93

(宮 侑)

「誰やねん」

ノックの音に立ち上がってドアを開けるとなまえが立っていた。
「………」

俺を見上げて「話が、したい」と言う。
「話すことはない」
帰れ、となまえを遮断してドアを閉める。

はぁ、とため息をついて床に座り込んで漫画を開く。
ガチャリ
「なぁ」
ドアを開けて覗いてきたなまえに、立ち上がって押し戻す。
「か、え、れっ」

今度は鍵を閉めた。
これで諦めるだろうと床に座りこんだ時。

「話、聞けって!」

鍵を閉めたはずのドアが開いて、なまえが部屋の中に入ってきた。スリッパを脱ぎ捨ててズンズンと俺の所までやってくる。

「は?!何で入ってくんねん!」
「話が、したくて!」
「入ってくんなや!」
「俺の話を聞けよっ」
「かえ、れって」

言い終わる前になまえの手が伸びてきて俺の口を塞いだ。物理的に俺を喋らせないようにするつもりらしい。

「こん、のっ、ちょっと時間を、っつってんだろ!」
「んっ!むぅ!っ、」

力で俺に勝てるわけもなく、俺を羽交い締めにしようとするなまえを引っ剥がして床に押し付ける。
「ぎゃっ!」

お互い負けじと力を出しているため、なまえの顔がほんのり赤くなっている。

上からなまえを見下ろすと悔しそうに睨んできた。
最初から分かる勝負やろ。
久しぶりになまえに触れた。こんな時でさえ心のどこかで少し嬉しい気がする俺は重症なのかもしれない。

「くっそ…もういい。このまま聞けっ」
「嫌や。聞かん。帰れ」

帰れと口ではいうくせに、なまえの手を床に貼り付けているのは俺だ。

「っ、だからっ、ごめんって!東京に行くこと!言えてなくて!」

なまえの口から面と向かって言われたその言葉に、ショックを覚える。
本当に。本当に行ってまうんや。

手に力が入っていたのかなまえが目を細めた。

「……何で」
「……」
「何で俺に黙ってん」
「…それは…」

俺から目を逸らして横を見るなまえ。

「とりあえず…退けろよ」
「言うまで退かん」

言うことを聞かない俺になまえが小さく息を吐いた。

「……侑が、すごすぎて…」
「はぁ…?」
「侑のプロの話がすごすぎて…自分の話、あんまり…したくなかったというか…出来なかったというか…」
「なんやそれ」
「俺の進路なんて普通だし…侑と比べたら…」

自信なさげに目を逸らすなまえは、俺と自分を比べ、しょぼくれて話さなかったと言う。

そういえばフードコートで話した時、なまえに進路の話を振ると口数が少なくなったことを思い出した。

はぁ?分かりにくっ。ちゅうか、しょーもな。

何やねん、それ。そんな理由でいっちゃん大事なことを俺に言わんとか、そんなんある??ないやろ。
東京やで??ちょっと遊びに行こ、思て行ける距離やないやん。

「なんそれ。…んなしょーもないことでずっと黙っとったんか?」

「しょーもないって…!俺にはっ「東京でも、どこでも行ったらええやん」

「…っ」
「軽く思われとんのがよう分かったわ。どうせ東京行ったらすぐ忘れる程度のただのオトモダチなんやろ」

なまえの上から退けて、早く出ていけと言わんばかりに背中を向けた。床に落ちている漫画を手に取る。
背後でなまえが起き上がる気配がした。

「なんだよ…それ…」
「そういうことやろ?大して仲良くもないクラスメイトの一人やんな」
「ちが」
「違わんやろ。その程度やろ」

なまえに言葉を投げつける。口からは思ってもないことが、ポンポンと出てくる。

なまえがどんな顔をしているか、背中を向けているため分からないが傷ついてしまえばいいのに、と思う俺は性格が悪いんだろうか。

だって、それ相応のことをなまえはしでかしたわけやん。

俺の怒りと困惑とショックの分だけ、痛みを感じればいいのに。
その心臓に言葉の刃を突き立てて、滲み出た血は正当な対価だ。

「………」
静かな空気が流れた。後ろで息を吸う音が耳に入る。

「…俺は、侑のことただの友達とか…思ってない…」
「それやったら隠し事なんかせんし、何でも話しとるやろが」
「隠し事じゃない!」
「隠し事やろ!」

振り向いてなまえを睨む。なまえの目も強く俺を見ていた。

「そっちこそ…卒業したらどうせ俺のことなんかすぐ忘れるだろ。同じ部活でもないし、ただ同じ組なだけで、これから色んな人と出会って、すごくなって、どんどん遠くなって、離れていってっ」

聞いていると段々腹が立ってきた。
近づき、なまえの胸ぐらを掴んで引き寄せる。

「忘れる?!遠なる?!はぁ?!俺の将来、勝手に決めんなや!」

込み上げる苛立ちをなまえにぶつける。なまえが俺から目を逸らして眉間を寄せた。

「っ、高校でたった数年一緒だっただけの奴なんかすぐ忘れ、」

「せやから勝手に決めんな言うてんねん!!お前の、殺気立っとる顔も!エース勝たせたるて本気で走っとるとこも!忘れられるかアホ!!」

掴む手に力が入る。

「数年で終わるような関係やと思ってんのはお前の方やろ?!東京行きも言わんし、ただのオトモダチやと、」
「っ、ただの友達じゃねえから言えなかったんだよ!」

なまえが俺の胸ぐらを両手で掴んだ。

「好きなもん極めようと前に進んでるお前らがいて、皆が順調に進んでる中、悩んで、流されて、これでよかったのかって不安で…っ考え込んだ俺の気持ちなんて分かるわけないだろ!」

「ほんなら言えや!俺に話せや!」

吠えるように互いに睨み合う。

「お前が一番近いからっ!お前みたいに、同じように前向いて進めるようになりたいから!前向けるようになれたら言おうって思ってたんだよ!!」

唇を噛みしめているなまえが俺の服から手を離した。俺も手を下ろして俯くなまえを見る。

「俺はまだ何が正解か、何を選んだら良かったのか、何をしたいか分かってないのに…皆はどんどん先に決まって進んでいくし…」

なまえは苦しそうに顔を歪め呟いた。

「…意味わからん」
「は、」
「正解なんてあるんか?」
「……」
「何したいとか、今絶対、決めなあかんことか?誰のもんでもない、自分の人生ん中でいつ決めたって自分の勝手ちゃうん」

何が正解、とか、決めなきゃ、とか理解でけへん。自分の人生、自由に生きたもん勝ちやん。
他の誰かから何か言われるんか?
文句言われる筋合いないやろ?

「…そんな簡単なことじゃないだろ。将来のことなんだぞ…」

「今選択したことで、この先の人生、絶対決まるんか?自分次第でいつでも変えれるんが自分の人生やないんか」

「………」
なまえは俺をちらりと見たあと床に視線を落とした。

「俺は、俺の手で自分の人生切り開いて行くんや」

自分の手のひらを見つめる。
数え切れないほど触れたボールの感触は常にこの手にある。

「俺の、この手で怪物共、全部手玉に取って遊んだんねん。曲者使いまくって、コートん中で盛大に暴れたんねん」

開いていた手を握りしめるとなまえが今度は目をそらさず俺を見ていた。

「……っそういうとこが本当…っ」

「なんや、文句あるんか」

「…前に居すぎて、追いつけないんだよ…っ」

悔しそうな顔をするなまえを見て、こいつは何を言うてんねや、と心の中で首を傾げた。

「ここにおるやろが。お前の、横に」

「…そういう意味じゃないっ。お前のことすごいって思ってるし、プロから話があるぐらい実際すごいから、遠くに感じて…言えなくて…」

「…すごいやろって言うたけど、別にすごいとか思てへんし。プロ入りも俺にとってはただの通過点や。強い奴らが集まるコートで試合するための入口や」

せやから、すごいすごくないとか関係あらへんし、勝手に距離取んな。 と言うとなまえは口を閉じた。

「俺は怒ってんねや。勝手に距離取って、俺にはなんも言わずに他の奴には話しとって、」

「…それは、悪かったって思ってる」

なまえの言い分は聞いたがやっぱり釈然としなかった。
はい、そうですかじゃあ許します。なんて虫のいい話じゃないか?

俺がまだ納得いかない雰囲気を醸し出しているとなまえがちらと見上げた何か言いたそうな顔をしていた。

「なんや。言いたいことあんなら言えや」

言いにくそうな顔をしていると尚更、神経を逆撫でされたように感じる。
目を細める俺になまえは床に視線を落としたまま小さく口を開いた。

「…もう俺の事…嫌いに、なった…?」

寂しそうに言うなまえにぐっと、拳を握った。


はぁぁ?嫌いになった??
こいつ何なん、ほんま。アホなん。
嫌いやったらそもそもキレとらんし。嫌いやないから、こんなことになっとんやろが。

嫌いやないわ、むしろ好きやっちゅーの!!
このアホ!!どアホ!!!


何だかムカついてきた。俺がどんだけ怒ってもこいつの言葉一つで、ころころと変わる自分の感情が憎たらしい。さっきまで怒りの感情でいっぱいだったのに今は言葉にならない焦れったい思いが胸を占める。
なまえは俺をこんなにもキレさせてくれたわけだ。

少しくらい意地悪しても許されるよな?

「なった」
「……っ、」

俺の言葉に突き刺されたように悲しそうな顔をするなまえ。その顔を見てぞくぞくと快感が背中を這ってきた。我ながら、これこそ人でなしか、と自覚した。

う、わぁ
その顔はあかんわ…こいつ自分が今どんな顔しとるか分かっとんのやろか。

泣きそうな顔。どないしよ、そのまま泣かせてみたい。でも、これ以上押したら多分、あかんかも。

子供みたいな好奇心と戦いながら理性が勝ってすぐに否定した。

「嘘や」
「………」
「嘘やって」
「………」

なまえの顔がじとりと睨むような目で俺を見てきた。

「サイテー。この人でなし。傷ついた俺の心を返せ。まだズキズキする」
「は?俺の方が被害者なんやけど」
「…じゃあこれでおあいこだろ」

「いや、俺の方が痛みは大きいわ。こっちは親友以上なんに隠し事されて、挙句の果てには卒業後すぐ忘れる存在とか言われるし何なん。ふざけとるやろ」

「おい。勝手に話盛るなよ、所々違うし」

唇を尖らせるなまえ。

「…お前が俺のこと忘れても、俺はいつか高校時代の友達Bとして取材されたら『宮侑の一番仲良い友達は僕でした』って言ってやるからな。『朝練付き合ってたし、同じ寮だったし、僕の一番の親友です』って言いふらしてやる」

忘れるわけないやんなまえのどアホ。

一番の、という言葉に怒りとショックで空いた心の穴が満たされる気がする。
『一番』
一番じゃなきゃ意味がない。この先もずっとなまえの中で一番じゃなきゃ嫌だ。
遠くに行って、俺よりも仲が良い奴が出てきたら嫌だ。俺の知らないところで笑って泣いて過ごすなんて嫌だ。

誰かの隣におるなまえなんて嫌や。

「…東京行ったら、ずっとあっちで暮らすんか」

「…分かんねえよ。侑が言ったみたいにいつでも人生変えられるなら、将来関西で働くかもしれないし、九州かも、北海道かも、東北かもしれないし、海外かも、宇宙まで行くかもしれないだろ」

「宇宙て。スケールデカすぎやんけ」

「でも、これだけは言える。卒業して東京引っ越しても、お前と縁切るつもりないし、試合だって来んなっつっても見に行ってやる」

俺やって縁切るつもりないし。
関西に戻ってくる可能性もあると聞いて、数年なら我慢できるかな、なんて考え始める。
遠距離か…。
なら、尚更早く俺のもんにせんとあかんよな。

「試合見に来(く)んなら俺のファンっちゅうことよな」
「まぁ…そうなんのかな」
「縁切るつもりないて、一生付き合うてく仲になりたいっちゅうことよな」
「ん?まぁ?…うん」

「それはもう告白よな?」
「……いや、違います。変な方向に解釈しないでください」
「一生とか、告白通り越してプロボーズやんな?」
「違います。誘導尋問やめてください」
「………」

駄目?あかんか。

内心、勢いのまま『うん』と言えばいいのに、と舌打ちをする。
俺となまえの間には先程までの口論で出来た殺伐とした空気はなく、いつもの調子に戻っていた。

「…ゲームやるか?」
「…やる」

2人で床に並んで座り込んで家庭用ゲーム機のコントローラー持つ。

キャラクターを操作している画面を見たまま、横に座るなまえに投げかけた。

「誰に最初に言うたんや」
「何を」
「東京行き」

なまえの沈黙に横目で見る。

「……言ったら怒るから言わない」
「……怒らんて。ええから言うてみ」

嫌そうな顔をした後、小さな声で 治… と呟いた。

「…………」
「ほら、顔がキレてんじゃん!」
「何でサムに言えて俺に言えんのや!」
「なあ、怒らないって言ったよな?さっき言ったよな?!だから言ったんだけど?!」
「それとこれと話はちゃうわ!」
「何も違わんけど?!あっ、ボス来た!来たから!」
「こんのっ!」


***

(宮 治)

部屋を出てから時間が経ち、そろそろケリはついたかと戻ってきて、ドアを開けた。

「…なんやねん、お前ら」

視界に入ったのは床に寝そべっている2人。

まるでダイイングメッセージを残した屍のように仰向けになってコントローラー片手に目を瞑っているなまえ。

その腹の上に頭を載せて横になって寝ている侑。

なまえの顔は若干歪んでいて侑の重さに夢見は悪そうだ。

「何をしたら、んな状態で床で寝るんや…」

喧嘩疲れか、固い床の上で眠る兄弟と友達を前に呆れてしまう。
自分もゲームしながら寝落ちすることはよくあるので人のことは言えないが。

2人でゲームをしていた所からすると、話は落ち着いたんだろう。
侑が相当キレていた時点で面倒くさい喧嘩だったなと思う。

ここまでキレ散らかすほどに、こいつは本気なんやろうか。

なまえに少し同情する。

自分が絶対欲しいもんは壊れてでも奪おうとするツムや。漫画でも何でも俺と取り合いになった時も本が破れても離さんかった。(たんびにおかんに叱られたけど。)

絶対に手に入れたいもんには容赦ない。
執念の塊のような男に好かれてしまうとろくな事にはならないだろうに。

「おい、起きろ」
侑の尻を足で蹴って起こす。

「なまえ、起きや〜部屋戻らな」
なまえの肩を揺する。

むにゃむにゃと目を擦る2人を起こしながら、友達としてなまえの行く末を見届けようと思った。

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