(宮侑)
朝から湿気た面をしているなまえに話を聞いたる、と言って詳しく聞けば、インハイ予選のメンバーに選ばれるかどうかで自分が退けば3年生全員が出れるんじゃないかと抜かした。
そんな話を聞いていたら腹立たしくて、思うことをそのまんま言ったら、しかめっ面した後、すこぶる感じが悪くなったなまえ。
俺間違ったこと言うてへんし。レギュラー争いなんて当たり前の俺らにとっては部内でも潰すか潰されるかの戦いやねん。それなのに先輩達が〜、言うて、何を綺麗事言うとんねん。
アホちゃうか。俺が言ったことの方が正しいのに、何でお前が腹立てとんねん。
プリント配る時も渡し方が雑で、腹立つからこっちもひったくってやった。
腹立つ…。
昼休みになって治のところで飯を食べていたら、なまえが同じ自転車部の茶川のところに来た。
治と角名と騒いでいると、教室に入ってきたなまえに気づいて目を向けた。
一瞬目があったけど、すぐに逸らしやがった。何か逸らし方がムカつく逸らし方だった。腹立つ。
「ドアホが…」
ガンを飛ばしておいて弁当に向き直る。
そんな俺を見て治がなまえを見た。
「なに?喧嘩でもしとんのか?」
「してへんわ。あいつが一方的に感じ悪いだけや」
「ふうん。隙あり」
治が俺の卵焼きを取って食べた。
「ああっ!お前!吐き出せ!」
「もう胃の中や」
「糞豚ぁぁ!」
治の体をバシッと叩くと、手にしていた箸が落ちてコロコロと転がる。箸がちょうど近くを歩いていた人の足元に当たって、拾ってくれた。
顔を見ると…
「なまえ、おおきに」
「治〜、お前食い意地!」
笑いながら治に箸を渡すなまえ。
「ツムがド突いてきたんや」
「へぇー」
あ?こいつ…ぜんっぜん俺の方見いひん!
頑なに俺の方に顔を向けないなまえ。
「……」
「……」
お互いに沈黙が流れる。
「じゃ、」
なまえは治に手を挙げて去っていく。
「何、今の間。冷戦か?ここはシベリアか?」
「…あいつが感じ悪いだけや」
何であいつが悪いのにこっちがこんな腹立たしい思いをせんとあかんのや。
ふん、と苛立ちを飲み込むようにウインナーを勢いよく口に放り込んだ。
***
結局、午後の授業もなまえは後ろを振り向くことなく、俺らは話さないまま学校を終えた。
部活の練習が終わった後、寮に帰って治と食堂に行くと隅っこで今日の晩御飯のチャーハンを食べているなまえがいた。
「なまえー、もう風呂入ったんか?早いな」
治に話しかけられてなまえが俺に気づく。
いきなり早く食べ始めた。
なんや、一緒に食べたないってか?あ?
「あぁ…明日インハイ予選の選考レースがあって。部活がオフだから、早めにな」
「…やる気ないくせに」
ポケットに手を突っ込んだまま、なまえを見下ろしながら俺は思ったことをそのままボソッと口から出した。
俺の言葉に口をもぐもぐと動かしていたなまえがピタリと止まった。机を睨みつけた後、残りのおかずを口にかき入れて、ごくりと飲み込んだ。
「……ご馳走様でしたっ」
ドンッとコップを強く机に置く。
「じゃ、」
治にだけ言って席を立ってトレーを返しに行った。
「何っなん!あいつ、腹立つわ…」
「お前らまだ続いとんのか。どうせツムの言い過ぎやろ」
「俺は悪うないねん。あいつがあんぽんたんやねん」
「何があったん」
チャーハンを山盛りにして治と食堂のテーブルに座る。
今朝のなまえとのやり取りを話した。
「…はぁ、ツムに言われんでも分かっとるやろなまえは」
「分かっとんのやったら余計に腹立つわ。うじうじしよって」
「ツムが話せ、いうから話したんやろ。ほんでツムの人でなしが炸裂したら、そらああなるわ。言葉を選べや」
「選ぶも何も、俺の言うとること間違ってへんやんか」
「『分からんでもないけど、皆勝負するために練習してんねん。2年も3年も違わんやろ』とか」
「……」
「気遣いができへん奴は友達失くすで」
治が呆れたように肩をすくめた。
飯を食って、風呂から上がった後も治の言葉が繰り返される。
気遣い。
何なん…思ったこと言ったくらいであんな感じ悪うなりよって…。
なまえとこんな感じになるのは初めてで、あいつずっとあの態度のつもりなんやろかと考え始める。
「はぁーあ、めんど」
床の上でやっていたゲーム機を投げ出して代わりにバレーボールを手に取った。上に上げてキャッチ、を繰り返す。
ポン、ポン、と刻み良いボールの音を聞くと、少し安心する。
早めに課題終わらせると息巻いて机に向かっていた治が振り向いた。
「何なん、今更言いすぎたとか思って気にしとんのか」
「……ちゃうし」
「ツムが言い過ぎるんはいつものことやん」
今に始まったことじゃない、と治が言う。
「…もう寝るわ」
ボールを置いてベッドに潜り込む。
目を閉じると朝の悔しそうに唇を噛んでいたなまえが浮かんできた。 寝れば忘れられる、とそのまま意識は落ちていった
***
土曜日の朝、練習のために体育館に向かう途中、自転車部が正門前で集まっているところが目に入った。
主将を囲むように、自転車に跨って聞いている奴もいれば、ハンドルに手を添えて自転車横に立っている奴もいる。手を添えるだけでしっかり自立するロードバイクは軽そうだ。
実際になまえにロードバイクを持たせてもらったことがあるが軽かった。普通のママチャリとは重さが違った。
「コースはダムの西側から登って頂上までついたら、そのまま下って東の川沿いで学校の裏側から戻ってくるコースな。スタートは下の交差点から。あとは信号ないコースやけど、車と歩行者には気ぃつけや」
部員の返事が青空に響く。
「ちぎれても諦めんな。組んで走るのもありやけど、本番同様、最後の最後は誰が一番速いか、や。勝ちは一位だけ。本気勝負やで」
主将が楽しそうに笑っているが目は笑っていなかった。徹底的に叩き潰したる、とでも言っているかのような挑発的な目。
恐ろしささえ感じる。
なまえの顔をちらりと見たが、こっちに背を向けていて、よく見えない。
(あいつ、まだ気にしとんのやろか…エースをアシストしたい言うとって、ここで勝ち上がらな、エースをアシストするもなにもないやろ。
3年がどうとか、気にしとる場合やないやろ)
なまえとは昨日の会話以降、話しもせず目も合わせてない。ロードバイクの隊列が学校の敷地から出ていった。
小さくなるなまえの背中を見た後、俺は体育館に向かった。
練習前のアップで入念にストレッチをする。セッターとしていつでも良いトスを上げられるように。常に体を万全の状態にしておかなければいけない。
「ねえ昨日のまだ続いてんの」
「ああ、なまえとツム?食堂でも冷戦やったで。北の戦地や」
「ウケる」
「本人、言い過ぎた、て気にしとるらしいで」
「まじ?あの侑が?」
お前ら、聞こえとるわ!!
治と角名を睨みながら腕の筋を伸ばす。
ストレッチが終わった後は軽く走ってから、動作運動。全身の動作運動で体全体の可動域を広げる。
体が解れてきた頃、ボールを使って基礎練習からスタートする。
今日もボールの感触ヨシ。
「よっしゃ、遊ぶで…!」
汗が滴りおちるほど、キツい練習。本番と同じくギリギリを攻めて戦う。
バレーは面白い。やめられん。もっと、もっと欲しい。
喉が乾いたら水を飲むようにバレーが足りん。
ああ、楽しいなあ。
ボールを上げる楽しさが最高やねん。
「休憩ー!」
土曜日は基本一日練習。昼休憩になって体育館横のドアに腰かけて外に足を投げ出す。
5月の中旬。今が一番快適な気温かもしれへん。吹く風に前髪が揺れる。
水を飲んで汗を拭いとると、横にカバンが置かれた。
「ん、」
「おおきに」
治が俺のカバンを持ってきてくれた。中から昼飯のおにぎりを出してかぶりつく。
二人で腰掛けて外を見る。
「ええ天気やなぁ」
「せやな」
目の前には校舎裏から続く坂道。今日はまだ通ってないはず。
治と駄弁りながら食べていると、視界の中に小さな人影が見えて思わず立ち上がった。
坂の下に向かって走ってくる自転車。8人。3年の中になまえと他の2年もいた。
「うわ苦しそうや」
治がぼやく。
なまえは90kmの選考レースと言っていた。削り合った後なのか、それぞれの顔つきは険しく口を開いて酸素を求めるように呼吸をしている。
坂道に入り、8人が下を向いて足を回す。辛そうな息遣いが聞こえてくる。
同時に3年のエースと主将が8人の中から前に出た。まだサドルに座ったまま力強く脚を回している。速さの違う2人と残りの6人に分かれるかと思ったら、なまえと茶川が2人の後ろについた。
「っ、はぁっ、俺が引くから、茶川、行けっ」
「みょうじがずっと引いて、っくれたから今ここにおんねん…っ、勝つでっ、俺の後ろにつけ!」
茶川がなまえの前に出て主将とエースから離れまいと繋ごうとしている。
3年の柴サンがついてきたなまえと茶川を見て、腰を上げた。ダンシングだ。
茶川がなまえの隣に位置つけてなまえの腰に手を当てた。なまえは目を見開いて茶川を見た。
「俺もう脚残ってないんやっ」
「ちゃが、わっ、お前、」
「俺のっ、分まで、踏め!!」
茶川の腕がなまえの腰をぐい、っと押した。
なまえの体が前に押し出されるように前進し、腰を上げた。
ペダルを踏み込む足、汗が伝うふくらはぎ。ハンドルを力強く握る腕。前に、前に、とせり出す体。前を走る2人を見る目。
絶対に離さないと捉えられた背中。
歯を食いしばって前を睨む、あの顔。
ああ、あの顔や。喉元がゾクリとする。
なんや…、結局走り始めたら抑えられんのやろ?勝ちたい、敗者の上に立ちたい。目の前を走る獲物を喰いたい。喰らいつきたい。
そんな顔をしとる奴が、潰し合いの闘いの中で、遠慮なんて出来るか?
なまえの口角が上がったのが見えて、気にしていたことは杞憂だったと思った。
「みょうじっ!!踏めぇっ!ちぎれるまで踏み込めぇ!!」
後ろから茶川の途絶え途絶えの叫びが聞こえた。
その声に応えるようにもがくなまえ。
ロードバイクを左右に振って脚を踏み込む。1回1回の踏み込みで前に進む。柴サンと主将の隣に並ぶなまえ。
前しか見ていない。
なまえの目は頂上しか見てなかった。
なまえの右手が動いた。カチャンと音がして、ギアを変えたなまえの体が主将と柴サンより少し前に出た。
続いてすぐにカチャン、カチャンと柴サンと主将もギアチェンジしたのか前に出たが遅かった。
なまえの体はその数秒速く前に出ていた。全ての力を振り絞るように全身を使ってペダルを踏み込み、そのまま頂上に到達した。
3人の息遣いが聞こえる。
「っはぁっ、ッ、はぁっ」
ロードバイクに跨ったまま、ハンドルに頭をつけて息をする主将。
なまえは拳を握った。
「ッ、はぁっ、っしゃぁぁあ!!っ」
空を見上げる柴サン。なぜかその横顔は静かに笑っていた。その後ゴールした茶川と3年生ら。
「みょうじっ!やったな!!」
「茶川っ!ありがとう…、最後繋いでくれなかったら、踏めてなかったっ」
お互いに拳を付き合わせて笑いあっている。
「…っはぁ…あー…悔し…」
7、8番目にゴールした3年生が項垂れるように座り込んでいた。
それを見てなまえと茶川は唇を引き締める。
「あの…俺、」
何か言いたそうな顔をしているなまえに3年生が強めに放った。
「謝んなやみょうじ」
「いつも手ぇ抜かずに地道にやっとんのは知ってんねや。せやから悔しいけど、悔しいけど!不服やあらへん」
「俺らの分まで全力で走りや…」
「「……はい!」」
なまえと茶川が大きな声で返事をした。
2年に背を向けて部室に向かう3年生らは辛そうな悔しそうな顔をしていた。
言葉には出さずとも悔しくて、やるせなくて、諦めきれない思いはすぐに落ち着くわけじゃない。
そんな姿は俺らもたくさん見てきた。
勝者がおるなら、敗者がおる。当たり前のことや。選ばれるなら、選ばれんやつがおる。
吹っ切れたような顔のなまえは笑っていた。
あいつの選考レースを見て、さっき飯を食べたばっかなのになんや腹が減ってきたような気がした。
「なまえ、今日も顔すごかったな」
まだ食べている治をちらりと見る。
「俺らもいつレギュラー奪われてもおかしくないで」
「せやな」
「相手を倒す前に、中で一番強い奴決めな」
本気勝負や。
午後からの練習が楽しみになって、体育館の中に駆けていった。