バレンタインのイベントが過ぎると校内は卒業式への準備が進んでいた。
稲荷崎高校の卒業式は吹奏楽部と合唱部の演奏で盛大に開催される式典だ。毎年卒業生を送り出す渾身の演奏は涙と笑いで包まれる。
3年生が卒業すると、ついに俺達が最上級生になる。正直、寂しいという気持ちは募る一方だった。
部活の練習が終わって、ロッカーの前で茶川、三分と着替えながら話す。
「もう卒業式かあ…」
「早いな。秋田さんは大学で強豪に行って自転車競技続けるし、柴さんはプロ入りやろ?皆すごいよなあ」
茶川の言葉を三分も頷く。
「インカレか…また次元が違うやろな…」
自転車競技は高校生まではジュニアギアと呼ばれ変速のギア比が制限されている。それは成長期の選手の膝や腰、体に負担を掛けすぎないように決められているルールだ。
制限されていない大人よりも軽いギアで走る必要があり、高校競技が終わればギア比制限もなくなる。柴さんはインハイ後はジュニアギアを卒業して大人達と同じギアで練習をしている。
柴さんは重い負荷は良いトレーニングになる、と言っていた。着実に上に進むべく、走っていっているのだ。
「柴さんも外部練習で忙しくてこっちには参加するのも少なくなったし、やっぱ寂しいよなあ…」
「みょうじは柴さん大好きやもんなあ」
茶川がニヤリと笑った。
「いや、大好きっていうか先輩として尊敬してるんだわ!」
「『俺の』エースだもんな〜」
三分も笑う。
「俺のエースは柴さんだけじゃなくて、三分も茶川も、だぞ。登りは茶川、平坦は三分を引いて引いて引きまくるからな」
瞬発力の弱い俺にはそれしかできないし、と言うと茶川と三分は顔を見合わせた。
「みょうじトレインに期待大やな」
「卒業式終わったら翌週、レースやしな」
3月には地元のスポーツ施設の○△アリーナ周辺でクリテリウムレースが開催される。
公式レースではなく、地元のサイクルショップや競技団体の提供で開催されるレースでプロやアマチュアライダーも参加する。
高校生はそのユースカテゴリーに参加できるため、練習がてら参加するのだ。
クリテリウムは短いコースをぐるぐると何十周も走るレースで長距離のロードレースとはまた違った面白さがある。
「地元開催やし、△△工業が絶対『勝ち』、狙ってくるで」
茶川の言葉に三分は苦い顔をした。
「△△工業か…あいつらタッパあるし平坦得意やろな」
「ウチも地元高校だし、負けらんねえよなー」
「三分の本領発揮やな。あと一年生のレース経験も必要やし」
そう言った茶川はしっかり部長らしくなってきたな、と思う。
「よっしゃ、頑張ろ。俺はクリテリウムのあの急激に上がったり下がったりの強度が苦手だから精一杯耐えられるようにする」
「みょうじが落ちたら意味ないからな。最後の最後まで引いて、あとは三分で勝負や」
「ヨシッ!」
三人で次のレースの勝利を誓って解散した。
自転車に乗って帰り道を急ぎ、寮に着く頃には空腹で腹の虫が鳴り止まなかった。
「腹減ったぁぁ」
いつもなら侑達が帰ってくるのを待つが、今日は我慢できず食堂に直行した。
食堂に入ると北さんと尾白先輩の姿を見つけ、挨拶をした。
「お疲れ様ですっ」
「みょうじくん、お疲れ」
「一緒に食うか?」
お言葉に甘えて…、と配膳したトレーをテーブルの上に置き、北さんの隣に座る。
「いただきます…っ!」
腹が減りすぎて白米がどんどん口の中に消えていく。
「えらい食べるなぁ」
北さんの言葉にごくりと飲み込んで答えた。
「今日も練習キツくてですね、腹が減って減って…。日本人で良かった…米うめぇ…」
「分かるわ。米って美味いよな」
向かいの席で尾白先輩が頷く。ハーフという日本人離れした外見でも和食を愛する心は皆等しく同じだ。
「俺、米なくなったら生きていけないっす」
「俺もや」
尾白先輩が同意した。
「…俺もや」
「「えっ!!」」
北さんの思いがけない返答に俺と尾白先輩は同時に北さんを見た。
「そ、そんな北さんが米なしで生きていけないなんて…水さえあれば生きていけるようなお方なのに…」
「水さえ、て、北は植物かっ」
「俺も米好きやし。なかったらキツイなあ、て今思った」
真顔で答えながら白米を口にする北さんに尾白先輩と顔を見合わせた。
「まあ北は米作るもんな」
「えっ!米を、作る…?!」
「ん、家の農業継ぐつもりや」
サラッと言った言葉に俺は目を剥いた。
「えっ、農業?!す、すげえ…」
「…大変やろうけどこれから勉強して行くつもりや」
「はぁぁ…北さんの作る米ですか…。綿密で完璧なお米ができそう…」
「そうでもないで。期待して育てても上手く行かんこともあるし、自然相手にどうやって合わせていくか、まだ俺は素人に近いからな。これからや」
淡々と話す北さんはすでに将来を見据えた目をしていて、3年生の卒業まで半月もないことを実感した。
「皆さん、次に進んで行ってますね…」
「アランはプロ入りやしなあ」
「えっ!そうなんですか?!す、すげえ。どこに…?」
「立花Red falcons。大阪の枚方や」
稲荷崎のエース選手はやっぱプロ入りなのか…と尾白先輩にも、柴さんにもエースってすごいな、と改めて尊敬の意が大きくなった。
「すげえ…。あの握手しといてもらっても…」
手を差し出す俺に尾白先輩は頭をかいた。
「いや、まだ入っても先輩らたくさんおるし、俺も北と同じでこれからや。強い人はぎょうさんおるやろうし」
一応、大きなその手を両手でギュッと握っておいた。
男子バレーボールのプロ選手の手だ。大きいなあ、と思っていると大きな声が聞こえてきた。
「あっ!何、アランくんの手ぇ握ってんねん!」
席の後ろには部活終わりの侑達が立っていた。
「え、尾白先輩の大きな手に触れておこうと…プロだぞ、プロ」
「俺やってプロになるし!俺の手でええやろ。なまえにアランくんの手は勿体ないわ」
無理やり手を引き離されて、なぜか侑に手を握られブンブンと握手させられた。
「上書きかよ」隣で角名が鼻で笑う。
「お前の手はいらんわっ」
「なんやと?」
「騒がしいで。はよ配膳してき」
北さんの一言で3人とも素直にトレーを取りに行った。北さんすげえ、と俺はまた北さんを神格化する。
「北さんが卒業したらアイツら制御する人がいなくなりますよ…」
頭を抱える俺に北さんは俺をチラリと見た。
「頼むでみょうじくん」
「えっ、俺に北さんみたいな威厳も何もないし、あのヤンチャツインズは到底…」
「大丈夫や。侑はみょうじくんの言うことなら聞くで」
「いや…むしろ開放的になるんじゃ…」
「アイツらも3年になるし、言うてくれる人がおらんなったら、自分らでやっていかなあかんて、分かる時が来るから大丈夫や」
北さんも尾白先輩もその道を通ってきたんだろうか、頷いて二人とも懐かしそうに微笑んでいた。
大人びたその顔を見て、3年生はどこまでもやっぱり先輩だな、と思う。
「そうですね。皆、通ってきたんですよね」
「そうや」
トレーを手に戻ってきた三人も加わり、テーブルは賑やかになった。
今日の鮭の塩焼きがやけに美味しく感じる。
去年、一年の時は一人で黙々と食堂で食べていたが、そこまで美味しくは感じなかった。普通の味、程度だったのに。
皆で食べるって良いなと実感していると北さんが侑達に声を掛けた。
「3月の試合はどうや?メンバー決まったんか?」
「俺ら2年4人と理石にもう一人一年加えてスタートする予定っす」
「交流試合とはいえ、手ぇ抜くなよ」
尾白先輩が釘を指した。
「もちろん本気や!」
早く遊びに行きたい、とウズウズしている子供のような表情で笑う侑に俺も北さんも笑った。
「どこで試合やんの?」
俺は角名に聞いた。
「○△アリーナ」
「えっ、まじ?俺らも○△アリーナでレースあるわ。クリテリウムレースっていってアリーナ周辺の周回コースをぐるぐる回るんだけどさ」
「卒業式の翌週の日曜やで」
治の返答に俺はさらに声を上げた。
「同じ日じゃん。あのアリーナの周辺、通行規制あっただろ?」
「ああ、裏口は使えんってなっとったな」治が頷く。
「どこと試合すんの?」
「一戦目は△△工業や」侑が頬張りながら答えた。
「うわ、俺らも△△工業、マークしてるわ」
「何時からレースなん」
治に聞かれて答える。
「ユースカテゴリーは14:00から」
「丁度こっちが終わる頃じゃない?決勝戦」
「俺らが優勝した後、応援したるで」
角名と侑の会話に勝つ気満々なことが伺えて、血が騒いだ。
「おう、頑張ろうぜ。1,2年の初戦だからな」
「ウチもや」
「ファイトや!新生バレー部と新生自転車部!」
尾白先輩の応援に俺達は力強く頷く。
あと何回、食堂で3年生と一緒に食べられるか分からない。俺達はご飯を頬張り、賑やかな食堂での晩餐を楽しんだ。
尾白先輩のツッコミと北さんの正論パンチを受けながら食べるご飯は美味しくて、ずっと続けばいいなぁなんて思ったりもしたのだった。