2. 小芝居


 押し入れがおかしなことになっているのもこの目で見た。あり得ない現象が起こったのもこの目で見て、得体の知れない娘だってこの目で見た。人知を超えたことが起こっているというのは理解できる。理解したうえで、俺はまだあの娘のことを信用できずにいた。


(文次郎視点)


 学年ごとに集められた俺達上級生は、あの娘の扱いについて一気に伝えられた。報告を終えて先生が教室をあとにしてから、それぞれがぽつぽつと思っていることを話し始める。

「予想はしていた。あの人ならやりかねない」と語るのは立花仙蔵だ。すべて分かっていたというように話す様子は気に食わないが、まあこいつのことだ、本当になんとなく予想できていたんだろう。

「引き取るのは縁だのなんだのと言っておられたようだが、単純に...情報としても彼女を外に出すわけにはいかないだろう」

 思い返せば、ちらりと覗いた押し入れの向こう側には、我々が見たこともないものがたくさん置いてあった。見る限り、彼女が異世界から来たのは事実だ。きっと武器なんかも進化しているに違いない。我々の想像もできない兵法が確立されたりしているんだろう。

「でもあの娘が有益な知識を持っているとは思えないんだが」

「僕もそう思う。どう見たって戦とは関係ない暮らしを送ってきましたっていう感じだったもの。まあ逆に言えば、学園に置いたって害はないってことなんだろうけど。僕は別に構わないと思うよ。先生方がお決めになったことだからね」

 留三郎はともかく、伊作は俺たちとは違い娘本人と接触し会話している。伊作の言うとおり先生方が受け入れるのを認めたということもあるし、やはり間者の線はないと思っていいんだろうが、やはりまだ疑いたくなってしまうのは忍びの性だろうか、それともただの俺の性分か。

「良いか悪いかで言えば別にいいだろう。小松田さんだって今でこそ素性が知れてるものの、元はよくわからないまま学園の事務員として雇われたわけだしな。出身地が違うくらいのものだ」

「そんな軽い問題ではないと思うが」

「文次郎は反対なのか?」

 小平太は「何か問題があるか?」とでも言うようにこちらを見た。現時点で学園になにか害をもたらすとは考えにくいとはいっても、やはり得体の知れない人間を受け入れるというのに抵抗があるのだ。考え込む俺に、小平太は「怪しいところがあればその時に対処すればいいだろ?なんだその辛気臭い顔」と言ってばんと背中を叩いた。


「いや、しかし五年長屋に寝泊まりとは災難だな。押し入れのせいとはいえ」

「まああいつらは基本常識人だから何も起こらないとは思うがな!三郎あたりにちょっかいをかけられるかもしれんが、あれも奥手なところがあるらしい」

 なるほど、ここで俺の中に会った違和感が分かった気がした。あの娘が異世界の人間であることが問題なんじゃない、見知らぬ女であることが問題なんだ。最初に見た時の彼女は、脚をあんなに出して__とにかく、思い出すのもはばかられるような恰好をしていた。あの娘が危険性を孕んでいるとすれば、忍者の三禁の一つである「色」に関することだろう。普通の娘でも気にはなるが、あんな格好を平気でできる人間ならなおさらだ。俺達はともかく、後輩たちの学びに影響があるようならあまり好ましくはない。

「五年の連中が常識人でも、向こうがそうではないかもしれないだろう」

「あのひとが忍たまを襲うとでも言いたげだな」

「……ああそうだ、そう言いたいんだ。平気で肌を見せるような格好で」

「それだけで決めつけるのは浅はかだろう。そもそも価値観が違うのだろうから、彼女にとってあれはいたって普通の恰好かもしれない」


 仙蔵はそれらしいことを言って俺の意見に文句をつけたいようだが、そんなことはあくまで推測に過ぎない。…まあそれは俺の意見も同じなのだが。どうにかならんのかと少し考えていると、仙蔵が「ならいっそこちらから誘惑でもして探りを入れてみればいい」とぽつりと言った。

「どうみてもただの娘にしか見えんが、文次郎が化けの皮を剥がせるというのならやってみればいいじゃないか。やれるんだろう?」

 そこで俺は、たしかにここはひとつ娘を試すようなことをしてみてもいいかもしれないとふと思い立った。仙蔵に煽られたから、と言われればそうかもしれないが。



「万が一本当にあの子がそういう……だらしない女だったとしても、文次郎なら『三禁に惑わされないための鍛錬になる』とかなんとか言うかと思ったが。そうじゃないんだな」

 例の娘がついに五年長屋で暮らすようになったという連絡を受けた次の夜俺たちは事に及ぶことにしたのだが、忍び込む前、小平太がぼそっと不思議そうに言った。

「俺はいいとしても、他の生徒がな」

「他の生徒?後輩たちだってそんなに軟じゃないぞ。文次郎、実はお前自身が一番色に溺れてしまいそうで怖いんじゃないのか?」

「なんだと留三郎」

「うるさい。もうそろそろ時間だ、行くぞ」



「あ、八左ヱ門くん?こんばんは」

「おお。夢子も風呂上りか?」

 廊下から声が聞こえてきた。俺たちは三郎と雷蔵の部屋で息を潜め、耳を傾けた。部屋の端の方で、雷蔵は眉を下げてなんとも言えない顔をしている。

 娘に声をかけたのは竹谷八左ヱ門ではない。八左ヱ門に変装した鉢屋三郎だ。

 考えた末、今一番娘と話す機会が多い八左ヱ門が誘う_つまり"甘い罠"にかけて本性が現れるか見る_のが自然だろうという話になったのだが、八左ヱ門自身がこんな風に彼女を試すことを受け入れるとも思えない。そこで、同学年として挙動も熟知した上に声帯模写までできる変装名人に白羽の矢が立ったというわけだ。変装なら俺たちにだってできるが、ここ数日に彼女はほとんど八左ヱ門としか話していなかった時期があったことも考慮して念には念をというわけだ。本物の八左ヱ門は、じゃんけんで負けた伊作によって適当に足止めをされている頃だろう。

 三郎は最初乗り気ではなかったが、誘うにあたって色気のある八左ヱ門の変装をしてくれと要請すると嬉々として変装し始めたのだから笑ってしまう。普段はできない変装だからか、かなり気合が入っている様子だった。


「そうそう、さっき入ってきて……いい湯でございました」

 声を聞く限りでは、娘は上機嫌なようだ。(声がほかほかしてる!)と小平太が矢羽音を飛ばす。二言三言交わした後、八左ヱ門、もとい変装した三郎は本題に入り始めたらしい。声色や声量が落ちたため、俺たちは戸にぐぐっと近寄ったが、それよりも先に「いやそれはいい!」という焦った三郎の声が聞こえて部屋の面々は顔を見合わせた。

「そう?まあとにかくちゃんと乾かしておいたほうが良いよ、生乾きはハゲる原因らしいし。明日早いし私はもう戻るね、おやすみ」


 彼女の部屋の戸が閉まる音が聞こえたあと、俺たちのいる部屋の戸が開く。水分を含んだ髪を低い位置でまとめた八左ヱ門の変装は、仙蔵監修ということもあって確かにいつもより艶っぽくなってはいる(八左ヱ門本人の髪ではこうはいかないだろう)が、三郎は絶妙な顔をしている。

「雰囲気を作れと言ったんだぞ?ハゲがどうこう言われていたみたいだが」

「先輩方に言われたとおりの誘い文句を言いましたよ!それから綺麗だなって言って髪に手を伸ばして……。そうしたら『まず自分の髪から拭いた方が良い』と言われて手拭いをかぶせられそうになったので」

「ヘアピースを触られそうになったから咄嗟に驚いた声をあげたのか」

「ええ。いつものヘアピースと少し違うので少し動揺してしまいました」

 そう言うと三郎はばさりと水分を含んで多少重くなっているかつらを取った。かぶっていた時はそうでもないが、手に持つとなんだか禍々しい。

「まあ疑惑は晴れたってことでいいんじゃないか?誘惑どころかまるで母親のような言いぐさだったじゃないか。雰囲気ゼロ!」

「そうだな。なんだか疑ったことが馬鹿馬鹿しく思えてきた」

「ふん。俺は最初からこんな小芝居はやめた方がいいと思っていたんだ」

「留三郎、お前さっきから……」

「先輩方、私たちの部屋で喧嘩はやめてください……!騒いだら流石に横の部屋に聞こえますし、八左ヱ門もそのうち帰ってきてしまいますから、鉢合わせないうちに出てください!」

 お願いしますよ〜!という雷蔵の言葉に、長次が部屋の奥から俺たちを外に出るように促した。お互い押し合うように外に出て少し歩いた後、なぜか仙蔵は満足げに口角をあげた。


「仙蔵ってなんだかんだ言ってこういう小芝居が好きだよな」

「いいや?私はただ、文次郎が雰囲気を作ろうとするときにどういうことを言うのか知れて満足なだけだ」

「は……?もしかしてこの一連の流れを作ったのはそれだけのためとか言うんじゃないだろうな……!?」

「否定はしない」


 俺が飛びかかろうとすると仙蔵はひらりと避け、「また風呂に入りなおす羽目になるのは御免だ」といってさっさと消えてしまった。呆然としていると、後ろから留三郎に「おまえ、女の髪が好きなのな」と笑われたため、ついに俺は「今日と言う今日は!!」と袋槍の先を取り出した。留三郎も鉄双節棍を構える。結局こうなるんだなとため息をつく長次の声が、今日はなぜだかはっきり聞こえたような気がした。



ぬるま湯