4.隠しごとはなんですか


 眠る前に水を飲んだのは失敗だった、と三郎は目を覚ましてから思った。一度横になった手前、もう一度立ち上がるのは億劫だ。しかし行きたいものはしょうがない。できるだけ同室の睡眠の妨げにならないように、三郎は慎重に扉を開いて部屋を抜け出した。


 春とはいえ夜はまだ冷える。冷たい廊下をそそくさと歩き出そうとしたが、隣の部屋からがさごそと物音がしたのに気づいて足を止めた。級友、竹谷八左ヱ門の部屋だ。

 八左ヱ門が夜更けに起きているとは珍しい。もしや課題でも溜め込んで困っているのではないだろうかと考えた三郎は、少し声をかけてからかってやろう、とそっと中を覗いて「八左ヱ門?」と声をかけた。


 その刹那、八左ヱ門はスパンと押し入れを閉じた。明らかに慌てていたように見えたが、こちらを振り返り、「ああ三郎、起きていたのか」と何事も無かったかのような顔をする。何でもないようにふるまっているのがますます怪しい。

「ちょっと厠にな。八左ヱ門は何を?」

「借りた本を読んでいたんだが、そろそろ眠ろうかと思っていたところだよ」

 ちらりと見やった文机の上には、たしかに何冊か本が積んである。普段ほとんど本なんか読まない八左ヱ門が本を借りて読んでいることも気にはなるのだが、今はその話をしたい訳では無い。

「そうじゃないだろ。押し入れに何を隠した」

「隠してなんかいない」

「明らかに焦ったように見えたが?」

「夜更けに声をかけられて驚いた。驚いて勢い余って戸を強く閉めた。それだけだよ」

 三郎は納得のいっていないような顔をしたが、「厠はいいのか」と八左ヱ門に言われて今夜は引くことにした。今無計画に詰め寄ったとて返ってくるのは同じ返事だけだろう。三郎は頭を掻きながら厠へ向かった。





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 (雷蔵視点)



「ぜ〜ったいにおかしい」

 着替えの途中にも関わらず、三郎は布団の上に考え込むような仕草をして座り込んだ。


「何が?」

「昨日の晩、私は厠に行ったんだ」

「そういやそんな気配がしていたな」

「で、問題はそこじゃない。八左ヱ門だ。」


 昨夜の短い出来事について話したあと、おかしいだろう?と三郎は僕に同意を求めるように尋ねた。


「でも八左ヱ門自身が言う通り、ただ驚いただけかもしれないじゃないか」

「いやあ、あの様子を見れば雷蔵だって何かあると疑いたくなると思うぞ」

「そんなにも怪しかったのか……。そういえば昔、八左ヱ門が押し入れに拾ってきた犬だったか猫だったかを保護していたことがあったよね」

「そんなこともあったな!確か子犬だった..結局引き取られることになって、八左ヱ門の方が寂しい子犬みたいな顔をしてたのはいまだに覚えてる」

 昔話に花が咲く。今回の八左ヱ門の気になる行動も、きっと生き物関係じゃないだろうか。しかしそうだとしたら、三郎に隠す必要はないか。むしろ保護と隠蔽のための協力を求めてきそうなものだけれど。

「生き物を飼ってたとして、どうして隠したんだろう。他の人間に扱わせられないくらい危険な生き物を飼っているとか?」

「毒虫を定期的にばら撒く委員会の人間が今更そんなに気を使うとも思えないが、あるとしたらその線かもな。それか珍種の何かか」

「本を借りて読んでいたんだよね?八左ヱ門が新しく生物図鑑を借りていたとしたら辻褄が合いそうだ。今日は当番だから貸し出し記録を確認しておくよ。さあもう着替えて、置いて行くよ」


 さすがにそろそろ食堂に行く必要があったので、話を切りあげる。自分がまだ半分寝間着だったことを思い出した三郎は、そそくさと着替えを再開した。




「妖怪……」

 放課後、三郎と約束したとおり、僕は貸し出し記録から八左ヱ門の借りた本を確認した。しかしそこには想像していたものとは全く違う貸し出し記録しか残されていなかった。

 妖怪や怨霊について書かれた本を2冊。どちらかといえば八左ヱ門はこういうものに興味が無い人間だったような気がするが、気が変わったのだろうか。

 思ったような結果が得られなかったことは少し残念だけれど、しょうがない。僕は委員会の作業に戻ることにした。そしてそのまま夕方になり、そろそろ図書室を閉めようかとぼんやり思った頃、図書室の戸が焦ったように開いた。


「雷蔵、返却手続きを頼む」

「八左ヱ門!あれ、これ..昨日借りたばかりのやつじゃないか。もちろん返却は早い方が助かるけれど」

「ちょっと気が変わったんだ。もう図書室を閉める頃合いだったか?新しく本を借りようと思ったんだが委員会で遅くなってしまって」

 今日もどこかに行ってしまった毒虫や毒蛇をさがしまわって居たんだろう。図書室に入るにあたってあらかた砂などは払われて居るものの、枝などで引っ掛けたのであろう苦労の跡は払いきれていない。

「ああ、そのくらいなら全然いいよ。何が借りたいんだい?」

「神話とか壮大な物語系の……」

「神話か……」

 妖怪の次は神話。どういう風の吹き回しなのか聞き倒したくなったけれど、きっと僕がここで問い詰めても適当に逃げられるだけだろう、と踏んで特に掘り下げることはしなかった。

「違う世界に行く話とかあったりしないか?」

「う〜ん、違う世界?神話ででしょ……黄泉の国まで奥さんを取り戻しに行く話とか?古事記にそんな話があったよ」

「黄泉ってあの世ってことだよな?うーん……まあ、それっぽいものなら借りようかな。ちなみに最後に二人はどうなるんだ?」

「ええ、それは自分で読みなよ!」

「参考までに!」

 パチンと八左ヱ門は手を合わせて、頼む!というポーズをした。しょうがないのでざっくりと、イザナミは火の神の出産を終えたあとそれが原因で衰弱し最期を迎えて、黄泉の国にいるという序盤の大まかな流れだけを説明した。

「これ以上は自分で読んで……!」

「分かった分かった、じゃあそれ借りるよ」

 古事記に加えてあと何冊か、手頃な本を紹介する。手続きを終えた僕たちは一緒に長屋に戻ろうとしたけれど、八左ヱ門は「今日は先に夕飯食ってる!悪い!」と言い残して颯爽と走っていった。夜に時間を作って本を読むためだろう。部屋では先に委員会を終えた三郎が、共に食堂へ向かうために待っていた。


「あ、雷蔵。お疲れ」

「ああ、お待たせ……三郎、八左ヱ門が借りていたのは妖怪の本だったよ」

「まさか妖怪を飼ってるんじゃないだろうな」

「さすがに八左ヱ門でもそんなことは……」


 ない、とは言いきれないか。二人とも声には出さなかったが、同じことを思っていた。今日もまた新しく本を借りていったことを話したが、三郎はさっぱり訳が分からないと肩をすくめただけだった。何はともあれ、夕食の時間だ。い組の尾浜勘右衛門と久々知兵助に声をかけたあと、八左ヱ門は本を読むために先に食事を1人で済ませるそうだ、と説明した。

「八左ヱ門が本を読むために?」

「なるほど、確かにおかしいな」

 兵助は元から大きな目をさらに大きく見開いて驚いている。勘右衛門は恐らく、今日の委員会で三郎から話を聞いていたんだろう。兵助にこれまでの八左ヱ門について説明してやると、確かに少しおかしい。と勘右衛門と同じ感想を口にしていた。


「八左ヱ門の押し入れを覗いてみないか?今ならいける」

「万が一危険動物が飛び出してきたらどうするんだ」


 三郎はわくわくした顔をしているが、対して兵助は冷静だ。


「じゃあ八左ヱ門がいる時に開ければいい」

「そう易々と開かせてもらえるとは思えない」

「八左ヱ門が押し入れを開いている時に突入するんだよ」


 なかなか大胆な案だが、勘右衛門の提案に三郎は乗り気らしい。「今夜だな」と嬉しそうに歩き出した。


「兵助と雷蔵も来るだろ?」

「ええ、どうしよう。兵助はどうする?」

「俺は行こうかな。今夜は特にやることもないし、気になるし」

「……じゃあ僕も行くよ」


 決まりだな、と笑う学級委員長委員会の二人は完全にいたずらっ子のようだ。もしとんでもなく貴重な動物を飼っていたらどうする、きり丸が知れば目を銭に変えてすぐに強奪に来るかもな、なんて軽口を叩きながら食堂へ向かう。中にはほとんど食べ終えている八左ヱ門が居て、こちらに気づいて小さく手を振っていた。何も知らない八左ヱ門に、我々はにこりと微笑み返して手を振ったのだった。



ぬるま湯