朝練の後、部室から出て校舎に向かう。
朝は特に騒がしい昇降口。自分の下駄箱から内履きを取り出して足元に置く。
靴を履き替えて階段を登ろうとしたら、後ろから名前を呼ばれた。
「みょうじ!ええとこにおった」
「おはようございます」
声をかけてきたのは理科の先生だった。
「これなぁ宮に渡しといてくれるか」
差し出されたのは宮侑と書かれたノート。
「え、俺ですか」
「なんや自分らいつも一緒におるやないか」
「はあ…」
まあ後ろの席だしなと受け取ると、頼むなと言って先生は戻って行った。
いつも一緒にいると思われてんのか。
まあ確かに2年に上がって侑と話すようになってから、よく絡むし、寮でも一緒に食べたりしているしなぁと考える。
2年の階まで上がり、2組の教室へ向かう。
廊下も立ち話したり、走り回ったり、何か物をキャッチボールしたりしてる奴もいて騒がしい。
賑やかな廊下で人にぶつからないように避けながら歩く。こいうのは得意だ。存在感が薄いからな。
いや、でもそれは虚しいことなのでは…と自分で突っ込んでいると後ろから衝撃が走った。
「うぇーいっ」
ドンッという衝撃と首に回ってくるがっしりした腕。のしかかってくる体重。
「ぐはっ」
よろけるも、肩に回った腕によって体が前に倒れるのを止められる。
「お前…普通に声かけろよ」
後ろから当たってきたのは朝から元気な侑だ。というか、俺にこうしてタックルかけてくるのは侑しかいない。
「おはよーさん」「はよ」「おはよう」
横から治と角名、銀が声をかけてきた。
そう、これが普通なんだよ。
「タックルかけてくんな」
「はぁ?これがタックル?それはないやろ。ただ肩回しただけやん」
「交通事故並の衝撃」
「いつかなまえ、張り倒されるんちゃうか」治が言う。
まさにテレビ番組で見たライオンとじゃれ合っているタレントのような気分だ。
「やってなまえ、ちょっと肩組んだだけでよろけるんやもん。おもろいやん」
完全にいじってきている。これだから陽キャは困るんだよ。
「普通に重いし、体重差考えろ」
「なまえがひ弱なだけやん」
くっそ…。ガタイが良い奴の体当たりは普通によろけるだろ!
手に持っていたノートを侑にぺしり、と当てる。
「これノート。先生から」
「あ、提出しとったやつや。あんがとぉ」
治、角名と廊下で分かれて俺達は教室に入った。自分の席に座って携帯を取り出す。
携帯をいじっていると廊下から教室の入口から名前を呼ばれた。
「みょうじー!」
呼ばれて顔を向けると秋田部長が廊下に立っていた。すぐに立ち上がって教室を出る。
「すまん、朝練で渡し忘れとったわ。茶川にはさっき渡したんやけど…」
渡されたのはゼッケン。明日のインハイ予選で使うものだ。
「ありがとうございます…!」
手にして、改めて明日がレースなんだと気が引き締まる。
「今日はオフやし、また明日な」
そう言って秋田部長は帰って行った。
席に戻ると侑が手に持っているものを指さして「なにそれ?」と聞いてきた。
「ゼッケン。明日のインハイ予選の」
持っている白い布を見つめる。
明日で、インハイに出られるかどうかが決まる。出られなければ3年生の夏は終わる。
「………」
鼓動が早くなる。まだ明日にさえなっていないのに。
「はぁ緊張するわ…バレー部は?」
「来週」
「そうか…」
「どこでやるん」
「県外。△□公園のサイクリングロード。9週、約90km。下りと登りのアップダウンコース」
「勝てたら全員行けんの?」
「いや、予選は各校6人出られるけどインハイに出れるのは上位20人弱。各ブロックによって違うけど関西ブロックは上位20位。インハイは大体200人弱で走るけど、まずインハイも予選も完走できるかどうかなんだよ」
「最後まで走らせてもくれんのか」
「足切りもあるし、落車で走行不可になれば必然的にDNF、Do Not Finishの略な。完走できなかったっていう扱いになる」
「厳しいんやなぁ」
「だから…喰らいついていくしかないし、追いつけなかったら…勝算はないんだよなぁ…」
「…毎日練習してんねん、それをやればええだけやろ」
「…おう」
何だか侑に言われると安心した。やれば必ず自分の力になる。それを体現している奴が目の前にいるんだ。誰よりもボールに触れて、上を目指している。
そんな奴に言われて不安は少し和らいだ。
***
一日が終わって、早めに寮に帰り明日のレース用ジャージにゼッケンを付けた。
背面の腰辺りに見えるように付けた「36番」
見ていると緊張してきて手が汗ばむ。平常心、平常心。
早めに風呂入って、ご飯食べて寝よう。
先に風呂に入った後、一旦部屋に戻ってから食堂に向かう。
晩御飯のメニューは生姜焼きだった。
トレーに白ご飯と味噌汁、生姜焼きと惣菜を取って隅のテーブルに座る。
「いただきます」
生姜焼きとほくほくの白米を一緒に食べる。美味い、美味いけど何だか緊張で味がぼやける。
「はぁぁ…」
項垂れていると食堂にデカイ3人が入ってきた。
「おっ、おるやん」
侑、治、角名の三人。
「スタンプ押したやん!気づけや」
携帯を見せながら寄ってくる侑。
「スタンプ?」
言われて初めて携帯を見る。ラインの通知が来ていた。風呂に入ってたから気づかなかった。
「ほんとだ…」
「未読無視!…て、なんやジメジメして。湿度高いで」
「除湿機いるか?」
侑と治の言葉にいつもなら 要らんわ、なんて返せるのに今だけは 曖昧な相槌しか出来ない。
ご飯を取ってきた角名が俺の向かいに座った。
それを見て双子も取りに行き、いつものように大盛りのご飯を手に帰ってきた。俺の隣に侑、角名の隣に治が座る。
「せや、ツムから聞いたで明日インハイ予選なんやってな。頑張りや」
治が応援してくれた。
「うん。うん…」
「せやからさっきから湿度高いねん」
侑が俺を横目で見る。
「緊張して…いつもレース前って緊張するんだよな…始まったら走ることに精一杯で忘れるんだけど、このスタートするまでが、あぁあ…」
「緊張したって仕方ないやん」
「お前ら試合、緊張しないのかよ」
「ワクワクしてドキドキすんねんっ!」
侑は試合に緊張なんてしたことがなさそうだ。
「語彙力、やば」
侑の言葉に角名がニヤリと笑う。
こいつらは緊張とかなさそうだよなぁ、強い奴は緊張よりも闘う喜びの方が勝るんだろう。うちの柴さんでさえレースは楽しそうな顔を見せる。
凡人の俺には明日無事に走れるか、インハイに出られるか、という不安しかない。
「はぁぁぁ……」
「うわっ、湿気とる!じめじめや、湿気取りいるで!」隣で侑が言う
「湿気取りじゃあかんわ、除湿機やな」治も乗っている。
「湿度100%?」角名さえも乗ってきた。
「お前ら…」何か言わねばと口を開いた時。
「あかん、ツッコミが追いつかん!なんやこのボケの渋滞は!」
上を見ると尾白先輩が立っていた。隣には北さん。
「アランくん!湿気取り持っとる?」
「持っとるわけないやろ!」
「じゃあ除湿機は?」
「あるかいな!!」
双子と尾白先輩の軽快な会話が続く。
「どしたんやみょうじくん」
北さんが俺を真っ直ぐに見て聞いてきた。
「明日自転車部のインハイ予選があるんですけど、なんや緊張しとるらしいです」
治が俺の返事を全部言ってくれた。
「…です…」
「あぁ、確かに今日、秋田が教室で意気込んどったなあ。走り回ったる、言うて」
思い出すように北さんは腕を組んだ。秋田部長の言いそうなことだ…。追加で「潰しまくるで」とかも言ってそうだ…。
「部長は…血気盛んなお人ですからね…」
遠い目で
「緊張、する必要あるか?」
こてん、と首を傾げた北さん。
あっ、と双子が表情を固くした。角名はパクパクと生姜焼きを食べている。
「俺、インハイ予選出るのも初めてで…。明日上手く走れるかな、とか」
「…練習で出来てないことは出来んし、勝負時でいきなり上手くできることなんてまぐれや。でも、普段から出来てることは試合でも出来るはずや。体が覚えてる。動きを知ってる。叩き込んだものは使えるはずや。自転車競技のことはよう分からんけど、キツい練習耐えてやってきたなら明日も同じちゃう?」
「はい…」
「今まで、ちゃんとやってきたんなら出来るで?」
「……っ!」
緊張なんて必要ない、いつも通りにするだけや、と涼しい顔で言うバレー部主将に俺は唇を引き締めた。
「柴さんや秋田部長みたいなセンスも力もある人についていけるか…不安になってたんですけど、心強いです…!」
「…柴や秋田みたいな強い奴に練習でついていけとるなら、明日も変わらんやろ」
うわぁぁ、北さんの言葉が胸に刺さって思わず押さえる。カッコよすぎだろ…っ
「北さん…ありがとうございますっ」
バレー部主将、言葉の力が強すぎる。
「すまんな、勝手に要らんこと言うたわ」
「いや!何か安心して眠れそうです…!あざっす!」
「明日頑張ってな」
「頑張りや〜」
北さんと尾白先輩に応援されて俺は頭を下げた。離れていく北さんが尾白先輩に向かって「目立たんけど、地道にちゃんとやっとるって聞いてな。何や似とる気がして…」と話していた。
「キンキンに覚めとったなツム…」
「怖い、怖すぎるっ!」
治と侑が顔を歪めている。
「北さんカッコよすぎんだろ…」
「アホかなまえ。アレの100倍の正論で言われる俺らの身を考えてみ!」
「ああ、最近自分だけじゃなくて人が言われとんのもドキドキしてくるようになったわ!」
双子が騒いでる中、角名は完食していた。
「まぁ主将だし、時にはビシッと言うこともあるだろ?」
「分かってへんなぁなまえは!」
「角名は言われたことあんの?」
「……思い出したくない」
「あるで、この間『角名、楽したいか?サボってもええけど、その分他の奴は力つけてるで』って言われとったでこいつ」
口元を抑えて笑いながら言う侑に角名はジロリと侑を睨んだ。
「侑は『楽しいか楽しくないかで判断しとるんか?本気でバレー、してへんの?』って言われてたよね?」
思い出したのか青い顔をする侑。
お互いにダメージを受けているのか角名と侑が苦しそうな顔をしている。すげえ、北さんの威力強すぎだろ。
「治は…「なまえ、聞かんといて」」
首を降っている治。俺はダメージを受けたくない、とでも言っているよう。
「サムは『苦手な返しでも、取りに行かな誰が行くん?そこに人おらんかったら点、取られとるで?』て」
3人共顔が青くなっている。
「……何か、ごめん」
興味本位で聞いたら予想以上にダメージ受けていて申し訳なくなった。
必死で頭を振って忘れようとしている双子を見ながら俺も生姜焼きを完食した。
部屋にこもっているよりも、こうして話ができて幾分か緊張も落ち着いた。
何より北さんから声をかけられ、明日に向けて覚悟が出来た。
全員食べ終わって食堂を出た。階段のところで分かれる。
「じゃ、おやすみ」
「明日頑張りや」治が手を振る。
「気張ってけ!」侑が俺を指差す。
「ファイト」角名は振り向き様に軽い口調で言った。
「……おう!」
友達に応援されるって嬉しくて自然と笑ってしまう。親指を立てて、応える。
侑が笑った。
部屋に戻ってほくほくした気持ちになった。泣いても笑っても明日は来る。
やるしかない。今まで練習してきたんだ。
北さんの言葉、あいつらの応援の言葉。
うん、大丈夫な気がする。
戻ってきた平常心を確信して、布団に潜り込み目を閉じた。