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「おはようございます…」

店の裏口から入ると、すでに店長が来ていて挨拶をした。

「おー、はよー。なまえ今日も暗いなぁっ!ほら、腹から声出せよー」

「はい…」

「全然変わってねえじゃねえか!」

けらけら笑う店長にへこりと頭を下げてスタッフルームに入った。

ロッカーから黒い制服を出す。

これが俺の仕事、ホストクラブの黒服、ボーイだ。

と言っても俺は誰から見ても陰湿でとてもじゃないけど表に出れる人間じゃないから専ら掃除と雑務、営業が始まればキッチン担当だ。

俺以外のボーイも数人いるけど、表に出ないのは俺だけ。
自分でもダサくて根暗な俺が表に出ると店の評判にも影響すると思うからそれでいい。

優しい店長が雇ってくれた時に考えてくれた策だった。

制服を着替えて店内の掃除を始める。
夜は煌めくこの店内も営業前だとそんな感じはしない。

夜にくるお客さんのために綺麗に掃除するのが俺の仕事。モップを手に真面目に動いていると声がかかった。

「はよー。」
「…おはようございます。」

時間的には夕方だけどそれが挨拶。他のボーイの人もちらほら出勤を始めてきていた。

「なまえ〜金曜だし人多いから死ぬなよ〜」
「はい…」
「要するにドリンク頑張れよ、ってこと。お前の素早さにかかってんだからな〜」
「…頑張ります…」

先輩ボーイが俺の頭をガシガシしてフロントに向かっていった。全体的な指示をしたりと経験豊富な先輩ボーイにいじられるのはよくあることだ。

今日忙しいのか、頑張ろう…。と覚悟しつつ掃除を終えた俺は片付けに入った。掃除道具を片付けてからはキッチンで準備して…

色々考えていると前から来た人にぶつかってしまった。

「すみません…」
「なまえー!おっはー!なんだよぉ〜今日も暗いな!ほら、笑えって〜」

ぶつかってしまったのは店の中でも人気ホストの一二三さんだった。

謝ると、一二三さんの手が俺の頬をむにりと掴んで持ち上げた。

「うぉっ!なまえのほっぺた、こんなに伸びる!わははっ!やばい!やばいこれぇ!ちょっ、てんちょ〜!こいつのほっぺたやばくないっすか?!ほら、みょ〜んって!」

一二三さんが俺のほっぺたをびょんびょん横にしてはしゃいでいる。俺は無表情。少し痛いから、離してほしい。

「おい、一二三〜。離してやれよ。ほら、なまえも準備。」

店長。助かった…。

「はぁ〜い。んじゃ、なまえ今日もよろしくなぁ〜!」

「はい…」

ヒラヒラと手を降ってスタッフルームに入っていく一二三さんを見送った。

あれがスーツを来たら完全に変わるんだもんなぁ…。すごいなといつも思う。

解放された頬の感覚を取り戻しながら俺はキッチンに入った。



***



開店してからは凄まじい勢いで注文票が来た。

「なまえ!ここ置いとくから!あと3番テーブルはキャストは薄めで!」

「は、い…。」

「もう5番のできた?!」

「あ、ここに…」

やばい。忙しすぎてドリンク間違わないようにしないと、と一生懸命作る。俺以外にももう一人先輩ボーイがいるけど2人でも回すのがやっとだ。

こんな時にシャンパンタワーなんて突発的に来たら、俺死んでしまうな…なんて思った。まぁ金額が高いだけあってそんないきなり来ることはあまりないけど…。
イベントの日や人気キャストのバースデーイベントの時とかはタワーを作るから、その時は落ち着いて作れる。


「できたー?」

「3番はできました…」

「おっけ。何か今日イベントか、ってくらい忙しいぞ?早く作ってくれるけどホールも足りてないし…」

「そうなんですか…」

確かに立ち代り入れ替わりキッチンから持っていくボーイが忙しそうだ。

キッチンの外からは賑やかな声と女性客の楽しそうな笑い声が微かに聞こえる。


「グラス片付けるのに、人いるわ!キッチン今空いてない?!」

突如キッチンに響いた声に俺と先輩ボーイは顔を見合わせた。

「なまえ、ホール手伝ってこい。」

「え…、お、俺ホール出たことなくて…」

「大丈夫。お客はキャストと話してるんだから安心しろ。でもテーブル入るときはちゃんと声かけろよ?ほら、行ってこい。」

え…、え…と戸惑う間に先輩ボーイに押されてホールに出た。

「じゃ、なまえ一二三さんのとこお願いな。」

ポン、と肩を叩かれてホールスタッフは別のテーブルを片付けにいった。

やるしかないのか…と賑わって忙しい店内をそろそろと歩いた。煌びやかな店内を歩くのは初めてで少し緊張した。

一二三さんのいるテーブルに近づいていくと、一二三さんが俺を見て少し驚いていた。

「あ、の…し、失礼します…。グラスお下げいたします…。」

やばい、一二三さんだけじゃなく来ている女性客の視線も自分に注がれて俯き加減に膝をついてグラスを取った。

俺の目にかかるほどの長い前髪が視線をシャットアウトしてくれる。いきなりこんな陰湿な奴が来たから、場の空気をぶち壊してしまっただろうか。不安になりながら下がろうとしたら明るい声に少しびっくりした。

「うわぁ〜珍しい!一二三〜、こんな子スタッフにいたの?」

「彼はなまえくんといっていつもは中で動いてくれているんだけど、今日はたくさんの子猫ちゃんたちが来てくれてるから彼も出てるんだ!なまえくん、ありがとう!」

にこりと笑う一二三さんに女性客も見惚れていた。
営業前の一二三さんとホストモードの一二三さんとじゃ全然違うなあと思ったけど会話に持ち出されて反応に困っていた俺は助かった。

「い、いえ…。」

軽く会釈してやっとテーブルから離れられた。

キッチンに戻ると先輩ボーイがどうだったと声をかけてきた。

「…やっぱりホールは向いてない気が…」

「はは、まあなまえはこっちで黙々やる方が向いてるな。終わりまで頑張るぞ。」

「はい…」

営業時間が終わってから、ミーティングをして皆ぞろぞろと帰り始めた。

俺はまだ制服のままでキッチンに向かって片付けを再開する。

「なまえ〜、今日もおっつかれ〜!」

お酒が入っているためいつもより陽気な一二三さんがキッチンに顔を見せた。

「お疲れ様です…」

「今日めっちゃ忙しかったろ〜っ?まさかなまえがホールまで出るとはぁ〜俺っちまじびっくりした!」

「…場の空気壊してすみませんでした…」

へこりと頭を下げると一二三さんが近づいてきて、俺の頬をぐりぐりとしてきた。

「そんなことねぇよ〜!むしろ〜?雰囲気違う子が来たから面白かった、って、話題になったしぃ〜?」

そうだったのか…、まぁお客さんからクレーム入れられないよりはマシだと安心した。

それより一二三さんの距離が近い。

「ひ、一二三さん…近いです…」

「えー?なんだってー?俺っち聞こえなーい!あー、明日オフだし〜今からご飯行く?」

「あ…、ありがたいですけど…俺片付けあるんで…」

肩を組まれて顔のすぐ横で覗き込む一二三さんはふわふわと笑いながら俺を見ている。

今日たくさんお客さん来たから飲みすぎたのかな…。だからこんなスキンシップが激しいのかもしれない。

「一二三さん酔ってるんですか…?」

「えー?俺がこんなくらいで酔うと思う〜?」

「…いや。」

「だろ〜。なんだよなまえ〜。俺っちが近づいたら嫌なのか〜?もっと近づくぞ?おりゃおりゃっ」

「や、やめてください…擽ったい…」

脇腹をつつく一二三さんにやめてと言うも止めてくれない。

「皆酔うと、こうやってからかうの…だめですよ…」

ボソッと言ったら一二三さんがつつくのをピタリとやめた。

「え?なんて?」

「え…?」

「だーかーらー、皆ってなに?」

「…皆って…皆さん酔うといろいろいじってくるから…スキンシップ激しいし…」

「はぁぁ?何それ!俺っち聞いてない!」

「ええ…?」

「誰?誰が?そんなことしてんの!えー!なにそれ!」

ぶーぶー言って頬を膨らまし始めた一二三さんに俺ははてなマークを浮かべた。

とりあえず片付けしないと、と手を動かして進める。

「なぁなぁ終わるまで俺っち待ってるからさぁ、ご飯いこー」

「でも…結構かかりますし…」

「待ってる。」

「そうですか…?じゃあ、早く終わらせます…」

「……そうやって一人で頑張ってるなまえ、すごいなぁ〜」

「…一二三さんの方が、すごいと思いますけど…女性苦手なのに…」

「俺っちはスーツのお、か、げ。人前苦手なのにホールに出て頑張ってるなまえ可愛かったぜ〜。」

「…可愛いって…、はぁやっぱり一二三さん酔ってますね…」

片付け終えた俺はタオルで手を拭いて、着替えるためにスタッフルームに入った。

私服に着替えるとやっと仕事が終わった実感がして、息をついた。

「あははっ、私服になるとなまえ、暗い&ダサいなぁ〜!」

ぶはっと吹き出した一二三さんを横目に店を出る。

「…別に…誰も見ないし問題ないですよ…」

「え〜俺っちがこの間あげたやつは?」

「…家にあります。」

「何で着ないんだよ〜!あれ俺っちとおそろ!」

「あんなの一二三さんじゃないと着こなせないですよ…」

「えー、まぁいっか。俺っちなまえのダサいとこも好きだし。」

どうも…と軽く1言返して歩いてると一二三さんは「あっ、本気にしてない!本気だーかーらー」とまたわいのわいの言い始めたので遮るように言ってみた。

「ご飯、行くんじゃないんですか…」

「…行く行く!いくぞ〜!」

俺の手を取って引き始めた一二三さんにびっくりしながら俺は歩いた。

いや、手…。

別に手を掴まなくてもいいのに、嬉しそうに笑う一二三さんに何も言えなくて俺はそのままにしておいた。

こうして俺の長い1日が終了した。

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