5.結局のところ、何も分かりはしない


(雷蔵視点)


 風呂に入り終わった僕達は、1度各々の部屋に戻って準備をした。昨夜三郎が八左ヱ門と話した時刻より四半時程早い時間帯に、侵入は決行された。各々屋根裏へ忍び込む。四人全員が落ち着いたところで、全員顔を見合せた。それもそのはず、部屋から声が聞こえるのだ。

「_から、一冊しか読めなかった」

「別に全然いいよ。私は今暇だからたくさん読めたってだけで_」


 八左ヱ門は誰かと話している。それも、相手の声は女性のものだ。

 屋根裏の全員が競うように覗き穴を覗こうとした。勝ったのは勘右衛門だった。そっと覗き込んだがすぐ顔を上げて、首を傾げる。次に覗いた兵助も同じように首を傾げて眉をひそめた。三郎も後に続き、順々に覗いて最後に僕の番だ。

 部屋が妙に明るい。この角度と視野では完全には見えないが、押し入れから光が漏れているらしい。八左ヱ門は押し入れに向かって話しているし、女性の声もそちらから聞こえる。


 相手は誰だ。くのたまとの密会だろうか。普段からあまり仲の良くないくノ一教室の女の子と忍たまが逢引きするなんてことは珍しいし、そもそもそんな相手が八左ヱ門にできたとして僕たちが勘付かないことはないと思う。しかし、くのたま以外の女性を夜忍術学園に連れ込むなんてことは六年生の先輩方でもできないだろうから、十中八九くのたまの声だろう。

 そして二つ目の疑問。彼女の声はなぜ押し入れから聞こえてきているのか。もしかして昨日八左ヱ門が押し入れに隠したのはこの女性の存在だったのか…いや、そんなことはしないだろう。ほかの三人も各々考えを巡らしているらしく、全員が渋い顔をしていた。


 困ったことになった。これなら危険生物と格闘する羽目になる方がよっぽど事態は単純だっただろう。流石に直接逢瀬を邪魔するほど僕達も野暮にはなれないが、でもそういう雰囲気でもないし、押し入れの謎は解けるどころか深まってしまった。

 矢羽音を使って会話したいけれど、気づかれないかどうか微妙だ。八左ヱ門たちは会話しているし距離もあるとはいえ、彼も忍たま五年生、矢羽音を使えば気配に気づく可能性はある。


(くのたまか?)


 三郎が矢羽音を使った。これだけ距離があれば問題ないと判断したらしい。勘右衛門は穴を覗きながら、八左ヱ門は矢羽音に気づいていないようだ、と僕たちに合図を送った。

(流石に違うだろ、くのたまは)

(まず光が漏れてることについて話さないと。押し入れの中に蝋燭でも立ててるとしたら危ない)

(蝋燭の照らし方だと思えないんだが……くそ、ここからじゃ中は見えないな)

 勘右衛門は覗き穴を見る顔の角度を調整しているが、やはり押し入れの中を上手く見ることは出来ないらしい。

(天井の板を外すか?)

(えー!それは大胆すぎないかな?)

(でもずっとこのままってわけにもいかないしな)


「おい、もういいから降りてこい」


 完全に屋根裏に向かって放ったであろう八左ヱ門の声が聞こえて、俺たちは矢羽音での議論をやめた。「気づいてたのか」と言いながら勘右衛門は天井の板を外す。八左ヱ門はやれやれという顔をしてこちらを見ていた。

「昨日三郎に怪しまれてたのは分かっていたし、気を張ってたからな」

「三郎のせいか」

「連帯責任だろ」

 三郎と勘右衛門はお互い小突きあっているが、問題はそこじゃないだろう、と兵助が二人を割って板を外した部分から顔を出した。

「その押入れについて教えてくれよ。そのために忍び込んだんだ」

「だから降りてこいって言ったろ?来てくれれば分かる」

 八左ヱ門はそう言ったあと、押し入れに向かって「人が増えるけど驚いて叫んだりしないでくれよ」と念を押した。

 呼ばれたとおり、兵助がまず下に降りた。その後押し入れを見て、「えっ」という声を漏らした。勘右衛門と三郎も下に降りて、僕も後に続いた。


 押し入れの中に、本当に女性がいた。というより、押し入れの壁があるはずの部分に壁はなく、押し入れの奥、つまり僕と三郎の部屋があるはずの部分に全く知らない部屋があるのだ。それに、昼みたいに明るい。ここから光が漏れていたんだから、部屋が変に明るかったのもうなずける。しかしどんな方法で部屋を照らせばこんな風に明るくなるのだろう。

 彼女は僕たちに驚いて目を見開いているけれど、八左ヱ門に叫ばないよう先に言われていたからか、口を手でしっかり覆って驚きの声を漏らさないようにしている。

「おい八左ヱ門、説明してくれよ」

「三日前、俺の部屋の押し入れとこの子の部屋の押し入れが繋がったんだ」

「訳が分からない……」

「だろうな。俺だってよく分かっていないんだ」


 ワイワイと話し続けているが、彼女はおいてけぼりで、僕達のことをおずおずと見ている。信じられないというような顔をしているが、それはきっとこちらも同じなのだろう。このままでは話が進まないので、「この子は誰なの?」と八左ヱ門に尋ねてみることにした。

「この子は夢子、夢山夢子だ」


 八左ヱ門はその後、その女性に向かって僕たちの名前を簡単に説明した。


「その..本人を前にして言うのもなんだが、本当に人なのか?実は怨霊だとか、俺たちは幻覚を見ている、とかそういうことは無いのか」

 兵助の言葉に、八左ヱ門は「そのくだりは一応終わったんだが」と苦笑いしたあと、「もう1回境界を越えてみるか?」と夢子さんに話しかけた。

「いいよ。あ、じゃあちょっと待って」


 彼女は「万が一閉まって帰れなくなったりしたら困るから」と言って向こう側の戸をがこんと外した。


「完全にこっち側に来るのか!?」

「あ、そういう事じゃないの?やっぱりまずいか」

「いや……そうだな、夢子がいいのならそうしよう。よっぽど夢子の方が度胸があるじゃないか」

「八左ヱ門くんに影響されたんだよ」


 今度は僕たちが置いてけぼりにされる番だ。なんだか既にこの状況に慣れきっている二人は境界がどうのこうのと話しているが、何も分からない僕たちは顔を見合せた。話がついたのか、彼女はついに押し入れにぐっと上体を乗せたあと足を引き上げて押し入れの中に収まった。

「脚からいってみる」と言ってそっと脚を伸ばす。そろそろと全身をこちら側の押し入れに持ってきて、最終的にこちらの押し入れから脚を出して腰掛けるようなかたちになった。彼女が体勢を整えるために動くと、押し入れの木材と布がこすれる音がする。やっぱりどう見ても実体があるようだ。見た事のない着物を着ていて、脚をこれでもかと言うほど出している。光を背に受けているので影になってよく見えないけれど、そのシルエットに「わ」とつい声が出てしまって、彼女と目が合った。


「ごめん、いや、その……」としどろもどろになっていると、「ああ、ごめん配慮がなかったね。この時代じゃありえない格好だし」と言って彼女は申し訳なさそうな顔をした。


「この時代のって?」

「あー……」

 兵助の質問に、彼女は助けを求めるようにして八左ヱ門の顔を見た。


「昨日のからくり持ってる?」

「スマホ?向こうに置いてきちゃった。待ってて」


 彼女は確かめるように腰回りを触った後、一度向こう側に戻り、八左ヱ門が言っていたものと思われるからくりを持ってきた。


「えーと、夢子のいるところは500年くらい先の未来なんだ」

「は?」

「そうだよな、その反応になるのも分かる。だから、これを見てくれ」


 八左ヱ門が合図を出すと、からくりを触って光を出した。とんとんと指先でいじっただけで、蝋燭なんかよりずっと明るい灯りを灯したのだ。


「こんなのもどうかな……あいうえお」


 からくりに向かって話したと思ったら、次はからくりをこちらに向けた。からくりが全く同じように「あいうえお」という音がする。

「幻術じゃないのか……?」

「そう思いたくもなるだろうけど、技術なの。向こうの部屋が明るいのも電気っていう技術のおかげだよ」

「向こうも夜なのか!?」

「うん。はは、なかなか良いリアクションだね」


 質問を繰り返す疑り深い三郎にむけて、見ててよ?と言って彼女は1度向こうへ戻り、ピ、という音がなると共に向こうも夜の闇に包まれた。彼女は手に何か持ってまた戻ってきたあと、「これを押してみて」と板のようなものを差し出してきた。

 三郎が彼女に言われるまま操作すると、またピ、という音とともに向こうの部屋があたたかい光の色に包まれた。


「分かって貰えるまでもっと色々見せてもいいけど……」

「いや、もう分かった、十分だ」


 みんな押し入れが違う世界とつながった上にそれが未来ということで少し混乱気味だが、しかしここまでされれば向こうは異世界で、それもずっと未来なのだということを受け入れざるを得ない。

(八左ヱ門に聞きたいことがあるから適当に間を繋いでくれ)


 三郎の矢羽音が聞こえる。すると勘右衛門が、「一回握手してもいいかな?人間だって確かめたくて」と彼女の方に一歩近づいた。


「全然いいよ。私と八左ヱ門くんもそうやって確かめたからね」

「なるほど。ああ、ちゃんと実体があるね」


 二人が話している間、三郎は八左ヱ門に(彼女は我々についてどこまで知っているんだ)と尋ねた。八左ヱ門は、僕たちが忍びであることについては彼女に明かしていないこと、ついでにこれまで彼女と何度か接触する中で分かったことなどを矢羽音で説明した。

 もういいぞ、とまた三郎が勘右衛門に矢羽音を飛ばす。八左ヱ門は「さて、どうすべきだと思う?」と僕たちに意見を求めた。



「逆になんで今まで誰にも言わなかったんだよ」と言う三郎はちょっと不服そうだ。

「あまりにもありえない話だから、自分でこれが現実だと分かるまではお前たちにも言わないでおこうと思っていたんだ。昨夜行き来できることが分かって、そろそろ言おうとは思っていた」

「学園に報告しないのか?」

「俺はできれば自分で調査したいと思っていたんだが……やっぱそうもいかないか」

「生き物を拾った時とはわけが違い過ぎる」



 彼女は少し不安そうにこちらを見ている。兵助は彼女に、「君の方は報告しなくていいのか?」と尋ねた。

「私は家だから……報告とかそういうのは。この押し入れは祖父母の家にあるものなんだけど、二人が知ったら驚いて腰を抜かしてしまいそうだし」

「なるほど。八左ヱ門、やっぱり面倒事が起きる前に学園長にだけでも相談すべきだと俺は思うよ」

「私もそう思うぞ。特に、ちゃんと解決したいならどこも経由せずに直接言った方がいい。あの人なら無かったことにはしないだろう……報告しなかったこともそんなに咎められないだろうし」



 どうだろう?という視線を向けられた彼女は、「任せるよ」と言ってついにすとんと押し入れから床の上に降りた。小さく足踏みをして床の感触を確かめたあと、手近な虫かごを覗き込んで、「前から気になってたんだけど、これはなんなの?」と八左ヱ門に尋ねる。


「虫だよ!俺、生き物好きって言ったろ?」

「えっ?もしかしてこのカゴの中、全部……?」

「おう!」


 部屋中に吊り下げられているカゴから足元に積んだものまで見渡す彼女の顔が、笑顔の八左ヱ門とは対照的に一瞬歪んだのを、僕は見逃さなかった。




ぬるま湯