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壁にかかっている時計をちらりと見た。もう少しで日が変わる。

今日は早退するしかないな、と思った。明日はちょうど世間では休日だし観音坂さんも休みかもしれない。

もし休みならすぐにでも会った方がよさげた。

「…観音坂さん、明日はお休みですか?もしよければ…あと数時間後にでも…」

「……やすみ、です……ずっと…へやのなかに…います…」

「そ、そうですか。じゃあどこかで待ち合わせて…」

「……そとに…でたく…ない…です…」

…まあ確かにそんなどん底にいるなら外に出ようという気力はないかもしれない。ファレミスかどっかで落ち合おうとしていた俺は集合場所に迷った。

「……あー、えっと…」

「……いえに…きて…くれませんか……」

「…わ、わかりました。じゃあ、念の為観音坂さんの連絡先を教えていただけますか…?僕の連絡先も「なまえくんの…連絡先は……しってます…」……そ、そうですか…」

エッー、なんで知ってるの?
という質問はできる雰囲気じゃなかった。でも俺の頭の中にはwhy?でいっぱいだ。連絡先交換した記憶はない…。

「…メールも…電話番号も…しっています…」

わかりました、わかりましたから!!もういいよ!どこでどうやって知ったかとかもう聞かないから!

観音坂さんの携帯の電話番号を聞いてメモ取った。

「じゃあ…また後ほどかけますね。」

「……………は、い…」

重い空気の中、返事が返ってきたのを確認して通話を終了した。臨機応変がきく職場でよかったと思いながら早退を申し出て急いで帰る支度をした。

仕事場を出てすぐ観音坂さんに自分の携帯から連絡を取ると住所を教えられて俺は急いで向かうことにした。

大丈夫かな、と内心不安になりながら目的地に急ぐ。


言われた住所にたどり着いて玄関の前で一呼吸おいた。

どうか自殺なんて図ってませんように。

チャイムボタンを人差し指で押し込むとピンポーンとくぐもった音が中から聞こえた。

いるだろうか…間違ってないだろうか、とドキドキしながら待っていると数十秒経ったあとゆっくり玄関の扉が開いた。

開いた隙間から見える赤い髪、部屋着に裸足…。

「観音坂さん…」

「……なまえくん……」

虚ろな目でヤバそうだけどちゃんと生きてる観音坂さんを見て安心した。

「…お話、僕に聞かせてもらえますか…?」

「………上がってください……」

観音坂さんのゆっくりとした動作に合わせてお邪魔した。靴を脱いで猫背の観音坂さんの背中を追いかけて中に入る。

一人暮らしと言うには広すぎる部屋で観音坂さんとは少し違う系統の服や靴が見受けられた。

もしかしたらここには観音坂さん以外の人が住んでいるのかもしれない。

ちらりと家の中を観察しながらついていく。観音坂さんはある部屋で立ち止まった。

「……はいってください……」

「ありがとうございます…」

最近フレンドリーというか敬語が取れた口調だったのに今の観音坂さんはまた敬語になっている。人を寄せ付けたくない、信用できない、自分は一人なんだという心理の表れからきているの可能性がある。要注意で話を聞く必要があるな…。

観音坂さんに通されて部屋に入ると一気に空気が沈んだような感覚に鳥肌がたった。

…っ?!いや、俺霊感とかなんにもないけど何この重い空気!

しかも部屋に入ったのに観音坂さんは照明もつけない。
真っ暗な部屋は床にものが散乱していて踏み場に困るほどだ。

「か、観音坂さん電気を…」

「……つけたくないです……」

「わ、わかりました…」

せめてカーテンを開けて外の明かりだけでも、とカーテンを開けていいかと聞くとそれなら…と返ってきたから遠慮なく開けさせてもらった。

真っ暗な部屋は少しだけマシになって外の明かりが部屋の中に入ってきた。月明かりが部屋の中央にあるローテーブルの上にあるもの反射してきらりと光った。

なんだと見ると、それは包丁だった。

「…っ!!か、観音坂さん、こ、これは」

「……いつでも……しねるように……」

「あ、あぶないからっ、これは元に戻しましょう…っ?」

やばいやばいヤバい!

電話で自殺を考える人や死にたいという人の話を聞いて解決したりしたことはあるけど、そんな俺でもさすがに包丁を目の前にすると狼狽えた。

テーブルから包丁を素早く取って、失礼しますと部屋の外に出てリビングのキッチンに置いてきた。

部屋の中に戻ると観音坂さん膝を抱え込んで座っていた。

さて……ここからが本題だ。

観音坂さんの近くに腰を下ろす。

「…観音坂さん、電話で聞いた会社の話が原因で今こうして辛い思いをしているんですよね…?」

「……はい…」

「よければ僕にもその話、聞かせてくれますか?観音坂さんが辛いことは僕が聞いてもきっと辛いし、一緒にその気持ちを考えたいなって思うんです。」

「…なまえくん…」

「だから、もし観音坂さんが僕に話してもいいなって思ってくれたら聞かせてほしいです…」

膝を抱える観音坂さんの顔を見ながら静かに話すと観音坂さんは閉じていた口をゆっくり開いた。

「……会社のトラブルは……先輩がミスしたことが原因で起きたことなんです…。…でも…そのミスは先輩じゃなくて俺だって言われて…。先輩も自分じゃないって…」

「ええ…」

なんてひどい会社だ。いや、人間が悪いのか。濡れ衣を着せられてこんなに追い詰められているというのに…。

「それで…俺は課長から…呼び出されて…日常生活や…容姿のことまで言われて…減給だっ、て……」

観音坂さんの横顔は血の気がなくて青白い。その横顔を見つめながら俺は思ったことを口にした。


「…ひどいですね。その先輩のミスなのに…」

「否定しなきゃ…って思ったのに…先輩の威圧に負けて……。否定できないのも、今回のミスも全部俺が悪いんだ、って思って……」

「そんなことないですよ…っ、悪いのはその先輩でしょう?観音坂さんは何も悪くないでしょう?」

「……でも、そう言えないんです……」

「最低な先輩とクソ上司ですね…っそんなの先輩でも何でもないですよ…っ!」

言ってしまってからハッとして訂正した。

「す、すみません。口が悪くて…」

観音坂さんは力無さげに開いていた目を少し見開いて俺を見ていた。

「……なまえくん…がそんなに怒ることでは……」

「誰だって怒りますよ…!こんな話!ひどいじゃないですか!観音坂さんは何も悪くないのに、どうしてこんな辛くて重たい気持ちにならないといけないんですか?可笑しいです、そんなの。観音坂さんを苦しめる人達が信じられません。」

ひどい話だ、本当に。じわりじわりと蝕まれるように心の病みを抱えていくと人は簡単に壊れてしまう。何も悪くない人が潰される世の中なんてあってはいけないんだ。

観音坂さんは悪くない、だから自分のせいだ、なんて思わないでほしい。目を見て必死に訴えるように話したら観音坂さんの口か小さく息が吐き出された。

「……ふふっ、」

「…観音坂さん?」

「……なまえくんが…プリプリしてる…」

「そりゃあプリプリしますよ!俺は今その最低最悪な先輩とクソ上司に怒ってます!だから!観音坂さんも怒りましょう!こんな理不尽なこと、怒らずにはいられません!」

「……俺の代わりに…なまえくんが怒ってくれてる……」

「俺だけじゃなくて観音坂さんも!怒って!」

「……ふふっ、」

今度は観音坂さんの口角が少し上がった。
ああ、良かった。笑えるのは心が軽くなった時。
面白い、と思うことが心を軽くするんだ。


「……観音坂さん、ほんのちょっとでも楽になりました?」

「……うん…」

「……それならよかった。ちょっとでもほんのちょっとでも心が軽くなってくれたら俺は嬉しいです。」

「……なまえくんが俺のために…ここまで怒ってくれたから……。会社行ったら、本当のこと…言おうと思う…。俺のせいじゃないって…。」

「…はい、それが良いです。勇気がいることですがその1歩が観音坂さんを更に強くしますし、俺も応援してます。」

良かった、解決しそうだ。俺は心の中でほっと胸を撫で下ろした。こうして自分を責めたり、自分を消そうとする人には全肯定して話を聞いて尚且つ1人じゃないと伝えることが大切だ。

俺は仕事で培ってきた経験を活かして話を聞いた。


「………なまえくん…ありがとう…」

「いえ、観音坂さんの笑った顔が見れて安心しました。」

にこりと笑って返す。これで俺の役目も果たせただろう。そろそろ帰ろうかなと話を切り上げるタイミングを見計らった。

「なまえくん……こうやって…辛いときがあったら……連絡してもいい…かな…」

……えっ…。それは個人携帯に?それともお悩み電話相談センターに…?
多分お悩み電話相談センターのことだよな?

どっちの意味なのか真意が分からないけどこの仕事をしているからには答える言葉は1つしかない。

「…………もちろんですよ。いつでも連絡くださいね。」

俺の言葉を聞いて観音坂さんは嬉しそうに笑った。

「ありがとう……。やっぱりなまえくんは…俺の事を1番分かってくれる…俺も…恋人としてなまえくんのことを1番分かるようになるから…」

んんんんん??

いや…んんんん?最後のは俺の幻聴か?


「……観音坂さん、あの」

「独歩…でいいよ…なまえくんにはそう呼んでほしい…」

「…か、観音坂さ「独歩……」」

物が散乱した真っ暗な部屋の中に立つ観音坂さんの目が俺を見ている。窪んだ目のしたはくすんでクマがひどい。口元がほんの少しだけ笑っているように見えるのは月明かりの影のせいか、それとも本当に笑っているのか。

観音坂さんの異様な雰囲気に押されて思わず「…独歩さん…」と呼んでしまった。

嬉しそうに笑ってゆっくり、うん、と頷いた。

やばい、この人ほんとにやばい人…。

早くこの家から出ようと荷物を取って玄関に行く。また来てね…と言う観音坂さんに曖昧に笑ってお邪魔しましたと返して出たらもう明け方だった。

朝焼けの中、ぐいと伸びをして新鮮な空気を吸った。
久しぶりに重たい仕事を片付けた気になって俺はふう、と息を吐いた。

「よし、明日からも頑張るか。」


それから、頻繁に俺の携帯に
【なまえくん……つらい……です……】
というメールが来るようになった。

相手は誰かって?
もちろん……あの人だ…。

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