8. 争奪戦になる前に


 医務室から自室へ向かうものの、両足首を固定されている私はとても一人で歩ける状態ではない。そんな私に現在肩を貸してくれている彼は潮江文次郎くん、六年生だ。十五歳にしてはあまりにも貫禄がありすぎる気もするけれど、この戦乱の世を忍たまとして六年間も過ごしていれば貫禄の一つも出るのかもしれない。

「もっと鍛えるべきだ。これからこの学園内で職を得ようというならなおさら」

 話すこともなく黙って歩いていた私たちだったが、文次郎くんは前触れもなくぼそりとそれだけ言った。情けなくなった私は俯くしかない。

「その気があるなら、鍛えられる場所を紹介してもいい」

 それに気づいたのか気づいていないのか、彼はそう続けた。そうくるとは思っていなかった私は、えっと彼の表情を見ようと首をぐっと曲げた。よく見えないが、おそらく真剣に話してくれているらしい。

「ありがたいけど、でも……鍛えようと思ったら体育委員会みたいなところに所属しないと駄目だよね?さすがにちょっと運動初心者には」

「体育委員以外にも選択肢はある。……一度見に来てみないか」

 彼は具体的なことを何も話してはくれなかったが、「せっかくだから行こうかな」と見学の日にちをとり決めることとなった。



 約束した日、私は指定された時間に指定された道を通って言われた場所へ向かった。少し遠回りをしたような気もするが、とにかくゴールにたどり着いた。扉の前に立つと「入ってくれ」と中から声が聞こえてくる。教室の中には文次郎くんがひとり、部屋の中で待っていた。生徒の部屋とも教室とも違う、がらんとした広い部屋。会議室のように並べられた机の奥に座る文次郎くんは私に手前の机に座るように指示をした。

「足首の状態はどうだ?」

「おかげさまで一人で歩けるくらいには回復したよ。まだ固定してないと心もとないけどね」

「指先も怪我をしていたと聞いたが」

「それももう大丈夫……それより」

 私の視線はすぐ下の机に落ちる。奥に座る彼と私の手前にはそれぞれそろばんが設置してあり、問題用紙のようなものが置いてあるのだ。

「なんでそろばん?」

 そう言うと、文次郎くんは淡々と委員会に関する説明を始めた。この学園にある委員会の話、そして彼が委員長を務める会計委員会の話。どうやらここは会計委員会の活動場所で、だからそろばんが置いてあるようだ。

「ありがとう、委員会についてはわかった。でも私がここに来たのは運動できると思ったからなんだけど」

「……会計委員の主な活動はさっき言った通り帳簿をつけることだが、活動内で鍛錬も行う。忍耐力と体力強化のためだ」

「なるほど、それで鍛えられる場所として会計委員会を紹介してくれたわけだ。つまり……委員会所属のお誘いということかな」

「……ああ。騙すような形にはなったのは申し訳ないが……あんたは学力テストでかなりいい点をとったんだろう。自分の能力を活かせて、活動の一部として体力強化にも取り組める。おあつらえ向きの委員会だとは思わんか」


 ここまでの説明を聞く限りは、確かにそうだ。しかし、いくつか問題が残っているように思える。最も大きな問題は、そもそも私が委員会に所属できるのかということだ。私が忍たまとして過ごす期間は夏休みまで。つまり、私が忍たま扱いをされるのはあと半年もない。

「そもそも私って委員会に所属できるの?」

「事後確認で突破できる可能性が高いと考えている」

「つまり今は確認とってないんだ?いや、でも……委員会に所属できたとして。会計委員に入れるとはちょっと思えないよ」

「なぜそう思う」

「現状私はそこまで信用されてないというか……」

 実際、食堂の手伝いすら声をかけてもらえないのだ。どの委員会もそれぞれに責任はあるだろうけれど、聞く限り会計委員会は特に責任の重そうな委員会だ。とてもではないが所属できるとは思えなかった。うつむいた私を前に、文次郎くんはふん、と腕を組んだ。

「ならば信用に足る人間だと証明してみせればいい」

「……」

「会計委員会で」

 やはりそこにつながるのか、とついふっと笑ってしまったが、文次郎くんはいたって真面目な顔をしている。

「いやだから、そもそも所属するまでの信用が……」

「押し切ってでもやるという気概を持たなければなにもできないぞ。……この議論はここでしたところで意味がない。学園長がお決めになることだ」

「それは……そうだね」

 文次郎くんは彼の手元のそろばんをとんとんと叩いた。

「せっかく来たんだ、そろばんを少し触ってみてはどうだ。過去に触ったことは?」

「一応ある。小学生……10年くらい前に何年か習ってた」

「なら大丈夫だろう。そこにおいてある問題を少し解いてみてくれ」


「そんなに堅苦しいものではないから」と言ってくれたものの、久々にそろばんをはじくのを人に見られるのだから緊張する。静かな部屋にぱちぱちとぎこちなくそろばんをはじく音だけが響く。じっと見られていては正直やりにくいけれど、向こうとしては戦力になるかどうか見極めているわけだからしょうがないか。

「できた」

 そう言って見上げると、文次郎くんはこちらへやってきて私の回答をじっと確認したあと「十分に即戦力だな」と小さく言った。問題は簡単な四則演算だけで、思い出しながらでも比較的にすぐ解くことができたのだ。

「もちろん生ぬるい活動はしていないし、あんたのことを特別扱いするわけにもいかない。厳しいことも言うだろう。それでもどの委員会よりあんたを一番成長させて活かす自信がある。前向きに検討してくれ」

「まあ、すぐにっていうのはちょっと難しいけど……」

「ああ……とにかく、考えておいてくれ。他の委員会にまだ動きは見られないが、争奪戦になる前に決めてしまうのが賢明だと俺は思うがな」


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「やはり文次郎は動いていたか」

「意外でした。てっきり潮江先輩は受け入れていないものかと」

「好ましくは思っていないかもしれないが、もう危険だとか……そういう風には見ていないと思うぞ。最初に変に疑っていたぶん勝手に負い目を感じてるんだろうな」

「”変に”?」

「いや……しかし三次郎、よくやった!お前のおかげで文次郎が抜け駆けしようとするのは止められる」

 小平太はわしゃわしゃと三次郎の頭を撫でた。滝夜叉丸はじめ他の面々は、大捜索の末やっと見つけた三次郎がなぜか褒めら れているのを何とも言えない表情で見ていた。

 夢子は文次郎に会計の活動場所に来る道順、時間まで細かく指定されていた。それはできるだけ他の生徒に見られることなく向かわせるための文次郎の策略であったが、三次郎がどこにいるかなど文次郎には、いや誰にも予測できるはずがなかったのである。偶然にも、道に迷っていた三次郎は、会計委員会の活動場所へ向かう夢子を草むらから目撃していた。

 上機嫌な小平太はくるっと後輩たちを振り返り、「さあ行くぞ!」と声をかけた。

「夢子さんを勧誘しに行くんですか?」

「いいや?他の委員長たちに今回のことを話してくる」

 金吾の質問を否定した小平太に、後輩たちは目を丸くした。皆てっきり、ほかの委員会が動く前に夢子を体育委員会に引き入れようとするものだとばかり思っていたからだ。しかし小平太が宣言したことはむしろその真逆。情報を共有するというのだ。

「驚くことか?夢子ちゃんは忍を志すものじゃないからな。体育委員に来てくれたら楽しくなるだろうとは思うが、現実的ではない」

「なら、どうして潮江先輩の邪魔を?」

「会計に引き入れられるのが一番厄介だ。予算会議の時に夢子ちゃんがいたら手荒なことがしにくくなる!」

 予算会議を経験している上級生たちはその過激さを知っている。たしかに、会計委員の面々は全委員会から攻撃を受ける可能性があり危険である。しかし、そんな場所に彼女を引っ張ってくるようなことはしないと思えるのだが。納得したような、しないような微妙な顔をする後輩たちを知ってか知らずか、小平太は「それに、」と付け加えた。

「夢子ちゃんが委員会に所属できると知れば争奪戦になる!おもしろいものが見れるぞ!」

 そう言って軽快に笑う委員長を前に、後輩たちは皆哀れな事務員見習いの身を案じることしかできないのであった。



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