2.夢みたいな本当の話


 (八左ヱ門視点)


 娘が戸を閉めると同時に、取り払われていた壁がどこからかあらわれて空間を隔てた。

「おい?」

 一応声をかけてみるも、返事はない。壁ができたからか、それとも相手が無視しているからなのかは分からないが。現れた壁に恐る恐る触れるが、それはただの壁でしかなかった。



 布団を敷こう、と押し入れを開けたら見知らぬ娘がいた。俺はあっけにとられていたが、その間に娘は一度戸を閉めた後、また開いた。棒のような何かを構えて、少しおびえているようだった。

 押し入れの奥がやけに明るい。同じ時間の同じ場所とはとても思えない。まぶしさに目が慣れると、娘の背後には見たこともないものがたくさん置いてあるのが見えた。娘の立っている場所は、押し入れの奥。忍たま長屋のつくり的にいえば、級友の不破雷蔵、鉢屋三郎の部屋があるはずの場所だ。俺は半刻前に二人が部屋に入るのを見ているし、なんなら部屋の中までちらっと見た。何の問題もなかったはずだ。半刻のうちに二人の部屋を改造する意外にこんな空間を作る方法はないが、そんなことは不可能だろう。

 娘は肩衣のような、見たことの無い何かを身にまとっていた。部屋の様子からも分かるように、まず文化が違う。俺の中で、「もしかしたらどこか遠い国とつながったんじゃないか」と思ったが、会話が成り立っていることも考えるとそういうわけではなさそうだ。しかし、「ここではないどこか」であることは間違いない。


 俺を幽霊かなにかだと思っていたらしい娘は学園長についても知らない様子だったし、これを「めいせきむ」という夢だろうと予想して、もう寝てしまおうと提案した。そんな夢は聞いたこともないが、まあここが違うどこかと繋がるよりも、変な夢を見ている可能性の方がよっぽど高いだろう。俺はこれが夢なのか現実なのか確かめたかったので、また同じ時間帯に押し入れを開く約束をした後、眠りについたのだ。



「……おい八左ヱ門、聞いてるのか?」

「ああ悪い、ボーっとしてた」

「朝からずっとそんな感じだね。何かあったの?」

「昨日寝つきが悪くてな。まだ眠いんだ」

 押し入れの向こう側の空間で寝ているはずのこの二人は、やはりなにごともなく今日の朝俺の前に現れた。何も言わないし、特になにかあったわけではなかったのだろう。朝、布団をしまおうと押し入れを開けたが、特に異常はなかった。しかし昨日の出来事が頭から離れない。夢を見ていたともやっぱり思えないが、きっとこの二人に言えば俺の頭のほうを心配されるだろう。

「なあ、めいせきむって知ってるか?」

「さあ、聞いたことがないなあ」

 雷蔵は思い出すように首を傾げたが、やはり知らないらしかった。

「夢を見てるって自覚しながら見る夢のことなんだとよ」

「へえ〜普段できないことを夢の中でできたら効率がいいよね」

「おい雷蔵、問題はそこじゃない。雷蔵にない知識が八左ヱ門にあるなんて、こいつ本当に八左ヱ門か?」

 三郎は茶化すようにそう言って、俺の顔が変装じゃないか確かめるような仕草をした。馬鹿にするな!と手を払うと、三郎はケラケラ笑っていた。

 図書委員に所属して、書物に触れる機会の多い雷蔵ですら知らない知識を持っているなんて、彼女は何者なんだろう。見たことの無い服、見た事のない部屋、そして知識。もしかしたら彼女はとても身分の高い人なのかもしれない。

 考え込んでいるとまた三郎にちょっかいを出されたので、一旦全て忘れることにして授業へと向かった。正直気が気ではなかったが、そうも言ってはいられない。結局いつも通り慌ただしい一日を過ごしていれば、あっという間に夜になっていた。


 級友と別れて部屋で一人になると、なんだか落ち着かない。あと半刻、ソワソワしながら待たなければいけないのか。

 少し、いやだいぶ早いが、押し入れの戸を開けておくことにした。これは俺の予想でしかないが、昨日彼女が戸を閉めたと同時に壁が現れたことを考えると、恐らく同時に開いている間だけ壁は取り払われる。一昨日彼女と遭遇しなかったのはタイミングが合わなかったからだろう。

 彼女はその仕組みを分かっていないだろうから、もし向こうが先に押し入れをあけて、壁があるからやはり夢だったんだ、とすぐに閉めてしまえば繋がるものも繋がらない。

 そっと押し入れを開くと、光が漏れてきた。俺はすぐに、向こうと繋がったんだと理解した。見えた部屋はやはり昨日見えたものと同じで、娘は部屋の真ん中にある小さな机の上でなにか作業をしている。

「おーい」

 声をかけると娘はあからさまにびくりと肩を震わせて、こちらを見た。俺と目が合うと、ちょっとがっかりしたようにため息をついた。

「夢じゃなかったかあ」

「いつから押し入れを開けてたんだ?」

「ついさっき。開けっぱなしにしてれば繋がることはないかなと思ってたんだけど」

「両方の戸が開いている時だけ繋がるみたいだな」

 ふうん、と言った娘は作業を止めて、こちらの方をやっと向いた。昨日は見えていなかった全身が見える。見えている肌の面積が少々広すぎやしないだろうか。しかしそれを指摘するのも気にしているみたいで、いや実際気にしているんだけれども、口に出すことはしなかった。

「どうする?」

「え?」

「夢じゃなかったみたいだけど、どうする?」

 娘は片手で頬杖をついてこちらを見ている。この現象が夢でなくて現実であるというのなら、やることはひとつしかないだろう。

「この現象がなんなのか調べたい」

「……分からなくもないよ、それは。でも遭遇しないように工夫して、なかったことにもできると思うんだよね」

「俺だけの部屋ならそうしていたかもしれないが……学園なんだよ、ここ」

 娘はそれにちょっと興味を示したようで、「寮制のってこと?」と尋ねてきた。ざっくり学園について説明はしたが、流石に忍術を学ぶ場所であるということには触れなかった。娘は特にそれ以上掘り下げて来ることもなかった。

「後輩に引き継ぐまでに謎を解明して普通の部屋に戻したいってことだね」

「ああ。でもきっと俺だけではどうにも出来ない。……手伝ってくれないか」

「いいよ」

 すんなり受け入れられて、少し驚いた。娘の雰囲気的に、渋られるのを予想していたからだ。それが顔に出ていたのか、「聞いといてそんな顔しなくても」と言われてしまった。

「なかったことにしたい派と、このままじゃ気持ち悪い派が私の脳内で戦って、さっきの君の補足情報の後押しを受けた後者が勝った」

「おお……いや、心強い。俺、調べ物とか苦手で」

「……丸投げはしないよね」

「努力する」

 自分から言っといてそれかー!と大袈裟に頭を抱えて、娘はすこし笑った。

「今更だけど名前を聞いてもいい?」

「竹谷八左ヱ門だ」

「はちざえもん?渋くていいね。私は夢山夢子」

「夢子か。分かった」

「なんかこうやって話すと現実味が増すなあ」

 じゃあ、と夢子はこちらに向き直った。早速作戦会議かと思われたが、彼女は「好きなものは何?」と言っただけだった。思わず聞き返してしまう。


「好きなものは何?なんかある?」

「ああ……生き物かな」

「ざっくりしすぎでしょ」

「何だ急に、どうしてそんな話になるんだ?」

 彼女は「名前しか知らない赤の他人と夜な夜な二人きりになるのはキツいから」と言って、会う約束をする時はお互い一つ自己紹介になるような質問を考えてくるということを提案した。

「答えられないものがあったら答えなくてもいいし…まぁそんな深い質問はしないと思うけど」

「分かった、まぁそれもそうだな」

 俺の身の上を知られすぎることは良くないが、それはなんとでも調整できる。彼女のことについて知ることもなにか鍵になる可能性はあるし、了承することにした。

「じゃあ夢子の好きなものは何なんだ?」

「音楽かな。歌うのも聴くのも好き」

 俺はお見合いというものをしたことがないが、この絶妙なぎこちなさを例えるなら初めてのお見合いという言葉が一番合っているだろう。会話が滞ることは無いが、どこか探り探りだ。

「それぞれ過去に似たような出来事がなかったかどうか調べてくることにしようか。次はいつ会う?」

「二日は欲しい。明後日の夜なんかどうだ?」

「大丈夫だよ。明後日の夜、同じ時間ね」

 彼女は近づいてきて、押し入れの中から布団を引っ張り出した。「じゃあ、おやすみ」と言って手を振って、また昨日と同じようにそそくさと押し入れを閉めてしまった。



 壁が完全に俺たちを分かったのを確認して、俺は大きく息を吐いた。布団を引いて、さっさと横になる。

 流石にまだ完全に気を許すことは出来ない。ただ、体つきからしても彼女は何の変哲もない娘、もしくはもっと位の高い人間だろうなと推測出来た。日に焼けていない柔らかそうな手脚は、どう見てもくノ一として修行を積んでいるようにも、はたらく町娘のものとも思えない。と言っても俺自身、くノ一の体だってまじまじと見たことはないのだけれども。

 俺は今日、万が一に備えてまだ武器を隠し持っていた。寝間着の懐に入れると若干目立つので、向こうから見えないように押し入れの戸の近くに立って話すようにした。対して彼女は昨日の棒のような武器も持つことは無く、薄手の何かを着てこちらから全身が見える位置にいた。彼女なりに警戒心はまだあるかもしれないが、やはりプロのそれではなさそうだ。

 いつかは学園に報告しなければいけないんだろうけれど、そうなればきっと部屋を移される。俺がしたいのはそういうことでは無いのだ。これは俺の我儘だが、ただ興味がある。友人に相談するのにもタイミングというものがあるし、関わった以上、しばらくは自力でどうにかしてみようと心に決めた。



ぬるま湯