稲荷崎祭前日の休み時間。
校内はいつもの雰囲気とは違い、至る所でイベントの飾り付けが目立ち、非日常的な光景だ。
教室の後ろに積み上げられた資材を取ろうとしている同じ組の女子が目に入り、席を立った。
背伸びして手を伸ばす姿に「取ろうか?」と声をかける。
「みょうじ…」
俺を見た後、視線を俺の後方にちらりと移した女子に「いや、大丈夫〜」と断られた。
まぁ大丈夫ならいいか、と撤退しようとしたところ、「なに?どれ取るん」と侑の声が頭上から降ってきた。
侑が俺を見下ろして聞いてきたが、資材を取りたいのは俺じゃなくて目の前の女子だ。
「俺じゃない。△△さん」
「宮くんごめん〜っ…お願いしていい?」
「ええよ」
急に声高に上目遣いで侑を見る女子に、えっ、さっきと全然違うじゃねえか…と衝撃を受ける。
侑が手を伸ばして準備に必要な資材を取り、女子に渡してあげた。
「ありがとう宮くんっ」
にこりと笑う女子を目の前で見てしまい、あぁそうですか、はい…と悟りを開く。
俺と侑に対する温度差が激しすぎやしませんか…。分かるけど!分かるけどさ!
温度差で風邪をひきそうだ。
「くそぅ…ここで登場すんなよ…」
「困っとるなぁ思て、来てやったんやろ、感謝せえ」
「いらない。宮侑は必要ない」
「は??」
「うっ!やめっ!」
プロレス技をかけようとする侑に抵抗しながら席に戻り、隣に座る角名に話しかけた。
「なあ、角名ぁ。宮侑スペック盛りすぎ問題って知ってる?盛りすぎだから神様は一番大事なところを欠如させたんだよ。それが人でなし、ジャイアンの所以…」
「いきなり何、笑う」
鼻で笑う角名にそう思わないか?と同意を求めると付け足してきた。
「あとバレーしてる時はマイナス5歳ね。治が言ってた」
「ウケる、想像できるわ」
「は?お前ら俺を貶しとんのか?アホ、ボケナス」
「角名やっぱ違うわ、バレー以外でもマイナス5歳だろ」
「確かに」
2人でいじると侑は後ろを向いて座り、ガルルと吠えている。
そんな侑を見て角名と二人で笑う。
楽しい。高校生活、楽しんでる実感がある。仲の良い友達とバカなことして笑い合って、最高だ。
それに…侑のことが『好き』と気づいてからは、むしろ楽になった。
侑が女子と仲良くしていても、ズキズキと胸が痛むのは好きだから、仕方のないことだと流せる。
「明日の分担、ちゃんと時間合わせとるよな?俺、ステージの時間こっから、ここまでやねん」
「へいへい。休憩時間合わせてますよあちゅむくん」
係のシフト表を手にして、じと目で見てきた。
この距離感が一番良い。『好き』な気持ちに蓋をして友達として隣にいるのが一番心地良い。
俺はそれで満足だ。贅沢は言わない。気持ちに折り合いをつけて一番最適な方法で侑の隣にいる選択をしたんだ。
「俺が合わせろ、て言わんかったら茶川と回ろうとしとったくせに」
「先週の話まだ言ってんのかよっ。てか女子から『侑くん一緒に回ろぉ〜』って誘われてたじゃん」
実は先週、俺が休憩時間は茶川達と回ろうとしていた事を知り、侑は随分とご立腹だったのだ。
普通、女子から誘われているのを聞いたら、茶川達と回る方を選択するだろ、と内心抗議する。
「せやから全部断ったんやろが…。誰のためや思ってんねん」
辛うじて聞き取れる程の小声でボソボソと呟き頬杖をついて目を細める侑。『俺のため』なんて自惚れた考えをしては言いようのない優越感を味わう。
口元が緩みそうになるのを、必死で引き締めた。
「別に俺は茶川達と回ってもよかったんだけど。誰かさんが一緒に回りたいって言うからさぁ…」
笑いを堪えて侑の目を見返すと無言の睨みが返ってきた。
うわ、怒ってる怒ってる。
ホラーゲームやホラー映画が好きなのもあってか、怖いもの見たさな気持ちがなくもない俺は、最近侑がキレないギリギリのラインを攻めるという遊びにハマっている。
言うなれば噛みつかれそうなライオンの前に度胸試しで躍り出て、襲われる前に逃げる、という遊びだ。
「だから仕方なぁく合わせてあげたんだけどな?」
わざわざ
おそらく悔しそうな顔で拗ねて「うっさい、黙れ」とか言ってくるんだろうなあと想像する。
侑のそんな顔が見てみたくて。
ここまで来れば口角が上がるのを止めはしなかった。
侑の苛立ったような目が見下ろしてきた。
「は?シバくぞ?」
……あれ、ちょっと予想と違う反応。
もしかしてマズった…?
「…なぁ自分に選択肢があると思っとん?」
侑の手が動き始めた。
あ、マズったわ。これは早く逃げないとヤバいやつ。
「俺、6組に用事思い出したわー…行ってこよ、」
「待てや」
掴まれた腕。それはもうガッチリと。逃げられると思うなよ、という力強さで。
「何何、怖いよ侑くん」
「選択肢なんてもんは最初から、無いねんで?」
にこりと笑う侑に口元が引き攣る。
「お、俺にもありますけどぉ?基本的人権の、」
「ないんやて。なぁなまえクン、ちょっと連れションしよか?」
「遠慮しますぅ…」
連れションとか言って廊下に出た瞬間、組み技をかけられるのが目に見えている。
俺の腕を引っ張って来る侑に首を振って抵抗する。
「角名ぁっ、助けろ!」
携帯片手の角名は「どうせなまえの自業自得っしょ?」と聞く耳持たず、だ。
「うぁっ、まじで!こんの馬鹿力っ!」
「観念せぇっ」
侑の手に抵抗しながら、椅子の上で廊下側の壁に追いやられていると開いている窓から声が降ってきた。
「いじめたらアカンよ〜、宮くん」
見上げると佐倉さんが笑いながら俺と侑を見下ろしている。
「佐倉さぁん…っ」
何とも情けない俺の声。
「いじめちゃうわっ、こいつが煽ってきたんや!」
「ふふっ、ジャイアンとのび太くんみたいやなぁ」
くすくすと笑う佐倉さんは「みょうじくん、頑張って」と言い残して廊下を歩いて行った。
「スナえもん〜!助けてぇぇっ、侑がっ!重たい!」
「変な名前で呼ぶな」
侑に力技で抑え込まれようとしている俺を面白そうに携帯で撮る角名に恨みの眼差しを向けてやる。
侑みたいに物理的に絡んでくる奴なんて俺は経験がないのだ。
小学校も中学校も、クラスの陽キャ男子は皆騒ぎながら教室の後ろで組み合って力勝負したり、廊下で騒いで遊んだりしていたが俺はそんな世界には一歩も入ったことがない。教室の中、席に座って静かにしていただけだ。話しかけられればニコニコして愛想良くするし、陽キャ男子達とは距離を置いていたのに。
それがどうだ。今では、自分がこんなに力を振り絞って必死で抵抗しているなんて。
「くっそ…っ、」
「はよ降参した方がええよ?」
侑とは、体格的にも力の強さも差もある。抵抗しても負けると分かってはいるが、だからと言って手放しに自分の急所を解放する気にはなれない。
「謝るから!離したら謝る!」
「謝っても許さへんて。一回痛い目、見させな気ぃ済まん」
「バイオレンス!スナえもん〜〜っ!!ジャイアンがいじめてくる!!」
「一回諦めて泣いとけば?」
泣き顔見せとけば満足するよ、なんて携帯の画面しか見ていない角名は視線も寄越さず他人事のように言う。
「ぐ、ぅあっ!!」
悲しきかな抵抗も虚しく、脇腹を鷲掴みにされた。
「ふっふ、仇とったり〜」
「もう、チャイムなるだろ!離せっ」
「ほなチャイムなる前に一回泣いとけ」
「〜〜っ!」
侑の指が脇腹を這い、肩が揺れる。
横っ腹を強く握られた瞬間、声が出ないように耐え抜いて侑の指から解放されるのを待つ。
息を止めて耐えた結果、頬が熱を持ち、じわりとまぶたの裏が潤った。
涙目になっていませんようにと祈りながら乱れた制服を整える。チャイムがなって教科担当の教師が教室に入ってきた。
「はぁっ、やっと解放された…」
天を仰ぐ俺にニヤリと笑ってくる侑。
何回かは上手くいって悔しそうな侑を見られたのに、今日のリスキーな侑くん煽りは失敗したな、と反省した。
***
一日が終わり、男子寮のレクルームでテレビを見ながら課題をしているとノートと筆記用具を持った侑が入ってきた。
テーブルの上に『宮侑』と書かれたキャンパスノートを置いた。
一人部屋と二人部屋で階が違うため、侑達の階のレクルームはまた違う場所にある。わざわざ俺の階のレクルームに集まったのは理由がある。
テレビが見たい、でも課題をしないといけない、それならテレビ見ながら課題すればいいんじゃね?という不真面目な発想で今に至るのだ。
ただ、案の定テレビを見ながらなんて進むわけもなく、進んでもCMの合間くらいで課題は全然捗らない。
『衝撃映像〇〇百選』という刺激的な番組に二人とも目を奪われてしまい、ただシャーペンを持ってノートを開いているだけに過ぎなかった。
「うわ、今の映像やば。この高さから落ちるの、こっわ」
「奇跡やん…」
「うわっ!ホラーきた!ホラー!これ絶対カメラの前に幽霊出てくるパターン!」
「………」
「おい、侑、目閉じんなって!見ろ!開けろ!ほら、ほらほら!来るぞ!」
「うるさいっ、目ぇこじ開けてくんなっ!」
「うわぁ…癒し系動物は可愛すぎるぅ。もふもふじゃん」
「もふもふやけど、デカすぎやろ。あんなん家じゃ飼えへんで」
「あ、もふもふと言えばうちのチロルもすごいぞ」
携帯のカメラロールを開いて夏に帰省した時のチロルの写真を侑に見せた。
「この時な、チロルが俺にめちゃくちゃ甘えてきてすごい愛くるしかった。あの甘え方はもう確信犯だわ。狙ってやってきてる。あざとい」
「どんなんやねん」
口で説明しても伝わらないチロルの可愛さ。
どうしたら伝わるのかと思い、そうだ再現しようと閃いた。
「だからぁ、ちょっと侑、」
座っている椅子を引いて前に膝上にスペースを作る。
隣に座る侑の肩をぐい、と引っ張って体を倒させた。
「こう、俺の太もものうえにごろん、って」
いわゆる膝枕みたいな状態にさせる。
侑の体格だとチロルよりもずっしりと重みを感じた。
「なん、っ、」
俺の膝の上で侑が見上げてくる。風呂上がり後の柔らかな前髪が重力に従い下に流れて、形の良い額が見えている。
「そう、この状態!俺がソファでこうやって片手で携帯見てたら、チロルがこんな感じで膝の上に体乗せてきてさぁ、可愛くね?!」
きゅん、って来るだろ?
だから、こうして…
「チロル〜〜っ!遊びたいのか!ってもふもふして、」
前かがみになってチロルを抱きしめる時みたいに侑の頭を撫でてやった。
「ちょっ、何すんっ」
俺の下で侑が変な声出しているのが笑えた。
要するにチロル大正義なわけだ!と手を離して侑を見下ろした。
「……っ」
「侑、おま、…なに」
そこには頬を赤くして耳まで真っ赤な侑がいて、びっくりした。
「見、ん、なっ!」
そう吠えて俺のTシャツの裾を掴み、自分の顔を隠した。
いや、俺のTシャツ伸びまくってるんですけど。
そんなことより、何だよその照れた顔は…。何で、赤くなってんだよ。
急な侑の照れに俺の心臓もドクドクと速くなる。さっきの照れた顔を思い出して口元が緩みそうになった。
「あ、つむくん。俺のTシャツ、伸びてんだけど。離して…」
「無理」
「………」
どうしたものか。流れるテレビの内容なんてBGMと化しているし、課題はそっちのけ。
Tシャツを引っ張られたままの俺は為す術なく、下を見下ろしているとレクルームに治と角名が入ってきた。手には同じようにノートと筆記用具。
「進んだぁ?…ちゅうか何や、その体勢」
「これ?チロルの可愛さを再現しようとしたら侑がこんなことになった」
「いや、意味わからん。ツム、なまえのTシャツの匂いでも嗅いでんのか?」
「ちゃうわっ!」
ガバッと起き上がった侑が治に向かって言い返した。
「なまえのTシャツなんか汗臭いわっ!」
「はぁぁっ?!これ風呂上がりに着たやつだからな!?」
汗臭いとは心外だ。ちゃんと洗濯してるし、と言いつつ心配になって自分でTシャツに鼻を当ててみた。
うん、大丈夫。
「おい、人の事、臭いとか言って風評被害も甚だしい!」
「うっさい、これから課題やんねん、もう喋んな」
「はぁっ?!」
「お前ら全員黙れよ。集中して片付けんねん。明日は文化祭や。はよやって、はよ寝る!今から声出した奴、罰ゲームな!」
さっきまでの照れを拭うかのように、いきなり音頭を取り始めた侑に角名と目を合わせて肩をすくめる。
ただ…声を出すな、と言われて出さない奴がいるだろうか。俺と角名は良い。だが双子は別だ。
イタズラをして誰かに声を出させようと企むのは軽く予想できる。
目を合わせて笑う双子を横目に、どうか俺がターゲットになりませんように、と祈るばかりであった。