3. 憂鬱と朝日

 朝は苦手だ。それも、あまり寝付けなかった日の朝と言うのは最悪だ。

 なんとなく眠れなくて、寝たり起きたりを繰り返しているうちに朝を迎えた。戸を少し開けてみる限りだとまだ夜は明けたところらしい。もう一度眠る努力するよりも準備をしてしまおうと、私は渡されていた制服に着替えたあと顔を洗いに外に出ることにした。人が少ないうちにすませてしまった方が良い。

 食堂の使い方について説明はうけていたけれど、朝ご飯は食べに行かなかった。今日からは三食食堂で食べないといけないと思うとげんなりする。いろいろな視線が向けられることが容易に想像できるからだ。とにかく、誤解を招くようなヘマだけはしないようにしなければならない、と背筋を伸ばした。

 部屋に戻ってまたうつらうつらしていると、ダンダンッと戸が揺れる。「起きてるか?」という声は八左ヱ門くんのものだ。戸を開けながら返事をする。

「おはよう、起きてるよ」

「おはよう。寝坊していたら大変だと思って声かけたけど、もう着替えてたんだな。……紫?」

 昨日受け取った制服は四年生のものだと教えてもらっていた。どうやらこの学年の制服が一番サイズにバリエーションがあるということで、その中から事前にさまざまなサイズのものが準備されていたのだ。くのたまのものが一番いいに決まってるのだけれど、忍たまとして学ぶということで忍たまの制服の中から選んだらしい。目立ちすぎないための配慮と言われても、何も知らない私からしてみれば何色でも浮くだろと思ったけど。八左ヱ門くんに説明すれば、「なるほど。にしても見慣れないなあ」と視線が上下した。

「俺は今から朝飯だけど、その様子じゃ食べたみたいだな」

「いや、ちょっと面倒で。まあ、朝は食べないことの方が多いから大丈夫」

「面倒でって……今日から一年は組だろ?絶対にちゃんと食べて力をつけておいたほうがいい。今から一緒に行こう!」


 どう見ても親切心しか見えない彼の誘いを断り切れず、私は半ば強制的に食堂へ向かうことになったわけだけれど、タイミングが悪かった。どうやら利用者の数がピークに達する時間帯らしい。忍たまの制服を着ているため一瞬紛れ込めていたようだったが、誰かが気づいたのをきっかけに視線が一気に集まり、食堂が静まり返る。すぐに何事もなかったかのように会話は再開されたものの、その一瞬の沈黙は私の心臓を圧迫するのには十分すぎる威力を持っていた。

「夢子、向こうに行こう。前に会わせた奴らのこと、覚えてるか?あいつらも来てるから。ほら、お盆持って」

「あ、うん」

 彼らは食堂の端の方にいた。生徒のいる中を奥まで歩くのは気が引けたけど、平静を装い八左ヱ門くんの後ろについていく。歩いている間もちらちらと視線を感じるのは勘違いでは無いはずだ。朝食のお盆を抱えたまま逃げてしまいたくなる。

「おはよう…ございます?」

「おはよう。気にしなくていいよ、今日から後輩になるわけだし。あ、でももちろん抵抗があれば全然」

 そう言うと最初に挨拶をしてくれた黒髪の男の子は、「なるほど、じゃあ、おはよう?」と言った。他の子たちも「おはよう」と続く。八左ヱ門くんが机の向こう側に座ったので、空気を読んで向かい合うかたちでお盆を置いた。できれば八左ヱ門くんが隣の方がありがたいけど、既に四人が席についているとなるとそうもいかない。

「隣大丈夫?」

「もちろんどうぞ!」

 ありがとうと一言いって腰を下ろす。快く受け入れてくれた彼は、私の記憶が正しければ勘右衛門くんだ。彼だけは名前を覚えている。最初に会った夜に唯一、少しの間だけれど一対一で言葉を交わしたから人だからだ。しかしそれ以外のメンツの名前がどうも曖昧だ。元から人の顔と名前を覚えるのは得意ではないうえに、10日以上前に一気に紹介されただけとなると思い出す難易度は一気に上がる。

 今日最初に挨拶をしてくれた黒髪の子はたしか古風な名前だったような…いや、そもそもこの世界の人たちはみんな古風な名前なんだ。覚えている名前でいえば、保健委員のみんながそうだもの、伏木蔵くんとか...蔵?それだ、たしかこの双子のどちらかがそんな名前だった。しかしどっちがどっちかも分からないのに考えられるはずもない。朝ご飯を食べている彼らの顔をふと見比べた。

 待てよ、この双子、瓜二つどころの騒ぎじゃない。こうやって明るい場所でじっくり見ると、あまりにも寸分狂わぬ顔の造形に、優しい顔だちなのにどこか気味の悪さすら感じる。中学だったか小学校だったかのとき同じ学年に一卵性双生児がいたけれど、彼らには見分けのつきようがあった。しかし目の前の双子はどうだろう、まるでクローンのような_


「そんなに熱く見つめられると照れてしまう」

 双子のうちの一人が流し目でこちらを見て、くすりと笑った。突然のことに私は驚きすぎて、「気づいてたの」なんていう言葉すら出てこない。彼の隣にいる双子の片割れが「何言ってるんだよ、説明もしてないのに。気になるのは当然だろう」と言った。

「説明していなくてごめんね、彼のこれは変装なんだ。今は…というか大抵いつも、僕の顔に変装している」

「変装!?すごい、双子かと思ってたよ。ということはこの顔は、その…あ〜…君の顔なんだね」

 名前を言う代わりに手で差したことで私が名前を憶えていないことを察したのか、彼は「僕は雷蔵。不破雷蔵だよ」と言ってやわらかく笑った。謎が解けたことでさっきまで奇妙に見えていた顔が今では一気に爽やかに見えるのだからおもしろい。

「そうだ、雷蔵くんだ」

「あ〜、やっぱり名前覚えてないな?俺の名前は__」

「勘右衛門くん…で合ってる?少し話したから覚えてる」

「へえ、合ってる!嬉しいもんだね」

 自分だけ記憶されていたことに気を良くしたらしい勘右衛門くんは、「苗字は尾浜!で、こっちが同じクラスの久々知兵助。俺たちはい組なんだ。で、さっき言った変装名人が鉢屋三郎」と順々に説明をしてくれた。紹介された彼らは、こちらに向かってぺこりと頭を下げた。

「四年の制服なんだ」

「そうそう、サイズが丁度いいみたいで。所属は一年は組だけどね」

「あのクラスで過ごすとなると、絶対大変になるぞ」

「でもきっと楽しいよ。いい子たちではあるからね」


 しばらく朝食をとりながら話した後、食堂をあとにした。五年のみんなと別れ、事前に渡されていた筆記用具を準備してしばらく部屋で待っていると、土井先生が迎えに来てくれた。教室まで先生が連れて言ってくれる手はずになっていたのだ。

「おはようございます」

「おはよう!遅くなってしまってすまない、さっそく行こうか。……あれ、頭巾は手渡されなかったかい?」

「あ、一応持ってます。巻き方を聞いてなくて……さっき五年生に教わっておけばよかったな」

 胸元から紫の頭巾を取り出す。これに関してはサイズが関係ないので最初に手渡されていたのだけれど、その時に巻き方を聞いていなかったのだ。誰かに聞こうと思っていたのにすっかり忘れていた。

「ここで巻いてしまおうか。簡単だから、私の真似をしてみてごらん」

 土井先生はしゅるりと頭巾を外して巻き方を説明してくれた。見よう見まねで髪に布を巻く。少し首もとに違和感があるけれど、先生の言う通り割と簡単だ。ありがとうございます、と礼を言って案内をしてもらおうとすると、先生がこちらの顔を覗き込んできた。

「髪を少し直してもいいかい?」

 先生はこちらにたずねながら、答えを聞く前に私の髪に少し触れた。鏡がないので確認ができなかったけれど、たぶん頭巾に引っかかかったりして変になっていた所があったのだろう。少しどきどきしつつも素直に従ったままじっとしていると、どこからか「あーっ!」という叫び声が聞こえてきた。

「土井先生がナンパしてる!」

「なっ……人聞きの悪いことを言うんじゃない!」

 ナンパなんて言葉をどこで覚えたんだ。廊下の曲がり角からこちらを覗き込むたくさんの可愛らしい顔の中に、乱太郎くんの姿もある。手を振ろうかどうか迷っていると向こうの方から手を振ってくれたので、小さく振りかえしておいた。

「教室で待っているように伝えたはずだが?」

「だって来るのが遅かったし……」

「早くどんな人か見てみたかったし……」

「意外と普通のお姉さんだね」

「ああやって並ぶとやっぱり土井先生の髪がひどく傷んでるのが分かるよ」

「ほんとだ。タカ丸さんが怒るのも分かるよ、ひっどいもん」


 先生の問いかけに、子どもたちがそれぞれに話し出す。「どさくさに紛れて私の髪の話をするな」と先生は苦笑いした。

「遅くなったのは悪かった。さあ、教室に戻るぞ」

 先生が子どもたちに向かって歩いていくあとを追う。忍たまたちは大きな目でこちらを見ながら二列に分かれてさっと道を開けた。花道を歩くようでなんだかおかしい。



「じゃあ、改めて挨拶をしてもらおうか」

 忍たまの教室には黒板もチョークもばっちり準備してあった。よくよく考えるまでここに黒板がある違和感に気づけなくて、もうそろそろ時代錯誤のギャグ的現代語に自分が慣れてきたのが分かる。忍たまたちはちょこんと座ってこちらをじっと見つめていた。サイズ感や並んでいる感じがとてもかわいいのだけれど、ここに自分が並ぶことになるのかと思うとなんとも言えない気分である。

「夢山夢子です。18歳だけど、この世界で過ごした時間の長さで言えば君たちの方が大先輩だから、いろんなことを教えてほしいなと思ってます。よろしくお願いします!」

 頭を下げると、拍手が聞こえてきた。どうしてそう感じるのかは説明が難しいけれど、こちらに向けられている彼らの視線は好奇心に満ち溢れた感じで、懐疑的なものではないように見える。彼らの純粋さに少し救われた。

 指示された席は二人の少年の横で、隣になった二人は「よろしくお願いします!」と元気に挨拶してくれた。土井先生の声を合図に、さっそく授業が開始される。私は、用意されていた綺麗な「忍たまの友」を開いた。



ぬるま湯