(自転車部 柴side)
俺には一つ下にみょうじなまえという後輩がいる。
中学の時に関西へ引っ越してきたなまえの印象は『存在が薄い奴』だった。
中学のロードレース大会で初めて見たなまえは走り方も足りていなくて、フィジカルもテクニックも追いついていない、そんな印象。
レース中も存在感が薄くて目立っていなかったのに、人数が減って体制が削れていく集団の中から飛び出した『逃げ』になまえは乗ってきた。
キツそうで絶対に逃げのペースを保てるわけがない、とちぎれる予想をしていたのに必死になりながら残っていた。
ちぎれず、食らいつこうという気力だけはあるらしいな、と評価して、いざという時に最後の足として使うつもりで、前に出てなまえの風避けをした。
足で使うつもりだったのに「ありがとうございます…!!」なんて律儀にお礼を言うなまえを見て、駆け引きの仕方もまだまだやなと思った。
そんな薄い印象のなまえが同じ高校に入学してきた時は、あぁ、あん時の存在薄いヤツや、と思い出した。
「みょうじなまえです!中学のレースで柴さんにフォローしてもらってから、チームのエースアシストが目標になりました!」
そんな自己主張の薄い目標を部員紹介の時に言っていた。普通、エースになるために強くなりたいとか、クライマーとして一番になりたい、スプリンターとしてクリテ優勝したい、オールラウンダーとして勝ちたい、とかそんな目標が多いのになまえはアシストに専念したいという地味な目標だった。
まぁ全ては実力がものを言うし、アシストでも何でも後輩にも先輩にも負けるつもりはない、俺は今まで通りやっていくまでだと新入部員を迎え入れた。
「柴、結局1年で残ったの3人だけやったなぁ」
「自転車競技は金もかかるし、危険やし、ついて来れへんならやめた方が自分のためやろ」
「相変わらずクールやなぁ、まっ俺はライバル減って嬉しいけどな!茶川がなぁ、アイツクライマーやん、俺と被るんよなぁ潰しとかなあかんなぁ」
「……秋田も人のこと、言えんやろ」
部活終わりの帰り道、平気な顔で怖いことを言う秋田を横目で見た。
「くっくっく、潰されて這い上がれん奴は、レースで最後まで残られへんやんか。絶対にちぎられん、負けへん、ちゅう意思がないと一回諦めたらもう戦いの舞台に戻られへんのがレースや」
「…間違ってはないけどな」
「1年の成長も楽しみやけど、俺らも負けてられへんで、先輩らもおるし。…もちろん柴にも負けんけどな」と目に闘志の色を宿す秋田を見る。
血気盛んなライバルに心の中で、俺も負けるつもりは一切ない、と呟いた。
▽▽▽
«3年 秋»
「柴〜、2年が呼んどるで〜」
授業合間の休み時間にクラスメイトから名前を呼ばれて、顔を上げた。
教室の入口にはなまえの姿が見えた。
席を立って、廊下に立つなまえの元に歩く。インハイも終わって部活を引退した俺のところに来るのは珍しい。
「どうしたんや」
「あの、明日部活休みなんですけど、柴さん外走りますか?」
もし走るなら、自主練がてら一緒に走りたい、となまえは言う。
「休足日は足休ませる日やろ」
それは、そうなんですけど…と言うなまえを見て、過去の自分と重なった。練習がオフの日に自主練で走り込んだことがないかというと、なくはない。
一人で追い込んだことは何度もあった。自分より速い人、強い人間と走るのが一番の練習ではあるし、後輩の頼みなら…なまえの頼みなら付き合ってあげたいと思ったのも少しはあり「終わったら念入りにマッサージせな、あかんで」と言うと、パッと顔色を明るくさせた。
一緒に走れるとわかった途端、そんなに嬉しそうにすることか、と少しむず痒くなる。
なまえはたまにこういう所がある。
『柴さん、すごいです!』と尊敬の眼差しをぶつけてくるかと思いきや、練習中は後ろで睨みつけるように闘争心を見せてくるギャップがあるのだ。
背中に感じる殺気立った視線には慣れたが、最近では気を抜くと危ないなと思う時もある。本人は気づいていないのだろうが、狙われている人間はどこで噛みつかれるか分からないプレッシャーを感じるだろうなと思う。
俺は慣れたけど。
一緒に走ってもええけど、その後のケアは十分に行えよと伝えると、元気よく返事をして帰って行ったから少し笑った。
「おおおっ?どしたんや柴。そんな嬉しそうにして、今日の占い、運勢1位やったんか!?」
廊下を歩く秋田から声をかけられた。移動教室のようで手には教科書やペンケースを持っている。
「…ちゃうわ。…占いは7位やった。明日、なまえと一緒に走んねん」
「ほおっ、可愛え後輩の頼みを聞いてやったんか!」
「練習のついでや」
「否定せんとこが柴らしいなぁ、うんうん」
「…秋田、はよ行かな遅れるで」
廊下で頷いている秋田を放置して自分の席に戻った。
▽▽▽
自主練と称してなまえと走った翌日、昼休みに自販機で炭酸ジュースを買い教室へ戻ろうとしたら、聞き覚えのある声が聞こえてきた。
「せこいぞ!さっきの勝負は侑がズルしたんだから俺に奢れっ」
「はぁ?ズルとかしてへんし。なぁサム」
「いや、しとったやろ。思いっきりしとったで」
「してへんし!お前ら全員、幻覚見えてんとちゃうか!」
賑やかな声の方向へ目を向けるとバレー部の2年と1人だけ身長差を感じさせるなまえが歩いて向かってきていた。よく見るバレー部4人となまえの5人だ。
「あっ、柴さんっ」
俺に気づいてパタパタと駆けてきた。後ろで2年の双子、金髪頭の宮侑の方と目が合う。
「昨日はありがとうございました」
「ちゃんとマッサージしたか?」
「はい!オススメのフォームローラー、今度調べてみます」
「栄養取ってよく寝て、が一番の回復方法やけどな」
「俺、昨日寮に帰った後、爆睡でしたよ」
「ふっ、」
爆睡するなまえを想像して少し面白いなと笑った。会話の合間にバレー部2年が頭を軽く動かして挨拶してきた。
「「ちわーっす」」
バレー部2年達が俺の横を通過して自販機の前に立ち、何買う?と話し合っている中、宮侑だけはなまえの隣に立った。
「爆睡もええとこやろ、呼んでも反応ないし」
「自分も爆睡してる時あるくせに…」
会話に入ってきた宮侑は、なまえの肩に腕を回した。
「晩飯、逃しかけたんどこのどいつや?」
「むっ」
「寮生も大変やな」
晩飯の時間とか色々と気にする事があるんだなと寮生の大変さに、ただ感想を述べただけに過ぎなかったが、宮侑は俺の言葉に「俺が起こしてやったんすわ、俺が」と主張してきた。
「感謝せえ」
「何かムカつく」
「はぁ??」
「ぎゃあっや゙め゙っ」
目の前で繰り広げられるやり取りに仲良えなコイツらと思っていると、後ろから同学年の姿が見えた。
「何、騒いどるん」
淡々とした口調の声に宮侑が動きを止めた。ゆっくりと振り向いて、声の主を確認した瞬間、いきなり背筋を伸ばした。
「き、北さんっ」
「北さぁんっ!救世主っ」
「侑、またみょうじくんに何かしとんのか」
「何かってなんすか!何もしてへんですよ!なっ?」
「侑が俺のこと急に絞めてきたんですよ!」
「あ?嘘いうなや」
北の前で必死の説明をするなまえ達を見ていると「まぁたやっとるわ」とバレー部2年メンツがジュースを片手に近づいてきた。
「寮でもこんな感じなんか?」
宮侑、ではなく宮治の方に聞いてみる。
「大体、こんな感じっすね」
自転車部の合宿でもなまえのはしゃぐ姿は見た事があるが、宮侑みたいなタイプは自転車部にはいないため、言い合う姿は自分には珍しく思えた。
二年メンバーの茶川、三分、なまえは基本的に仲良く喧嘩もせず過ごしているため、なまえがここまで拗ねたり、怒ったりする顔は物珍しい。
北は2人の言い分を聞いて丸く収めた。
「ジュース買いに来たんやろ?昼休み終わるで」
「そうだった!ズルした侑の奢りな!」
「はぁっ?!せやからちゃう、言うとるやろが!」
「俺りんごジュース!」
「嫌や、俺はオレンジがええ。オレンジ飲め」
「はっ?!選択肢ないのかよっ」
「あるわけないやん、俺は今オレンジの気分なんや」
話しながら自販機の前に向かう2人を見送って北に顔を向けた。
「バレー部の大将は色々と世話が焼けるな」
「自由な奴らばっかや」
「北でも手ぇ焼くことあるんか?」
「手を焼く…、まぁ双子のことで先生から呼び出されるのはよくあるな」
「……割と焼いとんやな」
アイツら何言うても自分が納得せえへんと我慢できひん性格なんや、とくすりと笑った。その横顔はもう慣れたと言っているようにも見える。
「納得できるまで動き続けるし、ぶつかり合うし、毎日嵐やな」
涼しい顔で話す北の感覚は、人とはかなり違うのだろう。
「寮でもあんな感じらしいな。なまえと宮侑、」
「ああ二人共、仲良えで」
「すまんな、なまえの面倒みてもろて」
「何で柴が謝るんや」
「アイツの先輩やし。自転車部の後輩やからな」
「…意外やな。…いや、意外思うたらあかんか」
「意外、て何が?」
「柴が後輩のこと、みょうじくんのこと気にかけるんが意外やな、て」
「…そんなドライな人間に見えるか?」
自分で言ってみたが、実際周りから見たらドライな人間に思えるかもしれない。自分も今まで他人と自分は別、と線引きしているところが多かった。なまえと走るまでは。
「侑とみょうじくんが一緒におるとこ、見かけるようになったんは春からやけど、みょうじくんのおかげで侑もちょっと変わってきとる気がすんねん」
「変わる?」
「侑は割と言い方が強い時があって、周りから反感買うことも多いねんな」
「あぁ」
「ほんでも、寮でみょうじくんから『言い方ひどい』とか『傷つくからやめろ』とかそんなん言われて、たまに考えて意識しとる時があんねん」
たまにな、と強調する北と目が合う。
「せやから、侑はみょうじくんと仲良ぉなれて良かったなて、俺は思てんねん」
侑に絡まれるみょうじくんは大変やけどな、と言う。
「…なまえは大体のことは耐えられる奴やからな」
「強いな」
「まだまだや」
「手厳しいな」
「まだまだやけど…走っとる時は常に臨戦態勢やし、勝負したくて堪らん、てウズウズしとる奴やねん、強うなる」
常に俺の後ろで仕掛けようと目論むなまえを思い出す。昨日もどこかで一泡吹かせようとアタックを仕掛けてきたが、もちろん俺は許すはずもなく、力でねじ伏せた。
悔しそうななまえの顔を思い出していると、口元が緩んでいたようだ。
「楽しそうやなぁ」
「…北も楽しいか?バレー」
「…俺はもう習慣の位置付けやけど…そうやな、楽しいで」
くすりと笑う北は、高校三年生にしては少し幼く見えた。同い年なのに、笑うと年下にさえ見える。
本心なのだろう。俺も少しだけ口角を上げた。
「昼休み終わるし、教室戻ろか」
「せやな」
廊下を歩く北の後をついていく。
これは何気ない日常の昼休みの話。