春休み前日、高2最後の終業式の日を迎えた。
授業も午前だけで早く終わるため、春休み前の清掃時間は長めに確保されていた。
授業が終わり、清掃活動の自分の持ち場に行くために教室を出たところで目の前に大きな壁が立ちはだかった。
上を見上げると黒髪のツンツンとした頭に、春高の試合で見かけたバレー部の一年生だと気づく。相手も俺を見下ろして口を開いた。
「あ…」
「!バレー部一年の理石言います!宮部長おりますか?」
宮部長。その言葉にもう俺達は次に学校に来る時は3年になるんだと、実感する。
「ああ、ちょっと待ってて」
教室の中に振り向いて、侑に呼びかける。
「侑〜!」
俺の声に反応して侑が向かってきた。
「なんや」
「理石くん」
俺の後ろに立っている理石くんを指差す。
「宮部長、お疲れ様です!この後の練習、少し送れます、委員会があって…」
侑に何やら話している理石くんを見ながら、『宮部長』という単語が新鮮に聞こえて、猛烈に侑をからかいたくなった。
清掃活動の持ち場に行くために去り際に理石くんの背中からひょこりと顔を出して侑を見上げる。
「宮部長ぉ〜」
ニヤリと笑った俺と、俺の言葉を聞いて口の端をヒクつかせた侑。手が伸びてきて、躱す。
このまま清掃活動まで去ろうとしたが、一歩踏み出しが遅かったか、侑の腕が俺の肩を掴んだ。
「ぎゃ、」
「なまえクン〜、何や楽しそうやなあ?」
「離してください宮部長!」
「お前の部長や、あらへんわ」
「り、理石くん助けてくれ…」
俺の首に回された侑の腕。ロックをかけられた。理石くんを上目遣いで見るも、困ったような表情で「う、あ、、いや俺には……」と声を漏らしている。
「理石、ええで。委員会のことは分かったわ。鍵は次の当番の奴に渡しとき」
「あ、はい」
侑に腕を回されてロックされたままの俺に理石くんは申し訳なさそうにぺこ、と頭を動かして帰って行った。
「…宮せんぱぁい、離してくださいよ」
「お前、まだ言うか?あ?」
「ううう、絞めんなぁぐるじ、い…ギブギブ!」
涙目で侑の腕を叩いて見上げる。
そんな俺を見て満足したのか侑は腕を緩めた。
「ひでえ…」
「あ?吹っかけて来たんはそっちやろ」
加減という言葉があってだな、とぼやきながらそれそれの持ち場に行くために途中まで隣に並び一緒に歩く。
「…今日で最後かあ」
「何が最後なんや」
「いや、同じ組なの今日で最後じゃん。もう侑と同じ授業はないだろうな、て」
「………」
「一緒にはなる確率は低いだろ。次は茶川とか三分と一緒になれるかなあ。治と侑は1,2年で被ったから角名とも一緒の組になってみたいわ」
「………」
急に真顔で黙りこくった隣の侑に俺は首を傾げた。
「何で黙ってんだよ」
「……あかん。全然考えてなかった」
「何を?」
「……担任や。せや、担任に言うわ」
「え、何を?」
「いや、コーチにも言わんとな。最悪、監督にもお願いせな…」
真剣な表情で独り言を呟いている。自分の掃除場所が近づいてきて、俺は侑の隣から離脱した。
そんな俺にも気づかず侑はぶつぶつ言いながら大きい体でのそのそと掃除場所に向かって行く。
「変な奴」
侑の後ろ姿を見送って、俺は掃除道具を取り出して清掃を始めた。
長めの校内清掃が終わったあとHRで担任から一年間過ごしたクラスの生徒に向けて話があった。
「高校生活は人生の中でも特別で忘れられない記憶になります。この一年間、皆が無事に揃って今日を迎えられたことを先生は嬉しく思います。2組の皆が学業、校内行事に全力で取り組んできたことを先生は知っています。3年生で別々になっても、2年2組というこの教室の輪は忘れられない思い出になるでしょう。一年間、ほんまにありがとう!」
担任の言葉に拍手が沸き起こる。一年間、あっという間だったなあと、教室内の皆の顔を見渡した。
毎日見ていたクラスメイトは約一年前の4月の初日に顔を合わせた時よりも少し大人びたかもしれない。
それは俺もだろうか、と自分の顔を思い浮かべてみる。
視線を教室の中から外に移した。窓のすぐ近くに立っている桜の木には膨らんだ蕾が春のそよ風に優しく揺れていた。
HR終了後、春休みに突入することもあり、生徒たちは足早に去っていく。中には一年間ありがとう、と言いながら写真を撮りあっている女子もいた。
「ほな、また寮でな」
「ん、」
侑はスポーツバッグを肩にかけて足早に出ていった。侑と俺の間に一年間ありがとう、なんて言葉はない。この関係が一年で終わるものではないからだ。休み明けに別々の組になってもきっと侑とは今までと変わらないだろう。いや、変わってほしくはない。
俺もそろそろ部活に行く準備をするか、と思い2年2組の教室内で学校に置いているものをロッカーから取り出した。
今日は外周練習なうえ、三分は委員会があるため、委員会が終わるまで練習時間も遅らせることになっている。
ゆっくりと自分の荷物を入れ込んでいると俺1人だけになった教室に佐倉さんが入り込んできた。
大きな木枠に白い布を張ったものを持っている。両手で運ぶ佐倉さんに「大丈夫?」と声をかけた。
「みょうじくん、ありがとう。軽いし大丈夫よ」
「それは部活の?」
美術部の佐倉さんは頷いて、家に持って帰るものだと言った。
「こんな大きなやつに絵、書くんだなぁ。すげえ」
独特の絵の具の匂いが鼻をついて、好奇心にそそられる。
「キャンバスって言って、これは油彩画。まだまだ練習中なんやけどね」
「へえ、どんな絵書いてるの?」
「見せられるほどのもんじゃないけど…」
佐倉さんの柔らかそうな手がキャンバスを覆う用紙を捲った。
視界に入り込んで来たのは、満開に咲く桜。
キャンバスいっぱいに埋められた春を思わせるその桜色に俺は目を奪われた。
「う、わぁ…」
外の桜の蕾はまだ開いていないのに、急に満開になったかのように思わせる桜の絵。
「すごい…桜色だ」
目が離せずに感嘆の声が盛れる。芸術、アートなんて全く分からないが、佐倉さんが描いたこの絵に心を打たれたのは紛れもない事実だった。
(満開の桜だ…)
「いや…全然技法がなってないって言われたし…まだまだで」
謙遜する佐倉さんに首を降って顔を上げた。
「すごいよ!俺、絵とか全然分からないけど、この桜、写真よりも満開なのが伝わってくる…!!春らしくて、…〜佐倉さん、すごいね!!」
正直に言うと、絵を見てこんなに心を打たれたことはなかった。この満開の桜に俺は自転車で外を走りたくなるほどに春らしさを感じたのだ。
俺にはない美術の才能を持つ佐倉さんを尊敬の意を込めて見た。
「…っ、そんな」
佐倉さんは俺を見て、困ったような、驚いたような表情が入り交じった顔で口元を緩めた。
「こんな絵書けるなんてすげえ…。尊敬する…。春だなあ…俺、今これ見て早く桜の下を走りに行きたいって思ったもん」
淡い桃色と緑が入り交じるキャンパスを覗き込む。
もう一度、佐倉さんに目を向ける。
佐倉さんの頬もキャンバスの色と同じように淡い紅色に染まっていた。
***
(宮 侑)
終業式の日は学校も早く終わるため練習はみっちりある。バレー漬けの春休みが始まろうとしていた。
稲荷崎高校バレー部の部長という肩書きに、3年生として一番上になるという自覚も少しづつ芽生えてきていた。
部室に着いて着替えようとしていたら、タオルが見当たらず教室に忘れていることに気づく。
「はああ、戻るのだる!」
治がタオルの入ってない俺のカバンを横目で見た。
「はよ取ってこいや」
外しかけていたネクタイをそのままにして、制服姿で部室を出た。駆け足で校舎に戻り2年2組の教室に向かう。
校内には吹奏楽部の練習の音が響いていた。遠くから聞こえる管楽器や打楽器の音。
いつもの放課後のBGMだ。教室近くになって走る足を緩める。入ろうと教室内を見た時、なまえと佐倉サンの姿が目に入った。
「佐倉さん、すごいね!!」
そう言って佐倉サンを見るなまえ。
何がすごいのか、と思って手元に目をやると美術部の佐倉サンが書いたのか桜色の絵が見えた。
なまえの目が輝いている。真っ直ぐな称賛の眼差し。見覚えのある目。
ああ、俺は『それ』を知っている。
向けられたら鼓動が早くなってしまうあの眼差し。佐倉サンの頬が染まるのが見えた。
…分かる。分かるで。
ソイツにあんな目で見られたら、そらそうなるわ。曇りのない、ただただ感嘆と尊敬と称賛が真っ直ぐに向けられるあの心地良さ。
俺もその目を向けられた。その度に胸が高まった。むず痒くて、でも嬉しくてはにかんでしまいそうになるあの目。
その眼差しは俺だけのもんや。
アンタのもんとちゃう。
教室内に足を踏み入れた。足音に気づいた2人が俺を見た。
「お、侑、忘れ物か?」
「タオル忘れてん」
机の横に掛けていたタオルを手にする。
「なあ、侑見てこれ!佐倉さんの絵!すごくないか?!満開!」
なまえから手招きされて、近寄る。確かになまえが言うように綺麗な絵ではあった。
「ふうん、すごいなあ」
「よな!…あっ、そろそろ委員会終わるな。俺、もう行かなきゃ」
なまえは俺と佐倉サンを見て思い出したように慌てて、バボちゃんキーホルダーが揺れる黒リュックに荷物を詰め込んだ。
そのキーホルダーを見ると俺のあげたものを身につけている、と心のどこかで安心する。
「じゃ、佐倉さんまた!」
「邪魔者は退散しますっ」と囁き、佐倉さんに親指を突き立てて出ていくなまえ。
佐倉サンはより一層、頬を朱に染めていた。その意味を俺は頭の中で思考した。
俺だって馬鹿では無い。いや、勉強は確かに得意ではないが頭の回転は早い方だと思う。
治が言うように興味関心がないことには疎いが、周りを見ようと思えば見えるのだ。
そしてなまえがよく話す佐倉サンを文化祭の頃から見ていた結果、バレンタインデーのチョコの気合いや日頃の話しからして、佐倉サンは俺に気があるんちゃうか、と思っていたのだ。
人からの好意に疎いわけではない。バレーに不要なそれをわざわざ意識していないだけだ。
佐倉サンはなまえではなくて、俺に気がある、と安心していたのに、それがどうだ。
今の、この光景。
なまえのあの目にやられてないか?その気持ちは揺れていないよな?
……釘をさしとかな、あかんよな?
「なあ佐倉サン」
「な、なに?」
「…なまえてなあ、勘違いしやすい奴やねん。ちいと優しくされたらすーぐに勘違いすんねん」
「えっ…?」
「あいつ、俺の親友やねん。あんま傷ついてほしくないねんな」
「そ、れはどういう…」
「そういう意味」
なまえより背の低い佐倉サンを見る。上目遣いの佐倉サンは俺から目を逸らした。
「私は別に…みょうじくんのこと、そういう意味で好きじゃないし…」
「ほんま?ほれなら良かった!」
にっこりと笑う。
言うたな?なまえのこと、好きやないって言うたよな?
それなら、なまえを誑かすような真似はしたらあかんよ?
「堪忍な。変に勘ぐってしもたわ。ほな、俺も行くわ」
不安要素は先に潰しておくのはバレーと変わらんよな。
謝ってタオルを手に教室を出ようすると佐倉サンが呼び止めた。
「あ、の。宮くんは好きな人とか…おるん?」
佐倉サンの絵を見てキラキラした目をするなまえを思い出す。
「…どうやろ。『好き』にさせたい奴は、おるかも」
教室のドアに手を掛けて振り向きざまに答えた。
「…っ、それは好きってことじゃ」
「いや、ちゃうねん」
「え、え?」
「ふっふ、佐倉サン一年間ありがとう、ほな」
困惑気味にしている佐倉サンに手を振って廊下に出た。
あのなまえのキラキラと見てくる目を独り占めしたいという気持ちは『好き』?
そうだとしても佐倉サンを前にそれを肯定する気はさらさらなかった。この気持ちは俺だけが知っていればいい。
俺は好きに『させたい』んや。
アイツと一緒に過ごす度に大きく揺れ動いて跳ね上がるこんな気持ちを感じさせたい。
俺の言葉で一喜一憂させたい。主導権を握るのは俺。俺ばっかり好きなのは少し癪や。
強がり?いや、戦略家と言うてほしいな。
そのためにも、打てる手は打っておくに越したことはない。
廊下を歩いていると担任の後ろ姿を見かけて駆け寄った。
(ええところにおった〜♪)
「先生!!」
「おお宮、どうした?」
「3年の組分け、みょうじくんと同じ組にしてください!」
「アホそんなお願いきけるか、今日は女子からも誰々と一緒にしてほしい、とかばっかりや。あんなぁ、皆友達と一緒になりたいんは分かるけど、組分けはそうはいかんのが普通や」
担任の諭すような言葉に俺は首を大きく振った。
「ちゃいます!俺は勉強のことです!2年で赤点回避できたのもみょうじくんが勉強教えてくれたんが大きいんです!」
勉強の話をすれば担任は、少し考える素振りで顎に手を置いた。
よし、ええ感じや。
「俺、バレー部の部長になったし、やることも増えて、3年になって赤点取ったら監督にもコーチにもドヤされます!補習で練習参加出来ひん、なったら色々支障も出るし…」
顔に手を当てて、深刻な表情で肩を落としてみる。指の間から見える担任の顔は考え込んでいるのが窺えた。
「みょうじくんは席も後ろでよう勉強教えてくれて…。俺、みょうじくんになら教えてほしいって頼みやすいんです。寮も同じやし、休みの日も教えてくれてん…!教えてもらえへんようなったら、赤点の連続…」
ゾッとした顔をして、押しに押してみる。
「先生やって、赤点出したないですよね?練習出来ずにこれでインハイ、春高の成績悪なったら学校もあかんとちゃいます…?」
悪魔の囁きだろうか。ヴッ、と唸った先生に内心ニヤリと笑う。
俺のギリギリの成績を知っている担任だからこそ、俺の言うことの信ぴょう性は上がるだろう。
「頼んます…!赤点回避のためにも!」
手を合わせて拝むように担任に頭を下げた。
「んん……、ほんまに3年で赤点取らん自信あるんか…?」
「みょうじなまえくんと一緒なら!」
「うーん……、」
悩ましげな顔をした後、担任は「…検討してみるわ」と言った。俺は込み上げる勝利の喜びを抑えて「あざっす!!ほんまに、赤点取りたくないんで!頼んます!」ともう一度手を合わせた。
「バレー本気で頑張っとんのは分かっとるが、勉強も同じくらい頑張りや」
「ッス!!!」
満面の笑みで返して、部室に向かう。
急いで着替えて体育館に向かうと部員は全員揃っていた。ネットの準備をしたり、ボールを出している後輩らから挨拶を受けて返しながら開始前のストレッチをしている治の隣に行く。
「何でそないに機嫌ええんや」
「ふっふ、勝利を確信しとる喜びで溢れてんねん」
「意味わからん」
「着実に勝ちに向けて道を作ってんのや。後は落ちてくるのを待つだけ…」
くっく、と笑っていると治はまた変なこと企んどるな、という目で見てきた。
体育館に黒須監督が入ってきて、俺は声を上げた。
「集合ー!!」
コート前に部員全員が集まり監督とコーチを前に「礼!」と声をかける。
「「「お願いします!」」」
「今日もしっかり考えて動くこと。考えずに惰性でやるのはあかんで。今日、何ができるか、何を得られるか、しっかり頭使って考えや。以上、アップ開始!」
「「「はい!」」」
勝利に向けて汗を流す俺らのバレー漬けの春休みが始まった。