10
目が覚める。見慣れた天井、嗅ぎ慣れた匂い。外からはチュンチュンと小鳥の囀りが聞こえる。小さい頃からの慣れ親しんだ光景に、血の気が引いていく。何故、私はここに居るのか。
恐る恐る身体を起こし状況を確認する。やっぱり、間違い無い。此処は私の部屋だ。
「手、足、ある」
自分の身体を見下ろす。当たり前だがヤバチャの姿ではなく人間の姿だ。
ベッドから降りて鏡へ向かう。うん、私だ。そういえば、少し前にダンデの前で人間になった時はどうだったんだろう。この顔だったのだろうか。
半ばどうでもいい現実逃避をしながら何故か開けっ放しだった扉を潜り、階段を降りる。感覚が鈍っていて、足の動かし方が時々分からない。落ちない様にしなければ。
これは夢?ポプラさんには戻る事は出来ないと言われていたのに。それとも、今までのヤバチャとしての出来事が全て夢だったのだろうか。
ダンデも、リザードン先輩も、オノンドちゃんも、他のポケモンたちも皆私の妄想だったの?
リビングに辿り着く。ふわりと香る懐かしいお味噌汁の匂い。キッチンの方へ目をやると、想像通りの後ろ姿が見える。
「お母さん」
呼びかけても返事は無い。聞こえなかったのかともう一度読んでみるがそれも聞こえていない様だ。これだから歳取るのは嫌ねと失礼な事を呟きながらお母さんの元へ向かう。
「お母さん?……っ」
横から見るお母さんの顔は、私の記憶よりも随分老け込んでいる様に見えて。丸々としていた頬も随分げっそりしている。
ダンデの元にいたのが夢だったとして、たった一晩ではこんな事にはならないだろう。慌てて冷蔵庫に掛かっているカレンダーを見る。
「あ、あれ……?」
日付は同じだが、西暦が違う。私の記憶より、三年も進んでいる。
そういえば、と周りを見る。キッチンに置かれている食材の賞味期限はカレンダーよりももっと先だし、置かれていた雑誌も三年後の日付が書かれている。
そんな、もしかして、私は。
「っ、お母さん!ねえ!お母さんてば!」
大きな声で叫んでも目の前にいる筈のお母さんに私の声は届かない。ワザと無視している様子でも無い。私の声が聞こえていないのだ。
邪魔な位置で佇む私には目も暮れず、着々と朝食が出来上がって行く。二人分。お母さんとお父さん。私の分は無い。
扉が開く。お父さんが起きてきた様だ。声を掛けてもお母さんと同じ反応。やっぱり、私は。
「あ、」
付けっぱなしになっていたテレビからニュースが流れる。トップニュースとして流れたのは悲惨な脱線事故の映像と、『あれから三年が経ちました』というアナウンサーの声。
私は、あの電車を知っている。毎朝乗っている電車で、そうだ、昨日もそれに乗って、あれ?それは昨日では無くて。
お父さんがテレビの電源を切り、重い息を吐く。そうだ、私はこの事故に巻き込まれて死んだんだ。
事故の衝撃で気を失って、何故かルミナスメイズの森で目が覚めたんだ。そこにダンデが来てくれて、私をポケモンセンターに連れて行ってくれて。
私は、私は?私は一体何者なのだろうか。人間?幽霊?ポケモン?それ以外の何か?分からない、分からない。私はポケモンだから、難しいことは、私はポケモンなの?でもここは私の家で、でも私は死んでいて。
テーブルに食器が置かれる音で意識が戻される。重い空気の中、二人が食事を始める。こんな時だと言うのにくぅとお腹が鳴る。お母さんのご飯、食べたいな。
お母さんがキョロキョロとして、小さく呟く。
「お父さん、お腹鳴らした?」
「いや。お前じゃないのか」
「私じゃないわよ。……もしかしたら、あの子が来ているのかもね」
「そんな訳無いだろ」
バンっと勢いよくお箸をテーブルに叩きつけ席を立つお父さん。え、なんかヤバそうな雰囲気。
食事にはほとんど手を付けず、そのままジャケットを羽織ったかと思うと鞄をもって玄関に向かってしまった。
「お父さん!本当に式典に行かないの?」
「行っても無駄だ」
「お父さん!」
バタンと勢いよく閉まる玄関の扉。私には強く閉めたら怒った癖に。なんだかお父さんが荒れている所為で、少し冷静になって来た。
私は三年前の脱線事故で死んでしまって、ポケモンの世界で記憶を持ったまま生まれ直した。多分。イマイチ信じられないけど、私が見たダンデ達の記憶は夢なんかではなく現実のものに間違い無い。
私はなんやかんやと平和に暮らせていたから考えもしなかったけど、どうやら両親は三年経った今でも上手く私の死を受け入れられていないみたい。
きっとそれを気にしていたこっちの世界の私が、違う世界でのんびり暮らしている私を呼び寄せたのだろう。二人をどうにかしろと。ゴーストタイプだった事も影響しているのかも知れない。
正直、どうしたら良いのだろうか。最終目標は二人を立ち直らせること。どこから手を付けるべきか。
とりあえず、さっきお母さんが式典がどうとか言っていた。それについて行ってみよう。
恐らく、事故被害者遺族の式典だろう。生前テレビでは見た事があったが、まさか両親を参加させる事になるなんて。親不孝にも程がある。
****
沢山の報道カメラマンに囲まれ、かなりの数の遺族が並んでいる。都心部の中々混雑している時間帯だった事もあり被害者の数も多かった様だ。
実感が全く無く、ただのイベントの様に感じてしまうのは流石に罰当たりだろうか。
遺族代表の方が長々と話している。ヤバチャとしてのんびり自由に生きていた為、長時間誰かの話をじっと聞く事ができなくなってしまった。
どうせ見えないんだしと辺りを見渡す。少し面白いのが、私みたいに幽霊ぽい人が何人か居る。この人たちも同じ電車に乗ってたのかと少しだけ親近感。
あれ、あの後ろの方に居るのってお父さんじゃないか。無駄だとか言ってた癖にこっそり来ちゃうのはこの人らしいかもしれない。ああでもお母さんは気付かないだろうな。
一人にするのは少し心配だけど、飽きてしまったので列を抜ける。実はさっきからうっすらと私を呼ぶ声が聞こえる。あまり長くは此方の世界に居られない様だ。
ゆっくりと久しぶりの街を歩く。あの店が無くなっている、この店は相変わらず変な装飾、あんな所に可愛いお店が。三年の間ですっかり変わってしまったな。少し、いや大分寂しい。
美味しそうなテイクアウトのお店を羨ましく眺めながら通り過ぎる。
人混みを歩いているのに誰も私に気付かない。正面から向かってくる人も居れば後ろから追い抜く人もいる。私は誰にもぶつかる事はない。
──ああ、本当に私は死んでるんだ。
今の私の居場所はもうこの世界じゃない。ここに居てはいけない存在。
そう自覚すると益々遠くで私を呼ぶ声が大きくなる。もう少しだけ、もう少しだけ時間を頂戴。
式典の会場が近い場所で行われていた事もあり、気がつくと私は通い慣れた最寄り駅まで辿り着いていた。あの日通ることのなかった駅からの帰り道を噛みしめる様にゆっくりと歩く。
駅前のアーケード街を抜けて、歩道橋を渡って、昔からある個人経営の本屋を曲がって、大きい公園の脇を通って。ここの遊具でよく遊んだな。
少しだけ哀愁に浸ろうと中に入ると今にも途絶えそうなか細い鳴き声が聞こえる。
「猫だ」
大きな木の裏に居たのはまだ目も開いていない産まれたての子猫。昨日か、もしかしたら今日産み落とされたのかもしれない。周辺を見ても親猫は見当たらない。
こんな小さい子、このままだと死んじゃうのかな。どうしよう。助けなきゃ。
子猫に向かってそっと手を伸ばすが、私の手はその身体をすり抜けてしまう。私はここに居るのに、この世界には干渉することさえ許されない。
私を呼ぶ声がまた大きくなる。うるさい、今それどころじゃない。黙っててダンデ。
ダンデ、そうだ、私はダンデのポケモンだ。ダンデなら何がなんでもこの子を放っておく訳がない。だってダンデは森で倒れていた私を助けてくれたもん。
私はただの人間でも幽霊でもない。ヤバチャなんだから。たとえ違う世界だったとしても少しだけなら。
この間ダンデに教えられたサイコキネシスを思い出す。確か一点に精神を集中させて、今回はこの子猫を持ち上げるイメージを。
うっすら子猫が光を纏い、少しだけ地面から浮く。だがここから病院までの距離を動くのは無理だ。となれば向かう先は一つしかない。
サイコキネシスを途切れさせない様にゆっくりと歩を進める。あと五十メートル進めば辿り着く。頑張って子猫ちゃん。頑張るんだヤバチャ。
にーにー鳴き声を上げる子猫に大丈夫だよと声を掛ける。あともう少しだからね。見えてきたあの門を潜れば。不思議と湧いてきた力を振り絞り慎重に進む。
漸く草が生い茂る地面に辿り着き、子猫をゆっくりと下ろす。サイコキネシスを長時間使うのしんどすぎる。初めから真面目にダンデのトレーニングをしていれば良かった。何度目かの後悔。
私を呼ぶ声、ダンデの声がもうすぐ近くで聞こえる。もう待っては貰えないみたいだ。
結局私は、これからこの子がどうなるかも分からないし、両親を立ち直らせる事も出来なかった。せめて、と無人の家に入りもう一度サイコキネシスを使いペンを動かす。
私は幸せだよ。だから二人とも前に進んで。