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近頃、侑の機嫌が良い。

どうやらスランプは抜け出したようで、逆にすこぶる調子が良いらしい。むしろ良すぎて、怖いくらいだそうだ。

まぁ春高まで残り2ヶ月もないし、親友が悩んで難しい顔をしているよりも、活き活きとしていた方が良いのは良いが…。

「なまえクーン、何しとんー」
「うぐっ、」
「絡み方がカツアゲじゃん」

選択科目である家庭科の授業中、裁縫セットを触っていると後ろから侑が体重をかけてきた。角名が鼻で笑い、2人が目の前に座る。

ちょっと前まで難しい顔して静かだったのに反動で賑やかさというか、絡まれ度合いが増したように見えるのは俺だけか?

「裁縫セット触ってんだから危ないだろ、ていうか何でお前ら家庭科選んでんだよ!どう見てもそんな大きい手で針持つの無理だろ! 」

完全なる偏見だが、高身長かつ図体のでかい二人が目の前でお裁縫をしていること自体、アンマッチな気がする。

そもそも家庭科をやる気のない2人がなぜ家庭科を選んだのか。

「なまえが選ぶからやん」
「何で俺なんだよ、俺は家庭科なら人が少ないと思ってだなっ」
「俺は何か楽そうだな、って」

角名の考えそうなことだ。
侑は「あ、あと調理実習で飯食えるしぃ」と呑気なことを言っている。

大体自分が不器用なのを理解しているんだろうか。実習も裁縫もほぼほぼ俺にやらせてくるから、俺のスキルも無駄に上手くなってしまったように思える。

侑の作品はいつでもぐちゃぐちゃなのだ。結局、横から手を出して手伝ってしまう俺も俺だが…。

「昼、食堂行かん?何食べよ」
「今日の日替わりなんだっけ」

2人の会話を聞きながら侑を見て唇を尖らせた。

「はぁ今度食堂奢れよ、いってっ、」

目を離したのが悪かった。針で指を刺してしまい赤い玉が浮き上がる。

「ティッシュ、プリーズ」
「血ぃ出とるやん」
「押さえといたら止まるだろ」

そんな会話をしていると家庭科の先生がやってきた。朗らかな優しい先生で皆からあだ名で呼ばれている。

「指刺したん?みょうじくん、保健室に行ってきなさい。バンドエイド貼ってもらい」
「ほな、俺付き添いしまーす」

立ち上がる侑に先生が呆れた目で見る。

「指の怪我で付き添いなんか要らんやろ」
「いや、途中で出血多量で倒れるかもしれんし、」
「アホなこと言いなさんな。ほれ、みょうじくん、行ってき」

はい、と返事をして家庭科室を出た。
授業中の校内は静かだ。

保健室に向かって歩いていると囁き声が後ろから聞こえてきた。

「なまえっ」

後ろを振り向くと金髪頭の大柄な奴がスキップしそうな勢いで楽しそうに走ってきた。俊敏すぎる。

「何してんだよっ、授業中!」
「腹痛いんでトイレ行かせください、言うて出てきた」

舌を出してケロッとした顔で笑う侑に眉を顰める。絶対に腹なんて痛くないはずだ。

腹痛の時には死にそうな顔で『もう、あかん。俺、痛みで死ぬかもしれへん。あかん…』と男子寮で四つん這いになっていたことがある。
あの時を思い出せば、今の侑が腹痛なわけがない。

「知らねーぞ。ていうかお前と一緒に居たら俺が何か言われるじゃん!」
「大丈夫やって」

何が大丈夫なんだっ、とツッコミながら保健室のドアを開けた。

「失礼しまーす…って、あれ。先生いない感じか?」
「…『職員室に居ます』やって。ほら、机の上のミニボードに書いてあんで」
「本当だ。バンドエイドだし、1枚くらい貰っていいよな」

先生に声かけるほどでもないか?と本当はいけないが勝手に貰うことにした。

侑は背もたれのない回転椅子に座ってくるくる回っている。
その横でバンドエイドの紙をピリッと外した。

「貼ったろか?」
「要らん。侑がやったらシワになる」
「信用せえやっ」

両足の間に手をついて、怒ったように椅子に座って見上げてくる侑を一瞥する。
お前に指一本触れさせないぞ、と横に座る侑から指を守るように体の向きを替え、背中を向けた。

「…………」

集中して指に付けたバンドエイドを巻つけようとした時。

背中にトン、と何かが当たった。
シャツ一枚越しに感じる体温。振り向かなくても分かった。
椅子に座った侑が俺の背中におでこを当てている。

「……な、に…」

いきなりの侑の行動に動揺してバンドエイドを巻く手が止まる。

何だ?侑は一体、何を…

ぐりぐりと二度頭を擦り付けられ、思わず体がビクついた。じいちゃんちのチロルが甘えてくる時に頭をぐりぐりと当ててくる動きと全く同じ行動で、不覚にも胸がぎゅ、となってしまいバンドエイドを巻く指が大きく揺れた。

「あつ…む…」

小さく掠れた声が喉から出た。背後でおでこを付けている侑がくぐもった声で囁いた。

「…ありがとう…」
「なに…が…」
「…虹」

その言葉で悟った。雨上がりの虹を見たあの日。侑のスランプ解消のために休ませようと遊びに連れ出した時のこと。
それはスランプから抜け出したお礼なんだろうか。お礼を言われるほどのことはしていないし、全部侑自身が解決したことなのに。

「俺何にもしてないし…てか、おま…」
振り向こうとすると、片手をパシリと掴まれた。
動きが固まる俺の背中で侑が呟く。

「なんや…落ち着く…」

静かな侑の声に急に心臓がバクバクと音をたて始めた。

……なぁ、それ反則すぎないか?
何でいきなりデレるんだ?

握られた手首も、背中に伝わる温もりも全てが熱く感じる。どうしよう、振り向けなくなった。たった何十秒が長時間に感じる。
顔に熱が集中するのが分かり、空いた片方の腕で口元を抑えた。

侑が、握った俺の手元を見てふっと笑った。

「シワ、出来とるやん」

それは俺の巻いたバンドエイドを意味していた。

…お前がこんなことしなけりゃ、シワ一つなく綺麗に巻けていたのに。

「もう、戻るぞっ」

強制的に体を動かして侑の頭を離す。
手を引っこ抜いて前に進もうとしたが、力強く引っ張られて阻止された。

「ぅ、わ」

思わず侑を見る。目が合って俺の顔を見た瞬間、ふわりと笑いかけてきた。

〜〜っ、なんでっ、いつもみたいな意地悪な笑い方じゃなくて、そう穏やかに笑うんだっ…!

「何で、顔赤いん」
「うるさ、」

空いた腕でガードすると、侑の腕が伸びてきて力尽くで両腕を開かされた。

「もう嫌だっこいつっ」
「何が嫌なん?」

真っ赤やぁ、と嬉しそうに笑う侑に羞恥の極みだ、と内心泣きそうになっていると保健室の扉の向こうから足音が聞こえてきた。

「先生来るっ!」

その言葉に侑が目を細めて手を離した。と同時に開かれた保健室のドア。

「あら?どうしたの?」
「家庭科の授業で、みょうじくんが針で指刺したんですよー」
「あぁそう?もうバンドエイド貼った?」
「はい…一枚貰いました…」
「ん、…熱っぽい?大丈夫?」
「…!いや!大丈夫です!ありがとうございました!」
「……ふっふ、失礼しましたぁ♪」

保健室を出て足早に家庭科室に向かう俺の横を楽しそうに歩く侑。

「こっち見んな」
「見てへんしぃ。自意識過剰やん」

ニヤニヤと笑う侑を睨みつける。そんな俺を見て侑は手を伸ばしてきた。

「耳も赤いわぁ」
「っ、さ、わるなっ」

侑の長い指が触れ、柔らかな耳たぶがぷるりと震える。すぐに耳を手でガードすると、楽しくて仕方がないという顔で見てきた。

ああっ、もう嫌だ!
何だコイツっ、非常に危険な男だ!

今すぐ二人きりという状況を打破しなければならない。
そう考えて逃げるように家庭科室に飛び込んだ。



***



家庭科の授業はとんでもなかったと、昼休みになった今でも思い出しては赤面しそうになった。

くそ…、何なんだよあの急激なデレ具合は…っ。
あんな柔らかい笑顔、できるなんて知りませんけど…!

自販機の前で額に手を当てながら、パックジュースのボタンを押し込んだ。
目当てのジュースが音を立てて落ちる。
取り出し口から冷えたそれを手に取った。

チロルと同じ行動をしてきたから不覚にも可愛いと思ってしまっただけであって。

いや、可愛いとか思ったら負けだし…。あんな大柄な奴を可愛いなんて…。

悶々と考えながら振り向いた瞬間、目の前に女子生徒がいて声を上げて後ずさった。

俺を見上げるのは金髪に近い明るい髪色にミニスカートの女子。後輩っぽい。

「あ、順番、ごめん…」

考え事をしすぎて待たせていたのかもしれない、と謝って退くも、視線はまだ俺から離れなかった。

「…みょうじ先輩」
「え…」

大きな猫目に綺麗な形の眉は強気な印象を与える。艶のある唇から自分の名前を呼ばれて驚いた。
そもそもこんなギャルっぽい子、俺は面識がない。

「えっと…」
「1年です、1年の園江(そのえ)って言います」

やっぱり、聞いたことがない。

「何か用事でも…?」
「私と連絡先、交換してくれませんか?」
「えっ…連絡先? 」

ハキハキと喋る園江さんは にこりと笑って「はい」と頷いた。

いきなり女子から連絡先交換してほしい、だなんて……。俺にも、ついにモテ期か…?!

しかもこんな可愛い子…、まあちょっと派手な格好で目立つし、あんまりタイプではないけど、「侑先輩と仲良いですよね?」

ああ…なるほど…そっちか…。

さっきまでモテ期とか考えていた自分を殴りたい。ソウデスヨネー…。侑目当てですよねー。俺なわけ、ないですよねぇ…。

「あー、ごめん。俺、侑の連絡先とか教えられないから…」

愛想笑いでやんわりと断った。

「うーん、別に侑先輩の連絡先はちゃんと聞くのでいいです。みょうじ先輩、とりあえず交換しましょうよ!」

「え、ええ?」

侑の連絡先は教えられないと断ったのになぜ、こんなにグイグイ来るんだ?

「いや、でも俺と交換しても侑とは…」
「いいんです!まずは侑先輩のお友達から仲良くなろうと思って!」
「はぁ…また、なぜに…」


「だって私、侑先輩の彼女になる女なんで」

園江さんはその可愛いらしい顔でにこりと笑顔を作って明るい色の髪を揺らした。


「ほぁ………」
目の前の不敵な笑みに、開いた口が塞がらない。
ぱちくりと瞬きをしてもう一度先程の言葉を頭の中で繰り返した。



みょうじ なまえ、いつも通りの昼休み、ジュースを買いに来ただけなのに強烈な子に遭遇してしまいました。

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