(宮 侑)
廊下側の窓から聞こえてきたなまえを呼ぶ女子の声。
片耳イヤホンで音楽を聞いていた俺は自分が呼ばれた訳ではないが、自然と顔を上げていた。
視界に入ってきた、にこやかに笑う女子と反応するなまえ。
……誰?
先輩と呼んでいるところから後輩だと分かる。
今までなまえがこの後輩女子と話しているところを見たことはない。
いらっしゃい、とへらりと笑うなまえを見て、もう一度明るい髪色の女子を見た。
俺のことを侑先輩、と呼んできた女子は園江サンという。
「みょうじ先輩、昨日は相談乗ってくれてありがとうございますっ」
「あ、いや全然、参考になれば…はは」
曖昧に笑うなまえを見て、すぐに思考回路が働き始めた。
相談、後輩、最近のなまえの行動と結びつくものがある。
もしかして。
「相談って何?」
聞くとまさになまえが近頃相談に乗っているという話とドンピシャだった。
もしかしなくても、これは黒だな、と分かる。
なぜならなまえが一向に目を合わそうとしないからだ。俺の方を見ずに視線をそわそわと動かしている。
いや、女子とか聞いてへんし。
こいつ……俺に黙って今までずっとこの園江サンとやり取りしとったんか?部屋の中でも食堂でも、携帯ばっか見よったよなぁ?
胸の内に言いようのない苛立ちが流れ込む。
ここが教室じゃなかったらはっ倒したいほどには『はぁ??』と言う感情が頭の中を占めていた。
え、何?何で俺に黙っとん?何で言わんのや?
隠したい理由でもあったん?どういうことや??
また頭の中がハテナで埋まる。
たまにこうして、何で俺に言わないんだろうという事が起きる。なぜか俺に言わないのだ。
なぜ??
東京行きの話だって、そう。言えばいいのに。内容によっては少し荒くなることもあるかもしれないが、まずは言えや、と思うのに。
こいつ、ほんまに分かってへんわ。
俺に隠すなって前からあれ程言うてんのに。
なぁ、どんだけ言うたら分かんの?痛い目見てもわからんてアホちゃう?
腹立たしさが溢れすぎて逆に笑えてきた。
顔が自然と笑顔になる。
後輩の相談って園江サンやったんや?
何ともない声色でなまえの腕を掴むとやっと見てきた。
俺の笑顔を見た瞬間、一瞬固まるなまえに握る力を強くした。
そんななまえクンに心の底から言うてあげよう。
「お前、むっちゃええ先輩やなぁ」
俺の怒りが伝わっただろうか。
褒めてんとちゃうで?怒ってんのやぞ?
分かっとんよな??
な???
笑いながらなまえの目を強く見ると、追い詰められた兎みたいにビクビクしている。
何も知らない園江サンは俺となまえの間に張り詰める空気に気づかず、笑顔で喋る。
話を聞いていると同じ野狐中と聞き、こんな派手な子おったっけ、と記憶を探った。
じっと見た面影に、中学の卒業式の日に告白してきた子を思い出した。もしかして、あの子か…。
聞くと合致していたようで、すぐに気づかず堪忍な、と伝えた。
照れたように明るい髪色を揺らして笑う園江サンを見て思い出した。なまえが少し前に『派手な子がタイプなんだろ』と聞いてきたことを。
あの時はいきなり何を言うかと思ったが、なるほど、確かに園江サンから告られた時に好きなタイプを聞かれて適当に「派手な子」と答えた気がする。
当時、高校に入る前に髪を染めようと治とどんな髪型にするか、色々と話していた。派手なんが一番やろ、と目立ちやすさを考えていたからそんな答えを言ったが…。
なるほど。園江サンのこの髪色もそれが影響してるのか。自分が軽く言ったことで外見を変えるほど、好かれているのが分かったところで罪悪感や申し訳なさは感じない。
なまえは発言に責任を持てよ、と言ったが知ったこっちゃない。
髪染めるんも、何するんも俺がしろ、て言ったわけやないし、自分でやったことやん。
そんなことを口に出してしまえば、いつものように ドライすぎる、人でなし、となまえが言ってきそうだなと想像した。
なのでちゃんと園江サンに素直に、可愛ええと思うでと伝えると嬉しそうにはにかんだ。
目の前で女子に可愛いと言えばなまえはどんな反応をするかと思ってみたが げんなりしたような顔をしているだけで面白くなかった。
嫉妬くらいしたら可愛ええのに、と思ったが今はそんな状況じゃない。
腹が立っているということを分からせなければいけない。
会話を終えて園江サンが帰った後、なまえを真正面から見た。
頑なに目を合わせようとしないなまえに話しかけるとトイレに行くなんて抜かして立ち上がろうとするから強制的に座らせた。
まず何で連絡先を交換したか、からだ。
聞けば
「園江さんは侑の連絡先知りたいとかじゃなくて、色々と相談したいって言うから…」
「断りきれず…こう…結構強くて…」
段々イライラしてくる。
お前は迫られたら全部、受け入れるんか?!
終いには「一人じゃない、角名には言った」なんて言い出すし、ほんまこいつ何なん??
そういう問題とちゃうねんぞ。
どういう気持ちで園江サンとやり取りしてんねん。どういうつもりやねん。
なまえの真意を知りたくて、返ってきた答えが「協力」。
思わず鼻で笑いそうになった。
は??お前、俺がこんだけ押してんのにこの期に及んで、まだそないなこと言うとんのか?
すでに沸点近くまで湧き上がっている。
念の為に確認してみる。
そんなことはないだろうが。ないだろうが…、
「…それはナマエが望んでることなん」
「いや、まぁ侑が園江さんアリなら友達として…協力するべきかなって。応援するっていうか…」
頭の中でプツン、と何かが切れた音がした。
なんそれ。
アリってなに?協力?応援?
ふざけんなよ。
あまりにもお話にならない。怒りを通り越して、すぅ、と冷めていく。
「……分かった、よう分かったわ」
俺の声になまえが肩を揺らした。
「ほな園江サンの連絡先、教えて」
そう言うとなまえが少し驚いた顔で見てきた。
「それがお望みなんやろ?」
お前の望んでることやろ?
携帯を出して見せるとなまえの顔に動揺が見えた。
……いやいやいや、お前が望んでんのに、何でそんな顔してんねん。意味分からん。
しゅんとした表情がチラつくその顔にまた腹が立った。まるで俺が虐めたみたいな、そんな顔すんなや。
協力とか応援とか言うたのなまえやで??
せっせと女子に俺の情報流して、協力してんのお前やで???
やっとる事と、反応が合うてへんわアホちゃうん。
なんやねんほんま。はっ倒したい。
お前はどうしたいんや、て。問い詰めたい。
今回ばかりはもう許さへん。
園江サンの連絡先を教えてもらった後、静かな怒りを腹に抱えてなまえに背を向けた。
***
清掃時間が終わり、放課後に入った。
スポーツバッグを肩にかけて立ち上がる。なまえの視線を感じて見下ろすと、パッと目を伏せた。
「なん?」
「何にも…」
何にも…な顔じゃ、ないやろ。
明らかに俺を伺っているような目。
ふっ、と笑うとなまえが瞬きした。
「今日帰ったら小テスの範囲、見せて。部屋行くわ」
いつものトーンで言うとなまえが数秒固まった後、「ん…わかった…」と返事をした。
俺の機嫌が気になっていたのか、いつも通りの会話に安堵したようだ。
いつも通り??んなわけあるか。
何事もなかった、と安心できんのは今だけや。
せいぜい、俺が怒ってなくてよかった〜て勘違いしとけ。倍返しや。
どう仕返ししてやろう、泣かせてやる勢いで頭の中で計画を練ることにした。
ほな、後でなぁ。
そう言うとなまえは「おう、練習ふぁいと」と笑う。
笑ってられるのも今のうちやドアホ、と俺も笑い返して教室を出た。
***
春高に向けて練習の内容も濃密になっているこの時期、体のキレも良く、仕上がりは順調にいっている。
練習の休憩中、汗を拭きながら角名に近づくと、俺の気配を察知して距離を取ってきた。
「角名ぁ、何で逃げんねん」
角名を追いかけて歩く。
「逃げてはない。近づくなって」
「逃げとるやん、止まれや」
「止まれって言われて止まるわけないじゃん」
歩きながら、段々お互いに早足になる。
「お前ら何してん。早足で追いかけっこか?何か動きキショイで」
治の言葉に噴き出した銀が「元気やなぁ」とドリンクを片手に呟いた。
埒が明かないため、ダッシュして角名の肩に腕を回すと嫌そうな顔をした。
「ちょっと話、聞かせてもらおうか。な?」
「何の話?」
「分かっとるやろ?昼休みの続きや」
角名を連行して、治と銀の所に戻る。
「角名、何でそんな嫌そうな顔してんねん」
「ツム何かしたんか」
「してへんし。で、角名クンは最初から知っとったんやろ?」
「…聞いたのはなまえが一年の女子から連絡先交換しよって言われて断れなかったって話だけ」
「え?何?何の話?みょうじがなんて?」
治と銀が不思議そうに乗り出す。
「なまえが自販機でギャルっぽい一年女子に声かけられて、聞いたら野狐中で侑のこと気になるから色々聞きたいって言われて断れなかったらしい」
「意味わからん。何で断れへんねん。アホやろ」
断れよ、とまたムカムカとした思いが生まれる。
「はぁー、侑も相変わらずモテとんなぁ」
銀の感嘆にも普段であれば鼻高々になるところだが今の俺はそんな気分ではなかった。
治が俺を面白そうに見てきたため、睨んでやる。
「野狐中て、誰?」
「園江サンて子」
「あー、卒業式ん時ツムに告ってきた子?」
「よう覚えとんな。最初、全然思い出せんかった」
「ツムあん時はよ高校行ってバレーしたい、アランくんと一緒にできる、言うてバレーしか頭になかったもんな」
「バレーしか、てなんやねん。野狐中て聞いて思い出してん」
「ツムは興味ないことと、あることの差が激しすぎんねん」
呆れたように言う兄弟に、人のこと言えるか?サムなんか飯のことしか頭にないやろ、と言い返しているとコーチの声がかかる。
「休憩終わりー!2番コート、入れー」
立ち上がって治と一緒にコートに向かう。
「ほんで、何でキレとん」
治がちらりと見てきた。表立って機嫌悪く見せてるわけではないのにコイツには分かってしまう。
軽く腕を回して筋を伸ばしながら治を見やる。
「…一年女子がアリなら協力するとかほざきよってん」
思い出しただけでムカつくし、脳天気なことを言うアイツを懲らしめたくなる。
「…ほお」
「せやからお望み通り、聞いてやったんや」
「一年女子の連絡先を?」
「うん」
やって、アイツが言い出したことやで?
笑って治を見ると、引いていた。
「こっわ…。何考えてんのや」
「別にぃ?」
にこにこと笑顔でコートに入ると後輩が肩を揺らした。
「その顔やめえ。笑顔で怖がらすな」
「何で?怖ないやろ。今なら何があっても笑って許せるわ。サーブぶつけられても許せるぐらい、穏やかやで?」
「どこが穏やかやねん…完全にブチギレの域やんけ」
治が呆れた顔で俺を見てきた後、コート内にいる後輩に声をかけた。
「ツムのことは気にせんでええで。ただ拗ねとるだけや。今ならボール当てても許せるらしいから、全力で当てにいってもええで」
今がチャンスや、という治が俺に照準を合わせ始めた。
「拗ねてへんし!俺に狙い定めんな!」
ぎゃあぎゃあ騒いでいるとコーチの声が飛んできた。
「侑、治、はよ位置つけー!」
「「はぁい」」
気持ちを切り替えて、コートの向こうにいる練習相手を見た。
ボールを追いかけるこの時だけは全てのノイズが消えて、苛立ちも忘れて夢中になれる。
今日も己の限界を越えるため、一旦全てを思考の外に追いやり、ボールに集中する。
深呼吸をして、ボールを高く上にあげた。