凍える聖夜 2 / 4

 例年通り、クリスマス・ディナーは最高だった。
 祖父が直接買い付けたという天井まであるツリーは魔法のオーナメントで光り輝いていたし、こちらも祖父が選んだ豪華なコース料理もほっぺたが落ちるほどおいしかった。オードブルは最高級のスモークサーモン、メインはもちろん七面鳥だ。ユリィが生まれてこの方、祖父が用意したものがハズレだったことは一度もない。
 でも、デザートのマシュマロ・タワーだけは少し複雑だ。
 確かにユリィは特別な日だけに用意してもらえるチョコレートソースがたっぷりかかったマシュマロ・タワーが小さい頃から大好物だった。祖父もそれを覚えているからこそ、毎年ユリィの誕生日とクリスマスには、豪華なマシュマロ・タワーを必ず手配してくれる。
 この愛情こもった恒例のプレゼントに、ユリィは実のところちょっぴり困っていた。
 豪華なマシュマロ・タワーは一度には食べきれず、タバサやクーパーにおすそ分けしながら数日かけて食べ切ることになる。小さい頃は飽きることなく食べ切れたが、ここ数年は違う。味覚が少しずつおとなに近づく中、毎日大きなマシュマロは少々きついものがあった。クーパーを通じてメニューを変えてもらおうと思ったこともあったが、祖父が今でもこのデザートでユリィが飛び上がって喜ぶと思っていることを思うと、どうにも言い出せないままだ。
  結局、ユリィは今年もクリスマスまでに祖父にそのことを伝えることができなかったので、心から喜んだふりをしてマシュマロ・タワーを胃の中に収めることになってしまった。美味しかったが、明日からのことを考えると複雑な胸中だった。
 ディナーを終えて自宅のバスルームでゆったりと入浴を楽しんだ後、ユリィは就寝することにした。
 ホグワーツのそれよりも広くて豪華な自身のベッドに寝そべり、ユリィは「ふわあ」とあくびをした。ユリィが近くの愛猫専用のベッドに視線をやると、サファイアがすぴぴと平和そうな寝息を立てていた。
 ホグワーツからの列車の旅は、思ったより疲れを溜めてしまったようだ。ここのところ、課題のために睡眠時間を削っていたのも大きいだろう。
 ああそうか、明日は授業もないし、寝坊したって朝食を食いっぱぐれることもない。今夜は好きなだけ寝てもいいんだ――そこまで考えたところで、ユリィの思考は眠気の大きな波に飲み込まれてしまった。

 ――――寒い。

 凍てつくような冷えを感じて、ユリィの意識がゆっくりと浮上してくる。
 微睡みと現実の狭間でぎゅっと体を縮こませるが、それでは耐えられないほど肌に感じる空気が冷たい。暖炉の火が消えてしまったのだろうか。ベテランのハウスエルフたるタバサにしては珍しいミスだ。
 彼女を呼んで、火を入れ直してもらわないと――と。
 重い瞼を持ち上げて、ユリィはハッと覚醒した。
「え?」
 思わず上半身を起こす。
 奇妙なことに、ユリィは暖かいベッドではなく、酷く冷たい床の上にいた。
 ベッドから落ちた、という訳ではないだろう。
 ユリィがいる部屋には、ベッドなど存在しない。ホグワーツの教室よりは広いかもしれない場所だった。壁際には何十年も使った形跡のない暖炉と、年代物の衣装箪笥らしきものいくつかがある。箪笥は色褪せているうえに、湿気か何かで歪んでしまっているようだ。部屋には火のついた蝋燭やランプもなく、襤褸切れみたいなカーテンがぶら下がる窓からの月明かりだけが光源になっている。さらにいえば黴臭く埃っぽくて、ユリィのパジャマには埃がごっそりついてしまっていた。
 既視感。
 部屋を見回して、ユリィが最初に感じたのはそれだった。
 でも、確信には至らない。
「これって……」
 ユリィは立ち上がって、雪の振り込む窓に駆け寄る。窓の外の景色を見れば、確信が得られるかもしれないと思ったからだ。
 そして、ユリィは窓の外の景色を見て、ついに確信を得た。
 雪が積もった濃い色の陰鬱な針葉樹の森、じめじめした空気。庭を仕切る柵は雪に埋もれてよく見えないが、錆びて壊れかけに見える。だが、あの策の位置にも、針葉樹のシルエットにも覚えがある。
「ここ、私のベッドルーム……?」
 窓から見える景色、壁の間隔、暖炉の位置。
 ユリィはすべてに見覚えがあった――そう、先ほど眠りについたはずの自室だ。
 おかしなことに、ユリィの使っているはずの家具も何もなく、ガラクタが転がっているだけだが、確かにここは住み慣れた自室に感じられた。
「夢?」
 思わず呟くが、寒さはリアルだ。吐く息は白いし、手足はかじかみ、すでに感覚を失くしつつある。
 奇妙な状況に恐怖はあったが、ユリィはその場に蹲って時間を無駄にはしなかった。ユリィにグリフィンドールらしい勇気があったからではなく、それ以上に寒かったからだ。このままでは凍えてしまうと本能が言っていた。
 差し当たって部屋の暖炉に火を入れようと思ったものの、暖炉を前にして、ユリィは困ってしまった。
「だ、暖炉ってどうやって火を入れるの……?」
 ユリィにとって、暖炉は召使いがあらかじめ火を入れているものであって、自分で火を入れるものではない。
 タバサが火を入れている姿は見たことがあるが、彼女が指を鳴らせば彼女の魔法の火がつくという認識だった。たまに魔法で薪を出しているのも見たことがあるが、あれはどこから持ってきたものなのかは考えたこともなかった。
「とりあえず、火がいるのよ、火が……、……」
 さらに困ったことに、ユリィは魔法以外での火の起こし方を知らなかった。パジャマ姿のユリィは杖など持っているはずもないし、マグル式の暖炉の使い方もまだ学んでいない。
 ユリィはしばらく暖炉の周りを観察したり中を覗き込んだりしてみたが、どうしたら暖炉の中に火がつくのかさっぱりわからなかった。
 ユリィはひとまずこの部屋の暖炉を使うのを諦め、他の部屋に使えるものがないか探すことにした。
 この扉の位置も形も、家とまるっきり同じだわ。
 そう思いながら、ユリィは廊下に出る。ドアノブは壊れてしまっていたが、そのおかげで扉は開きっぱなしだった。
 廊下も恐ろしく寒かったが、ユリィはずんずん進んだ。
 どこもかしこも黴臭くて小汚いし、ぼろぼろで古いが、間取りのすべてに覚えがあった。道に迷うことなんてなかった。ここは確実に勝手知ったる古城だった。それがユリィにはとても恐ろしかった。
 何が起こっているんだろう。とても寒いし、悪夢なら冷めてほしい。
 ユリィはリビングルームや書庫、書斎、物置部屋、衣装室、バスルーム、客室、サンルーム……、とにかく覚えのある部屋を次々に確認していった。
 何かあるかもと各部屋の暖炉に手を突っ込んで確認したりもしたが、手が汚れただけで成果はなかった。用心深い魔法使いや魔女は寝るときにも杖を手放さないと聞いたことがあるが、自分も今後はそうすべきかもしれないとユリィは思った。この何だかわからない状況を切り抜けられたらだけれど……。
 仕方なく、リビングルームでテーブルの残骸らしきものにかかっていた布を身体に巻き付けて、毛布の代わりにすることにした。湿気を吸って冷たい布に体温を奪われるが、それでもないよりはマシなはずだ。
 ユリィの住む古城はホグワーツと比べたらとても小さいが、それでも城。ユリィとタバサだけが住むにはもったいないほどの広さがある。普段ユリィが生活圏として使っているのは城のほんの一部だ。ひとまずその範囲を探検しつくしたユリィは、一番寒さがマシに思えた物置部屋で籠城することにした。足先の感覚が完全に無くなってしばらく経つ。これ以上冷たい床を歩き回る気力もなかったのだ。
 結局わかったことは、この城には何十年も誰も住んでいないように見えることと、その代わりに干からびたネズミの死骸が転がっていること。そして、やはりユリィの知る古城と間取りが完全に一致していることだ。 
 これっぽっちも状況が掴めないが、今はとりあえず、じっとしてできるだけ身体を温め、気温が上がる日の出を待つべきだとユリィは考えていた。もしくは、これが悪夢なら、目が覚めるのを。
 部屋の隅に座り込み、ユリィはできるだけ小さくなった。かつてテーブルクロスだったものは毛布ほど暖かくはなかったが、幸いなことに体温で温まった空気を閉じ込められるだけの機能はあった。
 今何時なんだろう。というか、ここ、何なんだろう。
 じっとしていると急に強い眠気を感じて、ユリィは瞼をぱちぱちとさせた。
 こういうときって、眠っちゃいけないんだっけ。杖がない時に凍えそうになったらどうしたらいいのか、立派な魔女になるべく育てられた魔法界育ちのユリィはよくわからなかった。