3年時 (冬休みの一日) 本編133-134話の間
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侑に見送られた冬休みの帰省。
帰省した俺は家に置いているロードバイクのメンテナンスをしていた。
鼻歌を歌いながら昔から乗り潰した自転車を磨いていると母親が顔を覗かせた。
「なまえ、機嫌良さそうにどうしたのよ」
「え?明日柴さんと走るんだよ、言ったじゃん。遅くなると思う」
「どこら辺?ちゃんと携帯忘れずに持って行ってよ?」
「はいはい」
「もうっ、はい、は1回っ」
はぁい、と返したが頭の中はすでに明日のライドのことでいっぱいだった。
久しぶりに柴さんと会う。プロチームに入った柴さんから、急遽年末に帰省するから走らないか、とメッセージが入ったのだ。
二つ返事で了解したものの、正直プロチームで鍛えまくっている柴さんと部活を引退した俺とでは差があり、ついていける気がしないという不安もある。
ゆっくりめに休養ライドのつもり、なんて言っていたけど明日のメンバーに秋田部長がいる限り、そんなことにはならなさそうだなとも思う。
明日は柴さん、秋田部長、三分と4人で走る。茶川は受験勉強で残念ながら泣く泣く不参加だ。
メンテを終えてライドの準備をした後、明日楽しみだなあとワクワクした気持ちで布団に入った。
***
翌朝、冬の寒さ対策のため、防風効果があるシューズカバーにアームウォーマー、レッグウォーマー、ネックウォーマーを装備して集合場所に向かった。
先に来ていた三分と冬用のロードバイク用グローブはこれが良かった、これも気になるなんて話しながら柴さん達を待つ。
「なあ今日、本当にゆっくりライドだと思う?地獄ライドの間違いじゃないか?」
「俺は今日、引きずり回しの刑と覚悟して来たで。最初から覚悟しといた方が救われるかと思ってん」
「極刑かよ…」
生きて帰れる気がしない、と2人で恐れながら先輩たちの姿を待っていると久しぶりに見る人影が近づいてきた。
「っ柴さん!」
「秋田先輩ーっ」
俺と三分が手を上げるとニィッと笑って秋田部長がブレーキをかけた。
「おう、待たせたなぁ!」
「はざっす!!」
「なまえ、久しぶりやな」
「お久しぶりですっ」
久しぶりに見る柴さんは筋力トレーニングにも力を入れている成果か、高校卒業時より全体的に筋肉がついている。
「柴さん、今日はチームジャージじゃないんすね」
三分が柴さんを見て首を傾げる。柴さんの来ているサイクルジャージは練習用で一般のブランドの物だった。
「そらプロチームのジャージ来て走るならちんたら走れるわけないやんか」
秋田部長の言葉に頷く。
「確かに!今日はゆっくりライドですもんね、ね!」
確認するように秋田部長に言うと、にっこりと笑った。
「せや!ゆっくりや!」
「「…絶対、ゆっくりっていう顔じゃない…」」
俺と三分の嫌な予感が当たっていそうで顔を見合わせる。
「俺ら、引退して練習不足なので、手加減してくださいね?」
「どアホ!俺やって去年は受験勉強で一番落ちとってん!それよりはマシやろ!」
「いや、それでも学連レースで走りまくってる秋田部長とプロの柴さんとじゃ、引きずりの刑と言うか…」
「ふっ、なまえは秋田のこと、まだ秋田部長なんやな」
柴さんがくすりと笑った。クールビューティな柴さんが笑うのは貴重だ。
「何だか抜けなくて…。秋田さん…?」
「うわっなんやみょうじからさん付けはゾワッとする!」
「ゾワッと、て何やねん」
秋田部長のリアクションに柴さんが口を開けて笑った。対照的に見えるが仲の良い二人だ。そんな先輩達に俺と三分も笑った。
「ほなスタートしよか。途中、どこで食べるー?」
「そもそもそんなのんびりなライドになるんですかっ?!」
「なるで!多分!」
多分かよっ!と心の中で秋田部長にツッコミを入れる。今から走るは地獄だろうに、ワクワクしている自分がいた。
前を行く先輩たちの背中を見て、堪えきれない笑いと共に白い息を吐き出した。
***
やっぱり思っていたとおり、ゆっくりライドなんて嘘だった。
「詐欺や……、誰やこんな激坂登るって言ったの…っ」
「はぁっ、俺じゃない……っ」
三分と二人して冬なのに暑さで汗を垂らしながら坂道を登る。
「ほぉ…っ、みょうじも三分もまだついてきとるやんっ」
秋田部長もキツそうに登っている。その先で柴さんは黙々とペダルを踏み込んでいた。
「柴さん待ってくださいよぉぉ、」
「待て言われて待つ奴がおるか、」
先に行くその背中に近づきたい。呼吸は苦し
くて、脚も疲労を感じているが、その背中をもっと近くで見るためには、上がるしかない。
「っ、」
ペダルを回す回転数を上げた。じりじりとスピードを上げて近づく。
やっと秋田部長の隣に並んだ。
「っ、みょうじ…まだ力残ってんのか?」
「いやっ、もうないですっ」
「柴はまだまだ余裕っぽいけどなぁっ」
二人で柴さんの背中を見る。
差は5m。縮めるには大きい。柴さん以上のパワーを出さないと縮められないわけだ。
まだ坂の傾斜が緩いここしか、上げられるところはない。そう考えて右手を動かした。
カチン、とギアチェンジした音がリアディレイラーから聞こえた。
「っ、はぁっ、はっ…」
まるで夏かと思うほどに身体が熱い。防寒具をかなぐり捨てて走りたいくらいだ。
上がるペースに速くなる心拍、柴さんの背中が近づいた。後ろに気配を感じたのか柴さんがちらりと見てきた。その目を見返す。
「……」
淡々と涼しい顔をして登る柴さんはやっぱり強い。
柴さんの後ろについて苦しい呼吸を必死で整えようと息を吸う。
このまま、柴さんの後ろから離れないようについて行くのみ。頂上まで残り1kmはきったはずだ。
苦しい。冷たい息が喉を冷やす。必死で酸素を取り入れようと呼吸するも冬のせいなのか、空気が薄く感じる。
坂道の起伏もダイレクト響いてくる。勾配が上がる度に脚は悲鳴を上げている。
柴さんの口からも、白い息が吐き出されていた。
残り300m、まだ、まだまだだ。
まだ勝負所じゃない。それでも柴さんが俺を振り落とそうとじわりじわりと登る速度を上げている。
ロードバイクに取り付けているサイクルコンピューター通称サイコンに表示される速度、心拍数、勾配を見れば見るほどキツさが増すため見ないように前を走る背中だけに目を向ける。
「……ちぎれたら、楽になれるで」
俺をちらりと見た後、柴さんが静かに言った。それは俺に『苦しければ、脚を止めて楽になれば?』と言っているようなものだ。
随分と煽られたもんだ。
俺は、柴さんの背中に追いつきたくて、必死で苦しんでいるというのに。可笑しくて笑いが込み上げてきた。
柴さんが俺の顔を見て、目を大きくした。
「はぁっ、、はっ、……ふ、絶対にっ、ちぎれません…っ」
柴さんの口角が上がった気がした。
残り100m、ここまで喰らいついて、勝負しないなんて絶対に嫌だ。
前を向いた柴さんを見て、大きく息を吸い込んだ。腰を上げてペダルを大きく踏み込む。アタックをかける時は、思い切り。圧倒的な速さで。
これも柴さんに教えてもらったこと。中途半端なアタックは意味がない。諦めを感じるほどの勢いを見せつけるんだ、と。
変速をすれば音に反応してアタックに気づかれてしまう。踏み込みながら、視界に入る直前に、一段ギアを上げる。それしかない、と次の踏み込みをする直前に右手を動かしてギアチェンジした。
「っ、はっ、」
息を吸っても、吸っても肺に行き渡らない。心臓が一生懸命脈打ち、血管に酸素を送り出している。
脚の感覚は消えていた。苦しいという感覚しかないが、ダンシングで坂道を駆け上がる。ハンドルを握りしめ、車体を振る。
見えてきたゴール。
このままっ、と思ったが視界の端に柴さんの体が見えた。横を向く余裕はない。
もがき、踏み抜くことしかできない。
無我夢中で全身の力を込めてペダルを回す。が、柴さんのひと踏みは力強く、ゴール手前で俺の目の前に出てきた。
踏む、踏む、踏み込む。柴さんのダンシングは、ぐん、ぐんと伸びて俺を突き放していく。
クソッ!
背中を睨んだ瞬間、さらに隣から飛び出てきた人影。秋田部長が本気の顔で踏み込んでいた。負けじと最後のもがきでペダルに体重を乗せた。
ゴールを通過したのは柴さん、秋田部長、俺の順だった。
「はぁっ、はぁっ!……っ、、はっ、…」
何も話せないほど呼吸が苦しい。肩で上下させて息を吸う俺と秋田部長に、柴さんも汗を拭っていた。
「……っ、ひゅっ、」
「……はぁっ、さすが、柴、さらにはよ、なっとんな……」
「そら…毎日乗っとるし、」
「……き、きょう……ゆっくり……ライド、……っ」
「ふはっみょうじ、話せてないやん…っ」
「ゆ、っくり、ライドのはず…なのに…っ」
「…煽ったんはなまえやろ」
「…ちがっ…俺、煽ってないっす…」
山頂の休憩スペースで自転車を横に倒し地面に仰向けになった。
呼吸で肺を大きく膨らませながら空を見上げる。薄い空色、冬の空が視界いっぱいに広がる。
「このメンツでゆっくりライドなんか、なるわけないやん、」
「…くっそぅ…、プロと大学生が寄って集って後輩いじめるなんて…大人気ないっす、よ……っ」
「なぁに言うてんねんっ、柴の後ろから虎視眈々と、隙あらばアタックしようとしとったんは誰やっ」
「うぅ……見事に潰されましたけどっ」
「なまえ、アタック早いねん」
「うっ…」
呼吸を整え、やっと落ち着いて来た頃に三分が上がってきた。
「はぁ……はぁ…俺にこの坂はひどくないっすか?」
「おお!三分早よなったやん!」
「三人ともあっちゅう間に見えへんなったし…!」
ゲッソリした三分を迎えて一緒に地面に倒れ込む。
「みょうじ、どやった?」
「……最後、完全に潰されたぁ」
「はははっ、の割には楽しそうな顔や」
「ゆっくり詐欺ライドだな、これは」
「せや、詐欺やわ」
脚は疲労物質の蓄積で感覚は鈍い。キツいし、喉は痛むし、血の味がする。
悔しい。レベルが全然違うのに、悔しいと思ってしまう。と同時に感じる高揚感。もがき過ぎてハイになっているだけなのに、この高揚感が一番大きい。
悔しいけど、速くて強い柴さんと一緒に走れた嬉しさの方が大きい。
あの背中。追いついたと思ったらすぐに先に行ってしまう力強い走り。
速くて強い。やっぱり柴さんはエースだ。俺の憧れの「エース」。
自然と口元が綻んだ。
「あー…楽しい…」
「……これが楽しいとかド変態や」
「苦行でしかないのにな…」
明日、絶対体動かないな、と確信する。
「三分の仕事はこっからやで!平坦鬼引き、よろしゅう!」
「ええっ?!俺もう脚すっからかんですよ!」
三分が起き上がって降参と言うように手を上げる。
「三分の見せ所は脚なくなってからやろ!」
「ゴールはうどん屋にしましょうよ!」
「おっええなぁ、温かいうどん食べたい!」
「はよ行くで、うどん」
柴さん、うどんが食べたくなったのか早くも出発しようとしている。
三分は「俺まだ全然休まってへん!」と仰ぎながら立ち上がった。
「ほら、補給食上げるから」
三分にプロテインバーを渡す。ピリ、と袋を開けてもぐもぐと口に頬張った。
「うどん!天ぷらのせ!握りも!」
「うどん、はよ。」
先輩達が早くしろ、とうどんを連呼していて笑ってしまう。
「今行きまぁーす!」
疲労が全身に巡ってきたが、それ以上の爽快感に晴れ晴れとした気持ちでサドルに腰をかけた。
「俺は肉うどんが良いですっ!」
「ほな、俺はカレーうどん!」
笑いながら先輩達の背中を追いかけた、冬休みの一日。