だいたい三倍

※相手が複数




隠していた審神者への恋心が実を結んで少し経ったが、水心子正秀は新たな問題に直面していた。
 深みに進んだ関係になったというのに、想いが溢れて止まらなくなっている。審神者のことが好きで好きで好きで好きでたまらないのだ。下手すれば片思いをしていた頃より苦しいかもしれない。一見すると馬鹿みたいな悩みだったが、時間が経つにつれてとても深刻なものになっていた。同じく審神者と深い関係になっている親友に相談しようとも考えたが、彼の方に気になることはなさそうだったので、なんとなく相談しづらかった。
 まずこの本丸には優秀な刀剣男士が数多く存在する。鬼や妖の類いを斬った刀、ずば抜けて美しい刀、など挙げればキリがない。水心子は自分に自信がないというわけではなかったし、何より新々刀の祖としての誇りがある。他の誰よりも審神者を愛している自信はあるが、それでも華々しい逸話を持っている刀剣男士と比べると、本当に審神者の隣に並び立ってもよいものか、という考えが湧き出てくる。この悩みを審神者本人に打ち明けることはまだできていない。毎日愛を囁いてくれる審神者のことだから、『私はあなたに相応しくないのではないか』と言っても即座に否定してくれることだろう。それでもやはり己の弱みを晒すことはとても恐ろしかった。特に愛している者相手となれば余計に怖くなってしまい、躊躇していた。

 水心子はうまく自分が悩んでいることを隠しているつもりだったが、審神者はなんとなく悩みごとがあるのだろうな、と察していた。
 気づいたきっかけは、夜に二人きりで過ごしている時だった。審神者の自室、審神者の布団の中で共寝していると、快楽に溺れて訳が分からなくなった水心子が審神者に縋り付いた。そこまではよくあることだったのだが、ある日を境に『僕だけを見て』『僕から目を逸らさないで』と譫言のように繰り返すようになった。それがあまりにも必死だったから、水心子の中で何かがあったのだと分かった。誰かに何か言われたりしたのだろうかと思ったが、そういう訳ではなさそうだった。やがて行為が終わり、疲れて眠っている水心子を抱きしめながら、審神者はどうにかして不安を和らげてやれないだろうかと考えた。その結果あることを思いついたので、もう一振りの大事な刀に相談することにした。

 水心子の愛は日に日に増していき、ふとした瞬間に『いっそのこと』が脳裏によぎるようになった。実行すべきではないと理解しているはずなのに、気づけばどのタイミングでどう実行すれば審神者に負担が少ないかを考えてしまっていた。
「我が主よ、何をしているのだ」
「君の指触ってる」
「私の指の何が面白いんだ?」
「面白いよ。私のとは違うし」
「それはそうだが…」
 審神者は熱心に水心子の指を触っている。親指から小指まで、両方の手の感触を余すことなく楽しんでいた。時折指と指を絡める、所謂恋人繋ぎのように手を握られてしまうと、水心子の胸がきゅんと締めつけられた。
「ねえ、手袋取ってよ」
「む、まあ…構わないぞ」
 望み通りに、水心子は嵌めていた黒い手袋を外した。緊張で少し手汗が滲んでいたせいか、独特の解放感があった。
 手汗のことを何か言われるかもと思ったが、審神者は黙って水心子の指を触っている。まるでマッサージを受けているかのようだった。
「もういいよ。ありがとう」
「なっ、もういいのか」
「うん。そろそろ休憩終わるし、水心子もこれから出陣でしょ?気をつけて。あっ、時間取らせてごめんね」
 あれだけ熱心に触ってきたくせに離れる時は一切名残惜しそうにしないものだから、水心子は少しムッとしてしまったが、出陣の時間が迫っているのは紛れもない事実だった。審神者が日頃から持たせてくれているお守りを握りしめた後、水心子は時空転移装置へと向かった。

 出陣は滞りなく終わり、次の日になった。審神者が定期的に現世に戻ることになっている日で、審神者は既に戻る準備を終えていた。
「お土産ちゃんと持って帰ってくるから、待っててね」
「…ああ」
 特別な関係となっている水心子は、三回に一回のペースで審神者の現世帰りに同行できることになっている。けれども前回同行してしまったので、今回は源清麿が着いていくことになっていた。
「主、そろそろ行かないと」
 まず水心子が着いていき、その次に清麿が着いていく。その次は他の刀剣男士の誰か、というように決まっていた。そして今回は清麿が同行する番だった。一人と二振りで出かけることも多々あったが、今回は別々である。
「清麿、我らの主を頼んだぞ」
「もちろん。任せておいて」
 現代風の装いに身を包んだ清麿が、審神者の手を引いて本丸の玄関から出ていく。水心子はその姿が見えなくなるまで見送った。

 審神者が現世に戻る日は、本丸中も休みということになっている。内番のみ行われるが、出陣や遠征は基本的に行わない。仲の良い刀剣男士と過ごしたり、一振りで静かに過ごしたりなど、過ごし方は様々だった。
 何かをする気になれなかった水心子は、ひたすら鍛錬に打ち込んでいた。集中できないまま他のことをするよりは、何も考えなくて済むと思ったからだ。その考えは上手くいき、気づけば審神者と清麿が帰ってくる時間が迫っていた。山を降り、さっと身を清めると、水心子は急いで玄関先へと向かった。
「水心子、ただいま」
 結構な荷物を抱えた清麿が顔を出した。この本丸は大所帯なため、その分土産がどうしても増えてしまう。審神者と現世で共に過ごした後は、一人と一振り、もしくは複数の刀たちで協力して帰還する、というのがお決まりだった。
「はー重た…あっ、ただいま、水心子」
「おかえり」
 後から審神者が玄関の中に入ってくる。軽くため息をついた後、床の上に荷物を置いていた。ゴトッ、と重たげな音が聞こえる。以前審神者が買ってきてくれた大きな瓶ジュースがまた飲みたい、と短刀たちが審神者にねだっていたので、おそらくそれの音だろう。
「後は私と他の刀剣男士で運んでおくから、二人は休むといい。あっ、夕餉はもう済ませたのか?」
「まだだよ。主がみんなと夕餉を食べたいって聞かなくて」
「そこまで駄々こねてないよ!」
「では、少しはこねたのだな?」
「…ちょっとだけ…」
 審神者は少しむず痒そうにしながら、清麿と共に本丸の中へ入っていく。途中で審神者の帰りを聞きつけた刀剣男士と会ったのか、賑やかな会話が聞こえてきた。

 夕餉を済ませると、審神者は早速湯浴みをしに行った。いつもより少しだけ短い時間で終わらせると、自室に水心子を呼び出した。改めて呼び出されることは滅多にないので、水心子は少し緊張しながら審神者の部屋を訪れた。
 そこには既に清麿もいた。二人とも畳の上に座っていて、審神者は正座だった。そんな審神者につられるようにして、水心子も畳の上に正座した。
「それで、どうしたのだ、我が主よ」
「うーん、まあ、大した用では…あるんだけど」
 少し自信なさげに審神者は目を伏せる。審神者の身体の側に小さな何かが置いてあるようだったが、角度のせいで水心子からは上手く見えなかった。
「…こういうの苦手だから、単刀直入に言うね。今日さ、水心子にプレゼント買ってきたんだ」
「わ、私に?」
「うん。受け取ってもらえる?」
 審神者は身を少し捩ると、やはり水心子の予想通りに紙袋を取った。そして中から何やら見慣れない小箱のような物を取り出して、水心子に差し出した。審神者の手によって小箱が開くと、中からきらきら光る小さな物が姿を現す。銀色に輝くシンプルな見た目の指輪だった。
「…こ、これっ」
 思考が停止してしまった水心子が、少しの間を置いて声を発する。審神者の顔を見ればなんだか照れ臭そうにしていて、弾かれるように清麿の顔を見てみれば、ものすごく微笑ましそうな、嬉しそうな顔をしていた。
 指輪を贈られる意味は分かっている。審神者と深い関係になってから、自分で調べて知っていた。だからこそ妙に信じられなくて、指輪と審神者の顔の間でずっと視線を行き来させてしまっていた。
「水心子、手出して。左手ね」
 差し出された審神者の手に、恐る恐る自分の左手を重ねる。壊れ物でも扱うかのような丁寧な手つきで指輪を摘むと、これまたゆっくりとした動きで水心子の薬指にそれを嵌めた。サイズはぴったりだった。
 今すぐに伝えなくてはいけない言葉があるはずなのに、口から出てきたのは言葉にならない声だけだった。
「っ、うう、ううぅ〜…」
「うわっ、どうしたの!」
 ほろほろと涙を流し始めた水心子を見て、審神者が慌て始める。様子を見守っていた清麿も水心子に近寄って水心子の背中を摩った。
「あ、あるっ、じ、うぅ」
「何?ゆっくりでいいよ」
「き、きよ、きよまろのは、ないの?あるじのっ、は?」
「えっ、あるある、あるよ、ほら」
 同じ紙袋の中から、再び同じような小箱が二つ出てきた。審神者はそれを見れば安心して多少は水心子が落ち着いてくれるものだと思ったが、今度は堰を切ったように泣き出してしまった。
「ゔ、ゔぇええ…!」
「うわわ泣かないで!き、清麿!」
「主、落ち着いて。はい」
「あ、う、うん」
 清麿の少し細く、それでいてしっかり男性であることが分かる手が差し出される。審神者がその手に自分の手を添えて支えると、水心子の泣き声が若干落ち着いた。横目で様子を見ると、泣き止み始めたというよりは、清麿の手に指輪が嵌められるのをその目で見たくて無理やり抑え込んでいる感じだった。
 清麿の薬指にも同じ銀色の輝きが灯った。この場にいる誰よりも落ち着き払っていた清麿も、この時ばかりは喜びが溢れそうになってしまう。
「いざ着けてもらうと、こんなに嬉しいものだったんだね」
 清麿は緩んだ顔で指輪の嵌った左手を眺めると、次は主の番だよ、と言った。どちらが指輪を嵌めてくれるのかと審神者は少し困ったが、両側から水心子と清麿が審神者を挟むようにして並んだので、そのまま身を委ねることにした。
 二人は器用に指輪を摘むと、これまた器用に審神者の薬指に協力して嵌め込んだ。えぐえぐ泣いている水心子の手が震えていて心配だったのだが、そこは流石というべきか、清麿が支えてやっていた。
 自らの左手を回して審神者が色々な角度から見てみると、光を反射してきらきら輝いていた。これと同じものが二振りの手にもあるのだと考えると、それだけで胸が熱くなった。
「あっ、るじ、いつこれをっ手に入れたんだ?」
 しゃくりあげながらも必死に話そうとする水心子は、審神者にとってとてもかわいらしく映った。
「前に清麿と出かけた時に見に行ったんだよ。それで今日受け取ってきたの」
「水心子が何か悩んでいるようだったから、主が指輪を贈りたいって僕に相談してくれたんだ」
「ど、どうして僕には言ってくれなかったんだ」
「私が私の意志で指輪をあげたかったから」
 悩みの具体的な内容は分からなかったが、どの方向で悩んでいるかは察していたので、その不安ごと包み込めるようなものを選んだ。その前に水心子と同じ立場である清麿に相談を持ち掛け、水心子には徹底的に隠して計画を進めてきた。
「これは私の…なんだろう、決意表明みたいなものなんだよね。だからこれは『婚約指輪』になるのかな」
「結婚指輪の方は、また今度改めて見に行こう。三人で、ね」
 清麿が水心子の涙をティッシュで優しく拭っているが、涙はなかなか止まらない。負の感情で溢れてきているわけではないのは一目瞭然だったので、審神者はもう『泣かないで』とは言わなかった。
「あっ、聞いてよ、水心子。指輪を選んでる時、主ったら信じられないことを言ったんだよ」
「な、なんだ?」
「婚約指輪なんだから、水心子と清麿の分だけでいいよね?って。ありえないよね」
「なっ、そんなことを言ったのか!?」
 先ほどまで泣いていた水心子は、心底驚いたように目を見開いた後、眉間に皺を寄せて審神者を非難するような目つきで見始めた。和やかな雰囲気から一転して追い詰められている審神者は、若干青くなりながら弁解を始める。
「ち、違うって!その時は婚約指輪はお嫁さんになる人だけが着けるんだって思い込んでただけだから!」
「そうだったの!?」
「それも正しくはあるみたいだけどね。でも、僕たちにもそれが当てはまるかというと、違う。僕たちは三人でひとつなんだから」
 三人で一緒になろう、と言ったのは審神者だった。どちらを選んでもどちらかを傷つけたり、関係にヒビを入れることになってしまう。水心子をとても大事に思っている清麿はまず間違いなく身を引くだろうし、水心子はそんな親友に申し訳が立たなくなってしまうであろうことは容易に想像できたので、審神者は二振りまとめて娶ることにした。それだけだった。二振りも『主がそれでいいなら』と受け入れたし、それどころかとても嬉しそうだった。それこそ今の二振りのような顔をしていた。
「…ところで、水心子は何を悩んでたの?」
「え゙っ、いや、そっそれは…内緒だ!」