木枯らしが吹く季節。
稲荷崎祭という大きなイベントが終わり、11月に入ると3年生は各々の進路に向けて動きが変わってくる。
茶川が大学受験の勉強で忙しそうにしている中、同じ進路に進む三分と俺は後輩の朝練に一緒に参加したり、2人で山に登ったり距離を走り込んだりと走力を落とさないように維持している。
もちろん遊びの方も三分と夜中まで通話しながらゲームをしたりと、悠々自適な高校生活を送っていた。
そして今日は後輩達の朝練に参加する日であり、朝早くから出発する支度をしていた。
外はまだ薄暗く、日に日に夜明けの時間が遅くなってくる。
黒色のアームカバーに練習用のサイクルジャージ姿で黒リュックを背に部屋を出る。
階段を降りて食堂に寄り、調理場にいる寮母さんに声をかけ、昼の弁当と朝ごはんのおにぎりの詰め合わせを手に取った。
「おはようございます!!いただきます!」
「あっみょうじくん、おはようさん!」
俺のサイクルジャージ姿を見た寮母さんに「まだ暗いし気ぃつけてなぁ」と声をかけられた。
「せや、今朝は宮兄弟も角名くんもなぁ、3人ともバスに遅れる言うて、バタバタして出て行ってん。お弁当、持っていっとらんのよ」
「え、そうなんですか?じゃあ俺、渡しますよ」
「ほんま?助かるわぁ」
昼の弁当も3人分を持つとずっしりと重い。
朝ご飯のおにぎりも持って行ってないのだろう。
おそらく食堂に寄る余裕が無いほどに急いでいたのか。
腹が減っては戦はできぬ。角名はともかく、空腹で死にそうな双子が頭に浮かんだ。
「侑達が出ていったのって結構前ですか?」
「うーん、5分くらい前やろか」
5分前か…追いつけるかな。
「朝の分も渡します!」
「間に合うか?!よろしくな!」
リュックの中に詰め込んで急いで玄関に向かった。在寮掲示板の名札を裏返して足早に外に出る。
ヘルメットを装着し、ロードバイクに跨った。
11月は全国で春高バレーの予選が始まるそうで、侑達はより練習に励んでいた。『俺らはシード校やし、』と言いながらも負けん気の強い親友達は変わらずバレー漬けの毎日を送っている。
戦うアイツらの血肉となる大事な朝飯、送り届けてやろう。
「ブレーキ、よし…」
まるでアン/パン/マンに顔を送り届けるバタ/子さんの気分になりながら、バス停で待つ3人を想像して地面を蹴った。
***
自転車、それも速さを追及したロードバイクであれば距離を進むのにさほど時間はかからない。
視界の先に男子寮最寄りのバス停が見えてきた。が、バスはちょうどバス停を出発したところだった。
あのバスに3人が乗っているはず。
「…っ、間に合わなかったか!」
バス停で脚を停めて携帯を取り出す。
双子達が乗ったバスが学校のバス停に着くまで約20分。
三分にメッセージを送った。
〘今日の朝練、ちょっと寄る所できたから途中合流するわ。それかコース途中で見かけなかったらスルーして。〙
〘了解〜〙
三分の返事を見て携帯をリュックの中に入れる。
「ショートカットするか…」
学校近くのバス停まで一番近距離かつ信号が少ないルートを頭の中で組み立てる。
ストップアンドゴーがない区間ならスピードに乗れば早い。
「よし、」
朝練参加前にひとっ走りするか、と気合いを入れてペダルを踏み込んだ。
加速してスピードがのると慣性の法則が働き、ペダルが軽くなる。
このタイミングで右手の指でシフトレバーを押し込む。カチャン、と金属音とチェーンがスプロケットを異動する音が耳に入った。
好きな音だ。チェーンの回転音と風を切る感覚。
空はだんだんと明るくなってきている。日の出の太陽が顔を出すまであと少し。
ギアチェンジして、目的のバス停まで突っ走った。
***
予想していた時間通り、学校のバス停が見えてきたところにバスが停車した。
バスから降りてくる3人が視界に入り、遠くから声を張り上げた。
気づくとしたら…「治ー!!朝飯ーー!!」
耳に入ったのか治が頭を勢いよく上げて、こちらを向いた。
予想通り、飯のことなら一番反応が良さそうな治に声をかけて正解だった。
手を上げると3人とも足を止めた。
歩道で立ち止まる3人に追いついてロードバイクのブレーキをかける。停車して黒リュックを開け、弁当を見せた。
「朝飯、持ってきたぞ。持ってってなかったんだろ?」
「っ!?朝飯やぁ〜〜!!」
眉間に皺を寄せて、この世の全てを恨んでいるような顔をしていた治の顔が、ぱあっと明るくなった。
手渡すと同時に、ラップを開いてもぐもぐとおにぎりを頬張っている。そんな治を見て笑いが込み上げる。
「バタ子さんや…俺らのために新しい顔持ってきてくれたバタ子さんやわ…なまえ、助かったで。バスん中でサムがキレ散らかしとってん。もうな、動物園やわ興奮状態のゴリラが1頭おった」
「あ??誰がゴリラや、クソツムが。お前が起きんのが悪いやろ。お前、目覚まし役やったやんけ!」
「はぁ??目覚まし切ったんはお前やろが!目覚ましならんかったら起きんもんは起きんわ!俺のせいにすんなや!」
治がハムスターみたいに頬を膨らまし、咀嚼しながら侑を睨んだ。そんなやり取りをしている双子を横目に角名に弁当を手渡す。
「なまえさんきゅ。あいつらバスの中でずっとどっちが悪いか喧嘩してた」
「角名も起きるの遅かったのか?」
「ん…。起きたら『あ、やば…』みたいな。バス停に間にあうかどうかのレベルだった」
「ウケる、んで3人ともご飯を犠牲にしたわけか」
「なまえ、お前は神や。俺は今度から米の神として崇めたる。俺は今おにぎりが食えてほんまに嬉しいっ幸せやっ」
治が肩をガシリと掴んできた。すでに、おにぎり2つ目に突入している治に噴き出した。
「ははっ米の神は北さんだろ、じゃ朝練ファイトな!」
3人分の昼の弁当と朝のおにぎりを出して軽くなったリュックを背負う。
おにぎりを頬張る3人に手を振って、三分達との合流地点に急いだ。
***
朝練を終え、部室で着替えた後、三分と二人でロードバイク談義に花を咲かせながら、教室に向かっていた。
「やっぱジュニアギアから変えたら、ケイデンスとかペダルの重さ、違うなぁ」
「スプリントだと尚更感じるだろうなー。今度からは大人ギアで走れるからもっと速くなれるんじゃね?」
「まぁ今までとはまた違う走りが出来るのは楽しみっちゃ楽しみやな。慣れもあるやろうけど」
「俺も。まだ完全に慣れたとはいえないけどさぁ。あ、今度の〇〇山のヒルクライム出る?」
「みょうじ…俺がヒルクライム出ると思うか?この体で!どう見ても山登れる体やないわ!」
「ははっ、でも練習になるじゃん。△△工業の3年も出るらしいぞ。あの登り強い奴」
「うっわー、まじかいな」
「でも卒業後社会人チームでレース出るんなら、いずれ当たるじゃん。もしかしたら同じチームになるかもしれんぞ?!」
「その可能性…なくはないねん。この間、〇〇チームの練習に行ったら、そいつ来ててん」
「まじかっ、工業ってことは就職組多いし、レースでポイント稼いで、そのまま実業団チーム入って…ってなりそうだな」
ロードレースでは実力があり、実業団チームのトライアウトを受け加入すれば登録選手として実業団レースを走ることが出来る。
実際に大学に行った先輩達が学連ロードレースに参加する一方で、社会人や学連登録していない先輩は実業団に所属して社会生活を送りながらレースに励んでいる人も多くいる。
どんな環境でも皆、ロードレースが好きで汗にまみれて苦しみを味わいながら先頭を勝ち獲りたいと目指しているのだ。
「部活終わったのに相変わらず苦しんでもがくのって本当にドMだよな…」
「みょうじ、それ特大ブーメランやで」
「もう終わったんだし、サボっても練習しなくても何も言われないのに、わざわざ苦しみに行くの脳の回路おかしいよな」
「俺ら頭おかしいな」
二人で自虐しながら、笑い合う。
廊下を歩いていると視界の先に金髪頭が見えた。
侑が壁に背を預けて立っている。話している相手は女バレキャプテン。
手足の長いスタイルに、侑が話す度に笑っている。お似合いな2人にズキンと胸の当たりが痛むが、気づかないふりをした。
隣の三分との会話に集中して、無理やり笑う。
俺はあの二人を見たって何とも思ってないんだ、と言い聞かせるように口を横に開いて笑顔を作る。
三分との笑い声に侑がこちらを見たような気がしたがすぐに目を逸らして三分の教室に入った。
***
教室に入ると角名が机に伏せていた。
多分、朝練後の睡眠だろう。
晒されたうなじに少しイタズラ心が湧く。
隣の席で伏せる角名の白い首筋をこしょりとくすぐってやると、びくりと肩を震わせた。
顔を上げる前に咄嗟に腕を引っ込め、何食わぬ顔でリュックを机の上に置く。
リュックにつけているバレーボールキャラクターのキーホルダーが揺れた。
ゆっくりと顔を上げた角名が横に座る俺を見てきた。
「?倫太郎くん、おはよ」
何かありました?と不思議そうな顔をしてやると角名が目を細めて俺を見てきた。
「………」
「朝からそんな熱い視線を送らないでよ、倫太郎くん。なに?」
俺の言葉にイラッとしたのか角名の手が横から伸びてきた。
「ぎゃ、なになになに!倫太郎怖い!」
こういう時、腕が長いってずるいよな!簡単にリーチ取られちゃうよ!
角名が右腕を伸ばして俺の首を触ろうとしてくる。
「やめっ、ひゃっ!くすぐったっ」
「お返し」
「俺そんなに強くやってなっ!」
「何してんねん」
侑が席に戻ってきた。女バレキャプテンとの会話は終わったんだろうか。
「角名がいじめてくるぅ」
「は?なまえが先にしてきたんじゃん」
「助けてジャイアン〜。角名えモンがいじめてくるー」
「ばーか、」と言ってきた角名に茶化した目線を送っていると、侑が俺の頬を手で挟んできた。
「何だよ、」
「ブッサ〜、あかんわっ腹痛い」
人の顔を崩しておいてケラケラ笑う侑の気が知れない。
「あ?お前もやってやろうか?ちょっとツラ貸せ」
手を伸ばすも侑がひょいと顔を背ける。どう考えても腕の長さが違う時点で俺の手は侑の頬に届かない。
「なまえの腕の長さじゃ一生、届かへんて」
歯を見せて笑う侑の酷い言いよう。人でなしめ、と諦めてされるがままにしておく。
角名はもう一度寝るのか机に伏せていた。
侑が後ろ向きに座って頬杖をついた。
「なあ、さっき三分と何話しとったん」
俺と三分が話していたの、気づいていたのか。
「ロードバイクの話。今度ヒルクライムあるから出るか〜、とか自転車の部品の話とか、」
「ふうん」
きっと何のことか侑には分からないだろう。俺だってバレーをしていないから詳しいことまでは分からない。トスの位置とか、高さとか。
でも、女バレキャプテンの子なら侑の話だって理解できるし、バレーの話も経験者同士話せるだろう。
彼女は俺には知らないことを知っている。侑の話したいことを100%理解してあげられる。
自分との差を痛感して、またズキズキと痛みが走った。
(侑は?侑は女バレキャプテンと何の話してた?)
聞きたかった。気になった。それでも、喉から出そうになった言葉を飲み込んだ。
聞いたところで、もっと痛みが増すだけだ。
「分かんないだろ、ロードバイクってマイナーだし。あ、先生来た来た。前向けっ」
侑を無理やり前に向き直させて、その広い背中を見つめる。
侑と俺。男と男。『好き』だけじゃ埋められない溝。
この想いが実るなんて、どう考えたって無理がある。
担任の諸連絡をBGMに、目を伏せて胸の痛みが治まるのを待った。
***
一日を終えて、男子寮の自室で三分と通話をしながらゲームをしていた。
『あ、右から敵きたで』
「っぶね〜、」
『ヘルプヘルプ!』
「あ、待って俺もやばいかも」
ガチ勢の三分と一緒にマルチ対戦式の新しいゲームをしていると部屋のドアがノックされた。
「開いてるー!」
多分侑が来たんだろう、と考え手が離せない代わりに声を張り上げた。
『おま!みょうじっ!大きい!』
「あ、ごめんごめん」
部屋のドアを開けたのは侑ではなく角名だった。
「ご飯、降りるけど」
「りょうかーい、三分、俺ご飯行ってくるわ。離脱!」
『わかったぁ』
部屋を出て、角名と一緒に階段を降りる。
「さっき新しいやつ?」
「うん、三分と今やってる」
ゲームの話をしながら食堂に向かう。
「あ、今侑と治、喧嘩中だから」
「はぁ?何で?」
「今日、練習で侑の調子が悪くて、言い合いになった」
「ああ…」
何となく想像が出来る。食堂に入ると、テーブルの一角が重苦しい空気になっていて険悪な状況を察知した。
おいおい、周りの1,2年顔が強ばってんじゃねえか…。
角名と一緒に晩御飯の餃子定食をトレーに載せて双子に近づいた。
「いや、席一つ開けて座ってんのウケるわ」
「何この距離」
︎
┈┈┈┈┈┈┈ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎
︎︎〇〇●治
侑●〇〇
┈┈┈┈┈┈┈
席を一つ開けたうえで、さらに斜めになるように座っている双子。できるだけ距離を取りたいのか、近くに座りたいのかよく分からない距離感だ。
「なあ角名、どうやって座る?俺らも離れて座るか?」
「ふっ、それは笑う」
険悪な双子を余所に2人でどう座るか餃子定食を手に話し合う。A案、B案を出してみた。
A案┈┈┈┈┈
俺■〇●治
侑●〇■角名
┈┈┈┈┈┈┈
B案┈┈┈┈┈┈
〇〇〇●■ 治、角名
■●〇〇〇 俺、侑
┈┈┈┈┈┈┈┈
「角名、どうする?B案行くか?」
「笑わすなって。俺らが一番離れるじゃん、一緒に食べる意味」
結局は侑と治の間に入り込む形になった。治の隣に角名、俺は侑の隣に座った。
┈┈┈┈┈┈┈ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎
︎︎〇■●治
侑●■〇
┈┈┈┈┈┈┈
「いただきまーす」
人でも殺してきたんか、という顔をしている侑を余所に手を合わせて餃子を口に入れた。美味しい。
過去の俺ならこんな状態の宮兄弟を見かけたら食堂にすら足を踏み入れなかったのに、今では隣に居ても気にならないレベルになっていることに自身の成長?を感じている。
「美味しいな今日の餃子」
「ん、」
角名と会話していると治がブツブツ言っているのが聞こえてきた。
「普段人のことポンコツ扱いしといて、なぁにが調子乗らんわ〜、やねん。お前こそポンコツやろが」
ああ、また治が燃料投下し始めた。
隣の侑が箸を強く握る様子が視界に入り、耐えろ侑と心の中で宥める。
「あ??クソサム何か言うたか?言いたいことあんならデカイ声で言えや!」
あ、無理でした。
侑くんには抑えるということがまだ無理なようです。とくに治に対しては。
隣で吠える侑に治が睨みをきかせてきた。
「…まぁまぁ、食堂だし皆、空気が凍ってるからさぁ」
「お前の方がポンコツやねん!ろくに打てんトス上げてきて調子乗っとんか?あ?遊びか?」
「……お、まえ…っ」
「はい!!はい!ストップ!!!」
物理的に双子の喧嘩の合間にいる角名は何食わぬ顔でパクパクとご飯を食べている。
俺は君たち、もうやめなさいと両手を双方に向けて制するが侑がブチギレ寸前だ。
立ち上がって治のところに行きそうな侑のTシャツを握って「ステイ」と声をかける。
「二人とも続きは部屋に帰ってからやれ。今はダメだ」
俺も餃子が食べたい、食べさせてくれ。と謎の懇願をして2人を接触させないようにした。
結局ムスッとした双子はそのままの状態でご飯を食べた後、侑は一旦部屋に帰ってすぐに俺の部屋に来た。
「はぁっ、クソ腹立つっ!」
俺のベッドにダイブして部屋から持ってきたバレーボールを天井に向けてポンポンと上げる。
俺は床に座り、漫画を手に取った。
一旦部屋に帰った理由がバレーボールを取りに行くってところがすでにバレー大好き少年だよな、と思う。
「調子乗らなかっただけだろ?そんな日もあるじゃん」
「…しっくり来おへんかった」
「何が?」
「ボールが」
「ふうん」
よく分からないが、そういう感覚があるんだろう。
「ちょっと貸して」
侑からボールを受けて俺も部屋の中でボールをオーバーで真上に上げてみた。が、ど素人の俺では2回目ですでにボールは斜めに飛んでいって壁にぶつかった。
「ああっ、難しっ」
「へったくそ」
「だってど素人だもん」
「もん、とかキッショ」
「うるさい」
いつになく静かな侑はまたベッドの上でひたすらボールを上げ続けている。
ボールを触る音、一定の早さで聞こえてくる音が心地よい。
侑は侑で考えていることがあるんだろう。
黙ってひたすらボールを上げる侑。
ポス、ポス、とブレずに真っ直ぐ上がるボールを横目に漫画を読む俺。
その日の夜は静かに過ぎていった。