7. 軟弱者の体力テスト
「昼食をとったら、今日は自分の部屋で待っててくれ。体力測定をするからそのつもりで」
授業後に教室を出るとき突然話しかけられたと思えば、土井先生はそれだけ言ってその場をあとにした。筆記テストが終わってすっかりやり切った気分になっていたけれど、そういえば研修期間の初めに体力テストもすると言われていたことを今になってやっと思い出してきた。「そのつもりでってどのつもりで……?」と固まる私に、後ろから団蔵くんが「早くごはん行こう」とぐいぐいと私の背を押した。
「夢子さん、運動できるから気にすることないんじゃないの?」
「ものによってはできるってだけで、走るのは遅いし体力もあんまりないよ」
大変だね、と興味があるんだかないんだか分からないような団蔵くんと、その後ろからついてきた虎若くんたちと電車のように連結したまま、私は食堂へ向かった。お腹を満たし過ぎるのを避けるために今日の昼ご飯は白ご飯を少なめにしてもらい、さっと食べて部屋に戻る。
部屋の中にいろと言われたはいいものの、どうせテストを行うのは外だろう。教えてもらった草鞋の履き方を復習がてら、私は縁側で待つことにした。
「夢子ちゃ〜ん!!」
遠くからでも聞こえる大きな声、凄い量の砂ぼこりの中から登場して弾丸のように走ってくるのは小平太くんだ。
「迎えに来たぞ!」
「ありがとう。てっきり先生が来るのかと思ってたけど」
「体育委員上級生が体力テストを執り行うことになった!丁度私と滝夜叉丸の自習が重なる日があったのは運がよかった」
さあ行こう、という小平太くんのあとについていけば、まだあまり見たことのなかった手裏剣練習場などが目に入ってくる。体力テストといえど、やはり忍者仕様の特殊な内容なのだろうか。火縄銃を撃てなんて言われたらどうしよう、できる気がしない。
連れてこられた運動場では、木でできたバインダーを持った滝夜叉丸くんが立っていた。「夢子さん、どうも」と私に気づいた彼は頭を下げる。この前医務室で語り明かしたおかげで_ほとんど彼が一方的に話していただけだが_仲良くなったつもりでいたので、これには少し驚いた。
「そんなに気を使わないでいいのに」
「そうですか……?しかし年上で、四年の制服を着た一年生扱いの事務員見習いの女性となるとどう接するのが正解なのか」
「そりゃそうか。話しやすいように話しかけてくれたらそれでいいや」
この学園の生徒たちはまだ若いのに礼儀正しくていつも感心させられる。話は終わったか?と私たちの間にずずっと入り込んだ小平太くんは、「まずは50mのタイムを計測するぞ!」と宣言してストップウォッチを掲げた。いろいろとツッコミどころが多いが、私がやることはただ走るのみ。指定された場所まで滝夜叉丸くんと向かう。
いちについて、よーいドン!という懐かしい掛け声を聞いて私は飛び出した。久々に走ったのもあって明らかにタイムが落ちたのを感じたけれど、足がもつれてずっこけるような痴態を見せずに済んだだけで私は満足だった。ゴールで待っていた小平太くんがタイムを叫ぶ。
「 久々に運動したと言っていたが、まあ町娘ならこんなものじゃないか?思っていたより速かった!」
「そうかな……私的にも満足だよ。くのたまの子たちはきっとめちゃくちゃ速いんだろうね」
二人で話していると、背後から追いついた滝夜叉丸くんが「次はこれを投げてもらう」と言って手裏剣を懐から取りだした。
「えっ」
「大丈夫です。今から私がきっちり教えますので」
「ありがとう」
「刃物ですから、扱いに十分気を付けてください。今回は刺さる確率を上げるために、突起の多い八方手裏剣を使います。当たり前ですが刃先は触らないように」
滝夜叉丸くんから丁寧に手裏剣の持ち方を説明される。すごい、本当に刃物になっている。思ったより軽いんだ、とか形はこんな感じなんだ、とじいっと見ていると、「いいですか?」と滝夜叉丸くんに怪訝な顔をされた。
「ごめんごめん、初めて見たから」
「そう……ですよね。ではさっそく私が今から投げますから、よく見て真似をしてください。夢子さんは五投です」
滝夜叉丸くんはいとも簡単に的に当てた。さすが私..と浸りながら髪をなびかせてはいるけれど、多分本当にすごいことなのだろう。
「すごい、優秀ってのは本当なんだ」
「ええ!まあ本来私の得意武器は千輪なのですがそれ以外の武器も私なら_」
「まあ滝夜叉丸は置いといて!一旦投げてみた方がいい」
小平太くんと一緒におさらいして、まずは一投。力を入れすぎたのか的よりだいぶ手前の地面に勢いよく刺さった。意外と軽くて扱いが難しい。二投目は明後日の方向に飛んでいってしまう。三投、四投と徐々に的の近くに打てるようにはなったけれど、なかなか的にはあたらない。五投目にしてやっと的に当たりはしたものの、刃先があたらず下に落ちてしまった。
散々だったと項垂れていると、「上出来だと思うぞ!」と思っていた反応と違うものが小平太くんから返ってきた。
「そうですね。真後ろに飛ばす一年生なんかもいますし、この五投で的にあてただけでも十分かと」
「本当?うれしい」
お世辞かもしれないなあとは思いつつも、ここは素直に喜んでおくことにした。滝夜叉丸くんが手裏剣を回収しに行ってくれたので、せめて私は明後日の方向に飛んでいってしまった一枚を拾おうと近寄り、そして何も考えずに手を伸ばした。
さくり。
「あっ!?大丈夫か!?」
刃先を触ってしまった。人差し指、中指、薬指を一気に切ってしまったらしく、思ったより多くの血が出ている。久々に見た血の色に、うっすら自分の体が身震いするのを感じた。
「痛っい……ごめん、これ備品?血が..」
「そんなことはどうだっていい!医務室まで行くぞ!」
小平太くんに傷ついていない方の手をがしりと握られた。とんでもない勢いで引っ張られ、一瞬で滝夜叉丸くんが小さくなっていく。信じられない速さだ。もしかしたら今私は浮いているんじゃないのか?
「保健委員ーーーー!!!!」
「うわあ!」
小平太くんは叫びながら医務室の戸を開いた。その勢いと大声に驚いて後ずさった左近くんは、足元にあった薬草のかごに足をつっこみひっくり返った。おかげで丁寧に並べてあった薬草は全てぐちゃぐちゃになってしまった。
「大丈夫!?」
「ぼくは大丈夫ですけど、薬草が……すみません伊作先輩……」
咄嗟に近づくと、左近くんは薬草まみれになりながらうつむいた。小平太くんは「うお〜大変なことになってしまったな」と他人事のように言っているものだから、気が抜けてなんだか咎める気も失せてしまった。そんな私の代わりに伊作くんが小平太くんを叱る。
「いいんだ左近。そもそも悪いのは小平太だよ、医務室に絶叫しながら入ってくるなんて」
「悪かったよ。夢子ちゃんが怪我したからつい」
「怪我……本当だ。結構血が出てるけど、深くはなさそうだね。小平太、水汲んできてくれる?」
「わかった!」
小平太くんはいい返事をしたと同時に部屋から飛び出していった。なんだか犬みたいだなと失礼なことを思っていると、散らかった薬草を集めていた左近くんが「でもどうしてこんな怪我したんですか?」と尋ねてきた。
「手裏剣で切っちゃった。気をつけるよう言われてはいたんだけど、忘れてて」
「忘れてて?」
「……すみません、以後気を付けます」
二人に気圧され私はぺこぺこと頭を下げた。保健委員のみんなは優しいけど、やっぱりちょっと過保護な気がする。しかし鍛えてる彼らからすれば自分はそれだけ頼りなく見えるということだろう。もう彼らを心配させないように、これからはもう少し気を引き締めなければ。
「持ってきたぞ!」
先程大声を出すなと注意されたからか、小平太くんはボリュームを抑えて飛び込んできた。すごい速さで戻ってきたのに桶にはなみなみと注がれた水。どうやって零さず持ってきたのか気になるが、ひとまず手をすすぐことにした。
とんとんと傷口にあてられる消毒液がしみる。怪我なんてほとんどしなくなったものだから、なんだか懐かしい感覚だ。左近くんに手当てを受ける私の手元を、小平太くんはちょっと心配そうに覗き込んだ。
「次に持久走が残ってたんだが、やめておいた方がいいよな?」
「大丈夫だよ、指切っただけなんだから。足の怪我とかなら別だけど。それに、たぶん滝夜叉丸くんもまだ待機してるでしょ」
「そうか滝夜叉丸!忘れていた!」
「大事無かったようでなによりです」
「ごめんねほったらかして医務室に……」
案の定、滝夜叉丸くんはどうしたものかとグラウンドの中を右往左往していた。もう一度集まった後、最後の競技について説明を受ける。
「手裏剣練習場やグラウンドを囲むこの塀がありますよね。ここの周りを三周走って頂きます。私たちはここで待機して、一周ごとにタイムをお知らせします。頑張ってください」
「がんばりま〜す……」
ここ三周というのがあまり距離感をつかめないけれど、とりあえず一周すればわかるはずだ。なんとか走りきることを目標にスタートした。
距離感がつかめるまでは……と最初は少しゆっくり走った。おそらくだが一周一キロほど、三周で三キロはあるだろう。この距離を走ったことがないのでわからないが、たぶんゆっくり走るくらいでちょうどいいはずだ。
4つめの角を曲がると、二人が見えてきた。一周だ。タイムを知らせる滝夜叉丸くんの声と、「頑張れ!」という小平太くんの声が聞こえる。まだ少し余裕のあった私は、とりあえず手を振り返した。
しかし二周目を終えるころにはもう手を振り返す余裕もなく、手を叩いて応援する小平太くんに力なく笑いながら横を通過した。滝夜叉丸くんがおろおろしながらこちらをみている。疲れた。私は普段授業以外で全く運動していなかった自分を恨んだ。振り返ってギブアップしてしまいたい。しかし、三分の二は走り切った。ここまできたら走り切ってしまいたい。私はふらふらになりながら走り続けた。
しかし二つ目の角を曲がった瞬間、私はそのままずっこけてしまった。咄嗟に顔をかばった右手がひりひりする。立ち上がろうと右足に力を入れたが、あまりの激痛にもう一度座り込んだ。どうやらひねってしまったようだ。
「痛……っ」
こうしている間にも時間は経過していく。壁にもたれかかりながら片足でジャンプするように先に進んでいく途中、ついに私はもう片方の足もひねってしまった。ひっくり返って悶絶する。さっき保健委員さんを心配させないようにしようと誓ったはずが、すでにこのざまだ。
このまま待っていればいつまでたっても帰ってこないことに気づいて二人が来てくれるかもしれないが、それはちょっと申し訳ないし、このままここで丸まっているというのも情けない。私は腹をくくって、地面に伏せてずりずりと腹ばいになって進むことにした。まさか外で匍匐前進をやることになるとは…。制服が砂だらけになるが、まあ仕方がない。地面を押す拳も少し擦れてしまうが、この際見なかったことにしよう。
「匍匐前進の訓練を自主的にするという精神だけは認めるが、あまりにも無茶苦茶だぞ。足を上げてどうする、ももの部分もつけろ」
ゴールまであと角一つ、というところまで迫ったときだった。話しかけられてハッと顔をあげると、目元にぐっと力の入った厳しい顔が私を見下ろしていた。私と目が合った彼の瞳が少し揺れた。きっと遠目に制服だけ見て、四年の生徒だと思っていたに違いない。
「あんた__件の事務員見習いの。こんな場所で何をしている?」
「持久走を……」
「匍匐前進で?」
彼は深い緑の制服に身を包んでいる。六年生のようだが、どうも圧が強い。私が地に伏せて、彼がそれを見下ろすかたちだからなおさらだ。忍術学園は何歳からでも入学できるのだろうか?
「捻挫しまして……」
「壁伝いに片足で進むとか……もっとやりようがあるだろう」
「……それをやって両足捻挫しました」
「信じられん……」
私を見る彼の視線は憐れみを含んだものに変わっている。なんというか、怒られた方がマシかもしれない。情けないのと痛みとで、正直半泣きだ。
「申し訳ないんですけども、どうかあの角を曲がったところにいる小平太くんたちにこの惨状を伝えてほしいです……これ以上待たせるわけには」
「あんたはどうするんだ」
「このまま医務室を目指そうかな……」
彼はため息をついた後、目の前にかがんで私を持ち上げた。ずるずると私をひきあげたあと、担ぎ上げる。お姫様抱っこでもされるのかと身構えたが、これはいわゆる...
「ファイヤーマンズキャリー……」
「なんだ?」
「いや……ごめんね、重いでしょう」
「そんなに軟弱じゃない」
先に医務室へ向かうぞ、と彼はずんずん歩き出した。三十分も経たないうちに担がれて再登場した私を見て、保健委員の二人が絶叫したのは言うまでもない。