席替えをした数日後、体育の授業でスポーツテストが実施された。
体育館で体育委員の掛け声に合わせて、準備運動をする。終わった後、俺は角名に声をかけた。
「角名、俺とテストの測定ペアやろうよ」
「いいけど…」
角名が俺の後方をちらりと見た。その視線を追って振り向くと侑が大股で歩いて向かってきていた。
「なまえは俺とペアや」
「えぇ、断る」
「は?拒否権ないで」
「だって侑、去年数えるのテキトーだったろ。俺の腹筋回数絶対少なかったわ」
「あれはお前が邪魔してきたからやろ」
「絶対に侑とはペアにならん!」
体育教師から配られた自分のスポーツテストの測定用紙を角名と無理やり交換しようとすると、俺の測定用紙を侑が奪った。
「あ、返せって」
手を伸ばすも侑が上に上げてしまうと取れない。
「角名っ」
角名は我関せずとばかりに他の男子と組んでしまっていた。
「もう…また侑とかよ。ちゃんと数えろよ」
「俺がちゃんとせえへんかったことなんてないやろ?」
「いや多々ありますけどね?自分の胸に手を当てて考えてみろ」
侑が真顔で胸に手を当てて俯いた。
「うん、やっぱないわ。俺はいつも真面目やし」
「どの口が言う!」
仕方なく侑の測定用紙を受け取る。
名前の欄に『宮侑』と書かれた筆跡はもちろん治とは違う。
スッと跳ねるような字体に侑の性格が現れているような気がした。
「まずは握力から行く?」
「なまえ、女子並やったもんな」
「去年はちょっとタイミングが合わなかっただけだわ」
「はん、言うとけ」
鼻で笑う侑と一緒に握力の測定器を持った。
「ふんっ!!」
「相変わらず怪力…」
「ふっ!!」
「去年と変わってないやん」
「うるせー」
お互いに記入して長座体前屈に向かう。
測定器の前に座って深く息を吐いて脱力と共に腕を前に伸ばした。
「柔らかいな」
「風呂上がりはストレッチしてるからなあ」
「俺もやで。ユース合宿でストレッチとかマッサージとか色々教えてもらったわ」
侑の記録も上々で去年よりも良い結果だった。
続く反復横跳びのエリアで俺は靴紐を締め直した。
「これさ、絶対身長差で有利不利あるよな」
「しゃーない」
鉛筆を持つ侑の前に立ってスタートの合図を待つ。ピッという音で一斉にスタートする。
できる限り頑張る俺をじっと見てカウントする侑に見られるとやりにくいなあ、と思いながら必死で足を伸ばして線を踏んでいるとあっという間に終わった。俺の回数を見て侑がコメントする。
「普通や」
「俺の全力はいつも普通なんデスー。次、侑な」
鉛筆を受け取って俺の前に立つ侑。
仁王立ちする手足の長い侑を見上げながら、やっぱりこの反復横跳びは高身長が有利だよなあと不公平感を感じる。足を少し伸ばせばラインを踏めてしまうのだ。
「侑、ハンデでライン踏むんじゃなくて完全に超えていけよ。踏んだやつはノーカンな」
「はあっ?ルールちゃうやんけ」
「始まるぞー」
「くっそ、」
ピッ、とスタートしたカウント。一応守ろうとしているんだろう、ラインは確実に超えたところに踏み込んでいる。にも関わらず俺の速さとは違い、大きい図体なのに軽やかに動かしている。どんなボールでもボール下に入り混む天才セッターだけある。カウントしながらさすがだな、と思った。
動く度に腹チラする侑に周りの女子が黄色い声を上げているのが聞こえたが幻聴ということにしておく。
「終了っ!」
「おお〜、去年より良いじゃん」
「ったり前や、毎日成長してんねん」
上体起こしに移動した俺は侑に釘を刺した。
「いいか?ちゃんと数えろよ?」
「わぁかっとるて。はよ寝ろ」
膝を持たれたまま肩を押されて、マットの上に押し倒された。
見下ろす侑に信用ならんな、と思いながら合図の音ともに体を起こした。
「いーち、にー、さーん」
時間内にどれだけ腹筋を使って状態を起こせるか、大分きつくなって来た時だった。
「さんじゅー、さんじゅーいちー、さんじゅー、あ、さんじゅーにー」
「っ、今飛んだっ」
「はん?」
「はん?じゃねぇっ、さんじゅーよんっ」
「いや、ちゃうやろ。さんじゅーさんー」
「違うぅっ」
終了の合図とともにバタリと上体を倒す。上下する胸、腕で顔を覆った。
「去年とっ、同じ…」
「話しかけてくるからやん」
「アホッ…」
汗ばむ体を起こして、侑と交代した。侑の膝を掴んで浮き上がらないように力を入れる。
「しっかり持っとけよ。サムに負けんからな」
「体重的に考えて、お前が本気だしたら浮いちゃうんだよなあ。よし、おけ」
床に押さえつけるように力を入れて侑の上体起こしのカウントをする。これも侑の記録は去年より良かった。
室内のテストを終えた俺たちは運動靴に履き替えてグラウンドに出た。
50m走、立ち幅跳び、ソフトボール投げをする。
「おらぁっ!!」
俺の手から放たれたボールはすぐに地面に落ちた。侑が見下すように笑った。
「発声だけはそれらしいけどヘボない?」
「はぁ?普段肩使わねえもん仕方ないだろ。そんな言うならサーブ得意の侑先輩の強さ見せてくださいよお」
挑発するように首を傾げると俺を指さして腕を回した。
「見とけよ、俺の肩の強さ…!」
「ふっ!!」
頬に空気を溜め込んで吐き出すように思いっきり腕を振りかぶる。投げられたボールは高く飛んでいった。
「おお…」
「どや!」
得意気な侑に「はいはい、すごいすごい」と拍手しておく。もっと褒めろという侑の後ろで角名も綺麗にボールを投げていてバレー部の肩すげえなと改めて関心する。
持久走を残して俺達は屈伸をしたりアキレス腱を伸ばしてスタートの準備をした。
「今年は負けへんで」
侑が俺を見下ろす。
「…俺も負けん」
「唐突の関西弁」隣で角名がボソリと呟く。
「俺も茶川と三分と勝負してるからなー。これだけは本気で頑張るわ」
「よし3人で勝負や」
「俺は遠慮しとく」
面倒臭そうに角名は俺たちから離れた場所で位置についた。
スタート前、隣の侑と目を合わせる。見下ろすその目に自然と口角が上がった。自分でも本気で走って侑と勝負することにワクワクしているのだ。
「楽しそうやな」
「侑は楽しくないん?」
「楽しいに決まっとるわ。なまえを早く潰したくて堪らんわ」
ニヤリと笑う侑を横目に俺も笑った。
「はっ!面白い!」
頭の中は完全に昨日部屋で読んだ少年漫画の悪敵の気持ちになっていた。
「先に進みたければ俺を倒して…」
ふふふ、と笑いながらセリフを復唱していると体育教師の号令がかかった。
「男子スタートするぞ〜」
「あ、やべえやべえ、始まる」
ふう、と一呼吸した。前を見据える。侑もこの1年で成長したかもしれないが、それは俺も同じだ。自転車部のキツイ練習の中で作り上げた体力は俺の唯一の強み。
スタートの合図と共に地面を蹴り出す。
序盤で先頭は運動部に絞られてくる。早めに上げてキツいペース維持で行くかな、と先頭に出てみた。
キツいけどギリギリ維持出来るペースで走る。それでも全力疾走に近い。普段自転車で何時間もキツいレースを走る俺にとっては持久走は短距離と言える。
出せる力を凝縮してぶつけていく。そしてこのギリギリのペースの維持というところが俺の一番得意なペース配分でもある。
ちらりと横を見ると陸上部の他に野球部やバスケ部、侑も隣にきていた。まだ余裕があるか?侑が少し笑った気がした。
残り500m。
勝負をかけるには早いかもしれない。が、少しだけじわりとペースを上げた。
この気づくか気づかないかの僅かなペースの上げが後から急激にキツく感じるのだ。
「はぁ、はぁっ」
周りで息がきれ始めた。自分も結構苦しい。ここが踏ん張りどころだ。
残り300mになったところで、一気に飛び出た。
苦しいだろ、息が切れはじめた時に上げられると絶望じゃないか?
肺が酸素を欲している。
「っ、」
ひくつきそうな喉にぐ、っと飲み込んで全力で腕を振る。
もう横に並んでいる人数は少ない。侑がまだ俺のすぐ後ろにいて驚いた。苦しそうな顔に悦に入る。俺が、侑にそんな顔をさせているのだと思うと堪らない。
絶望的な状況こそ、最高に楽しいよな?
侑と目が合って、苦しいのに口角が上がるのが自分でも分かった。
走り抜けたい、全力で。
残り200mはとにかくもがいた。後ろに誰が来ていたって構わない。全速力で走り抜けるのみ。
先にゴールしたのは陸上部の奴と俺だった。少し後で侑やバスケ部の奴らもゴールした。
肩で息をしながら、熱くなった頬を手の甲で冷やした。
上気した頬は赤くなっているだろう。
ゆっくりと歩きながら呼吸を落ち着かせていると侑が悔しそうな顔で隣に来た。
「くっそ…ほんま…っ」
「はぁ、っ…ふぅ…」
深く深呼吸して酸素を肺に行き渡らせてやる。
「まじで、何やねんその顔っ」
「え、いきなりディスってくんなよ」
「…っお前のせいで心臓乱れたやんけっ」
「言いがかりはよせ」
2人で呼吸を整えながらグラウンドを歩いていると校舎の教室からこちらを向いている顔を見つけた。
「なあ、あれ治じゃね」
「あ?ほんまやサムやん」
治は教壇をちらっと見たあと俺らに向かって手を振った。
「いえーーい、侑に勝ったぞー」
両手を上げる俺に侑がガシッと締めてきた。
「おいっ、汗かいてんだからやめろよ!」
「何か腹立つんやもん」
「もん、じゃねえ!角名ー!ヘルプ!」
角名は走り終えても全然疲れている素振りはない。本気で走ってないのが諸に分かる。
無事に持久走の勝利を守ることが出来た俺は「他は俺の圧勝や」という侑に絡まれながらも満足な思いで体育を終えた。
***
(宮 侑)
体育が終わった後、昼休みに3年5組で集まって弁当を食べていると治から「今年も負けたな」と言われた。
「あいつ走っとる途中で笑てきてん。そのせいや。もう1回やったら俺が勝つっ」
「俺ら持久走だけは一回もなまえに勝てとらんな」
「…悔しいけど体力おばけなんは認めたるわ」
走っている時のなまえの顔を思い出す。お互いに苦しいのに、笑っているあの顔。目は笑っていなかった。苦しいね?楽しいね?と聞いてくるようなあの笑い。思い出しただけでゴクリと喉が鳴る。
「サム、スボーツテスト負けた方が来月の月バリ払えよ」
「あ?先月俺が払うたやん。嫌や。ちゅうか負けんしツムが払うようになるから別にええけど」
「はぁ?言うとけ」
兄弟で小言を言い合っていると、廊下で萩沼サンと話すなまえを見つけた。
廊下の窓を開ければ見えるその姿に、俺は窓を少しだけ開けて観察した。 笑い合うなまえと萩沼サン。何の話をしているかは賑やかな教室内の音にかき消されて聞こえない。
「なあ、ゴルゴ13ごっこか?」
治の言葉に俺は「静かにせえ」と答えた。
「狙撃でもするんか?」
角名の吹き出す声が聞こえて俺は顔を戻した。
「喧しいわ」
揶揄う治を睨んでいると教室の外から「宮〜」と呼ばれて俺と治が顔を上げた。誰かが来ているようだ。
「どっちやねん」治がボヤく。
「あ、ミャーツムの方やって」
誰やねん、と教室の外に向かうとたまに挨拶してくる2年の女子が立っていた。
「あの宮先輩、今日の放課後時間ありますか?ちょっとだけ、時間貰えませんかっ?」
ああ、これは多分、もしかしなくても告白だろうか?正直、放課後は部活に急ぎたいところではある。
「練習あるから少ししかないけど…それでもええ?」
「もちろんです!じゃあ放課後っ、別棟の非常階段のところで待ってます!」
顔を赤くした女子はスカートを翻して去っていった。教室内に戻ると銀が「また呼び出しかっ?!勝ち組…っ!」と悔しそうにしていた。
「練習、はよ行きたいんやけどなあ」
ボヤく俺に治がドン引きした顔で俺を見る。
「ツムお前なあ、人の心を分かれや。ええか、断るにしても言い方っちゅうもんがあるやろ。オブラートに断れよ。お前、何回女子を泣かせてきたか…」
「分かっとるわ」
優しく言え、人の事を考えろ、オブラートに包め、これはいつもなまえから言われる言葉だ。
言い合いになった時は毎回言ってくるものだから、俺だって多少はちゃんと考えて言うようになった、はずだ。
それでもやっぱり早く練習行きたいな、なんて思いながら、食べかけの弁当に掻き込んだ。
放課後、スポーツバッグを肩にかけて別棟に向かった。非常階段は告白する場所としてうちの高校では有名なスポットだ。
ここに呼び出されたのは初めてではない。
着くと昼間の後輩女子が立っていた。
「あ、宮先輩っ」
リップを塗っているのか唇は潤っていて、頬はほんのり赤く染まっている。多分、可愛い部類に入るだろう。
それなのに俺の頭の中には唇なんて潤ってもいない、たまにカッサカサのなまえの口元を思い浮かべていた。さらに今日スポーツテストと持久走を走り終わった後の赤く上気した頬。汗を拭うなまえにドキ、としたことを思い出して自分でも何を考えてんのやろ、と思った。
「あの入学した時から先輩のことかっこいいな、って思ってて…もし先輩が彼女いないなら、お友達からでも良いので付き合ってくれませんか…っ!!」
顔を赤らめて、目をぎゅっと瞑ったままの子に俺は申し訳ないと少しだけ思った。
「…ありがとう。気持ちは嬉しいんやけど、今バレーのことしか考えられへんねん」
「…そ、うですよね…」
「堪忍な」
「……っいえ、聞いてくれただけでも嬉しいです」
首を振って無理やり笑う女子に良心が痛まないかと言われると難しい。
今までは特に何も思わなかった。でも今は好きな人に断られる辛さは少し分かるかもしれない。
もし、もしもの話。いつかなまえに拒絶されたらと考えるとズキリ、と胸が痛くなる。この痛みを感じているのだとしたら、自分勝手だが少し同情してしまう。
「バレーしてる宮先輩、すごくかっこいいです!これからも応援してます!」
「ありがとう」
精一杯のお返しとして笑ってお礼を言うと目の前の後輩は顔を赤くした。
「…っ!!」
泣きそうな顔でぺこ、と頭を下げて去っていった後ろ姿に俺は気持ちを伝えるって大変やな、と他人事のように思った。
言われたことはあっても、自分からその言葉を言ったことはない。
言う必要も、言いたいと思うこともなかったからだ。
それが今、自ら言いはしないけどその想いを持っている相手はいる。
そして、その想いを同じように持って欲しいな、と思う。
己のせいで恋破れた女子達のためにも、俺はこの想いを成就させな、なあ?
「鳴かぬなら鳴かせてみせようホトトギス、やな」
告白されて一段と強く決意した。
俺はアイツにあの言葉を言わせたるで。