7. 猫ふんじゃった


「いいよなー夢山さんは。夕張についていけて」

 またいつものように縁側で夏太郎達とだべっていると、寝転んだ夏太郎がふと思い出したようにそう言った。

「なにも聞かされてないけど……なんて言ってた?土方さん」

「俺も詳しいことは知らないんすけど、俺たち"は"留守番だって言ってたんで。たぶん夢山さんは行けるんでしょ」

 夏太郎はあーあ、俺も行けたらなと息を吐いた。この二人は茨戸で土方さんに惚れ込んだらしく、最近はずっと土方さん、土方さんとそればかりだ。

「夢山さんは俺たちと留守番でもよさそうなもんなのになあ」

 亀蔵がそう言って不思議そうな顔をしていた。私が拾われる経緯を知らない彼らがそう思うのも当然だ。しかし私には刺青が入っている。土方さんとしては、自衛能力のない私は近くに置いておきたいのだろう。


「あれ?尾形どこ行った」

「ほんとだ、いない……いつ消えたんだろう」

 夕張にて。この付近での刺青についての情報を掴んだ私たちは情報を集めがてら街を歩いていた。私は牛山さん、尾形さんと動くよう言われていたのだが、尾形さんは私たちが目を離した隙にどこかに行ってしまったらしい。

「まあ、迷子ってわけじゃないだろうから大丈夫だろう」

「それもそうですね」

 私たちはその後も二人で聞き込みを続けていたけれど、牛山さんが何かを見つけたらしく炭鉱の近くまで来ていた。牛山さんによれば、トロッコに乗り込む尾形さんの姿を見たらしい。彼は札幌のホテルで会った男たちを追っていたようだ。しかし炭鉱の中に今から私たちが追いかけていくわけにもいかず、どうしたものかと考え込んでいたところだった。

 猛烈な音と揺れ。山が動いたのかと思った。

「ガス爆発だ……これはまずいな」

「爆発って……もしまだ中に尾形さんがいたら……」

 そうこうしている間にも、命からがら逃げてきた炭鉱夫たちがぞくぞくと集まってくる。尾形さんの姿は、無い。

 尾形さんのことは好きではない。どちらかといえば苦手の部類に入るタイプだが、死んでしまって良いということは絶対に無い。炭鉱夫たちが消火のために坑口に板を張っていくのを見ながら、私は心臓が早鐘を打つ嫌な感覚と息苦しさを覚えていた。生きているのに入り口をふさがれてしまったら。いや、もしかしたらもう既に。

「夢山、ここで待ってろ」

「牛山さん!?」

 牛山さんは私の頭をひと撫ですると、凄い勢いで坑口の方へ突進していった。

「無茶です、牛山さん!!!」

 彼を止めようと坑口に近づくが、「兄ちゃんやめとけ!」と炭鉱夫に腕を掴まれる。”不敗の牛山”が彼の通り名であることは知っているが、一人間がこんな規模の災害に立ち向かえるはずはないのだ。肺のあたりががんと圧迫されるような感覚がする。


「おい、お前は……」

 明らかに炭鉱夫とは違う高い声で話しかけられて振り返れば、小さな青い瞳が私を見つめていた。札幌世界ホテルで出会った、あの女の子だ。「札幌の_」と言いかけて、私の声は炭鉱夫たちにかき消される。どうやら坑道から誰か出てきたようだ。坑口を見やれば、煤だらけの男二人を抱えた牛山さんがこちらへ歩いてきていた。何事もなかったかのような彼の顔に圧倒されて何も言えずにいると、牛山さんは私の背後にいた少女に話しかけた。

「よぉ嬢ちゃん、また会ったな」

「チンポ先生ェ……」

 彼女はカサカサになった四角い何か(軍服の彼のツッコミによればハンペン)を差し出し、キラキラとした目で牛山さんを見つめた。そうこうしている間に札幌で会ったアイヌの男性が水を運んできて、煤だらけの男たちはなんとか話せる状態まで回復したようだった。

「なんであんたらがこんなところに」

「連れと夕張に来ていたがふらっと居なくなってな……探していたらお前らがトロッコに乗っているところを見つけたんだ」

「連れ?」

「ここにはいないんですが……牛山さん、やっぱり心配なんで僕は他の坑口探してきま__」

「__何を探すって?」


 振り返らずとも分かる、声の主は尾形さんだ。彼はいつものように髪を撫でつけ、ついてくるように言って歩き出した。無事で良かったと言う暇もなかった。淡々とし過ぎて本当に事故に巻き込まれたのかどうか疑わしく思えてくるほどだが、全身煤だらけなのが坑道での出来事を彷彿とさせる。よかった、生きていた。私は一人胸をなでおろした。

 尾形さんが私たちを連れて来たのは剥製屋だった。動物の剥製が並んでいるのが開いているドアからちらりと見える。暗い部屋に動物たちが吊るされている様は少し不気味ではあったが、最終的に尾形さんが見るように促した部屋にあった人間の剥製の方がよっぽどショッキングであった。

 尾形さんによれば、この場所で刺青人皮の偽物が作られた。先ほどトロッコで彼が追っていたのはそれだ。贋物を作った人も一緒にいた軍人も事故に巻き込まれてはいたが、鶴見中尉率いる第七師団の手元にわたってしまった可能性は非常に高いという。それが本当なら、暗号解読において大混乱が巻き起こってしまうということだ。

 そんな話の途中で土方さんも到着し、金塊関係者大集合ということになった。


 やけに雰囲気がピリついているのは、白石さんが土方さん達に刺青人皮の写しを渡している"内通者"であることがバレてはいけないからか。いやそれ以上に、お互い刺青人皮を集め金塊を求めて敵対する立場であるからか。

「私の父は___」

「手を組むか、この場で殺し合うか__選べ」

 女の子があげた声を遮った土方さんは、そっと愛刀に手をかけた。正直、ちびりそうなくらい怖い。ガチガチになりながら、私は今のやり取りを反芻していた。

 今の話の流れのなかでの「私の父」発言。まるでのっぺらぼうが彼女の父のような言い草だが_

「私たちがなにか作りましょうか!ね、夢山くん!」

「!?はい!!」

 唐突な名指しに飛び上がりそうになった。どうやら女の子のお腹が空腹を訴えているらしい。話の続きは食事の席で、とはなんとも気が抜けるけれど、私は早くこの場から立ち去りたくて家永さんの後を追った。


「大丈夫?顔色が悪いみたい」

「ちょっと気圧されて……ちびるとこでしたよ。でも家永さんのおかげで助かりました」

「そう?ならよかった。お礼にあなたの髪を少し整えてさせてもらってもいいかしら?」

「食べる気でしょう。いやですよ…」


 なんこ鍋_いわゆるもつ煮_を作りあげたあと大部屋へ運ぶ。馬の癖の強い匂いが野菜のおかげでどんどんとまろやかになっていくにつれてついよだれが出てきてしまう。剥製と食事なんてちょっと気が引けるけど、香ばしい味噌の匂いの前では人間など無力だ。

「よそいますよ」

「ああ、ありがとう」

 いつものように、家永さんと私で最初の配膳をすませていく。

「おい、俺はしいたけはいらん」

「よく見てください。これはしいたけじゃなくてごぼうです、どうやったら見間違えるんですか」

 そもそも尾形さんがしいたけ嫌いなことは分かっているからよそうわけが無い。前にしいたけ入りの味噌汁を出した時、私の目を盗み入っていたすべてのしいたけを私のお椀に入れてきたことがあった。さっきまで炭鉱での事故に巻き込まれていないか素直に心配していたのに、当の本人はけろっとしているものだから私がついていけない。差し出したお椀を「ん」とだけ言って受け取り、せっかく消えてきた癖の強い匂いをわざわざ嗅ぎ取るように鼻を近づけてはちょっと微妙な顔をしている。

「どうぞ」

「ありがとね〜夢山ちゃん」

 尾形さんに比べれば白石さんは愛嬌があるなあと感心したときだった。杉元さんが「……初対面だよな?」と私たちを見比べたのだ。私も違和感なく受け入れていたけど、確かに今白石さんは私の名前を呼んでしまったのだ。きっと杉元さんはそこが引っ掛かったに違いない。札幌で彼らとご飯を食べたとき、白石さんはいなかったのだから。白石さんの首元にうっすら汗がにじんでいるような気がするが、これは鍋の熱気のせいではなさそうだ。

「初対面初対面!名前くらい、さっきからみんな呼んでるんだから覚えるだろ〜」

「まあ……そうか」とちょっと考えるような顔をする杉元さんに、私は咄嗟に「どうぞ!」とお椀を押し付けた。

「……どうも」

「えーっと、俺は白石、こっちは杉元ね。で、この子は__」

「アシリパ」

 白石さんの誤魔化すような挨拶を遮るように声を上げた女の子はこちらに手を差し出した。握ればいいのかと私が手にしていたおたまを持ち換えようとする前に、「私にもくれ!」と一言。そもそもこの子の空腹のために始まった食事であることを忘れていた。お椀を手渡すと「ありがとう」と礼を言ってくれた。どこかの誰かさんよりよっぽど礼儀正しいようだ。


 私は食材を切っていただけだが、鍋は文句なしに美味しい。しかし食卓の雰囲気は悪くなる一方だった。軍帽のお兄さん_もとい杉元さんと尾形さんがなぜかずっと不穏な空気を醸し出しているのだ。どうやら過去に交戦したことがあるらしい。

「食事中にケンカするなよ」という白石さんの発言から辛うじてもとの雰囲気を取り戻した食卓は
、贋物の刺青人皮の判別方法についての話へ移っていった。月形の樺戸監獄に収監されている贋作師の熊岸長庵なら判別方法が分かる"かも"という仄かな可能性が見えただけで、はっきりと先の見える話にはならなかったが。


 その後私たちは、家の中を捜索する隊と外で情報を集める隊で分かれて行動することになった。私は家永さんと食事の片づけをしていたので、流れで家に残ることになり部屋をうろうろと探索していた。

 玄関から一番離れた部屋は長く使われていないのか、埃をかぶっていた。部屋の隅にはアップライトピアノが置いてある。大きな家だなあと思ってはいたが、やはりお金持ちの家らしい。懐かしさを覚えた私は、現代のものより仰々しい鍵盤蓋を持ち上げた。しばらく調律されていないらしく少し音は歪んでいるが、たどたどしい「猫ふんじゃった」しか弾けない私にとってはあまり関係ない。家主を失ったピアノはぽろぽろと寂しい音がした。

 こんなところで油を売っていてはまた尾形さんに嫌味を言われてしまう。静かな部屋になんとなく嫌なものを感じた私は部屋の外に出た。

 案の定廊下には尾形さんがいたが、彼は私をじっと見るだけで何も言わない。何も言わないのに見つめ続けられるものだから、「なんですか」と声を上げようとしたときだった。

 ガシャンと派手に硝子が割れる音が響き渡る。茶碗が割れたとか、そういう次元ではない。多分割れたのは窓ガラスだ。尾形さんは音のした部屋を確認するためドアを開け、土方さんは違う部屋から玄関ホールへ出てきた。

「家永ッ外へ出るな!撃たれるぞ!」

 玄関の扉に手をかけた家永さんに忠告したのは誰だっただろう。誰かに襲撃されていると分かった私は家永さんを手招きした。死体が転がっていると言われた部屋には入っていないが、その他の部屋に入り口がないのはこの目で確認済みだ。おそらく出入口は玄関のみ。ピアノのあった部屋は一階の一番奥、とりあえず真っ先に兵士が入ってくる心配はなさそうなので、家永さんの手をとって部屋の中に入る。

 部屋に1つだけある窓には鉄格子がはめ込んである。外からは死角になるところに位置取り、扉に向かって銃を構えた。万が一誰かが入ってきたら、私がやるしかない。

 そうこうしている間にも銃声は響き続けている。尾形さんだけが撃っているわけでないのは明らかだ。何人に狙われているんだろう。玄関の扉が乱暴に開かれる音がした瞬間、ばたばたと複数人の足音が聞こえた。床に何かが叩きつけられるような重い音が聞こえて、血の気が引いていくのを感じる。

「夢山くん……」

「大丈夫です。銃撃つのは、初めてじゃないんです、これでも」

 大丈夫です、と自分に言い聞かせるように何度も繰り返す。心を落ち着かせようと深呼吸をしたが、ごほごほとむせこんでしまった。

「がはッ……う、これって……」

「げほ……煙が広がってきた……」

 どうやら火がつけられていたらしい。そうなってくると話は別だ。私たちには逃げ道が1つしかないが、その玄関では未だ交戦中だろう。この部屋に入ってきた人間に不意打ちで攻撃できても、広い場所で戦うことは私たちにはとてもできない。私たちは顔を見合わせた。逃げられない...二人ともそれを察していて、しかし口にすることはできず黙り込むことしかできなかった。

 その時だった。ベキャッとなにが起きたか分からない音が背後から聞こえ、私は咄嗟に銃もむけずに振り返った。


「牛山様ッ!」

 ああ、牛山さん登場の安心感と言ったらない。家永さんが牛山さんに持ち上げられるかたちで外へでて、入れ替わるように杉元さんが中へ飛び込んでいった。背後で彼によって部屋の扉が乱暴に開けられる音がする。

 私も家永さんに続こうと窓から身を乗り出したところを牛山さんに掴まれた。彼に背負われているアシリパちゃんと目が合って少し恥ずかしい。私を易々と持ち上げた牛山さんは、そっと私を地面に置いた。

「ありがとうございます……すみません、重いのに」

「気にするな、軽すぎるくらいだぞ。さ、こっちだ」

 ばっと振り返った剥製屋は完全に火に包まれている。中の土方さん達は大丈夫だろうか...とにかく私は牛山さんに続いて建物から離れた。



ぬるま湯