治と一緒に帰った後、課題や洗濯、やることを終わらせた俺は寮の倉庫でロードバイクの掃除をしていた。
寮の倉庫は広く、スペースは十分にある。外はすでに暗く、照明をつけて作業していた。
チェーンの油汚れを取り、専用のオイルをチェーンのローラー部分に一滴ずつ注入する。
チェーンを綺麗にすることで回転もスムーズになる。自分の愛車を綺麗にしていると寮の玄関に人影が見えて目を向けた。
その姿に思わず立ち上がり、倉庫を出て駆け寄る。
「侑っ」
声に反応して男子寮の玄関から出てきた侑がこちらに目を向けた。
「なまえ…」
いつもより元気が無さそうな侑はTシャツ 半パン姿にスニーカーを履いている。
「どこ行くんだよ」
「…走ってくる」
「はぁ?!今から?!今日練習試合終わって、残って練習したばっかりだろ?」
「…外の空気吸いたいんや」
ぼそりと呟く侑を見上げる。また難しい顔をしていた。
コイツは、どこまで自分を追い込む気なんだ。
このままにはしておけない、という気持ちが生まれる。自然と手が動いて侑の腕を掴むと、ぴくりと肩が揺れた。
骨太な侑の腕を掴むと、体温が伝わってきた。
「今日はもう休めって。十分動いただろ。これ以上負荷かけたって良くないし」
「…まだ動けるし、大丈夫や」
「…大丈夫って…。っ、駄目だ!外の空気吸いたいならこっち来い!」
侑の腕を引っ張って倉庫に向かう。
引っ張られるがまま、侑は重たい足取りでついてきた。
「なんや…」
「ん、ここ座れ」
ロードバイクの掃除をしている場所で折りたたみの椅子を出していたため、侑に座らせる。
「俺、今ロードバイクの掃除してんだよ」
「………」
「だからそこで空気でも吸ってろ」
後は言うことはない。と侑に背を向けてロードバイクのメンテナンスを再開する。
根掘り葉掘り聞くことはしない。言いたかったら言えばいいし、言いたくなければ言わなければいいし。
侑が話したくなったら、俺は聞く方に徹しようと思った。
クランクを回して、チェーンオイルの循環を確認する。シャラシャラとチェーンが回る音が倉庫内に響く。
無言の中で侑が俺の背中に向かってぽつりと話し始めた。
「…今日負けたんは俺のせいや。全然合わんかった」
「…見てたよ、お疲れ」
手を動かしながら侑に返す。
「…あかんねん。予選、宮城も烏野が上がってきたし、井闥山も…」
侑の頭の中には全国の猛者達が浮かんでいるのだろう。
烏野…。侑達が前回の春高バレーで負けて悔しい思いをした対戦校だ。帰ってきた侑は次は絶対に烏野に勝つと意気込んでいた。
インハイでは戦えなかったから、春高ではその悔しさを果たすつもりなんだろう。
烏野の1個下の影山飛雄と日向翔陽のコンビとは誰よりも戦いたいはずだ。
それなのに自分が不調の状態という苦しい状況は、足元を引っ張られて這い上がりたくても上がれない、そのまま奈落へと引きずり込まれてしまいそうな感覚なのかもしれない。
「試合には負けるし…ボロボロやし…かっこ悪い、て思ったやろ…」
言葉尻が弱くなっていくその言葉に、振り向いて侑を見ると目を逸らされた。
「…お前のカッコ悪くてダサい所なんか、いっぱい見てきたし、いつも見てるし…今更だろ。何とも思わないけど」
寝起きの爆発頭も、授業中の白目姿も、治と俺と角名に仕掛けられてビビり倒す姿も、色々なところを見てきた俺には別にかっこ悪いとは思わない。
「ただ…ひたすら追い込んでるのはいただけないというか…。いや分かるよ。分かるんだけど。俺も柴さん達に追いつきたくて練習の量増やさなきゃって毎日毎日山登れば強くなれるって、休みなく登ってたんだけど、費やした分得られたものは少ないというか…」
追いつきたいからって自分を追い込んで何本も坂登ったけど、結局どんどんキツくなるだけで脚は全然フレッシュじゃないし、呼吸は苦しいし、日に日に体のキレはなくなっていくし…。
「…体が疲れるだけっていうか…根詰めるのもよくないと思うんだよな。休養があってこそ、筋肉は修復されて強くなるし、」
だから、休む時はしっかり休んだ方がいいと思う。
やっと、思っていたことが言えた。追い込む侑を見ていて、掛けたかった言葉。
治の『言葉にしろ』という帰り道の会話を思い出していた。
侑は下を見てゆっくり瞬きした後、薄く口を開いた。
「俺からバレー取ったら…何にも残らへん…」
それは初めて聞く侑の自信がなさそうな声だった。
ハッとして、侑を見る。侑がどこまで思い悩んでいたのか考えさせられた。
主将として、次の進路がプロチームと確定している身として、プレッシャーはかなりあるはずだ。
ストイックで自分にも他人にも厳しい侑が追い込むのも無理はない。
侑からバレーを取ったら。
バレーの才能がなくなった宮侑には、本当に何にも残らないのか。
頭の中で考えた。宮侑という一人の人間について。
侑と知り合って、一緒に過ごした日々を思い返す。
「…確かに…」
俺が口を開くと侑が肩を揺らした。
「お前からバレー取ったら…残るのは強情で横暴な宮侑しかいないかもしれない」
「………」
「けどな、俺はお前のそういうところに助けてもらったぞ」
「………」
「口は悪いけどちゃんと思ってること言ってくれるし、空気読まないけど主張できない俺の代わりに声を大にして言ってくれるし、体当たり激しいけど絡んできてくれたし、」
侑は黙って聞いている。
「正直、俺は侑から話しかけられなかったらここまで話すようになってないと思う。俺から話しかけることは絶対になかった」
絶対、と言い切れる自分にもどうかと思うが、過去の俺なら宮侑に自分から話しかけようとは思わなかったはずだ。
「でも、侑が俺に絡んできてくれたから、今の俺があって、高校楽しいって思えてるしお前と友達になれてよかったって心の底から思ってる。
息を吸って、一呼吸おく。
「治じゃない。お前と、だ」
その言葉に侑がやっと俺の目を見た。
「宮侑と、会えて、親友になれて、よかったって」
侑の目が俺を見て離さない。しっかりとその目を返した。
「だからバレーがあってもなくても宮侑は俺の親友、宮侑だ!異論は認めない!!」
あ、これ漫画で見てちょっと言ってみたかったセリフな、と心の中で呟く。
「……なんやそれ、アホくさ」
「……おい。俺今すっげえ良い事言ったんだぞ?ちょっとは感動するとか、そういうのない?」
「あるかアホ。…もう風呂入って寝る」
ふい、と目を逸らして立ち上がろうとした侑を見ると、ムッとした顔なのに僅かに侑の目元が潤んでいる気がした。
え、侑、お前ちゃんと感動してるな?と茶々を入れたくなったが我慢した。
喜怒哀楽激しくて表情豊かな侑なら、有り得なくもない。去年北さんから風邪の差し入れ貰ってウルウルしてたくらいだしな。
「弱腰になるなよ、侑」
倉庫を出ていく侑の背中に声をかける。
「誰がなるかっ」
「ふはっ、それでこそ宮侑だ。泣きたい時は俺の腕の中が空いてるから、いつでも飛び込んでいいぞ」
なまえくんのスペシャルサービスだ、ちなみに10分100円、と付け足して手を広げて笑ってやると侑がジト目で見てきた。
「…要らんわ」
「埋まっても知らないからな〜」
出て行く侑の背中に投げかける。
「埋まるも何も最初から俺のもんやねん、」
何やらブツブツと言っていたがよく聞こえなかった。
明日になったら少しでもあいつの不調が回復してるといいな、と期待した。