卒業式が終わり、レースまでの1週間はあっという間だった。
○△アリーナの周回700mを25周走るクリテリウムレース。
地元開催ということもあって、勝ちを狙っているのは稲荷崎だけではなく、△△工業も同じだった。
レース会場には観客と数多くの出場選手で賑わっている。何百台とロードバイクが其処彼処に置いてある状態だ。
プロも招待しているこのレースは地域ぐるみ一体の企画らしくお祭りのようにキッチンカーの出店もある。
さらにバレーの交流試合もアリーナの体育館でしているため、人の賑わいは必然と言えるだろう。
ユースカテゴリーのレース前になり、アップを始めた。軽く足を回して心肺を上げておく。
クリテリウムは平坦コースのため、スタート直後からいきなり上げて、ハイスピードになるのが定石だ。
ダッシュの繰り返しになるクリテリウムではいかにその上げ下げについていけるか、が勝負になる。
開始早々すぐにダッシュできるように、アップの時点でレースは始まっている。
しっかりと心肺機能を動くようにしたあと、出場する俺たち二年3人を含めた新生自転車部6人のメンバーでスタート場所にロードバイクを持って入り込む。
先頭の位置を陣取っていると△△工業の奴らがやってきた。俺達が一年の時から見た事のある顔ぶれだ。
「ちょお、退いてくれん?」
ガタイの良い2年が茶川に声を掛けた。
「え、俺ら最初からここにおったんや〜!すまんな!」
にこりと笑う茶川に△△工業の奴は眉を寄せた。
「先頭に遅い奴がおったら邪魔や」
茶川が笑顔のまま固まった。あ、多分内心キレてるな、と察知する。
宜しくない雰囲気に俺は茶川に声を掛けた。
「…茶川、俺もうちょっと寄れるぞ」
茶川は俺を見てため息を吐いた。
「みょうじ、今の秋田部長やったらキレてたで」
「確かに」
秋田部長なら俺に何言うとんのや、と怒ると同時に相手に言い返してただろうな、と笑いが漏れる。
「しゃあないなあ。ちょっとだけやで。ちょっとだけ、」
茶川が少しだけ寄って△△工業の奴が入り込んだ。
△△工業も1,2年を連れて8人と人数は多い。他の地域からも参加しているこのユースカテゴリーは高校生で60人程だ。街中で短い700mという周回コースを走るため60人でも狭さを感じるだろう。
その中でも、敵対するのは△△工業と見た。ガタイの良さからスプリンターを揃えてきているのが窺える。
「パッとせえへんなぁ稲荷崎。ひょろいのとごついのと覇気ない普通の奴やん笑」
△△工業の会話が聞こえてきた。ヒョロイというのは背の高い茶川のことだろう。ごついのはガタイのいいスプリンターの三分、覇気ない普通…は俺の事だろうな…。
「いうて、去年のインハイで2位やで」
「あれは3年の柴が強かっただけやろ」
「分からんで。強い奴がおるっちゅうことはそれなりに練習しとるかもやん」
「…俺ら強ないから、マークしても意味ないのになぁ」
聞こえるようにへらっと笑う茶川。
「はあ、緊張してきたわ…」
三分がわざとらしく上を見上げた。
俺は黙ってヘルメットのダイヤルをかちかち、と回して締め付けを確認する。緩まないよう、強く締めた。
「ほんま狐みたいな奴らや」
こそこそと言われながら茶川が俺の方を向いた。くいくい、と指を動かす茶川に耳を寄せる。三分も同じく寄ってきた。
「今日は三分をエースにして、なまえがアシストする予定やけど、中盤以降、アイツらがなまえの引きにタダ乗りしてきたらな…「 」て言うんやで」
茶川の言葉に俺は目を丸くした。
「効果抜群やから」
ニヤリと笑う茶川に秋田部長に似た何かを感じる。
「三分、頼むで。お前はうちのスプリンターや。全力でもがいてけ」
茶川が三分の背中を叩いた。
「任せとけ。みょうじ、頼んだで」
「…全力でアシストする」
三分と拳を交わした。ボトルの水を口に含んで、ピリついた空気の中で乾いた喉を潤す。
落車を避けて、位置取り重視。自分に言い聞かせる。去年のインハイと同じようなことはしたくない。
「なまえ!」
突然聞こえた声にコース外に目をやる。
侑達が立っていた。侑、治、角名、銀が稲荷崎ジャージでスポーツバッグを斜めがけして手を降っている。
周りより頭一つ分デカイ集団は十分目立っていた。
「△△工業倒したで〜!こっちは余裕で優勝や!気張れや!」
大声で言う侑に、俺はあちゃー…と苦笑いした。
隣にいる△△工業の奴らが殺気立つのが分かった。
返事の代わりに拳を上げて、侑に返す。
審判がスタート位置に立った。
それぞれが片脚のビンディングシューズをペダルに接続させる。カチッ、カチッ、と音が鳴り渡った。
「よっしゃ、行くで」
「茶川、三分、よろしく。一年も。落車だけはしないようにな」
後ろにいる一年もヘルメットのベルトを繋いで頷いた。
「みょうじ、お前の後ろについとくから頼むわ」
三分の言葉に頷く。
「おう、俺の後ろで脚、しっかり温存させとけよ」
観客の声援が大きくなる。クリテリウムのような周回コースは、ほぼ全ての箇所に観客がいるため応援が止まない。
「頑張れー!!」
「気張りや〜!!」
「コーナー気をつけろよー!」
スタートまで残り30秒、目の前に開かれたコースを真っ直ぐ見て、深く息を吐いた。
***
(宮 侑)
交流試合を終えて優勝した俺達はアリーナの総合体育館から出て、なまえ達が走るレースを見に来ていた。
レース開始前に間に合い、△△工業と書いてあるサイクルジャージを来たガッシリした体つきのヤツと茶川が話しているのが見えた。
そのすぐ隣になまえを見た。稲荷崎カラーの臙脂色のサイクルジャージには学校名「稲荷崎」が背中に入っている。
スタートを前にして選手達の顔つきは殺気立っていた。
人混みを縫ってコースフェンスに近づいた。治も後ろからついてくる。周りから視線がチラチラと送られる。
大方、デカイ双子がきた、なんて思われてるんだろう。そんな視線には慣れている。
近づくと△△工業の話している会話が聞こえてきた。
「パッとせえへんなぁ稲荷崎。ひょろいのとごついのと、覇気ない普通の奴やん笑」
自分に言われたわけではないが非常にイラついた。
「おい、あいつ絞めてきてええか?」
「やめとけ、ツム」
治が横目で俺を見た。角名と銀も人混みをかき分けてコースフェンスの近くまできた。
△△工業に売られた言葉にもなまえは反応せず、キョロキョロと周りを見たり地面を見たまま、じっと動かずにいる。
「なんやなまえ、ぼーっとしとるし、何考えとるか分からんし大丈夫なんか?」
治の言葉に俺は否定した。
あの姿は見た事がある。
「……ちゃうわ。あいつ観察してんのや」
「観察ぅ?」
「教室で周りのこと見る時、あんな感じやで。聞いてないようで聞いとる。見てないようで見とる。なまえ、周りの空気読むのは上手いやろ」
「ああ、確かに」
俺の言葉に治は納得したようだ。
手を上げてなまえに優勝の報告をする。視線が俺に集まり、ニッと笑った。
なまえはくすりと笑って拳を上げた。
「三分先輩!みょうじ先輩!ファイトです!」
隣で叫んだ男子を見下ろす。稲荷崎ジャージを来た小柄なそいつは自転車部の一年だった。
「なんや自分、出ぇへんの?」
俺が話しかけるとギョッとしたようにこちらをみた。
「み、宮先輩…。あ、僕は今回はサポートなので…」
「ふうん。これ何周なん?」
「700mの25周です」
「25回も回らなあかんのか…!」
「目が回りそう…」
治と角名のリアクションに一年は苦笑いする。
「プロは40周ですし、あっという間ですよ。皆、全速力ですから」
ピストルを持った審判が立ち、カチ、カチとあちこちで音がなり始めた。
「なんの音?」治が聞いた。
「シューズ裏の金具とペダルを固定してるんです。固定するからパワーをロスなくペダルに踏み込んで回せるんです」
「スタート10秒前!」
審判の声に皆、前を向いた。なまえの目の色が変わる。本気の目だ。
腕を挙げた審判がピストルの引き金を引いた。
鳴り響いた発砲音にまたカチッと音が鳴り渡る。
同時にいきなり先頭のダッシュが始まった。真っ先に前に出たのは△△工業だ。
「うわ、上げ方えぐ……」
隣の一年がキツそうにコースを見ている。
△△工業に続くのは稲荷崎だった。
観客達の声援が動く集団を追いかけていく。
確かに25周なんてあっという間かもしれない。さっきこの場をスタートしたと思ったのにもうコースの半分を過ぎてホームに帰って来ようとしている。
2周目に入る頃には集団は蛇のようにうねうねと縦に伸びてすごいスピードでホームストレートに入り込んできた。
「ええぞー!!かっ飛ばせ!」「頑張れー!」「ファイト!」「回せ回せ!」
応援が選手に届いているかは分からないが大きい声援が飛び交う。
ホームストレート直後のコーナーで集団の勢いが少し落ちた。先頭は勢いよくコーナーに入り、自転車を横に倒してコーナリングを見せる。それから立ち上がるとすぐにまたダッシュが始まる。
「うおお、絶対きつい…。あのコーナー角度エグいしなあ…」
「なに。どういうこと?」角名が聞いた。
「あ、コーナーは基本スピードが落ちるんです。コーナリングの時に足を止めるから先頭は自分の勢いを殺さないままコーナーに入れるからいいんですけど、後ろの位置になるほど、前が詰まっているから減速しないといけないし、その分前に追いつくために倍以上ダッシュしないといけなくてロスもあるし、後ろは蟻地獄みたいな位置なんです…」
確かに集団の後半は狭いコーナーを通り抜けるのに時間がかかっているため、前と段々距離が出来てきている。
「クリテリウムは位置取りが重要なんですよ。だから後ろの人達はどんどんちぎれていく…」
なまえ達は前に居るため、その心配はなさそうだった。
「じゃあずっと前におったらええ話か?」今度は銀が質問した。
「いや、そうとも言えなくて…。前に居ればその分空気抵抗も受けてしまうので脚を使わないといけなくて……。前すぎるのも良くないんです。一番は前方寄りで位置をキープしつつ、他の選手を風避けに使って、脚を温存させながら勝負時に飛び出すっていうのが理想ですね」
「ふうん」
一年の解説を聞きながら見ているとあっという間に6周目に来ていた。
後ろにいた選手がどんどん脱落していって半分ほどの集団がコーナーの度に減速しては、すぐに高速に戻す全力のダッシュを繰り返していた。
見ているこっちにも度々もがく選手の苦しさが伝わってくるようだった。
一年曰く、なまえと三分は良い位置につけているみたいでみょうじ先輩の位置取りが良いと言っていた。
「7周目…スプリント周回です」
「スプリント周回?」
「はい、ホームストレートで一番速く通過した人にスプリント賞がもらえるんです。各校、それぞれカードを切ってくるはず…」
「うちは?」
「稲荷崎は1年です。先輩達は最後の勝負に脚を使いたいし、このレースは僕らの初戦として力試しでもあるので」
7周目ホームに駆け込んできたのは△△工業の2年だった。スプリント勝負に出た稲荷崎1年は苦しそうに肩で息をしている。
観客が笛を吹いたり、叩いて音を鳴らしたり盛り上げる。まるでフェスティバルのようだ。
「クリテリウムは市街地で気軽に観戦できるレースで本場ヨーロッパでも人気なんですよ」
詳しい一年の話を耳に入れながら俺らは一瞬で掛けていく集団を目で追いかける。
「12周…そろそろ動きますね」
「動く?」
「多分、誰かが飛び出ます」
その言葉通り、ホームストレートで△△工業の一人が飛び出た。
「アタックや!!」「いけー!」
観客の声と同時に茶川が一緒に飛び出た。
「え、茶川部長!?」
驚く一年に俺たちはハテナを浮かべる。
「なんかおかしいんか?」
「いや、茶川部長は登りが得意で平坦は苦手なのにアタックに反応したから…」
苦しそうな茶川とそれを目で追うなまえと三分。
「多分、部長はできるだけみょうじ先輩と三分先輩の脚を使いたくないんだと思います。だから自分から飛び出して行ったのかと…」
△△工業の飛び出した奴と茶川は暫く二人で走っていたがまた集団に吸収されていった。
飛び出してもまた元の位置に戻るなら、飛び出さない方が良かったんじゃないかと素人目に思う。
「なんや今の飛び出しは意味があったんか?」
「無意味ではありません。あのアタックは成功すれば脅威です。あの飛び出しに複数人が反応して、例えば速い4人で回しながらどんどん集団と差を付けてしまえば、集団が追いつけなくなることもありますし…。逆も然り、アタックをかけてもすぐに反応できると知れば牽制にもなります。うちもすぐに反応できる奴がいるんだぞ、と。そう簡単にアタックを成功させるか、と」
もがきながら極限の中での騙し合いですね、という言葉に俺らはあんな全速力の休みがない中でそんな駆け引きが行われているのか、と目を見張った。
なまえの顔が練習の時のように殺気立っている。
残り7周。ホームストレートに入った瞬間、△△工工業の奴がまた飛び出た。今度は先程とは違う奴だ。参加人数も多いだけあって切り札も多いようだ。
なまえが茶川をちらりと見た。茶川は苦しそうにしている。
茶川にはもうアタックに追いつく脚がないと判断したのか、なまえが直ぐに飛び出た奴を追いかけた。後ろに三分がついている。その後ろにまた△△工業の奴がついてきた。他の高校の奴も1人ついている。
計5人が集団から飛び出て、走り始めた。集団と10m程の差が出来た。
「逃げができた…!みょうじ先輩!三分先輩!ファイトー!!」
一年が声を張り上げて叫ぶ。
「逃げ?」
「アタックによって集団から抜け出して走るグループです。逃げ集団とも言ったりしますが5人なので集団とは違いますが…」
「後ろの集団と差開いてない?」
角名の疑問に一年は頷いた。
「後ろの集団よりも速いスピードで、かつ5人なのでコーナーも勢いを殺すことなく走れているので差がじわじわ出来てますね。このまま逃げ切りで勝負できると良いんですが…問題はこれから、なんです…。逃げる時は基本ローテ、先頭を交代しながらそれぞれ順に風避けの役目を果たして交代していくんですが…」
一年が険しい顔をしている。
「あれ…」指を指しているのは先頭を走るなまえ。
さっきからなまえが先頭になっている時間が多い気がする。
「5人とも後ろの集団からは逃げ切りたいからスピードを上げるんです。その分キツイから自分の脚は休めたい。だからなるべく他の奴に前を引かせたい。それで……さっきから△△工業の人があんまり引いてないんですよね…先頭に出てもすぐに交代を要求している…」
△△工業の選手は腕をくいくい、と動かしてものの数秒で後ろに先頭交代を要求している。
なまえは後ろに三分がいるから、その分長く引こうとしている。結果的にその後ろの△△工業の奴らは足を休めているわけだ。さらに三分が前になってもなかなか先頭を変わらない奴らに稲荷崎は脚を使わされていると言う。
苦しそうな顔のなまえは口を開いて歯を食いしばっている。
「あんなのタダ乗りと同じですよ…」
苦虫を噛み潰したようにいう一年。
「みょうじ先輩の牽引、引きは一定で安定した速度なので後ろにいると走りやすいんです。高出力だけどそれを感じさせない無駄のない加減速。その分前を引くみょうじ先輩はきついでしょうけど…」
先頭を引き終わったなまえが三分に何か話しかけた。三分が頷く。
三分が先頭の役目を終えて列の後方に下がってきた時になまえと位置を入れ替わった。三分が前、なまえが三分の後ろになった状態でローテが回される。なまえの後ろは△△工業の奴らだ。
「入れ替わった…」
なまえが先頭になり、腕を動かして次の先頭を要求するも前に出ようとしない△△工業。
なまえが後ろを見て、睨むも動じない。
「稲荷崎のあの子、さっきからよう引くなぁ」
「△△工業は疲れとんやろか」
「ファイトやー!」「うわあキツそうやわ」
観客の声が飛び交う。
残り4周。ホームストレートに戻ってきた時、なまえがまた腕を動かして後ろに先頭交代の合図をするも後ろの△△工業は動かない。
なまえが勢いよく振り向いた。時たま見せるあの殺人鬼みたいな顔で睨んでいる。口を開いて吐き捨てるように言った。
「おい!前引かんのやったら俺の後ろ走んなや!」
なまえの口から出たドスの効いた声。
俺はひゅ、と息を飲んだ。
「えっ…」
俺と治、角名も銀も瞬きを忘れていた。
なまえの怒号に後ろの△△工業の奴も一瞬怯んだように見えた。
俺たちは顔を見合わせた。
「せ、先輩かっこええ…」隣の一年は口を抑えている。
「あ、あいつ…今関西弁やったな…?」
俺の聞き間違えでないことを治に一応確認してみる。
「お、おぉ…」
角名でさえ目を見開いている。
完全にキレたのかなまえが三分に一声掛けてから、腰を上げた。三分も腰を上げてなまえについて行く。
「アタック!」「かかった!」「稲荷崎ー!えぇぞー!」「上げてけ!いけっ!」
一年の声と同時に観客の声が一斉に盛り上がる。
残り2周、飛び出したなまえと三分、数m後ろに△△工業の2人と他校の選手1人がいる。
くねくねしたコースを縫うようにしてなまえと三分がスピードを落とさず走り抜けていく。
その後ろをすぐ追いかける3人。
追われる2人と追う3人。
ラスト1周、ホームストレートに帰ってきたなまえと三分はピッタリとくっついて空気抵抗を最小限に抑えている。自転車と自転車の距離はすれすれで少しでも触れると事故るのではないかと見ているこちらはヒヤヒヤする。まさに息が合っていないと走れない至近距離だ。
後ろの3人の中の一人が吐き捨てるように言った。
「あいつ!インハイで柴のアシストしとったやつやっ、離れたらキツイで!」
「くそっ、絶対に追いつくわっ、」
ガシガシと踏み込んでスピードを上げた△△工業。さすがデカイ体躯だけあってパワーはあるらしい。
盛り上がった筋肉質で太い脚が自転車をしならせてぐんと、前に伸びた。なまえ、三分の2人に追いつく。空気抵抗を極力避けて離れまいと下ハンドルを持って前屈姿勢のなまま体を低く保っている。
「うあっ、追いつかれた!いや、でもこっちのタイミングでアタックかけて脚は使わせたし、精神的にもダメージはあるはずや…」
一年がぐっ、と唇を噛み締めて真剣な顔で見ている。
△△工業の2人のうち一人は、なまえらに追いつく為に脚を使ったのが効いたのか苦しそうな顔をしている。
なまえは後ろをチラリと見てすぐに先頭をはずれた。追いつかれたとなればまたローテを回して脚を休めるつもりなのだろう。 三分も少し先頭を引いた後、すぐに後ろの奴に交代した。
後ろの集団とはかなり差が開いていて実質5人の勝負になることは確定のようだ。
残り400m
なまえが三分を見た。三分が頷く。
「みょうじ先輩のアシスト…」
なまえが腰を上げて思い切り踏み込んだ。そんななまえを見て△△工業のデカイ奴も腰を上げて踏み込む。1人はもうバテたようで腰を上げる様子はない。他校の選手も前のめりの勢いあるダンシングで自転車を横に力強く振るが勢いは弱い。
三分はまだなまえの後ろで下ハンドルを持って座ってこいでいる。
「ギリギリまで…みょうじ先輩で…!」
△△工業の奴が先頭のなまえと並んだ瞬間。
残り100m
「三分っ!!!」
怒鳴りにも近い喝の入ったなまえの声にドキッ、とした。
「おう!」
「いけ!!」
三分が腰を上げた。
なまえの後ろから勢い良く飛び出た三分がそのごつい体を使って力いっぱいペダルを上から踏み抜いた。
勢いの良さに、発射されたミサイルのようにも見えた。
全身の筋肉が重たいペダルを回そうとして三分の体がいつもより大きく見えた。ハンドルを握りしめ、体を左右に揺らしながら力強くペダルを踏み込む。
綺麗に伸びた三分のスプリントは△△工業の横を抜いて、真っ先にゴールラインを通過した。
誰が見ても先頭をかっさらったのは三分だと分かるほど差は歴然としていた。
「差したーー!!!」
「ええぞ稲荷崎ー!!」指笛やら太鼓やら、ハンドベルの音があちこちでガンガン鳴っている。
まさに祭り騒ぎのようだった。
「最後の最後で!!差した…!」
三分は拳を突き上げて、空に吠えていた。
「っしゃああああ!! 」
最後に負けた△△工業の選手は下を向いてハンドルを握りしめている。
なまえはゴールラインを通過して肩で息をしながらゆっくりと足を動かしていた。前でガッツポーズをしている三分を見て満足そうにしている。
自分の勝敗などどうでも良くてエースの勝利を後ろから眺め、ただただ喜んでいるなまえがそこに居た。
三分が振り向いてなまえに手を伸ばした。二人は自転車をこぎながら、肩を組んで笑っている。
初めて目の前で見た自転車のレースに俺は目を奪われていた。
近くの観客の声が耳に入る。
「ほおー、あの子、パッとせえへんけど、ええ発射台やったなぁ」
「綺麗に伸びたよね!」
「稲荷崎強いなあ」 「連携プレーの勝利!」
「〜〜っ先輩!!」
自転車部の一年は駆け出してなまえらの方に向かっていった。
俺は気付かぬ間に力強く握りしめていた拳をゆっくりと開いた。
「なんやアイツ、…」
心臓がドクドクと脈打っている。
「うおおおっ!みょうじやるやん!!教室におる時と全然ちゃうで!」
銀もなまえのエースのアシストという仕事ぶりに熱くなっている。
角名はいつの間にか携帯を構えてカメラをパシャパシャ取っていた。
「…っ、誰や最初に覇気ないとか言うた奴」
「むっちゃ覇気ありまくりやったな」
治に同意して頷く。
あんななまえ、見た事がなかった。
喧嘩した時とはまた違う顔で声を張り上げたなまえ。ドスの効いた声と、突然の関西弁に予想もしてなくて、完全に胸を撃ち抜かれた。
(…カッコよすぎるやろ……!!)
思い出してぎゅっ、と胸が苦しくなった。
あれ、あいつあんなにかっこええ奴やったっけ?普段あんなにヘラヘラしとるくせに、レースで見せるあの顔、あの声……。
「なんなん……?ほんまあかんわ…」
おかしいやん、好きって言わせたるってこの間決めたばっかなのに俺ばっかり惹かれてないか?
ギャップがあり過ぎて頭を抱えたくなっていた。
ゴールした茶川達と手を取り合うなまえをじっと見ていると、横から視線を感じた。
「なんや…サム。見つめんな」
「別にい。キショい顔しとんな、おもて」
「はぁ?俺がキショかったらお前もやん」
「俺はそんな顔したことないし」
「どんな顔やねん」
「…初めて見る顔や」
「意味わからん」
「…はぁ、見てられんわ」
「はあっ?!」
治を睨む。
表彰式を行うとの会場アナウンスが入った。
屋外に設立されているステージに人が集まっていく。ステージ上には三分が立っていた。その顔は誇らしげで、勝者の顔だった。
1位は稲荷崎、2位は△△工業、3位は他校の選手、スプリント賞は△△工業。
表彰されている中、なまえの姿を探すとステージから外れたところに茶川と一緒に立っていた。
俺の足は自然に動いていた。
「なまえっ!」
「お、侑」
俺を見たなまえがへらりと笑った。
あのレース中のなまえを見た直後の、いつもの表情に心臓がまた掴まれた気になった。
平凡的で皆に持て囃される顔でもないのになぜかなまえの笑う顔にぐっと、腹が熱くなった。
「お前〜〜っ!やるやん!」
手を開いて掲げる。俺たちはコート上で点を取った時にハイタッチや手を合わせるのは普通だ。
点をもぎ取る喜びを分かち合う。
俺の開いた手を見て、なまえは理解したのか力強く俺の手を叩いた。
ニッと笑っている。
「…エースを勝たせてこそのアシストですから」
表彰台の上でメダルを掛けてもらって、両手を上げる三分を誇らしげに見ている。
「なんやねんあの怒号!」
「ああ、あれ…?あれは茶川がさ…」
なまえが茶川を見た。
茶川がニヤ、と笑って気持ちよさそうに言う。
「△△工業がみょうじの引きにタダ乗りし始めたらなあ、関西弁で怒鳴れ、て言うたんや」
「レース前にそんなこと言うから俺もびっくりしたわ」
「くく、アイツらびっくりしとったやろ?」
悪戯が成功した時のように笑う茶川に、秋田部長に似てきてる…と引くなまえ。
「よし、クールダウンや。軽く脚回しとくで」
茶川の掛け声に近くの一年も動き始めた。なまえに声をかけて引き止める。
「なまえ、お前の走りかっこえかったで」
「…ふふ、ありがとう」
今度は屈託なく笑うなまえに猛烈に触れたくなるのを我慢した。
寮だったら、多分そのまま肩に手を回して力の限り、絞めていたかもしれない。
「お疲れさん」
「ん、また寮でな〜」
手を上げて集合場所に向かったなまえを見送った。
茶川と比べると大きくは無いがその背中は頼もしく見える。
1年前まで俺はなまえの存在すら知らなかったのに。
触れたら怪我をしそうな恐ろしい顔で本気で走っているなまえを見た4月。
席替えで前後になって、さらに話すようになって、ふざけ合うようになって、笑い合うようになって、本気で喧嘩することがあって、レース後の泣き顔を見ることがあって、今日。
なまえのことがカッコええ、と思った。
なまえと初めて会話した春が随分と昔のように感じた。もっと前から知り合っていたかのように気が置けない奴なのだ。
あの日から過ごした毎日で少しづつ積もったこの想いは、どんな言葉で表せば良いのか分からない。
それでもこれだけはわかる。
今日、俺はみょうじなまえにさらに深くハマってしまった。