とある戦闘の最中のことだった。時間遡行軍が現れたという知らせを受け、即座にその場所へ向かった。
時間遡行軍は、浦島虎徹を含む刀剣男士たちの姿を視認した瞬間、有無を言わさず襲いかかってくる。特に傷を負うことなく戦闘を終えた浦島が視線を下にやると、既に殺されてしまっていた人々の死体があった。肌は青白く、目は濁り、あらぬ方向を見ている。
人の死を目の当たりにすること自体、浦島は慣れていた。心が動かないことは決してないが、長く引きずってしまうこともない。けれども今回は少し違った。
ふと浮かんだのは、同じ人間である審神者の存在だった。暖かくて、安心する匂いがする、浦島にとって特別な人間。それが審神者だった。そんな審神者も、こうやって死んでしまうことがあるかもしれない。惨殺されることはなくとも、いずれは浦島の前からいなくなってしまう。そう考えると、途端に寂しくなった。
誉をたくさん取ったというのに、浦島はどこか浮かない顔をしていた。普段が明るく元気いっぱいなためか、その落ち込みように気づく刀剣男士は少なくない。けれども浦島はいくら声をかけられようと、大したことはないと返していた。
とぼとぼ歩いて審神者の部屋を訪ねると、審神者は驚いていた。いつも聞こえてくる軽やかな足音がなかったからだ。どうしたの、と声をかけられて、浦島の視界はじわじわと滲んでいった。
「主さん…」
両手で内番服の裾を握って声を震わせている浦島の様子から、これは只事ではないと判断した審神者は、浦島をすぐに抱きしめた。審神者の暖かい手が背中を摩っているのを感じて、浦島はついに泣き出した。
「どうしたの、誰かに何かされた?」
「さ、されてっない、けど、うう…」
ぐすぐすと鼻を鳴らして泣いている浦島に、審神者はさてどうしたものかと思いながら抱きしめてひたすらに撫で回していると、少し落ち着きを取り戻したようだった。
「今日、戦闘に出た時に、人が殺されてて」
「うん」
「前は、悲しいなあとか、俺らがもっと早く来れてたらなあとか、そんな感じだったんだけど」
「うん」
「主さんもいつか俺の前からいなくなるんだって思うと、寂しくて」
「主さんがいつか死んじゃうのは分かってたつもりだったんだ。でも、いざ目の前にすると…」
しゃくり上げながらもそう吐露した浦島に対して、審神者は意外に冷静だった。浦島と一緒になることを選んだ時点で、そのことは覚悟していたからだ。
浦島も、覚悟が甘かったわけではない。審神者がいつかいなくなることは、先ほども言っていたように理解していた。ただいまいちピンと来ていなかったというか、ペットの死を目の当たりにして衝撃を受ける子供のような気持ちになっていた。かわいい飼い猫がネズミを食い殺していたのを見た時の気持ちも近いかもしれない。
審神者にもそんな不安がないわけではない。浦島は強いから大丈夫だ、という気持ちと、何かあって折れてしまったらどうしよう、という気持ちがある。もう一度顕現させることはできるだろうが、今ここにいる浦島がそのまま来てくれることはないのだから。けれど、浦島が抱えている不安とは似て非なるものだ。
ともすれば人類が滅ぶ瞬間まで生きていられるであろう付喪神とは違って、人間の生は一瞬だ。同一ではないが同種を呼び出せる刀剣男士とは違い、人間は死ねばそれまでだ。刀剣男士は、常に置いていかれる側である。
「主さんも、やっぱり死んじゃうんだよね」
「そう、だね…」
愛する審神者の亡骸と一緒に燃え尽きられたらどんなに幸せだろう、と浦島は思った。灰になるまで燃えて燃えて燃え尽きて、審神者の遺骨や遺灰と混ぜてもらう。どちらのものか区別がつかなくなるまで混ぜられて、一緒に墓の下へ埋まる。
しかし浦島には大好きな兄たちがいて、相棒の亀吉だっている。そんなことをすれば悲しませてしまうかもしれない。そのことを考えると、どうにも踏み切れなかった。
どうすればいいのか分からない。分からないので、とりあえず今ここにいる審神者を大事にしたい、と浦島は思った。
「主さん、今日は俺の部屋に来て。一緒に寝て」
「いいよ」
審神者の胸に顔を埋めながら、籠った声で浦島はそう言った。審神者の胸は、浦島の涙で少し濡れていた。
兄たちも沈んだ様子の弟を心配していたが、審神者の部屋から戻ってきた浦島が少しだけ元気を取り戻していたので、ひとまず引き続き様子を見ることにした。なんとなくいつもと違うことは察していたが、浦島もそこまで子供というわけではない。過度に干渉するのもよろしくない、と兄たちは判断した。今夜は主さんが遊びに来るから、と言われたが、頻繁にあることなので、さして動揺もしなかった。
浦島が審神者に恋心を寄せていたことに対する驚きはなかったが、審神者がそれに応えたとなると、天地がひっくり返るレベルの衝撃が走った。もちろん浦島虎徹は自慢の弟で、どこに出しても恥ずかしくないくらいにはかわいく、そして誇りである。けれど、ただ一緒になるだけでなく、人間で言う結婚のような、将来を誓い合う関係になったとなれば話は別だった。審神者は元々信頼に値する人物だったが、やはり寿命の差異という懸念があった。そのことを指摘しないわけにはいかないので、あえて厳しく言ったが、浦島も理解しているようだった。ならばもう、言うことはなかった。
夜になると、浦島は虎徹部屋を飛び出した。少しすると、枕を持った寝間着姿の審神者を連れて戻ってきた。お邪魔します、と言った後、真ん中に敷いてある浦島の布団へと入っていった。最初は気まずそうにしていた審神者だったが、蜂須賀が『あなたはもう俺たちの家族同然なんだから』と言ってくれたこともあって、今では緊張せず過ごせるようになっていた。蜂須賀と長曽祢の若干の空気の悪さは相変わらずだったが、そこに浦島が加われば柔和されるのも変わらなかった。
少しだけ会話した後、三振りと一人と一匹は眠りに就くために明かりを消した。既に眠り始めた二振りと一人と一匹とは違って、浦島は目を閉じていない。
穏やかに寝息を立てている審神者の顔をじっと見る。起こさないよう静かに手を握ると、浦島が愛してやまない温もりが確かにあった。それがいつか失われて冷たくなってしまうことを考えると、寂しさと悲しさが入り混じった気持ちになった。思わず審神者の胸の辺りに顔を埋めると、規則正しい心拍が感じられた。これも止まってしまうかもしれない。浦島はさらに悲しくなった。
どうすればこのまま幸せでいられるのだろう。審神者が死ななければいい。どうすれば審神者は死なないのだろう。しばらく考える。
「あっ」
浦島はふと自分が付喪神であることを思い出した。人の思いから生まれた存在ならば、強く願えば叶うかもしれない。それが不可能であったとしても、神様らしい力を振るえば、なんとかなるかもしれない。光明が見えたことにより、浦島からどんよりした気持ちが綺麗さっぱり消え去る。浦島は審神者の心音を聴きながら目を閉じた。
『主さんがずっと俺と一緒にいてくれますように』と願うことが、浦島の日課になった。何もない日でも必ず願ったし、夜空に流れ星が現れた時や、七夕の時は特に強く願った。今日も今日とて願っている時に、廊下の向こうから話し声が聞こえてきた。
「大将、最近調子がいいんじゃないか」
薬研藤四郎の声だ。彼が話している内容と、足音は二つあるので、側には審神者がいるようだ。
「そうかも。すぐ寝つけてる気がする」
「だろうな。顔色も肌艶も良いし、俺もいちいち言う手間が省けて助かるぜ」
「あはは…」
どうやら審神者の体調が良いらしい。確かに一緒に眠る時もぐっすり寝ているような気がする。自分の願いが通じているのか、たまたま審神者が自己管理をしっかりし始めたのかは分からなかったが、浦島にとってとても嬉しいことだった。
けれども欲は深くなるもので、審神者の体調が良いだけでは満たされなくなってきた。審神者にはもっと幸せでいてほしいからだ。願いは具体的になり、より強くなった。
そしてまず段階を踏んでいくことにした。最初はがむしゃらに最終目標というべきものを願っていたが、小さなことからコツコツやっていくのが大事だと兄に教わったので、それに倣うことにした。今では体調が良いようなので、今度は審神者が怪我をしないように願うことにした。
審神者も幼い子供ではないので、派手に怪我をすることはほとんどなかったが、それでもちょくちょく傷を負っていた。紙で手を切ってしまったり、熱い飲み物を飲んで舌を火傷してしまったりといったことばかりだったが、そういった小さな怪我さえしてほしくなかった。刀剣男士は手入れ部屋に行けばすぐに直るが、人間は治すのに時間がかかる。その違いも愛おしくはあるが、やっぱり怪我はしてほしくない。
「いった!?」
ガン、という音と共に、審神者の声が聞こえてきた。審神者が身体のどこかをぶつけたのだろう。浦島が部屋の中に駆け込むと、脛を押さえてごろりと横になっている審神者の姿があった。
「主さん大丈夫!?」
「絶対痣になるやつだ…痛い…」
「何か冷やすもの持ってこよっか?」
「うう、浦島…あれ?痣になってない。それどころか痕もない…ありがとう、多分いらないと思う」
浦島が横目で見ると、机の位置が少しだけずれていた。机の上には色々な物が置いてある上に少々重いので、それが動いたとなると相当の衝撃だったであろうことが読み取れる。
「…また痛むようだったら、ちゃんと言ってね?」
浦島がそう言うと、審神者は素直に頷いた。
審神者が単に気を配り始めたのか、自分の願いが通じているのかが微妙だったので、浦島は原点に立ち戻ることにした。『主さんがずっと俺と一緒にいてくれますように』と、改めて願い始めた。
少しだけではあるが数を重ねたことによって、審神者にどうなってほしいのかを具体的にイメージすることができるようになっていた。いつまでも変わらない自分と、いつまでも変わらない審神者で、永遠を過ごしたい。そういった光景を想像しながら、浦島は夜空の星々を眺めつつ祈る。今までと同じことを繰り返しているはずなのに、今回は少し違う感覚を覚える。このままの方向で問題ない、という安心感、自身にも似たような気持ちが湧き起こった。
けれども願いの内容のためか、審神者にこれといった変化は見られない。それでも諦めずに祈り続けていると、審神者にとある手紙が届いた。
「主さん、それ何の手紙?」
「んー、同窓会のお知らせだって」
それって何、と尋ねると、審神者は簡潔に教えてくれた。学校の卒業生が集まって、その時の思い出や近況を語り合う会。今回は高校というところから来たらしい。
「あっ、この幹事って…!…あれ、誰だっけ」
ぱっと顔を明るくしたかと思えば、一転して審神者の顔に翳りが見える。
「友達?」
「だったと思うんだけど…うーん、なんか思い出せないな。結構話してた記憶はあるんだけど」
「他にも主さんの友達は来るの?」
「さあ、どうだろう。そういえば、最近連絡取ってないな」
「…行くの?そのどうそうかい」
「いい機会だし、行ってもいいかもね。そうなると現世に行くのも久々だ」
審神者は机の上にその紙を置くと、ボールペンで丸を付けた。比較的大事な書類のところにそれを置くと、あとはもう用済みと言わんばかりに視線を逸らした。
「俺も行っちゃだめ?」
「ちょっと難しいね。みんなびっくりしちゃうだろうし」
「そっか…」
「また今度時間取って一緒に行こうよ。私も浦島と二人でゆっくりしたいし」
「本当!?えへへ、約束だよ!」
断られてしょんぼりしていた浦島は、審神者からの提案で飛び上がりたくなるほど嬉しくなった。
「主さんとのデートかあ…楽しみだなあ!俺、戦闘とかいっぱい頑張っちゃうからね!」
「ありがとう。頼りにしてるからね」
審神者の頭からは、もう同窓会のことは綺麗に消え去っていた。
夫婦に近い関係なので、情を交わすこともよくあった。その夜は決まって浦島が審神者の部屋を訪れることになっている。そして事が終わった時のことだった。
「乙姫様の気持ち、今なら分かるかも」
余韻に浸ってぽやんとしていた浦島が、突然口を開いた。審神者は何も言わず、浦島の話に耳を傾ける。
「浦島太郎が自分の時間に戻っていくのが寂しかったんだ。寂しかったから、自分を思い出してもらえるように、玉手箱を渡したんだと思う」
「浦島だったらどうするの?」
「俺だったら...好きな人がどうしても帰りたいって言ったら、叶えてあげたくなっちゃうな」
「じゃあ乙姫様と同じ?」
「うーん、その時は…浦島太郎について行っちゃうかな。一緒に向こうで暮らすのもいいし、ちょっとだけ里帰りさせてあげるとか。でもできればずうっと竜宮城で一緒にいたい」
主さんはどう?と浦島は審神者に尋ねる。
「主さんは、帰りたい?乙姫様を置いて、陸に戻っちゃう?」
浦島は至って真剣に審神者の返事を待ち侘びる。寝返りを打って隣にいる審神者に身体を向けて、瞳をまっすぐ見た。茶化すような答えは許されない、と審神者は無意識的に感じ取った。
「浦島太郎って、数年くらい乙姫様と一緒にいたんだよね。しかも結婚していた、なんて話もあるんでしょ?だったら私は…帰らない、かもね」
「ちょ、ちょっとくらい帰ってもいいんだよ?」
「でもだいぶ時間が経ってるんだよね?知ってる人は誰もいないんだったら、もう帰る必要なんてないんじゃない」
「そ、そっか、そっか…!えへへ、主さん大好き」
「そう、私も浦島が大好きだよ」
浦島は噛みしめるようにそう言うと、審神者に抱き着いた。この温もりを永遠に守っていられると考えただけで、浦島の胸は暖かくなった。