午前中なのに、空はまるで夕方のような暗さ。
次の授業が始まるまでの休み時間。
片腕を伸ばし、机に伏せ顔は窓側に向けて、外の降りしきる雨を見ていた。
雨音が閉め切った窓を通り抜けて聞こえてくる。
雨、雨、雨。
土砂降りの雨。
暗い天気が心做しか気分までどんよりとさせていた。
雨、かぁ。テンション上がらないなぁと思っていると、後ろからドスッと衝撃が走った。
「う、…なんだよ侑」
俺の背中には、侑の人差し指が突き刺されている。
「ただでさえジメジメしとんのに、視界に入ってくる奴が湿気とるからジメジメが二倍や」
起き上がって侑を見る。頬杖をついて鬱陶しそうに俺を見た。いつも思うが、机が窮屈そうなのは侑がデカイからなんだろう。
机のサイズがマッチしてねえな、なんて当たり前のことを考える。
「……だって雨じゃん」
「あれか。今日、外走れんのがショックなんやろ」
部活が出来ないことを言っているんだろう。
「うーん…その逆」
「はぁ?」
「むしろ外を走れた方がよかった…いいよなバレー部は天気関係ないもんな」
「そら中でやっとるからな」
「うん、俺らも天気悪い日は屋内練習なんだけど、内容がなぁ、地獄のメニューなんだよなぁ」
部活のことを考えると、どんよりとした雨模様よりも俺の方がどんよりとしてくる。
「何や外走るのもどっちみちキツいんちゃう」
「そのキツさとは違うんだよなぁ…インターバルで追い込んでいくから競り合うキツさじゃなくて自分で首絞めていく感じのキツさ…」
「…例えで更にキツくなってんとちゃう?」
「うん、自分で言っててさらに憂鬱になってきた。うぁぁ…」
顔を手で覆い、地獄の練習メニューを予想する。
「これなら山登って走ってる方がキツくてもマシだわ…」
「せいぜい頑張りや」
他人事だから仕方ないが、他人事のように言う侑を横目にまた窓の外を見た。インハイで結果を残すためにはキツくても練習するしかない。憂鬱な気持ちとの折り合いはつかず窓の外から視線を戻して侑をチラ見した。
侑は爪先を気にする女子みたいに自分の指を見ている。前にバレーは爪の手入れも大事なんや、と言っていたことを思い出した。
バレーに関することは本気以外の何物でもない。そんな侑を含めバレー部は難なくインハイ予選を勝ち抜いた、らしい。侑曰く。
「全国なんて当たり前や。どんな奴らが集まってくるんか楽しみでしゃーないわ」 と嬉しそうに、楽しそうに言っていた。
全国の強豪が集まるインターハイが待ち遠しくてたまらないという顔で笑う侑に、やっぱり全国レベルは違うなと感じていた。
「宮くん、あの、今日放課後、部活前に時間ある?」
女子の声に侑の机の横に視線を移す。
少し恥ずかしそうににこりと笑って立っているのは他組の女子。周りには聞こえないようにこそこそっと話しかけている。
これは、もしかして…
瞬時に自分の存在は邪魔であろうと感じ取り、俺は前へ向いて伏せた。
「今日は日直の当番があんねん」
「あ、じゃあ日直のことしながらで良いから。ちょっとだけ話、聞いてもらいたくて…。放課後、来ていい?」
「ええけど…」
うわあ、いや、これはもう確定だよな。告白…だよな?!聞いているこっちがドキドキしてくる。
他組の女子は帰ったのか、足音が遠いていった。
うわあ、そう言えばコイツ、モテるんだった。と宮侑の外見の良さを改めて思い知る。いや、いつも見下ろされながら思い知らされているけど、と自分でツッコんでいるとまた背中を指で刺された。
「ぐえ、なんだよ」
「話の途中やん」
「お前との会話は終わったわ。さっきので!」
「さっき?」
「さっきの他組の女子の…。知ってる人?」
「知らん」
「し、知らん?!んなわけないだろ。告白するのに知らない奴にするかよ」
「んん…あ、吹部におったかも」
「おったかも、とか!吹奏楽部ってバレー部にもしょっちゅう応援団と一緒に演奏しに来てるとこじゃん」
「んん、人多すぎてあんま覚えられへんやん」
「うわ、罪作りな奴…。大体、侑のことを好きになるのが理解できん。外見はまあ百歩譲って良いにしても、こんな…」
「あ??百歩譲るぅ?こんなぁ…?何や、言うてみ?」
「ほら、絶対こんなジャイアンなの知らないだろ!知ってたら好きになんかならんわ。絶対!」
「俺のどこがジャイアンやて!」
「ぎゃっ、ぐ、ぐるじっ、ぎ、銀ー!助げで!」
視界の隅に見えた銀に手を振る。
俺と侑を見て呆れたように机の横に来た。
「何してんねん」
「あ、侑が俺を絞めようとしてるっ」
「見たら分かる」
「こいつがなぁ、俺のことジャイアンて言うねん」
「まあ間違っては無いな」
「銀まで!」
「侑を好きになる女子は騙されてんだよ!告白ばっかされやがって…!」
「こ、告白…?!」
「おう、たった今女子から『ちょっと時間ある?』とか言われて!」
声高く似せて言うと侑が更に力を加えた。
「なまえ声真似、キモい」
「し、締めんなぁぁっ」
「ゆ、許せんな…」
銀が拳が握る。
「俺だって告白されたい!」
悔しそうに言う銀は侑を手にかける。
「ぎ、銀お前…!」
俺を絞める侑、侑を絞める銀。という構図が出来上がった。
「何してんのお前ら」
教科書を肩にトントンと当てながら治がもみ合う俺たちを見下ろしている。教科書返すわ、と侑の机に置いた。
「治ぅ、助けてぇ…」
「なまえはツムに着火させて絞められとる時あるからなぁ。頻度はなまえの着火とツムの暴走の2:8やな」
「これはなまえが悪いんや」
「冗談言ってただけだって」
「冗談の口調やなかったでぇ??」
涙目の俺は口走らなければよかったと後悔した。こんな暴力的なジャイアンを好きになる女子が理解できない。騙されてるんだぞ!
悔しいやら後悔やらで脱力すると、先生が教室に入ってきて渋々と解放された。銀も治も帰っていく。
「暴力ジャイアン…」
後ろから肩にポンと手を置かれて、びくりとする。
置かれた手が徐々に力が強くなる。
「ひっ…」
「なまえくん、何か言うたぁ?」
ギギギと音がしそうな動きで頭だけ後ろへ向ける。
笑顔で俺に肩に手をかける侑。
「言ってないヨ??」
「ふふふ、嘘はあかんでぇ」
早く授業よ始まってくれ、と願う。
この休み時間で、雨模様に暗くなっていた気分もどこかに行っていた。
******
(宮侑)
「銀、俺今日、日直当番やねん」
「ん、練習遅れるん言うとくわ」
「おおきに」
部活開始前、日直当番の仕事があることを銀に伝えた。窓の鍵の確認、黒板消し、日直日誌を開いてシャーペンを握る。
窓ヨシ、黒板ヨシ、授業中の雰囲気…?ヨシやろ。
マルをつけていると、教室になまえが入ってきた。
部活で教室を出ていく生徒も多く、残ったのは俺となまえだけだった。
「はぁぁ、ついにきた、この時間…」
「まだ言うとんのかいな」
「今から地獄メニューとか、死ぬ…辛い…」
なまえはしょんぼりとした顔で机の中の荷物をゆっくりとリュックに詰めていく。
どんだけ部室に行きたないねん。
日誌を書き込んでいると教室の入口から「宮くん」と声が聞こえた。顔を上げると今日の休み時間に声をかけてきた女子だった。
「あ、」
なまえも気づいて急にバタバタと忙しく荷物を詰め込み始めた。
「俺もう行くわ。じゃ、、いてっ」
焦ったのか立ち去ろうとした時、机に足をぶつけガタッと音が響いた。なまえが足早に教室を出て行き、俺と女子だけになった。
なまえの机を見ると横に倒れたボトルが残っていることに気づく。
あいつ、忘れとるやん。
ボトルに気を取られていると横に女子が立っていた。
「ごめんね、忙しいのに」
「えと、岡田さん、やんね」
「っ、うん」
名前を言うと岡田さんは少し笑った。
「話って何?」
「…っ、応援の演奏してる時に宮くんのバレーしてる姿見た時からかっこいいなって思ってて…好き、です…」
顔を赤くして想いを告げる岡田さんを見た。
「すまん。バレーのことしか頭にない」
そう言うと眉を下げて頷いた。
「…そうだよね。ごめん」
「せやけど、ありがとう。吹部の応援のおかげでむっちゃ背中押された気ぃになるし、ノれるんや」
思ったことをそのままに言うと岡田さんは笑った。
「…っ、それならよかった。これからも応援してるね」
話を聞いてくれてありがとう、と言って岡田さんは教室を出ていった。
今までも度々好意を告げられることはあった。俺を見て、かっこよかったとか言ってくれるのはありがたい。
実際かっこええやろうし。でも本当に俺のことを知っとるわけじゃない。
なまえの言葉を思い出した。
『絶対こんなジャイアンなの知らないだろ!知ってたら好きになんかならんわ』俺に締められて苦しそうに涙目で唸るなまえを思い出して口が緩んだ。
せやねん。そんなん俺でも分かっとるわ。強気で高圧的、それの何が悪い?
外の俺を見て告白してくる女子と、中の俺を知って理解できないと嘆くなまえの対比が面白おかしくて一人で笑う。
ええなぁ。なまえのあの反応。
威圧的に接しても、のしかかっても、締めても、屈しない。恨めしげに見てくるあの目。
女子なら泣いてしまうだろう。
噛めば噛むほど、味が出る。っちゅうよりは噛みごたえがあるするめ、か?
するめみたいな奴っちゅうことか…と自己完結してみる。日誌を書き終えて席を立った。
「しゃーないなぁ。優しい侑クンが届けたるか」
忘れ去られたボトルをなまえの机から取り上げた。
▽
日直日誌を職員室に届けた後、傘を差して自転車部の部室に向かった。
バレー部の体育館の近くのため、遠いわけではない。
部室のドアは開いていて、近づくと轟々と鈍い振動音が聞こえた。
雨模様の外に部室の明かりが漏れている。開いているドアから中を覗き込んだ。
中は部室兼屋内練習場といった形で広く、角の壁にはロッカーもある。床にはローラー台が設置され、部員が自転車でその上にのっている。
ドア付近にいる俺に気づいたのは茶川だった。
「宮?どしたんや」
「なまえが教室にボトル忘れてん。持ってきた」
「おお、始まる前ないないって騒いどったわ。教室にはもう戻れんから、とか言うとったし」
あいつ…岡田さんが来たから気ぃ遣いよったな。
「おっ、ちょうどみょうじが死にそうになってんで。見る?」
「見る」
笑いながら茶川が指差す先にはローラーに乗っている6人。その中になまえがいた。
皆同じ方向を向いて自転車のペダルを回している。スポーツジムみたいな感じだ。
どうやらなまえが嫌がっていた地獄のメニューが今から始まるらしい。
「あと20秒ー、…3,2,1……はじめ!」
自転車部主将の声に一斉にローラーの音が大きくなった。全員が全開で脚を回している。
「はぁッ、ハァッ、ッ」
「上げろ上げろ上げろー」
「みょうじケイデンス落ちとるぞ!」
「っ、」
苦しみに歪み、辛そうな顔。
「……」
「えぐいやろ。逆にあそこまで追い込んどるのもすごいけどな〜」
茶川は笑いながら眺めている。
「残り10秒ー!3,2,1、レストー」
「……っはっ、はっ、…はっ」
なまえは肩で息をしつつ、脚の回転を弱めた。
「レスト残りあと20秒ー、ゆるめんなー、限界まで上げるでー3,2,1、ラスト、はじめ!」
「〜〜っ!!はぁっ、はぁっ、は、」
声にならない苦悶の叫びが聞こえそうなほど、なまえは顔を歪めている。酸素が足りず赤みを帯びた頬、滴り落ちる汗、食いしばった口元。
「倒れるまで回せー!残り10秒!ごー、よん、さん、にー、いち!終わり!」
秋田主将の終了を告げる言葉に全員が脚を緩めた。中にはフライングする奴もいたかもしれない。
「はい、レストー」
ハンドルに上体を伏せているなまえは背中が上下していて、精一杯の酸素を取り込もうと呼吸しているのが分かる。
なまえは脚を緩めたあと、ローラー台から自転車ごと降りて、すぐに床に倒れ込んだ。釣り上げられた魚みたいに、横向きに倒れたまま動かない。
「え、アレ大丈夫なん」
「ああ、死んどるだけや」
さらりと言う茶川に俺は引き気味に笑った。
「みょうじ、生きろー」
「…はぁっ、、む、り、っす…足、動か、ん…」
息絶え絶えに言うなまえ
「はっはっは、ええでええで。動かんくなるまで回してなんぼや!」
瀕死状態のなまえを見て楽しそうな主将。
なまえだけじゃなくて柴さんも床に座り込んで上を仰いでいた。
「柴ぁ、お前もアゲアゲやったな!上等上等!」
「…次、お前やで」
「…はぁぁぁ、地獄やわ」
柴サンに言われて肩を落とし、一気にテンションが下がる主将。
「はははっ、皆このメニュー嫌やねん。なんせ自分で自分を追い込む地獄やからなあ」
ドMじゃないと出来へんわ、と言う茶川も楽しそうだ。
「しかも主将の時は代わりに誰かがタイムキーパーするんやけど、これが楽しいんよなぁ。皆やりたがってん」
今日は俺がやるんや、と得意げに笑う。この日だけは主将に喝入れられるからな、とニヤニヤしている。
「みょうじ!宮、来てんで!」
茶川の声を聞いて、なまえは初めて俺に気づいた。
立ち上がろうとしたが1回ふらついて、床にぺしゃりと倒れた。結果、四つん這いで俺の方に来た。
どんだけ脚使うたんや…
「おお、ぁつむ…どした…?」
「これ、忘れとったやろ」
「ああっ!命の水…!さんきゅー!」
俺の手から受け取ったボトルをそのまま口に含んでゴクゴクと目の前で飲んでいく。上下する喉元、追い込みで紅潮した頬が少しだけ胸をざわつかせた。
「ぷはぁ、、生き返る…」
「地獄のメニューの意味がわかったわ」
「だろ…」
「俺らもサーブ100本練とかあるで、死ぬ」
「…くく、限界超えてからが勝負はどこも一緒だな」
お礼を言うなまえが「ジャイアンとか言ってごめん、ボトル届けてくれるなんて実は優しい奴だったんだな」なんて言うものだから「優しい侑くんを知らんのか?ここで絞められたいんか?」というと「滅相もない」と返ってきた。
俺を何やと思っとるんや。
自転車部の部室を後にしてバレー部の部室で制服から練習着に着替える。
教室で忘れられたボトルを見てなまえに会いに行ける、と一瞬思った。
何でそんなこと思うんやろう。
些細な思考を振り払って、今からの練習に集中する。
さて、バレー、しよか。
ロッカーの扉を閉めてコートに向かった。