肌寒さが強くなる11月。
バレー部は1月の春高に向けて猛練習中らしい。
自転車部は2年と1年だけになり、シーズンオフに入るため持久力強化等の練習がメインだった。
制服もセーターやカーディガンを着る人も多く、朝晩の自転車はネックウォーマーも必須だ。
自転車に乗る俺はもちろんスポーツ用のネックウォーマーで登校している。手袋も自転車用で温かい。
「今日は寒いなーっ、はよ」
教室に入ると温かくて生きた心地がする。
「グズッ、はよ…」
後ろの席の侑は鼻水をすすっていた。
「風邪?」
「ちゃうし。ちょっと鼻が詰まるだけや、ックショイ!!!」
「汚っ!!!」
「あ?!生理現象や!」
「俺に向けてくしゃみすんなよ!」
調子悪そうな侑を見ながらネックウォーマーをグイ、と引っ張って外した。
この季節は風邪が流行るし、受験生は最新の注意を払っている時期だ。
「みょうじーー」
なまえを呼ばれて教室の入口をみる。
三分が廊下から教室を覗いていた。
手を上げた俺と目が合うと。教室の外から放物線を描くように綺麗に何かを投げてきた。
「うおっ」
キャッチするとチョコのお菓子だった。キッ/ト/カットの袋には「きっと花開く」と受験用のメッセージが書かれている。誰かにもらったんだろうか。
「あげるわー」
「さんきゅー」
甘いものがそんなに好きではない三分からもらったお菓子にラッキーと袋を開ける。
横向きになっているとじっと見る侑が視界に入った。
「…仲ええなぁ」
「そ?まぁ同じ部活だし」
「喧嘩とかせえへんのか。俺ら2年いっつも喧嘩ばっかやで」
ああ、想像できるけどすぐに仲直りしてそうだ。
「しないなー。逆に同じ苦しみを分かちあってるから共感とかの方が多いかな…。練習キツすぎて俺らドMじゃね?って話したり…。3人で『苦しさを苦しいと感じないためにはどうしたらいいか』とか、訳分からんこと考え始めたり…ははっ、思い出したらウケる」
俺たち3人の会話を思い出して笑いが堪えられなくなっていると侑は面白くなさそうに頬杖をついた。
そっちが聞いてきたんじゃねえか!
人に話を振っておいて心底つまらんというような顔をするのは解せない。が機嫌が悪いと面倒くさいので仕方なく半分に割ったチョコ菓子を見せる。
「いる?」「いる」
侑が口を開いて待っている。
「ぶっは、チロルかよ」
笑いながら口にお菓子を入れた。
「なんか動物園の飼育員さんになった気分」
「寒いと動きが鈍くなんねん」
またズビッと鼻をすすった。
一日中、調子が悪そうな侑は放課後になるとスポーツバッグを持って立ち上がった。
「え、部活行くのか?」
「当たり前やん。大したことないっブエックシ!」
「ぎゃっ!!」
「ウヴー」
「きたねぇっ!早く行け!」
「菌扱いすんなゴルァ!」
辛そうだけど大丈夫だろうか?
俺も部活に行くためにリュックを背負って茶川の所へ向かった。
***
秋冬は日没も早いため部活は早めに上がる。寮に帰って洗濯や乾燥機を使っていると、廊下を歩く侑が見えた。
あれ?いつもより大分早いなぁ。
ランドリールームから顔を覗かせて侑に手を上げた。
「早くね?」
「…北さんから体調管理できん奴は帰れ言われた」
「ああ、なるほど…」
朝よりもさらに具合が悪そうな侑は手にビニール袋を持っている。覗いてみると『侑へ 飯をちゃんと食って寝ろ』というメモと一緒にのど飴やビタミンのホットドリンクが入っている。極めつけは梅干しだ。
「う、梅干し…!北さん…イケメンすぎる!神か…」
「…っはよ治したるわ」
「うん、食べて寝ろ。それが一番だわ」
ふらふらと階段を上がって行った侑を見送り、俺も部屋に戻った。少し考えて、俺の食料を保管している棚から栄養ゼリーを取り出した。ロングライドや練習で補給用に手軽に栄養補給できるタイプのものだ。
手にして部屋を出る。
侑の部屋の前に立ち、ノックした。
もう寝ているだろうか。
ゆっくり開いたドアから中腰で死にそうな侑の顔が見えた。部屋着に着替え終わっている。
「これ、足しになればな」
そう言って侑に栄養ゼリーを手渡した。ちゃんと立ててさえもいない侑の目線は俺よりも下だ。
「…なんやねん!人の弱みにつけ込んで…!」
「はぁ…?とにかく早く治せよ」
「ありがとう…」
いつもより素直な侑にびっくりして笑ってしまった。
「ははっ、よろしい」
思わず手が出て侑の頭を撫でた。あ、完全にチロルによく出来ましたと撫でる感覚と一緒だった。
侑が目を見開いて固まる。
「あ、ごめん。じゃ、お大事に」
そう告げて侑の部屋から退散した。
撫でた右腕を見下ろす。
やっちゃったなあ。最近、チロルと侑が被るんだよなあ。
部屋に戻って課題をした後、食堂に向かうと治と角名が居た。
「今日はトマトソースのハンバーグか〜」
熱々のハンバーグをよそって席につく。
「治、侑寝てた?」
「爆睡やで。俺が帰ってきても起きんかった」
「北さんの梅干しチョイス、優しすぎな。ばあちゃん並の温かさ…」
「ああ、机の上に置いてあったわ」
角名と治の話によると風邪でもバレーしないと逆に悪化すると言って練習しようとした侑に銀がバレー愛や…!と言ったところで北さんから「体調管理してないことを褒めんな」と言われたらしい。
うお、辛辣ぅ。と聞きながら背筋が凍ったがその後のあの優しさに雪解けを感じた。
「春高も迫ってるもんなあ」
「せやな。しっかり仕上げて勝ちに行くわ」
やる気に漲っている治達に、侑も休んでられないと思ったんだろう。でも体調を回復させるためにはこれとそれは別。
今はちゃんと休む必要がある。
「朝からくしゃみしてたしなぁ。治も伝染らないように気をつけろよー」
俺は侑みたいにヤワやないから大丈夫やという謎の自信の治に笑いながらご飯を食べた。
食べ終わって部屋に戻る。俺も風邪引かないように気をつけよう。
そう思って数日後。
「へッくシ!!」
くしゃみが止まらなくなった。
辛い。息が出来ない。
これは完全に…。
教室で後ろの席の侑を見た。
「お前…、ズビッ、俺に風邪移しただろ」
完全回復したらしい侑は快調そのもので元気そうだ。
「それはお前の免疫力が弱いねん」
「あぁ?侑がくしゃみかけてきたせいだろ」
瞳孔開き気味で侑を睨む。
「その変な顔やめえ」
「うるさい、うう…辛い…」
最悪だ、と上を向いていると、侑の手がおでこに触れた。
「あっつ。熱あるんちゃうん」
「ううん、どうだろ。朝は大丈夫だったのに昼から頭痛がする」
「保健室行けや」
「うーん、大丈夫だろ…」
「そこで我慢してどうすんねん」
「我慢は得意だ。忍耐は自転車で培われてる」
「自慢するとこちゃう」
辛いことに耐える忍耐力だけは自転車で強化されているから、ちょっとやそっとのことじゃ倒れない、と自分では思っている。
転校続きで伊達に鍵っ子をしていたわけじゃない。仕事で忙しい親に熱が出ても言わなかったことはザラにある。母親に熱があることをバレた時は「もっと甘えなさい!」と言われたことがあったなぁと思い出していた。
明日から土日休みだし、最悪二日間休養に専念すれば治るかもしれない。
あと一時間だし、と午後からの授業は気合いで乗り切った。が、頭には全然入って来なくて、終わった頃にはこれなら保健室で寝ておけばよかったと後悔した。
「お前…ほんま大丈夫なんか…」
「ん、大丈夫大丈夫」
引き気味の侑に手を上げてお疲れ、とふらふらと教室を出る。頭痛がピークになってきた。
茶川に部活を休むことを伝えて保健室に向かう。せめて、帰るまでに一旦寝させてくれないだろうか。
保健室に着いて熱を測ると37.9度だった。
そんなに高熱でもないし寝たら楽になるかも、と保健室の先生にお願いすると『風邪薬があるからとりあえず飲んで休みなさい』と部活が終わる時間まで寝るように言われた。
数時間寝れば多少は動けるようになった。保健室の先生に送ろうかと言われ、全力で断る。
「大丈夫です、自転車あるんで!」
「まさか自転車で帰るつもりじゃないでしょうね?」
「いや、押して帰ります。はい」
「…本当に大丈夫?」
「はい、本当に、見た目より元気なので!」
あざっした、と頭を下げて教室を出た。外はもう暗い。
やっぱ動くとまだ頭が痛いなぁ。
ゆっくりと昇降口で靴を履き替えた。靴箱の壁が冷たくて気持ちいい。
ピッタリと壁にくっついている俺は誰かに見られたら不審がられるかもしれない。
気合いを入れて立ち上がる。
少ししんどいが自転車を持って帰ろう、と部室に向かった。
ちょうど茶川と三分が鍵を閉めているところだ。
「あ、待ってくれ〜」
弱々しい声に振り向く二人。ギョッとしている
「みょうじ!大丈夫か!死にそうやん!」
「大丈夫大丈夫。ただの風邪だ」
「頬っぺた真っ赤やで!」
「大丈夫だって」
自転車を掴んで部室から出せばさらに二人はギョッとした。
「は?乗って帰るんか?!」
「いや、さすがにそれは…押して帰る」
「いや、遠いやろ!」
「今日はもう自転車置いて帰れ!」
「強制送還や!」
二人に無理やり自転車を剥ぎ取られ部室の中に戻されてしまった。
「保健室の先生に送ってもらえばよかったやん」
「いや、そんなこと出来ないだろ…」
「出たみょうじの遠慮しいや」
「三分、おんぶや。とりあえずバス停まで背負うで」
「らじゃ!乗れみょうじ!」
「え、いいよいいよ」
「俺らには遠慮すな!」
リュックも剥ぎ取られて、三分の背中に乗れと茶川に怒られる。
すまん、と謝りながら三分の背中に乗った。
揺られながら「うう、ごめん…」と謝ると2人して謝んなと怒られた。
何て優しい奴らなんだと感謝しかない。
暗い夜道を3人で動いているとバス停に向かう途中にあるコンビニから稲荷崎のジャージを来た生徒が出てきた。
「あ?なまえ?」
三分と茶川がコンビニの方を見る。
侑と治と角名だった。おんぶされている俺に近づいてきて、恥ずかしくなる。熱出して友達に背負ってもらって、俺は何て情けないんだ…。弱々しい俺に侑が「やっぱりな」と言った。
「保健室早めに行け、いうたやん」
「みょうじは遠慮しいやからな…基本頼られることはあっても、自分から頼らへんから」
茶川の言葉にすみません…、と三分の背中で小さくなる。
「茶川、家、逆方向やろ」
侑が茶川を見下ろして言う。
「バス停まで送るつもりや」
「俺ら寮やし一緒に連れて帰るで」
「ええんか?」
「うん」
良かったな、と言う茶川にここまで連れてきてくれてありがとう、と茶川と三分にお礼を言う。
リュックを受け取って歩きだそうとするとリュックの持ち手を掴まれた。
「ぐえ…」
「どこ行くんや」
侑に見下ろされる。
「バス停…」
「あほか。ん、」
侑が俺に背中を向けてしゃがんだ。
「ほお…?」
「ほお?じゃないねん。バスの時間来るやろ、はよ乗れ」
角名が俺の手からリュックを取った。
「うわ、何これ重っ何が入ってんの」
「教科書やで」
茶川の返答に角名の頬が引き攣る。
「うわ…感じたことの無い重み」
茶川と三分が「悪いな!みょうじ、休みでしっかり治せよ!ほなよろしく!」と頼んで帰って行った。
「いや…俺は歩けるぞ…大丈夫」と言うも「はよ乗れや!」という侑の凄みに負けて背中に乗った。
立ち上がると三分よりも高くていつもの目線とは違う。高い…。
ギュッと回す腕が強くなった。
「うう、一生の不覚…皆ごめん…」
何に対して謝っているのか分からないがとにかく色々ごめんという感情しか湧いてこない。
三分よりも大きな背中は安定していて、バス停までの道のりを歩いていく。
「頼るんは悪いことやない。友達やろ。お互い様や」
侑の言葉に罪悪感が生まれる。
「うう…もっと早く保健室行けばよかった…。無理して授業受けるんじゃなかった…」
「だぁーっ!そうやこいつたまにジメジメするんやわ!俺の背中がジメッとる!」
「乾燥する季節にちょうどええなあ」
侑の言葉に角名が「ナメクジか」とノる。
「情けない…情けない…ごめん…」
「弱ったらこんな感じになるんやななまえ」
「限界まで我慢して崩すパターンか」
「角名は我慢せんよな」
「俺は辛かったらすぐ休むから」
「角名の場合、辛くなくても休むやろ」
治と角名の会話にまた申し訳なくなる。
「うああ、ごめんん…」
「ちょ、首に埋めて喋るな!こそばゆい!」
「んん、ごめんん…」
こそばゆい言うてんねやろ、と言う侑に「あつむ、ありがとう…。ありがとう…」と力無く返す。
「…はぁ」侑の顔は見えない。
自分でも頬に熱があるのが分かる。多分リンゴみたいに真っ赤なのかもしれない。
夜の涼しい空気が気持ちよくて風が吹く度に熱を取ってくれるようで、こてん、と侑の肩に頭を置かせてもらった。
歩道を歩く俺達。
街灯に照らされる侑の耳がほんのり赤く見えた気がした。
きっと、気の所為だろう。
侑の背中が温かいのも、歩く度に頬に触れる侑の耳が温かいのも。