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(宮侑)

バスを降りてなまえの姿を見た時は、驚いた。

この寒さに軽装で立っているなまえの頬も鼻も赤くて、外で俺を待っていたことが見て取れる。

そこまでして話があると言うから、やっと考えを改める気になったかと聞いてみれば、『侑の言いたいことは分かるけど、お互いにこれからのこととか思ったら、』なんて言うものだから、さすがに俺もキレた。

あかん、こいつ全然分かってへんし。
お互い??いや、俺のこと考えてへんやろ。

ムカつきすぎて、傘を差してバス停を出るとなまえが追いかけてきた。
よくよく見るとなまえは傘を持ってなかった。

俺は朝、食堂で寮母のおばちゃんから夜は雨が降るから傘持っていきや、と言われて持って出ていたものの、なまえは手ぶらだった。

傘の中に入れてあげるという良心が働いたが、それをも勝る怒りになまえの手を払い除けた。

その時の表情は今でも浮かんでくる。眉を下げて傷ついたような泣きそうな顔で肩を揺らしていた。

その顔を見て、怒りの気持ちの中にほんの少しの罪悪感と嗜虐心が芽生えて、自分でも最低だな、とは思った。

雨の中、濡れていくなまえは寒そうで傘を握る手に力が入った。

傘に入れてくれ、と言われれば差し出したのに。
アイツが突っ立ったまま、何も言わないから。
歩いて離れても、追いかけて来ないから。

立ち止まって振り返ったが、なまえは夜雨の中、立ち尽くしていた。

昨日も教習所が終わって一緒に帰らず、用があるからと別で帰って行ったし、今朝も別で行くから、と行って一人別行動で、教習所でも余所余所しかった。

ああ、そんなに俺に近づくのが嫌か?
そんなら、もうええ。

なまえを置いたまま男子寮に帰り、部屋に上がった。

機嫌の悪い俺に気づいたのか治は何も言ってこなかった。洗濯してこよ、と部屋を出ていった治が戻ってきた時「さっき、1階でなまえ見た。めっちゃ濡れとったわ、濡れ鼠やった」という言葉に少しだけ良心の呵責に苛まれた。

ボロボロに濡れそぼるなまえを想像して、罪悪感がじわりと湧き上がるが無理やり抑え込む。

俺は悪うないし。なまえが話にもならん事言い出すんが悪いし。
傘ん中入れて、て言えばなんぼでも入れてやったし。言わんからそのまま帰ってきただけやし。

そんな言い訳を心の中で吐き出した。


翌朝、食堂でうつらうつらしながら朝食を食べていると、治の言葉に一気に目が覚めた。

「なまえ、今日教習休むって」
「え、何で?」
「ちょお体しんどい、て。昨日な、なまえビッショビショに濡れとってん」
「何で?」
「知らん。外に出とったらしい」

治と角名の会話にまさか…昨日の雨が原因で…と動揺するが表に出さないよう無言で白米を口に運ぶ。

熱は…、熱はあるんか…?
体調悪いてどういうこと?

口を開いて、熱は?と聞きたくなったが、なまえを遠ざけている手前、聞きにくくて誰かなまえに聞けやっ、と心の中で叫んだ。

そんな俺の気持ちが通じたのか治と目が合った。

「なまえ、風邪引いたんやろか」
「…昨日何があったん」
二人の目が俺を見てくる。

「…なんやねん見てくんな。俺はなんも知らんし」

視線を無視して味噌汁を飲み込む。

俺のせい、なわけないやん。なまえのせいやもん。アイツが勝手に雨の中突っ立っとっただけで、俺は何もしてへんし。

ほんでも…
「…熱…とか…」
あったらヤバイんちゃう、という言葉は続かない。

治が俺を見て眉を上げた。
「気になるなら聞いたらええやん。大丈夫か?て」
「は?全然気にならんし。アイツが風邪ひこうと、どっかで野垂れ死のうと俺には関係あらへん。赤の他人やし」

言い切る自分の言葉に強がりだと思われたとしても、否めない。

三人で朝食を食べ終わり、ゆっくりと食器を片付ける。1、2年の寮生は慌ただしく食堂を出ていく。
自由登校の3年だけが平日もゆっくりと過ごせている。

「……俺も今日休む」

ぼそりと言うと治と角名が顔を見合わせた。

「はぁ?」
「腹痛い、休む」
「腹痛いヤツが朝から白米2杯も食わんやろ」
「痛い、て言うたら痛いんやっ。俺の痛み、分からへんやろ」
「はいはい」

呆れたように肩を竦める治は「ほな角名、10時玄関な」と声をかけた。

部屋に戻りスウェットを脱いで、服を着替える。

「ツム、どこ行くん」
「……買い出し」
「……ふうん」

その間が少しムカつく。今から俺がしようとしていることを見抜いたような、そのニヤつく顔が。

「ツム、栄養、睡眠、休養。やで」
「うっさい、はよ教習行けやっ」

吠えると、ムカつく顔でニヤニヤ笑いながら部屋を出ていった。

携帯で『風邪 栄養 食べ物』を検索して何を買えば良いか調べる。
部屋の鍵と携帯、財布を持ち、寮を出て近くのドラッグストアに向かった。

「いらっしゃいませー」

開店と同時に入り、目当てのものをカゴに入れていく。

栄養ドリンク、栄養ゼリー、レトルトのおかゆにプリン。あと、他にいるもん…。

自分が風邪を引いた時、北さんからもらったもの…梅干しとほっとレモン…。

必要なものを買い、ビニール袋を手に男子寮に戻る。

部屋で倒れとらんやろか、と少し不安になりながらも部屋を覗くことは出来ない。
なまえがどんな状態なのか気になりつつ、男子寮の玄関で靴を履き替える。

階段を上がろうとした時、ゴホゴホと咳の音が聞こえて、廊下を見た。

ランドリールームから出てきたその姿に思わず手に持っているビニール袋を背中に隠す。

なまえだ。

マスク姿で、スウェットのまま寝癖をつけたなまえは洗濯カゴを手にしていた。

俺に気づいたなまえは廊下で動きを止めた。
俺を見て数秒固まった後、のろのろと近づいてきた。

「あ、つむ…」
掠れた声で俺の名前を呼ぶ。マスクをしているため、顔の下半分は見えないがしんどそうで、見上げてきた目元は赤く、潤っている。

熱があるのか?

「…話の、続き…」

は?この期に及んでまだ昨日の続きを話そうとしとんか?
しんどいなら、まずは休養やろ。
話しとる場合ちゃうねん。12時間くらい寝とけや。

「…俺は、」
「近寄んな、風邪が伝染る」
「…っ、」
「部屋にこもっとけや、出てくんな」

なまえの主張することに解せないところもあり、遠ざけている手前、複雑な心境。真顔で冷たく言い放つと昨日見せた時よりもさらに悲痛な表情で目元の赤みが強まった。

あ…、これ泣くかもしれん。

案の定、歪んだ目元。目尻にじわりと溜まり、溢れた涙がほろりと零れた。

あ、泣いた。

なまえを泣かせてしまった。それだけでどうしようもなく腹の底が熱くなる。昂る感情が湧き上がる。

ああ、そのマスクを引っ剥がしたい。マスクの下でどんな顔をしているのか、どんな泣き面をしているのか。

無理やり、剥いで加虐心煽るその顔を見下ろしてやりたい。

思わず手を伸ばしそうになったがすんでのところで、自制心を働かせた。

なまえを傷つけているのは自覚している、でも、それ以上にその反応に喜びと劣情を感じてしまうのだからどうしようもない。

鼻水をすすったなまえは瞬きをして目を伏せた。またポロリと涙が落ちる。

堪らないその顔にごくりと喉を鳴らした。

「……」

なまえは黙って踵を返し、洗濯カゴを持ったままよろよろと廊下を歩いて行った。

そうや、部屋に戻ってしっかり寝とけばええねん。そんで、早く治せアホ、とその小さな背中に向かって吐き出した。

階段を上がって部屋に戻り、買ってきたビニール袋の中に『治』と書いた小さなメモ用紙を入れ込む。

なまえの部屋の階に行き、廊下をそっと覗き込んだ。
誰もいない、ヨシ、オーケー。
そろりそろりと静かな足取りでなまえの部屋の前に近づく。
持っていたビニール袋の音に注意してドアノブにそっとかけた。

ヨシ。
来た時と同じように静かに退散する。


それから治と角名が教習から帰ってきた。

夕方になり、治が携帯の画面を見せてくる。
「ツムなんやねん、これ」

なまえとのトーク画面を見せられる。

みょうじなまえ〘治、ありがとう。助かった…一日寝てたら良くなった〙

「なぁ、俺何もしてへんのに、何でこんなメッセージが来るんや」
「…知らん」
「ツムお前、自分からやなくて俺から、ってことにしたんか?」
「…知らん」

ベッドの上で月バリを読む俺に治は大きなため息を吐いた。

「これ以上拗らせてどないすんねん」

お前はどうなりたいんや、と言う治の言葉を聞き流す。素直じゃないという自覚はないこともない、でも。

「全部、アイツが悪いねん」

今の状況も、風邪引いたのも、俺をこんなにさせたのも全部全部なまえのせい。

兄弟の小言を無視して月バリのページをめくった。




***

(みょうじ なまえ)

雨に濡れてしまい、風邪気味になった俺は、無理をすればもっと悪くなりそうな症状に大事をとって丸一日休んだ。

マスクをして他の寮生に迷惑かけないように、と思っていたが侑と出会したタイミングで「近づくな風邪が伝染る、部屋から出るな」と言われてしまった。

風邪引いたのは確かに自分の体調管理のせいだけど、傘にさえ入れてくれなかったのはお前だろ、それなのにそんなに言うなんて、と悲しくなって心が痛くて痛くて仕方なくて、何でそんなに俺を突き放すようなことを言うんだ、と辛くて涙してしまった。

弱ると涙腺が緩むのは何故なんだろう。
泣くつもりもないし、泣きたくもなかったのに溢れた涙に侑がじっと見てくるものだから、居た堪れなくてその後はずっと部屋にこもっていた。

ひとしきり寝れば体は回復していて、朝方感じていた怠さも頭痛はほとんど消えていた。
やっぱり早めの対策として、睡眠と休養は大事だなと痛感する。

外に出ようとドアを開けるとビニールがドアノブにかけられていた。中身を見ると栄養ドリンクや食べやすいおかゆ、ゼリー系が入っていて誰がこんな親切を、と中を探ると「治」と書かれたメモ用紙を見つけた。

治…なんて優しいんだ…人でなしのアイツとは全然違う、と傷ついた心がじわりと温まった。

治にお礼を伝えて、休養に専念したのが昨日。

翌朝、起きて完全復活を果たした俺は朝食を食べ終わった後、部屋で自由に過ごしていた。

今日は教習所もないし、明日は登校日、かつバレンタインデー。

三分と通話しながらゲームでもしようか、と計画しているとドアがノックされた。ノックというよりは手荒な叩き方だ。手のひらでバンバンと叩く音に近い。
誰だ、と立ち上がり、ドアを開ける。

「……」

部屋の前に立っていたのは侑だった。昨日散々言われたことを思い出して、心が距離を取ろうとする。
「…なに」
口から出た声は堅く、小さい。

「……サムが持っていけ、て」

侑が手にしているのは三連プリン。優しい治の考えそうな事だ。ありがたいが侑が来るのは有難くない。
だって、侑は昨日あれほどに俺を拒絶したんだから。

俺に近づきたくもないだろう。治ったけど風邪伝染るの嫌だろうし。
バレー選手としては、体調管理として当たり前のことだから、分からないでもないが、それとこれとは根本的に違う気がする。

ドアを20cm程度、少しだけ開けたまま、侑の手にあるプリンを見る。

「有難いけど、いい」
「…は?人が親切に持ってきてやったんや、受け取れや」

出た、横暴な要求。風邪のせいで弱って何も言えなかった昨日の俺とは違う。
強気な侑に少しイラッとして言い返したくなった。

「…なら、そこの床に置いといて。後で取る」
「はぁ?」
「風邪伝染るの嫌なんだろ、俺に近づきたくないんだろ。なら置いて早く帰れよ」

言い切ると侑の目元がひく、と動いた。苛立ちの色が見えて、内心怯んだがここで負けてはいけない。

こちらもツンとした顔で、話は終わりだ、と部屋のドアを閉めようと引いた瞬間、強い力でドアを開かれ手が離れた。

ズカズカと俺の部屋に入ってきた侑に気圧されて、後退る。
「な、」
「何やその言い方」
「何って、その言葉、そのまま返すわ」

強く目を見返すと侑の顔が険しくなった。

…何で、俺ばっかりこんなに責められないといけないんだよ。前から俺が全部悪い、みたいに強く当たってきて…。
もう、しんどいし、嫌だ。

どうにでもなれ、と気持ちを吐き出す。

「侑と話してるとズキズキするし…もう嫌い…嫌だ」

呟く俺の言葉に侑はプリンを近くの棚に無造作に投げ置き、俺の肩を強く押した。よろけて、側の壁にぶつかる。

「何やと?」

今まで見たことないくらい怖い顔で、凄みを効かせて俺の胸ぐらを掴んだ。
ドン、と勢いのまま壁に押し付けられ、背中に衝撃が走る。

乱暴に手を出す侑にさらに言いたくなる。
負けじと睨む俺に、怒りに染まった目が射抜いてきた。

「もっぺん言うてみろや」
ドスの効いた、怒りを孕んだ声で侑が顔を近づけ見下ろしてくる。脅し上げ、言えるもんなら言ってみろ、という威圧に血が騒ぐ。

言ってやる。何度でも言ってやる。

「侑なんか、きら」い

言い終わる前に侑の両手が俺の顔を包んだ。それは一瞬のことで、近づいてくる顔に反応する間もなく唇に人肌の体温を感じた。

何が起きたのか理解できず、心臓が止まりそうになる。

え……?


視界いっぱいの金色、まつ毛、大きな手に包まれ、初めて知る感触。
重なった唇は数秒後にゆっくりと離れた。

目を見開いたまま、呼吸の仕方を忘れてしまうほどの衝撃で息ができない。

な、な…今、なにが…

「黙れやアホ」

言われなくても黙っているし、むしろ何も発せない。驚きすぎて声の出し方も忘れてしまった。

「お前…次それ言うたら、はっ倒すぞ」
苛立ったような低い低い声が腹の底に響く。
「………、」
何を言われても俺は目を白黒させることしか出来ない。

「おい分かっとんのか」
眉を寄せてキレ気味の侑に唾を飲み込んだが、渇ききった喉は潤わない。
「返事しろやボケ、また口閉ざされたいんか」
「…は、…ぃ…」

思考停止した脳は言われたことだけに従うことしか出来なくなっている。
辛うじて息を吐くように小さく漏れ出た返事に侑は無表情で見下ろした後「調子乗ったらこれ以上したるぞ」と恐ろしいことを口走り、部屋を出ていった。

一人になった途端に足の力が抜け、壁を伝ってずるずるとその場に座り込んだ。

な、何だ今のは……?
触れた唇、あれは、今のは、キ、キス…?

生まれて初めての行為に放心状態で床を見つめる。

指先をそっと、自分の唇に触れた。

「え……」

一体、何が起きたんだ。

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