。

「お前みたいな低俗な輩が無礼を働いていい御方じゃないんだよ」
「そう噛みつくなよ、ベラちゃん」
「気安く私の名前を呼ぶな」
「吠えてろ、クソビッチ」
「貴様    !」
「やめろ。……お前たちもだ、少し出ていろ」

手下どもは皆不満を残しながらも、敬愛する主君の言葉にただ従った。最後に向けられた侮蔑の視線に、笑顔で手を振って応えてみた。いつだったかのリドルの教えだ。けれどやっぱりメリットを感じない。殺気が膨れ上がったのを感じて、もう二度とやるもんかと心に誓った。
学生時代からの話だが、なにかに陶酔した連中というものは大抵こうだ。ただ信じたモノが目の前で輝いていれば、それ以外の全てがどうなろうと興味を示さない。しかし、その崇拝するモノにほんの少しでも影を射すものがあれば、それが何であれたちまち排除しようとする。
扱う側からしたら便利な駒である。さすがはリドル、駒のストックも十分のようだ。肘掛けに頬杖をついて、隣に座ったリドルへ視線をやる。彼は暖炉から視線を外さない。

「……珍し。もしかしてビビってんの?」

不敵。
何に対してもその言葉通りだった彼が、今回はやけに大人しいように思う。先ほど聞いた、予言とやらの話。彼の頭を占めるのはそれだろう。
しばらく無言で、その横顔を見つめた。相変わらず、感情は読めない。むしろ昔より更に読みにくくなったように思う。学生の頃から閉心術に長けてはいたが、こうも人間味を感じないといっそ本当に生き物かと疑いたくなる。
一呼吸おいて、彼がようやく炎から視線を外した。
その眼が、射抜くような鋭さでこちらへ向けられる。

「……お前にひとつ言っておこう」
「あ?」
「17年前と同じと思うな」

先ほど出ていった者達の複数の殺気など、到底比較できない程の殺気。ピリリと、部屋中に見えない電気が走ったようだった。

「俺様は今や闇を支配する者だ。この17年をかけて、それを証明してきた」
「ああ、そのようだな」
「自分が特別だなどと思ってくれるなよ。昔から、お前の振る舞いはすべてが無意味だった。腹立たしいほどにな」

リドルは深くソファに凭れたままなのに、まるで眼の前で武器を突き付けられている様にすら感じる。己に向けられた殺気を正面に感じながら、その赤い眼を見つめ返した。


「俺様はこれまで、目の前の全ての者を、従うか、従わないかで篩にかけてきた」
「…………」
「自分だけが逃れられると思うな。ㅤㅤㅤㅤお前はどっちだ?」

これまでも何度か、間近で見た。しかしこいつの眼は、もはや記憶にあるあの頃とは似ても似つかない。冷ややかで危険を孕んだ眼光は、今や闇そのものだった。異常なほど赤い光を湛えるこの眼で、何人を死に追いやったのだろうか。
否、既に数など問題ではないのだろう。この眼はもう、きっと救われない。救ってほしいなんて、彼は思わないだろうけれど。

「俺様、ねぇ……根本は変わってないように見えるけどね、おまえは」

威圧的な問いを一蹴して、心地よいソファから立ち上がる。汚れたローブの裾が、埃ひとつ無い絨毯の上を滑って足元で揺れた。

「おまえの17年間が正しいんなら、今すぐ殺せよ」
「…………」
「言っただろ?おまえの下に付くなんてまっぴらごめんだし    興味がない」


出逢った時と同じ、言葉。その言葉にリドルが眉を寄せた。ああ、この顔は知っている。その顔に怒りや苛立ちは含んでおらず、それが何故だか嬉しかった。けれどわたしは、本当に興味がないのだから仕方がない。
自分の、命にすら。

「変わっていないのはお前だ」
「変わる気もないさ」

ソファの足元に無造作に投げてあった、荷物と言うには小さすぎる袋を持ち上げる。それを肩に掛けて、座ったままの彼を見下ろす。

「ただ、どうせそのうち死ぬんなら、おまえに殺されるのもいいと思ったんだよ」
「……どうせ行く当てもないんなら、ここに居ても構わないだろう」
「従うか従わないか、なんだろ?おまえとわたしの意見が合ったことがあるか?」

見上げてくるリドルに、多少の名残惜しさはある。けれどお互いに、これ以上の関係を望んでいないことは確かだった。
学生時代、あの少ない時間を共に過ごして来れたのは、お互いに何の執着も持たなかったからだ。尊敬も、畏怖も、陶酔も、嫌悪も、お互い周りから向けられるものが、時に窮屈に感じていたから。そのどれにも当てはならない空間に、少しの居心地の良さを感じていたから。
闇の支配者として権力を確立しつつある今の彼と共有できるものは、以前の自分たちよりさらに少ない。ならば、同じ場所にいるべきではない。

暖炉の光に背を向けて歩き出す。
彼の視線だけが、背中を追ってきているのを感じた。

「おまえは嫌がるだろうけど……おまえが、痛みを感じる心を取り戻してくれたらいいなって、思ったことはあるよ」

自分を棚に上げた祈りだけど。
豪奢な扉の前に立って、そのノブに手をかける。もう二度と、ここへ来ることはないだろう。


「さよなら、リドル。……おまえが、もし死ぬことがあったとしたら、」

彼を殺す存在。
もしかしたらその人物だけが唯一、彼を人間たらしめる存在なのかもしれない。
例えば予言が事実だったとして、本当に彼の天敵たる子供が生まれたとしよう。いつか本当に、その子供は成長し、彼の前に立つのだろうか。悪夢そのものとなった彼を、死を持って終わらせることが出来るのだろうか。

だったらわたしは、まだ見ぬその子供に心から感謝するだろう。


「そのときは会いに行くよ」


人間であるおまえに、もう一度だけ会いに行く。





===20170901