6. 親切なひと


 ばたん、と大の字に寝転がる。空き教室の床は少しひんやりとしていて、私は無意識に身体を横にして少し縮こまった。胃の中のものがかたよるのを感じる。食べた直後に横になると牛になるぞ、なんて懐かしい祖父母の声が聞こえるような気がしてきた。遠くにいる子供たちの声が聞こえてくるも相まって、私は自分の幼少期のことなんかを思い出しながら目を閉じた。


 昼間やることの無い私は、しばらく図書室に近いこの空き部屋をあてがわれ一人で勉強することになった。これを決めるためだけに職員会議が行われたらしい。私の午後の過ごし方について会議されたと思うとなんだか変な感じだが、結局「自習」になったのはよかった。気楽でいい。一人の時間は重要だ。

 事務員の作業や食堂のおばちゃんの手伝いをさせてもらえないのはきっとまだ私が完全に信頼されていないのもあるんだろうなとなんとなく勘づいたが、気にしないことにした。こればかりはどうにもできないことなのだから、気にするだけ無駄だ。

 研修期間の最後には忍たまの友に関するテストが行われる予定らしく、それを目標に勉強するようにと言われている。しかしまだまだ時間があることを考えるとしばらくこの時間は私の自由時間だ。娯楽がないと苦痛だろうと思っていたけれど、"図書室の本を借りるといい"ときり丸くんにアドバイスしてもらったおかげで一応過ごし方の見通しは立った。なかなかたくさんの本があるらしい。

 さっき見た時図書室は解放されていなかった。みんな授業中なんだから当たり前なのだけれど。さて、また忍たまの友の続きでも読んで待っていようか、なんてぼんやり考えていたところだった。


「サボりがいるぞ〜」

 一切気配を感じなかったのに、近くで声が聞こえたことに私は驚いて飛び上がった。きっと漫画のようなリアクションだっただろう。声の方向から逃げて顔を上げると少しにやりとした八左ヱ門くんと目が合った。

「いい反応するじゃないか」

「びっくりした……訂正しておくと、サボりじゃないからね。八左ヱ門くんの方がサボりでしょ、授業は?」

 自習になったんだよ、と八左ヱ門くんは私の横に腰を下ろして、長机の上に開いたまま放置していた忍たまの友を覗き込んだ。

「テスト、かなり点数が良かったらしいな。噂になってる」

「噂にって、もう情報がまわってるの?」

「ま、そこらへんは忍者の学校だからしょうがない。へえ、兵法の勉強なんてしてたのか?」

「うん、研修期間最後のテストは忍術関係全般出るって言ってたからちょっと見てみようかと思ってね。でもよくわからなくてやめた」

 教科書の後半の勉強に手を出そうとしたのだけれど、挫折した。戦い方云々の前に、私の場合はまずこの時代の戦について一から学ぶ必要があることが分かったのだ。


 ぱらぱらと教科書を確認した後、八左ヱ門くんはおもむろに立ち上がった。チョークを手に取り、するすると手を動かす。こんこんとチョークが黒板を叩く音がしばらく続いた。しばらくして八左ヱ門くんが少し移動すれば、彼の背中で隠れていたかわいいキャラクター達が顔を出した。

「槍を持ってるのは足軽?絵、上手いんだね」

「簡単に描けるものをちょっと描いたってだけだ。で、これが城主その一で……」


 八左ヱ門くんは自分の絵を使って、私に戦のしくみを教えてくれた。重要な用語を書きとったり、「ここはテストに出るからな〜」という茶番も挟んでいるうちにいつの間にか本格的な授業のようになっていた。昨日は勉強は得意じゃないという素振りを見せていたけど、説明の仕方を聞いている限り全くそんな感じはしない。最後に、「と、まあこんなところだろう。本日の授業はこれまで!」と八左ヱ門くんは手についたチョークの粉をパンパンとはらった。私も反射で「ありがとうございました!」と声を張る。


「分かりやすかった、ありがとう。やっぱり勉強不得意ってのは謙遜?」

「いや、本当だよ。忍を志してる者なんだから、これくらいは当たり前に把握してるってだけさ」

「そういうものか……あのさ、よければまた分からないところがあったら聞いてもいい?お礼はするよ。といっても今は一文無しだから、かなり先になると思うけど」

「んー、そうだな……」


 八左ヱ門くんはちょっと考えたあと、「俺がこの部屋にいる時だけなら」と承諾してくれた。土井先生に質問しに教職員長屋へ行くなんてハードルの高いことをしなくても良くなったのは、私にとって非常にありがたいことだ。


「ただし、それ以外の場所ではこの勉強会の話を持ち出すのも禁止。俺たちしか居なくてもだぞ、誰がどこで聞いてるか分からないんだから」

「分かったけど、そんなに気にしなくてもいいんじゃないの?二人になったときでもって、警戒しすぎなんじゃ」

「いいや、駄目だ。ここは忍者の学校なんだから。特に三郎あたりにバレれば一月はからかわれ続けるだろうしな」


 三郎くんはそんなに粘着質なのだろうか。確かにちょっと変わった感じではあったような気はするけれど...なんて考えながら黒板を消す八左ヱ門くんの手伝いをしていると、ふと教室の前に現れた誰かと目が合った。扉からこちらを覗く彼は"どっち"だろうと思案していると、「ああ、なんだ雷蔵か」と八左ヱ門くんが呼びかけた。

「図書室を開けたから呼びに来たんだけど……」

「へえ、雷蔵くんは図書委員なんだ」

「そうそう。あ、夢子さんもよかったら来る?」

「ほんと?ありがたいよ、色々借りたい」

「今は他に人がいないから図書室の使い方についてゆっくり話せるし、ちょうどよかった。先に行ってるから、声をかけて」

 そう言って雷蔵くんは教室をあとにした。黒板はほとんど消し終わっていたから、私たちが何をしていたかは彼に気づかれていないだろう。「あとは俺がやるから、先に行ってくるといい」という八左ヱ門くんのお言葉に甘えて、机に置いてある自分の荷物をさっそくまとめる。風を切るような音が耳をかすめたような気がして、私は耳に無意識に触れた。



 忍術学園の図書室にはかなりたくさんの本がある、というきり丸くんの言葉は確かに本当だった。巻物のようなものもところどころに保管されているせいか、やけに迫力がある。「貸出期限厳守」「図書室ではお静かに」と数々の張り紙が張られた本棚には、所々何かがつき刺さったようなあとがある気がするけれど気のせいだろうか。

 雷蔵くんは丁寧に色々と教えてくれて、私の貸出カード(のようなもの)を作ってくれた。貸し出しと返却のたびにチェックをしていって、期限を守り続けると借りられる本の冊数が増えるシステムらしい。

 本の背表紙の裏に貸出票のようなものがあって、なんだかほっこりとした気分になる。今どき中学校だってバーコードひとつで事が済む時代だが、ここではやっぱり手書きだろう。おすすめの物語を借りたあとは、暇なので図書委員会の仕事であるという本棚の整理を手伝わせてもらった。その時に図書委員の話をいろいろと聞かせてもらったけれど、図書委員長は長次くんらしい。たしかに、寡黙な彼のイメージにぴったりだ。


「忘れてたけど、八左ヱ門くん来ないね。飼育小屋にでも行ったのかな」

「たぶんそうだろうね。そういや、さっき八左ヱ門とは何を?」

「黒板に落書きしたり、いろいろと雑談してただけだよ。大したことはしてない」

「なるほど。変なことを吹き込まれたりは……?」

 八左ヱ門くんになにか吹き込まれるようなことがあっただろうかと改めて記憶を辿るも、特に思い当たる節はない。「いや、特に思い当たらないな」と返せば、雷蔵くんは「ならよかった」とだけ言って作業を再開した。

「親切な子だよね、彼。昔っからああいう感じなの?」

「そう..かもしれないけど、う〜ん、いや、そうなのか?そうといえばそうなんだけれど……」

 雷蔵くんはうんうんと唸っている。何をそんなに迷うことがあるのかと尋ねようとしたけれど、ぱらぱらと授業を終えた生徒たちが図書室に集まりだしたためにこの会話はこれ以上続くことはなかったし、私もまた図書室から出るころにはそんな会話をしたことすら忘れてしまっていたのだった。



ぬるま湯