凍える聖夜 1 / 4

 キングス・クロス駅でハーマイオニーと別れた後、ユリィは祖父が用意したタクシーに乗り込みロンドンの祖父の家へと向かった。そこでひと休みしてから、煙突飛行ネットワークで古城に帰宅する予定になっている。
「お嬢さま、おかえりなさいませ!」
 祖父の家に到着し、マグルの運転手が荷物を玄関に運び入れてから出ていくのを見送った直後、パチンという姿現しの破裂音とともに、深々と礼をするクーパーが出迎えのために現れた。姿現しの音に驚いたのか、移動用のケージに収まっていたサファイアが器用にも自力でそこから飛び出し、サンルームのほうへと走り出していった。
「ただいま。あと、メリークリスマス」
 ひさびさの再会にユリィはハグでもしたい気分だったが、召使いと主人の関係を考えてにっこり微笑むだけに留めた。クーパーも心得たように笑顔を見せると、ユリィの外套を預かってくれる。
「私がホグワーツに行っているあいだに、何か変わったことはなかった?」
 ダイニングに行くため廊下を進むユリィの一歩後ろを、クーパーが続く。
「いいえ。ご主人様は変わらずご健勝でお仕事も順調そうでございますし、変わったことは何も」
「そう」
 クーパーの言葉通り、廊下から見える範囲だけでも、この邸宅はホグワーツ入学前に来た時と何も変わってはいないことが見て取れた。
 祖父の生活はユリィもよくは知らないが、ユリィが物心ついてから今日までずっと仕事で多忙で家にはいつかず、そしてそのせいか邸宅は何も変わらなかった。見える変化といえば、花瓶に活けられた花が季節によって変わるくらいだ。
 居間に入るとクーパーがテキパキとお茶の準備を始めたので、ユリィはいつも通りの席につくだけでよかった。ユリィが用意された手拭きを使っているうちに、目の前に用意されたティーカップに熱い液体が注がれていく。
 ティーカップの取っ手をつまんでひとくち味わい、ユリィはほっと息を吐く。
「お嬢さま、ホグワーツで困っていることや足りない物があれば私めにお申し付けくださいませ。ご主人様によきに計らうよう言い遣ってございます!」
 クーパーはとても張り切った様子だった。
「うん、ありがとう」
 彼の期待に満ちた目で見つめられ、ユリィは少し考えてみたものの、欲しいものが何も思いつかなかった。学用品は入学前に買い足したもので足りているし、読みたい本はホグワーツの図書室にすべて揃っているから、新しく用立てる必要もない。衣類についても、成長を見越してもともとほんの少し大きめに作ってあるから、とくに困っていなかった。
 しかしクーパーの眼差しを前に「何もない」というのは憚られ(屋敷しもべ妖精は摩訶不思議な思考回路をしているので、仕事がないと告げるとがっかりする)、ユリィはたまにでいいのでお菓子を送ってほしいとだけ伝えた。ドラコ・マルフォイが実家から送られてくる高級なお菓子をこれ見よがしにグリフィンドールに――というか彼にとってライバルのハリーに――見せつけてくるのを思い出したためだ。同じくらい高級なお菓子を食べているのを見れば、あのマルフォイも少しは静かになるだろう。
 クーパーは「かしこまりました!」とうきうきと了承した。
「クーパー、そういえば、モリオンのことを覚えてる?」
 ユリィが尋ねると、クーパーは少しきょとんとした表情になり、一拍置いてから、「ああ!」と思い出したらしく声を挙げた。
「覚えてございます。昔、ご主人様がお嬢さまにプレゼントされた仔犬でございますね。あれは悲しい事故でございました」
 クーパーは痛ましそうな仕草で大きな目を伏せた。
「そう、そのモリオン。私、モリオンが死んだ日のこと、最近までなんだか記憶があやふやだったの。『機嫌を直す薬』でも使われたのかな?」
「はて――それはあり得ないでしょう。『機嫌を直す薬』はあまり推奨されない魔法薬ですから、当家ではご用意すらしていないのでございます。あれはお嬢さまにとってもショッキングな出来事でしたから、そのせいではないでしょうか」
「そうなの? 良くない薬だなんて、知らなかった」
 ユリィにとって、『機嫌を直す薬』は実にポピュラーな薬だ。子どもが登場する本でもよく登場するし……と、そこまで考えたところでふいに思う。ユリィが今まで読んだことのある本は、ほとんど自身が育った古城の書庫にあったものだ。少々古いものがほとんどだし、もしかしたらユリィの認識が偏っているのかもしれない。
「クーパーめは召使いですから、魔法使いさまほどの知識はございませんが」
 クーパーが屋敷しもべ妖精らしくへりくだって前置きする。
「頭の中に作用するお薬は、もともと広く好まれません」
 それからゆったりと寛ぎ時間をかけて紅茶を飲み干したユリィは、サンルームで昼寝の最中だったサファイアを確保し、煙突飛行ネットワークでロンドンのイネーブラ邸を後にした。今夜古城で楽しむ予定のクリスマス・ディナーにはクーパーもやってくるので、彼とはほんの数時間の別れだ。
「お嬢さま!」
 暖炉の前で待っていたらしいタバサは、ユリィの姿を認めてすぐ、目をキラキラさせて出迎えた。
「おかえりなさいませ!」
「ただいま、タバサ。メリークリスマス」
 ユリィは灰を吸い込まないよう気を付けながら暖炉から出た。
 嗅ぎなれたドライポプリの香りがして、無意識のうちにほっとため息が出る。タバサのお気に入りのポプリで、ユリィがたまには変えてとリクエストしない限りは古城の中はいつもこの香りだ。
 帰ってきたのだ、とユリィは強く実感した。
 数ヶ月も自宅を離れたのは、ユリィにとって初めての経験だった。友達がいて毎日が楽しいホグワーツもずっと住みたいと思えるくらい好きになったけれど、やっぱりこの家が私の故郷なんだ、と、ユリィはクリスマスの飾りつけがされたリビングルームを見ながら思う。腕の中のサファイアも、リラックスした様子で喉をゴロゴロと鳴らしている。
「メリークリスマスでございます! タバサは今か今かとお嬢さまのお帰りをお待ちしておりました!」
 タバサはユリィの帰宅を飛び跳ねんばかりに喜び、笑顔が堪えられないといった様子だ。それでも召使いとしての本分は忘れていないらしく、ユリィの服についたわずかな灰を丁寧に払い落し、魔法で暖炉に新しい火を入れている。
「荷物はもう部屋にあるの?」
「はい! 先ほどクーパーから送られてきましたので、お部屋に運び込んでございます」
「そう。じゃあ一旦部屋に戻って、少し整理してこようかな」
 ユリィが廊下に出てしばらく歩くと、そこにはふわふわと風もないのにドレスを揺らす半透明の美女が佇んでいた。彼女はこちらに背中を向けていたが、音でユリィの存在に気付くと、その儚げで優雅な姿に相応しいゆったりとした動きで振り返った。
「あらユリィ、帰っていたのね。おかえりなさい」
「メリークリスマス、ミセス」
 ミセス・ドラキュラはマイペースにも、「あら、クリスマスって今日だったのね」と驚いている。
「あなたがホグワーツに行ったのって、一週間くらい前だった気がするのに。死後の生活って、生前に思っていたほど悪くないのだけれど、こういうときに困ってしまうわね。生きていた頃の時間の感覚がさっぱり思い出せない。そういえば、結局無事に入学できたのね。あなた、あんなに『入学許可は間違いかも』って疑っていたのに」
「あー、おかげさまで……」
 そういえばそうだった、とユリィは気まずい思いをした。
 なんであの時はあんなに怪しんでいたのか、自分でもよくわからない。今思えば、友達もいない、タバサとミセスにしか不安を吐き出せる人もいない(しかも厳密にはどちらも人ではないので、人の気持ちに疎いときがある)、そんな環境で意地になっていただけな気もするが、それを彼女の前で認めるのも癪だった。
 ミセスはそんなユリィの心情を見透かしたらしく、「フン」と高慢に鼻で笑って、そのまま足音を立てずにユリィの横を通り過ぎて行った。