1.学園長的研修プラン


 左近君の見立てどおり、私は重湯を口にしてから五日ほどでほどんど普通食に近いものを食べられるようになり、それに伴ってある程度元通り動き回れるようになった。それでもまだなんとなく外を自由に歩くのははばかられる感じがして、医務室で保健委員のみんなと話をしたり作業の手伝いをすることくらいしかできていないけれど。

 お風呂は忍たまの残り湯ではなくくノ一教室の方をお借りするようになっていた。最初は少し警戒されている感じがあったものの、脱げばその警戒も溶けた。もちろん私のナイスバディで羨望を集めた…なんてわけではない。彼女たちはみんな細くてほどよい筋肉のついた引き締まった体をしていたけれど、私の体はそれに比べればいささか頼りないものだった。戦うために鍛えたりしていないというのが一目瞭然だったからか、まだ若干他人行儀ではあるものの「同業者じゃないだろうな?」という疑いは晴れたらしく、最初の脱衣所で一瞬感じたピリッとした雰囲気を感じることは無くなった。会話を交わすようにもなり、同性の知り合いがこの世界にできたことは私にとって少し安心できる出来事でもあったが、「生き残るために鍛えなければ」と背筋を伸ばすことにもなった出来事でもあった。


 夕飯を食べ終え、いずれはこの世界に平気でシャンプーやリンスが置いてあることについても調べてみようかななんてぼんやり考えていたところだった。

「夢子ちゃん、いいかな。先生がいらしてる」

 伊作くんに呼ばれて顔を出すと、いつからいたのか、保健委員の乱太郎くんの横に黒い装束の男の人が座っていた。この服を着ているということは学園の先生だ。私の会釈に爽やかな笑顔で返してくれるのを見れば、人気のある先生なんだろうなという予想がついた。

「私は土井半助、学園で教科担当教師をしている。よろしく」

「夢山夢子です。よろしくお願いします」

「研修期間についての話をしにきたんだ。次の休み明け..つまり二日後からなら、と新野先生からお許しが出たからね」

 乱太郎くんと目を合わせる。私が早く働きたがっていたのを知っている彼は、よかったですね、と言うようににこりと笑った。私もそれにこたえるように眉を上げた。

「研修期間は夏休みまでの約三月ほど。それで、研修内容なんだが」

 土井先生は少し言いよどんだように見えたけれど、少し困ったように笑った後すぐに言葉をつなげた。


「忍たまとして一年は組で勉強してもらう」

「え?」

「忍たまとして一年は組で勉強してもらう」


 聞き返しても、土井先生は同じことしか言わなかった。ちらりと乱太郎くんを見てもぽかんとしているけれど、伊作くんはそうではない。どうやら上級生にはすでに知らされていたようだ。詳しく話を聞けば、まずこの学園、ひいてはこの社会、世界に慣れてもらうために一生徒として共に学ばせようというのが学園長のお考えらしい。

「一生徒として、と言うのは理解ができます。でもどうして忍たまなんですか?くノ一教室もありますよね」

「くノ一教室は生活面で多く関わることができるから、日中はその他の学園生徒との交流にあてたほうがよいと」

「なるほど……?」

「じゃあ、私も質問してもいいですか?どうして私たちのクラスなんですか?」

 乱太郎くんの質問をうけた土井先生は、「学園で起こる大半の事件にかかわっている一年は組にいれば、大抵の忍たまと関わることができるだろうというお考えだ」とため息をつく。えへへと頭をかく乱太郎くんに、土井先生は「誉め言葉じゃないぞ」と苦笑いした。忍者を育成する学校で起こる事件の大半に関わっているなんて、とても生きていける気がしない。

「あの、正直ついていける自信がないんですが..具体的にどういうことを?」

「ああ、安心してくれ。君が生徒と一緒に授業を受けるのは午前中の教科の授業のみだ。さすがに実技には参加させられないだろうと……まあそれでも、その分またなにかさせられると思っておいた方がいいかもしれないが」

 なにかってなんだろう。安心してくれと言われたってとても安心できたものではないと思いつつ、やるしかないので黙っておいた。

「あと、少ししたらテストも行いたい。読み書きはできるかい?」

「テストって……え、テスト?」

 この世界の人がカタカナ語を平気で口にすることに未だに慣れないのもあるけれど、それ以上にとんでもないことを告げられたことに気づいて思わず聞き返す。忍術に関する知識なんて、テストが受けられるほどのものもないんですが。

「国語だとか、そういう基本的なものを予定しているんだが..把握しておきたいだけで、結果でどうこうなるものではないから」

「なるほど。文字なら、学園長の庵にあった掛け軸の文字は読めましたよ。崩してあると読めるかどうか分からないですが……。書くのも、楷書なら大丈夫です」

「あれが読めれば十分だ。了解、テストについてはまた追って連絡するよ」


 一気にいろいろ言ってすまなかった、と言って先生は立ち上がった。

「もうほとんど体調も元に戻ってきたと聞いたから、君の部屋の準備もしておいたよ。と言っても布団くらいしかないが……保健委員の許可が下りれば今日からでも使える」

「ありがとうございます。くノ一の長屋に行けばいいですか?」

「あ〜……伊作、その時は案内を頼むよ」

「ええ、僕が言うんですか!」

 じゃあ!と言って土井先生は足早に医務室をあとにした。伊作くんはなぜか少し恨めしそうな顔をしている。


 だいぶ元気も出て来たのに、このまま保健室に居座るのもなあと思い始めていたところだ。部屋に案内してほしいと頼めば、伊作くんは許可してくれた。

「また体調に異変があればいつでも来てくださいね」

「乱太郎くん……!何から何まで本当にありがとう」

 乱太郎くんに挨拶したあと、私は寝間着を手に持ち、伊作くんに続いて部屋を出た。すでに日は落ちているものの、今日は月が出ているのでいくらか歩きやすい。意外と電気がなくとも何とかなるものなのだなとひとり感心する。伊作くんはくノ一の長屋とは違う方向に歩いていく。教職員長屋というものがあるのは分かっていたので、そこだろうかと検討をつけながら道順を頭に叩き込んだ。五年長屋を通過する途中で、伊作くんは突然立ち止まった。どうしたの、と声をかけるよりも先に、伊作くんは「ここだよ」と部屋を指さす。

「私の記憶が正しければここは八左ヱ門くんの部屋だと思うんですが」

「そうだよ。そうだった、って言うのが正しいかな」


 伊作くんはがらりと戸を開ける。部屋中に置いてあったはずの虫かごは撤去されていて、部屋の真ん中には寝具一式と畳まれた服が置いてあった。

「忍たま長屋で眠るなんて、と先生方は反対したそうなんだけど。結局こうなったらしい……すまない」

「伊作くんが謝ることじゃないし……押し入れがつながったまま八左ヱ門くんに使わせ続けることはできないし、放置することもできないしね。自然な流れだよ」

 私は部屋の中に一歩踏み出した。つい最近まで虫だらけだった事実をできるだけ思い出さないようにして部屋にある机やたんすを物色したけれど、どれも綺麗で、部屋も丁寧に掃除されているようだった。

「八左ヱ門くんがやってくれたのかな?またお礼しないとね」

「多分そうだろう。八左ヱ門は一つ隣の部屋に移ったらしいから、用があれば訪ねるといいよ」

「え、もしかして全員が一つずつ部屋をずらしたの?大移動になるんじゃ」

「いや、そういうわけじゃないから大丈夫。それに、元から僕たちはそんなに荷物がないから。五年は人数もそう多くないし、気にすることないさ」

 蝋燭の扱い方などについて説明を受けた後、伊作くんは閉ざされていた押し入れを開けた。まだ向こうと繋がっていると聞いていたけど、そこには木の壁があるだけ。思わずえっと声を漏らす。伊作くんは説明するより前に壁の隅に手を伸ばしてなにかをぺらりとはがした。

「隠すために布がかけてあるからね。裾はここに引っ掛けてある。学園外の人間がこの部屋に入ってくるなんてことはそうそうないと思うけれど、一応」

「忍者っぽいね。あれだ、隠れ身の術だ。こんなので隠れられるか?と思ってたけど夜だと分からないもんだね」

「忍術を知ってるのかい?」

「忍者って向こうじゃ割と有名なんだよ。説明が難しいけど……。とにかく、全く知識がないわけじゃない。詳しくもないけど」

 伊作くんは追及してくることはなかったけれど、ふうんと一瞬何か考えるような間があったのは私でもなんとなくわかる。口に出してから「言うべきではなかったかもしれない」とふと思ったけれど、変に知らないと言うよりかは正直に言ってしまってよかっただろう。

 伊作くんにこの数日の感謝とおやすみを伝えたあと、私はお風呂へ行くことにした。保健室からくのたま長屋へ行く方が近かったためにそこだけ少し残念だなと思いつつ、また道順を間違えないように確認しながらくのたま長屋へと向かった。



「え!!??」

 流石に部屋のことについて聞かされたくのたまたちは絶句していた。別に言うつもりはなかったけれど、もうすぐ研修期間が始まるという話の流れでそうなってしまったのだ。

「流石にそれはまずいんじゃないですか、男所帯に一人って」

「危険なんじゃ」

「危険って……男所帯っていっても14とかそこらでしょ?」

「それでも、元服を控えた健康な青年たちですよ?」

 元服。普通に現代語を使ったりするけれど、年齢などの価値観は昔のものなのか。私はそちらの方が気になった。男所帯とはいえ教育機関の寮の中だし、八左ヱ門くんや伊作くんの様子を見ている限り危険な感じはしないと素直に言えば「甘い」と彼女たちは言う。けれど、私にはなんとなく自信があった。18年女として生きてきたら、そういう嫌な雰囲気はなんとなく感じ取れるようになる。そういう空気はない。今のところだけれど。

 なんにせよ気をつけろと言われたので、それには同意しておいた。風呂上りの夜風は心地いいが、まだ少し肌寒い。湯冷めしてしまわないように、早歩きでくのたま長屋をあとにした。



ぬるま湯