黒水晶は瞬かない 2 / 3
「…………――タバサ、モリオンはどうしちゃったの?」
幼いユリィには、それが何を意味しているのかよくわからなかった。
不思議に思ったことをタバサに尋ねると、タバサはユリィの目を見て微笑んだ。屋敷しもべ妖精特有のゴルフボールのような大きな目が、優しく細まる。彼女の姿は夕焼けを浴びてオレンジ色に染まっていた。
「モリオンは遊び疲れてしまったのでございます」
「そうなの?」
「はい」
タバサの向こうで、クーパーが小さなモリオンを抱き上げ庭を出ていく。モリオンのために新しく用意された彼の寝床に運ぶのだろう、とユリィは思った。ユリィの視界から外れる瞬間、モリオンの黒い毛並みが、夕焼けで優しく光って見えた。
「旦那さま、お嬢様、そろそろご夕食のお時間でございます。食堂へどうぞ」
「ご夕食! デザートは何?」
「お嬢様の大好物をご用意しております」
「やった!」
タバサの言葉にユリィは大喜びして、テラスで寛いでいる祖父を振り返った。
「おじいさま! デザートは私の大好物ですって!」
祖父はユリィが自分に声をかけたことに酷く驚いたようで、何度か瞬きをしてユリィのことを確認した。
「おじいさま?」
「――あ、あぁ。何だろうな。今日はユリィの誕生日だから、ディナーもデザートも豪華だぞ」
「うれしい! おじいさま、早く行きましょう!」
思わず走り出してしまったユリィだが、すぐにはっとする。おじいさまの前で走ったりしたら、「はしたない」って怒られちゃう。
「…………?」
しかし、ユリィの予想に反して、食堂まで駆けていってもユリィは一言も怒られなかった。
私のお誕生日だから、多めに見てくれたのかな? そう思ったところで、タバサがとても素敵なご馳走を運んできたのに気をとられてしまい、ユリィは考えていたことをすぐに忘れてしまった。
あまりにもこの日の夕食が美味しかったから、何もかもすべて、この日のことは忘れてしまったのだ。
一瞬、ユリィは何が起こったのかよくわからなかった。
窓の向こうに広がる真っ暗な森と手元にある本を見比べた後、ユリィは自分が読書をしながら机に突っ伏して眠ってしまったのだと気づく。
「――――、――――」
息苦しい気がして、胸に手を当てて深呼吸する。何故か手が震えている。窓から漂う十二月の冷気で少し寒さを感じるくらいなのに、ユリィのローブとシャツの下の肌は汗ばんでいた。
今日はもう寮に戻って、湯船に浸かってこの気持ち悪い汗を流して寝てしまおう。
ユリィはそう思って、机の上に広げていた本たちを棚に戻しはじめる。手を動かしながら、ユリィの頭の中では先ほど夢で見た映像を何度も反芻していた。酷い悪夢だった。
近くの本棚の前で本に埋もれていたハリーにひとこと声をかけて、ユリィは図書室を出た。
図書室から寮への廊下は最悪だった。中庭に面した廊下には窓がなく、外からの風が容赦なく吹き付ける。汗が冷えて、ユリィは凍えそうになりながら速足で歩いた。グリフィンドール塔に入ってしまえば、締め切った窓と廊下に等間隔に置かれた松明の炎のおかげでかなり暖かくなった。
「イネーブラ? 君、大丈夫かい?」
あと数歩で談話室というところですれ違った誰かに呼び止められて、ユリィは立ち止まる。もう目の前に見えていた寮の番人たる『太った
「大丈夫って……、何がですか?」
「フラフラしてるし、ひどい顔色だ」
「そんなことは……」
ないです、とユリィは否定しようとしたのに、立ち止まった足から急に力が抜けて、ぐらりと視界が傾いた。『太った婦人』が甲高い悲鳴を挙げた。
「イネーブラ――ユリィ! 本当に大丈夫か?」
パーシーが倒れそうになった自分の体を支えてくれたことに気づき、礼を言うつもりが、ユリィの喉からはかすれたため息しか出なかった。
そういえば、言われてみれば何だか体調がおかしい気がする。先ほどまでは寒くて震えていたのでよくわからなかったけれど、頭は重たいし、何だか耳鳴りもしてきた。いや、これは『太った婦人』の悲鳴かもしれない。白くぼんやりしてきた視界の奥で、談話室から双木のウィーズリーが顔を出すのが見えた。ふたりが自分に何か言っているような気もするが、『太った婦人』の声にかき消されて聞こえやしない。
「あの――なんか、私、熱があるかも――」
そう申告したつもりだったが、声が出ないことを考えると、パーシーに聞こえたのかも怪しいなあと思ったところで、ユリィの意識は途切れてしまった。