(八左ヱ門視点)
学園長への報告へ行く途中に他の生徒や先生方に絡まれると面倒だということで、夜も更けてきたがこのまま学園長の庵に行くことになった。
夢子にも着いてきて欲しいと言うと少し不安そうな顔をしていたが、「責任者をここまで呼びだすわけにもいかないか」と学園内を少し歩くことを了承してくれた。一度向こう側へ戻って部屋の灯りを消したあと、履物を持ってこちらへ戻ってくる。
「それを履くのか?」
「スニーカーっていうんだよ」
「先輩方に見つかったら面倒だぞ、さっと行こう。俺たちで彼女を囲うかたちで、見えにくいように」
学園長はやはり就寝直後だったらしい。障子越しに声をかけてから入室が許されるまでが長かったし、中から出てきたときも明らかに不機嫌そうだった。しかし夢子を見た瞬間、少し目を見開いてすぐに中に入るように俺たちに告げた。
「はて、わしの客人…という訳ではなさそうじゃが。ヘムヘム、茶を入れてきてくれ。歳をとってからというもの、夜中の話しあいはどうにも頭が回らんのじゃ。お嬢さんもいかがかな?」
「あ……では、頂きます。」
「ヘムヘム、このお嬢さんの分もじゃ。頼んだぞ」
叩き起されることとなったヘムヘムも非常に不服そうだったが、ただならぬ事態であることを察知したのか小言は言わずに部屋を出ていった。夢子は部屋を出ていくヘムヘムをじっと見つめていた。
「さて、誰が説明してくれるのかの?」
俺はさっと手をあげた後、数日前の出来事から今日に至るまでの話を順に、丁寧に話した。最初から最後まで学園長の表情は読めなかったが、ぼんやりと蠟燭で照らされた顔のしわが、いつもより深く刻まれているように見えた。
話が終わる頃、ヘムヘムは戻ってきたと思えばお茶だけでなくひざ掛けのようなものも夢子に手渡した。彼女はひざ掛けを受け取ったあと、「ありがとうございます、いただきます」と疑うこともなくお茶をごくりと飲んだ。
「あ、美味しい」
「そうじゃろう?ヘムヘムが淹れる茶はなかなか良いんじゃよ」
「か……彼が?すごいですね」
そう言ってまたお茶を口にする彼女にこりと笑いかけたあと、学園長自身もお茶を一口飲んだ。
「わしはおぬしらの言い分を全面的に信じたいと思っておる」
「本当ですか……!」
「うむ。少し胸騒ぎはしておったんじゃ..しかしまずその押し入れを見んことには何も始まらぬ。皆が彼女をこうやってここに連れて来たということは、一目見て分かるほど不思議なことが起きているんじゃろう?さっそく案内を_」
「学園長!」
「……なんじゃ、文次郎。入りなさい」
庵の障子をスパンと開けたのは、六年の潮江文次郎先輩だった。こちらを見たあと一瞬戸惑うような表情を浮かべ報告に躊躇したように見えたが、「かまわん、なにがあった?」という学園長の言葉のあと、少し焦ったようにことの報告をはじめた。
「五年長屋で異変が起きています。上級生で異変に気づいて起きている者も数人居ますが、誰も近寄れない状況でして。急ぎ先生方を呼んできています」
「何……いつからじゃ」
「本当についさっきのことです。私が小平太たちと鍛錬から部屋へ戻る時、鈍い音が聞こえた後に強い光が漏れ出しているのが見えました。確認してすぐこちらへ報告に来ましたので」
その場にいる潮江先輩以外の全員が息を呑んだ。そんな変な出来事、どう考えても俺の部屋、あの押し入れが関係しているに違いない。
「八左ヱ門。先程の話はお主の部屋の押し入れの話じゃったな?」
「……はい」
「行くぞ。お嬢さんもじゃ。」
はい、と返事をするものの、夢子は明らかに顔色を悪くしている。押し入れに異変が起きるということは、夢子にとっても問題だ。我々は急いで現場に確認しに行くことにした。
やはり、異変が起こっているのは俺の部屋だった。閉めたはずの扉が開いているのは先ほど誰かが確認するために開けたからで、しかしあまりにも眩しいため突入はできていないようだ。先輩方が最初に光が扉から漏れるのを見てから、ずっとこの調子で光り続けているらしい。
学園長はしばらく夢子のそばにいたままだった。先生方や先輩方が夢子をみて一瞬厳しい顔になったり驚いたような顔になったりしても、学園長に話しかけられているのを見て曲者ではないということを判断できるようにということだろう。
「一瞬の目くらましになる程度の光は爆発で起こせるかもしれないが、こうもずっと光っているとなるとそういうわけでもなさそうじゃな…お嬢さん、心当たりはあるかの?」
「一応、強い光を出し続けることのできる機械…からくりはあるにはあるんです。でもこんなに強い光が出るものは一般的に家にはありません、もちろん私の家にも」
「ふむ」
近くにいる先生方は二人の会話に興味を示しているようだったが、話を聞いた後はよけいに混乱したような顔をしていた。
しかし、いつまでこうしている必要があるのだろう。押し入れのことはもちろんだが、虫の心配もある。できればはやく部屋の中を確認したい。どうにか中に入れないかと思案していた時だった。
一瞬光が弱まったかと思うと、次の瞬間、七色の光が、それも目を覆いたくなるような強い光が、学園中を照らした。夜が爆ぜたんだと思った。みな咄嗟に目を瞑り、頭や顔を腕で覆う。うっすらとふいてくる風と共にさらさらとした砂のようなものが体を撫でたような気がするが、しかし目が開けられないので確認のしようもない。
どのくらいそうしていたか分からないが、風が止んでしばらくたった後、誰かが「おさまったぞ!」と叫んだ。恐る恐る目を開けると、確かに光はおさまっていた。鮮やかすぎる光がまだ瞼にこびりついていて、視界に点々と光の模様をつくりだしていた。
「夢子、俺たちが行った方が良い。確認しないと」
「そうだね、分かった」
おさまったとはいえ何が起こるか分からない。誰も動かないでいたところを、二人で部屋に向かう。視線を痛いほど感じるが、そのほとんどは夢子に向けられたものなのだろう。
部屋に入ると、学園長のところへ向かうときに確かに閉めたはずの押し入れの戸が外れていた。潮江先輩が「鈍い音がした」とおっしゃっていたが、これが外れた時の音だろう。強い力で内側から押されたとしか考えられないが、さっき体をなでた風が実は爆風だったのだろうか…しかし、心配していた虫や虫かごたちには一切影響がない。手近なかごに耳を近づけると、ごそごそと活動しているような音が聞こえた。夜風に当たって冷え切った足に砂のようなものがつくのがわかる。さっきの光とともに飛んできたものと同じだろうか。
「あ、行ける行ける!閉じたとかではないみたい」
夢子は恐る恐る押し入れの中に手を突っ込んでいたが、壁がないことに気づき安心したような声をあげた。押し入れの中に体をしまって、向こう側へ戻ろうとする。
「部屋がぼんやり薄暗く見えるんだけど……さっきの光で目がおかしくなってるのかな」
「一旦灯りをつけてみたらどうだ?」
「それもそうだね。……あれ、つかない。懐中電灯どこだっけ……」
押し入れを確認する俺たちの様子をみて、何も起こらないと判断した学園長と同級生たちが部屋に入ってきた。
「なるほど、確かに向こう側につながっている。たしか隣の部屋は……」
「私と雷蔵の部屋です。学園長先生の庵に向かう前にも確認しましたが部屋には特に何の変化もありませんでした」
「この壁の向こうは違う世界に繋がっていると考えるしかないというわけじゃな」
学園長がふむ、と顎に手を当てると、押し入れから光が漏れ出てきた。しかし押し入れから漏れ出てきたのは、さっきまで見ていた柔らかい光とはちがう無機質な白い光だ。
「なに……」
おかしい、と思って覗き込んだ向こう側には、「色」がなかった。部屋の真ん中で呆然と突っ立っている夢子の肌の色だけが、異様に鮮やかに見える。こちらから見ているだけでめまいがしそうだ。全部灰をかぶったような色で、灰色と白とだけで構成されたような部屋になっていた。光の出どころは夢子が手にしている棒のような何かから出ているようだ。
「どういうことだ……」
「え……?」
先ほどまで覗いていた世界とは違う光景に、五年はみな口々に驚きの声を漏らす。夢子の表情はここから見えなかったが、外を見てくる、とだけ言った彼女は走って部屋から姿を消した。
「なんだ、さっきまでこんなのじゃなかったじゃないか」
「……誰か説明ができるものはおるか?」
学園長の言葉に返事できるものはだれもいなかった。何も出来ずにいると、徐々に先生方や上級生が「何事ですか」と廊下から顔をのぞかせる。
「八左ヱ門の部屋の押し入れが異世界に繋がったんじゃ」
「は……?学園長、どういう……」
「それはじゃな…いや、説明はあとじゃ!それはもう、今は一旦そういうものとして受け入れてくれんか。話が進まん」
ええい面倒じゃ!とでも言うような学園長の声に、ザワついていた廊下は静まり返った。
「お互い押し入れを使って行き来することが出来たんじゃよ。さっき娘が私の近くにいたと思うが、彼女は向こうの世界の人間じゃ。そして五年生と彼女がその報告に来てくれた。そして話を聞いている最中に、異変が起きたとの報告を受けた」
「彼女が何かしたのではないのですか」
「彼女はただ、私の庵で話を聞いていただけじゃ。それまでの行動も、五年のこの五人組が見ておる。何かおかしなところはあったか?」
「いえ……未来から来たという話をするために不思議なからくりなどは見せられましたが、どれもあのような光を出すものでは……不審な動きもなかったと思います」
勘右衛門の言葉に、俺たち全員がうなずく。先生方はいまだについていけないようで、眉をひそめて難しい顔をしている。
そうこうしてるうちに、夢子が戻ってきた。息を切らしている。走ったらしい。転がり込むように押し入れに体を押し込み、こちらへ戻ってきた。膝に手をつき、肩で息をする彼女に「大丈夫か」と手を肩に置くと、そっとその手をとられる。彼女はそのままへたりと床に座り込んだ。
「誰もいない」
「どういうことだ」
「全部灰色で……色も音もなかった……!なんにも……!」
「夢子?……夢子!」
俺の手を掴む指が震えている。呼吸が速くて浅い。
「保健委員!」
俺が声をあげるよりも前に、学園長が声をあげた。部屋の前に控えていた上級生の中から、保健委員長が飛び出してくる。座り込んだ彼女を前かがみにして、「吐くことを意識して」と声をかける。俺たちはみんな、何をするでもなくただその様子を見ていることしかできなかった。