部屋着に着替え終わり食堂で一人、晩御飯を食べていると、向かいの席に角名が座ってきた。
「まだ喧嘩中?」
親子丼の入ったトレーを置き、涼しい顔をして食べ始める。
「…喧嘩っていうよりは一方的に避けられてるだけなんだけど…」
「ふうん」
避けられはじめて数日。完全に赤の他人のように接してくる侑に取り付く島もなく、内心落ち込んでいた。
「話しかけても返事すらないし…。完全に…嫌われたのかも」
自分で口に出すとダメージは大きくなり、眉を下げる。
「別に、怒ってるだけなんじゃない」
…その怒ってる理由がどうしようもないから、俺も動けずにいるのだ。侑の望むとおりには出来ないし、でも友達をなかったことにしたいわけでもないし…。
「どうしたら良いかわかんないんだよ」
「怒ってる理由聞いて謝れば?」
「…謝っても、根本的に解決できることじゃないんだよな」
「よく分からんけど、ならお互い納得するまで話せば?」
「…話し合いが通じる相手だと思う?」
味噌汁をこくりと飲んだ角名は考えるように間を取る。
「…それは話してみないと分かんないっしょ。前までの侑なら多分突っぱねたまま話聞かないだろうけど…今は違うんじゃない?」
角名の言いたいことは少しわかる。侑も人だ。三年生になって、主将として皆をまとめる立場になり、苛立ちながらも多少人の話を聞く事はできるようになった。
二年の時とは違う。体当たりで火を噴いてばかりの怪獣は、上手く行けば大人しく聞いてくれる時もある、ということだ。
「…うん」
俺の話、聞いてくれるだろうか。俺を視界に入れようとしない侑の顔を思い浮かべる。
「……」
「ひっどい顔」
「…三分にもそれ言われた」
「ふ、いつものバカ笑いしてる顔の方がまだマシだよね」
「なんだよ、まだマシって。聞き捨てならん」
角名にツッコミを入れていると食堂に侑が入ってきた。思わず目で追う。俺達に気づいた侑は離れた位置に親子丼のトレーを置き、ドカッと座った。
一つ一つの拒絶反応にもう何度もチクチクと心臓を刺されている。
「侑…明日の練習終わった後、○○方面の方寄って帰るって言ってた」
「…ふうん、そうなんだ」
それは、侑が一人の時を狙って話せということなのか。角名の意図を推し測りつつ、迷いが生まれる。近づいて、拒絶されたら…また痛むのか、と受けるダメージを予想しては気が滅入りそうになる。
「明日の朝、何時に出る?」
明日も教習がある。角名から当たり前のように、一緒に行く前提で聞かれているが少し考えた。
「…俺、別で行くわ」
「一緒に行かないんだ?」
「脚、軽く回しときたいからロードで行く」
自転車で行く、と言えば角名は数秒のち分かった、と答えた。
取って付けたような理由だが本音は侑の近くにいるのが辛いという気持ちの方が大きい。
ご飯を食べ終わり、食堂を出る頃、ちらりと侑を見たが視線が返ってくることはなかった。
***
2月上旬の気温は一年の中でも特に低い。外の寒気に負けじと防寒対策をしっかりとしてペダルを踏む。
気分は落ち込んでいても自転車に乗れば、走っている間は忘れられる。
べダルを回すことに集中できるため、自転車で教習所まで来てよかったなと思った。
教習所の中に入れば、治と角名が俺を見かけて手を上げた。
「なまえ、こっち」
相変わらず侑は携帯に目を落として、こちらを見もしない。
近づきにくくて「ちょっと自販機見てくる」と理由を付け、その場から離れた。
自販機エリアの椅子に座り込み、ため息を吐く。
「はぁ…」
このまま…こんな状態で卒業してしまうんだろうかと考えたくないことが頭を過ぎる。
それだけは…嫌だな…。
今までのことを無かったことになんかしたくない。昨日の夜、角名に話し合えと言われたことを思い出した。
話せば分かってくれるだろうか。いや、とにかく話すしかないか…。
教習開始のアナウンスが聞こえて、立ち上がった。今日の夕方、当たってみるしかない、と心に決めて場内コースの待機場所へ向かった。
教習所が終わり、ロードバイクで遠回りして男子寮に帰った後。夕方、角名からメッセージが来た。
角名倫太郎〘練習終わった〙
みょうじなまえ〘お疲れ〙
角名倫太郎〘侑に何時に帰るか聞いたら19時頃って言ってた〙
角名にスタンプを送り、19時ならバスの時間は大体…とバス停の到着時間を逆算する。
多分、寮で話しかけても無視され部屋に逃げ込まれるだろうがバス停で待ち構えていれば避けきれないはずだ。
どうやって話のケリをつけようと考えていれば、あっという間に目的の時間に近づいていた。
ウインドブレーカーを羽織り、自転車用のネックウォーマーを頭から被る。部屋の鍵と携帯を持って、部屋を出て玄関まで降りた。
靴に履き替え、足早に男子寮最寄りのバス停まで歩く。
暗い道を照らす街灯が真っ直ぐ続く。歩道を歩きながら侑と上手く話せるか少し不安になる。
バス停が見えてきて、歩く速度が速くなった。まだバスは到着していない。吐き出した白い息が暗闇の中に消えていく。
あと数分でバスが来る。バス停から少し離れたところでポケットに手を突っ込んで指先を握りしめる。時間の経過を待っていると、バスのフロントライトがぼんやりと暗闇の中に浮かんできた。
来た。
少し緊張しながら停留するバスを眺める。数人降りてきた中に、侑の姿はなかった。寮生が一人、コートを着たサラリーマンや親子連れだけだ。
次のバスだろうか、と20分後のバスを待つことにした。身震いする寒さの中、動かず待つのは体に堪える。
足踏みしたり、その場でジャンプしたり肩を縮めて待つこと20分、すっかり体は冷えていて手先足先は冷たい。
こんなことならもっと着込んでくればよかったと思ったが今更寮に戻るのも、と大雑把な気持ちの方が勝ってしまう。
次のバスがやって来た時、車内を外から眺めるも目当ての姿は見当たらず、降りてきたのは2年の寮生だった。
「まじか…」
さらに次のバスを待つには寒さとの戦いになる。それでもここまで待ったからには負けてたまるものか、と3本目を待つことにした。
すん、と冷えた空気を吸った瞬間、湿った匂いにまさか…と携帯をすぐに取り出した。
天気予報を見て天を仰ぐ。
「ええ…」
夜から雨、とは見たがもっと遅い時間だったはずなのに、更新され今から雨が降り出す予報になっていた。
ポツ、ポツ、と携帯の画面に雫が落ちてきた。
不味い、急いでバス停の屋根の下に入り込む。
「傘、持ってきてない…っ」
すぐに寮に帰れるだろうと思っていたから身軽なままで出てきてしまった。
サアァァと流れるような小雨の音が周囲を包んでいく。
寒いうえに雨、なんて一番最悪なコンボだ。
早くバスよ、来い。小雨のうちに帰らなければ、と祈っていると3本目のバスが来た。
目を凝らすと車内で立ち上がった高身長が見えて、侑だ、と緊張が走る。
バスが停車し、ブザーの音と共に開いたドアから侑が降りてきた。
ベンチコートにマフラーを首に巻いて、スポーツバッグを肩にかけている。手には傘を持っていた。
バス停で立っている俺を見て、少し目を見開き見下ろしてきた。
バスから降りてきたのは侑だけだ。
立ち込める雨の匂い、細かな線の雨が無数にアスファルトに染み込んでいく。
バスは俺たちを置いて去っていった。
「侑…」
声をかけ見上げると無表情の顔が視界に入る。
「……」
「話がある」
ここまで来たんだ。寒いし、もう足先は冷たすぎて早く部屋の中に入りたい。話を聞いてほしいという強い思いで視線を返す。
「……何?」
侑がぼそりと返してくれたため、ほっと安堵した。まだ、話す余地はあるようだ。
「この間の…」
「…考え改める気なった?」
「それは…話してから…」
「は?考え変える気ないんなら、話すも何もないんやけど」
強く言われ、視線を落とす。
「侑の言いたいことは分かるけど、お互いにこれからのこととか思ったら、」
「お互い、て何なん。自分のことしか考えてへんやろ」
違う、俺は色々、考えて…言葉を選ぶ俺に侑の苛立ちは増したのか堅い声で言い切られる。
「これ以上話すこと、ない」
侑が傘を広げて雨の中を歩き始めた。向けられた背中に焦って屋根の下から飛び出す。
しとしと、と降り注ぐ雨が頬を肩を濡らしていく。
「侑っ!待て、って!」
咄嗟に侑の腕を掴んだが、ぐい、と引かれて離れていった。
拒まれたショックに伸ばした手は空を彷徨う。
傘を差したまま見下ろしてくる侑と雨に濡れる俺。
「話しかけんな、て言うたやろ」
冬の寒さよりも冷たい声に肩が揺れる。黙りこくる俺を一瞥して侑はまた歩き始めた。
離れていく背中に、もう一度追いかける勇気はない。
これ以上、拒絶される苦しみを味わいたくない。
冷たい雨が服に染み込んでいく。
まつ毛に雫が引っかかり、瞬きすると頬を伝っていった。
鼻奥がツンとして、鼻をすする。
頬を伝うのは雨なのか目から出る汗なのかは分からない。
離れたところで侑が立ち止まり、振り返ったような気がした。
多分、俺の顔は今ひどいことになっているだろう。こんな顔で寮には戻れない…。
「ひでえ…」
何だよアイツ…突っぱねるようなことを言って自分だけ傘差して帰っていきやがった…。
せめて、傘の中くらい入れてくれてもよかったのに…。
降りしきる雨の中、立ち尽くした俺の足先は冷えすぎてじんじんと変な感覚が襲ってきている。
とんだ人でなしだ…
人でなし以上に、ろくでなしだ。
馬鹿野郎、侑の馬鹿野郎。
心の中で苛立ちをぶつける。
何もかも、余りにもひどくて歯を食いしばり、小さくなっていく背中を睨みつけた。