(宮 侑)
最近、調子が悪いという状況は否定できなかった。
ボールを持ってもしっくり来ず、セットアップも思うように行かない。
練習試合が終わった後、監督からしっかり休めと言われた矢先、なまえからも同じことを言われた。
分かってる。分かってるけど、最後の春高も近いし何としてでも崩れるわけにはいかない。
そんな焦る思いとは裏腹になまえに連れ出された放課後。
虹の架かる空を見上げて笑うなまえを見て、ああ、やっぱええなあと思う自分がいた。
自転車愛を語るなまえの目はキラキラしていて、教室でクラスの空気に合わせて穏やかに微笑む上っ面ではなくて素のみょうじなまえがそこにはいた。
自分の好きなものを持っていて、堂々と大好きと言うその姿に普段より3割増で良く見えてしまうのは惚れた弱みなのかもしれない。
オフの翌日、なまえの自転車愛に触発されて一日ぶりにバレーができる、と放課後の練習が待ち遠しい状態だった。
休み時間、後ろを向いてなまえと話していると廊下側の窓がそろそろと開く。
「みょうじ先輩…」
10数cmの隙間から、目だけ覗かせて3年5組の教室の中を見てきたのは自転車部の2年だ。
「あっ奈良木おつー」
「先輩、今日練習来ますよね?」
「行く行く。三分も茶川もな」
「今日のコース、ダム周回から登坂コースに変更したんで連絡です」
「まじか〜登坂キッツ!茶川、今鈍ってるからちぎるチャンスだぞ」
「…そう言ってコテンパンにやられそうなのが怖いんですけど…」
「ははっ、まあ部活引退してからも家でローラーしてるしある程度、維持はしてるかもなぁ〜」
「楽しみにしてます!あ、今日は先輩達と1,2年で勝負ですからね」
「うお、言ったな?奈良木、絶対俺の後ろに入んなよ?一瞬でも俺を風避けにしたら三分が黙ってないからな」
「はは、そこは三分先輩なんですね」
なまえは2年の奈良木に「茶川と三分にも言っておくな」と伝え、話を終えた。
「今日練習出るん?」
「うん、茶川も勉強の息抜きがてら参加するって。1,2年の成長も楽しみだし」
俺ら3年は引退してから練習はたまにしか行っていないし、三分と走っているとはいえみっちり練習している後輩達とはいい勝負かも、と楽しそうに話す。
「何時頃戻ってくるん」
「うーん40km程度だから暗くなる前には帰ってくるけどな」
「ふうん、わかった」
何がわかったんだ?と首を傾げるなまえを余所に放課後がさらに楽しみになった。
***
放課後、チャイムがなると同時にスポーツバッグを手に取った。
「角名、先行くでっ」
腕を伸ばして欠伸している角名を横目になまえに「ほな、後でな」と声をかける。
「一日ぶりバレー楽しんで〜」
ヒラヒラと手を振るなまえにニヤリと笑って教室を出た。
廊下で治と鉢合わせて数秒固まる。お互いに口角を上げて今から始まる競走を確信した。
「俺が先や」
「いや、俺や」
「おいっ廊下は走んなよっ、て言う前に走っとるやんかっ!」
後ろから聞こえる銀の声を遠くに感じながら治と部室までの距離を勝負した。
「ふぅーっ!体が軽いわ!サムの負け!」
「あ?ツムお前途中、俺の肩掴んだやろが!」
「サムも俺の服引っ張ったやんけ!」
言い合いながら練習着に着替え、体育館に向かった。
入念なストレッチ、アップ、ボールの感覚、軌道、各選手の動きをイメージしながら一日ぶりのバレーの感覚を味わう。
休んだおかげか、ボールの感覚は自分の思う位置にあり、手にしっくりと来た。
「おお…、」
一人で手のひらを見つめて少し感心する。
何か、今日ええ感じや。
感覚が戻ってきた、というよりは以前よりももっと鋭くなったようにさえ感じる。
「…なんや調子ええな」
治がちらりと見てきた。
「うん」
あとはもう少し微調整すれば、更に感覚が良くなる気がする。
軽い足取りでサーブ練に移った。
***
「休憩!」
合図の声にすぐに反応して、タオルとドリンク片手に体育館横の扉を開いた。
11月の涼しい風が入ってくる。吹く風が汗で湿った首元を冷やした。
来るやろか。はよ来おへんかな。
座り込み汗を拭きながら裏の坂道をしばらく眺めていると、坂道の下に自転車の集団が入り込んできた。
思わず立ち上がって目を凝らす。
なまえと茶川と三分、それから2年の奈良木を含めた先頭集団6人。
「あかんっ、みょうじもう脚が…っ、」
「茶川っ、」
茶川がキツそうな顔で首を振る。なまえが振り向いて、一瞬ペースが落ちる。そんな3年の様子を見て2年も足を止めた。
その瞬間、「なんてなっ!」
茶川が楽しそうに笑って踏み込み、前に飛び出た。
「っ!アタックかっ!」追いかけるように2年の3人が飛び出して茶川の後を追いかける。
その後ろにピッタリとついて登るなまえと三分。2年達は茶川を追っていて気づいていないだろうがその後ろに虎視眈々とした顔つきで張り付いて登るなまえと三分。
2人が顔を見合わせた。こくりと頷く三分になまえの口角が上がった。
二年の後ろ姿を鋭い眼差しで見るその顔は、始めてなまえをあの坂で見た時と同じように殺気立った顔をしている。
取って喰ってやるという気迫に思わず喉を鳴らした。
茶川はアタックをかけた後、2年が反応するとすぐにペースを落とした。無理やりハイスピードに持ち込まれた二年は肩で息をしている。
その後ろから、なまえが踏み込んで飛び出た。
急な展開に2年も驚いたように「さっきのアタック、フェイクや!」と叫ぶ。茶川のアタックに反応したばかりの2年に再度振り絞る力は残ってないのか、反応したのは奈良木だけだった。
飛び出したなまえを追う奈良木に、なまえが後ろをちらりと見た。
一騎打ちか。
息がキツそうな奈良木と、前を見てダンシングで力強く踏むなまえ。脚の筋がペダルを回す度に浮き上がっている。
ハンドルを握り、ロードバイクの車体を揺らしながら登るなまえに奈良木が食いつく。
そんな奈良木を見てなまえが右手の指を動かした。
カチャン、となる音。ギアチェンジ、というらしい。重くなったペダルを踏み抜いてぐん、と前に出た。
「っ!」
奈良木が目を見開く。
鬼さん、こちら。
子供の時に鬼ごっこをしていた時、煽るように笑っていた時のことを思い出した。
まさに、奈良木を挑発するように楽しそうに笑うなまえに俺も瞬きが出来なかった。
口を開けて息を吐き出す奈良木となまえの一騎打ちはなまえの勝ちに終わった。
「…っはぁ、っせんぱっ、」
「はぁっ、っは、っぶねえ!…茶川のアタックなかったら負けるところだったっ!はぁっ、」
登り終えて息を整える二人に後続の茶川達もゴールした。
「みょうじ〜!むちゃくちゃ煽っとったなぁ!茶川も脚ないとか言いながらのアタックわろたわっ」
「っ、俺も練習出来てへんし、個人やと負けるけど俺ら三人やったら負けへんで。一年の時から一緒に走ってきたんや。作戦はなんぼでもあるわ」
ニィ、と笑う茶川はやっぱり食えないヤツだなと思う。
「侑ー!休憩終わんで!」
銀の声が耳に入る。手を上げて応えた。
なまえの顔をもう一度見た。苦しそうに鼻に皺を寄せて空を仰ぐその姿はキツさよりも、もがききった爽快感の方が目立っていた。
自然と口元が緩む。
「ほんま、おっそろしい顔しよるわ…」
体育館の中に戻りボトルとタオルを置いて、コートの中に入る。
屈伸をしてジャンプしながら、腹の底から湧き上がってくる言い表せない気持ちを何と呼ぶのか考えた。
俺もあんな風に空を仰ぎたい。もがきたい。苦しんだ先の快感を得たい。
なんやっけ、この感覚。
ああ、そうや。
本気でぶつかり合いたい。
限界まで出し切った姿を見ると、こっちまでその熱が伝わってきて困る。
指の先まで感覚を集中させてコート内を見張る。
始まったゲーム式の練習にボールの動き、メンバーの動きを読む。
俺の本気のボール、確実にセットしたるから打てよ。
背後で助走を付けて跳ぶ治の存在を感じる。
ここ、や。
床の板を踏む音。ぐん、と真上に伸びた治の位置を確実に捉えてボールを浮かせた。
どん、ぴしゃり。
吸い込まれるように治の手に入り込んだボールが相手コートを打ち抜いた。
「!!」
驚いたように治がじっと、見てきた。銀がおお、と声を上げる。角名は相手コートの中で鼻で笑っていた。
「〜〜っ、どや!今の!気持ちよく打てたやろっ」
ドヤ顔で治を見ると笑いもせずため息を吐いた。
「っしゃぁ!復活や!」
「…おっそいねんアホ」
「なんや、それが兄弟に向かって言う言葉か?!あ?あ?」
「絡んでくなっ、はよサーブいけ!」
面倒臭そうに目を細める兄弟を置いて、くふくふと笑いながらサービスゾーンに向かう。
ああ、この身体中に沁み渡る楽しいという感覚。ボールを自在に操る楽しさ。
最高に楽しい。
俺も、死にものぐるいでボール追いかけたる。
アイツみたいに。
もがいて、もがいて、最後に笑うんや。
笛が鳴り、ボールに集中する。
大きく踏み出した一歩、渾身の力でボールを叩いた。