朝練を終え、ロードバイクを部室に置き制服に着替える。
「今日鍵当番誰やったっけ」
「2年」
俺が三分に言葉を返したところで、茶川が着替え中の2年に声をかけた。
「鍵掛け、頼むわ。俺ら先行くなー」
「お疲れっしたー」
部室を出た時に2年のうち一人が同じタイミングで出てきたため、一緒に校舎に向かって歩く。
体育館横を通る時、扉と窓が開いていてバレー部の声が聞こえてきた。シューズの音とダンッと床を蹴る音。
「ナイスキー!」
「ええで!もっと上いけるやろ」
「はいっ!」
「修正や」
開いた扉から侑達の練習姿が見えた。コート内で忙しなく動くバレー部達。
「侑っ!レフト!!!」
「おけっ」
「侑さん!トスお願いします!」
「ほっ」スパイクを打った部員に対して侑が指差して声を出した。
「もっと前で打て!その位置で打っても意味ないやろ。俺の持ってきたとこまで来いっ」
「はいっ!」
後輩なのだろう、ぺこりと頭を下げてもう1回お願いします、と言う。
「もう一本ー!」
「ここやっ」
侑の上げたトスを叩いた部員に侑が頷いた。
「ええで、その感じ」
あの侑が褒めてる…。
コート内に立つ侑を見て、部長してんなぁ…と3年らしい姿に感心した。
「みょうじ先輩ってあの宮部長と仲良いですよね」
俺達と一緒に歩いていた2年の
「2年の時、同じ組だったからなぁ、自然と。今も同じ組だけど」
「クリテリウムの時も、まさかあの宮先輩達が僕らのレースを見に来てるとは思わなくてびっくりしましたもん。隣に背高い人たちが来たなーって思ったらうちのジャージ来てるし、よく見たら宮先輩達だし…」
威圧感がすごくて…、という奈良木に俺は笑った。
「わかる。黙ってると柄悪いし、圧あるよな。でも俺ら寮では本当にくだらん事ばっかしてるぞ」
「そうなんですか?」
「テスト前に部屋に集まって勉強する時とか、治は『徹夜勉強の夜食を極めてくる』とか言って、キッチンルーム占領するし。
あとあの双子、基本野生児だから一つ一つの動作がゴリラ並なんだよな。特に侑。油断してたら、吹っ飛ばされる」
「どういうことや」
茶川が吹き出した。
「部屋でゲーム対決してても、接戦とか興奮したらまじで物理的に妨害してくるんだよ!俺が勝ちそうになってたら、わざとコントローラー奪おうとしてきたり…勝ったら勝ったでテンション上げて、うぇーい、てバシバシ背中叩いてきたり、体当たりしてくるし。まじでゴリラ」
「ああ…」想像に容易いのか茶川が納得したように頷いた。
「角名は角名で静かなくせに、自由でいたずらっ子だし…。人の反応みて楽しんでるからな…!あいつら揃うと小学校だわ」
今朝も角名に寝癖の写真取られて笑われたな、と思い出す。
賑やかですね、と奈良木は瞬きをした。
「寮って全部自分でやるんやろ、大変よなぁ」
感心したように言う三分に苦笑いした。
「言うて洗濯物とかぐらいだけどな。あとは定期の清掃活動とか」
「俺オカンに自分の部屋掃除しろ、ってよう言われるわ」
三分達と会話しながら昇降口に上がった。二年の下駄箱に向かう奈良木とは別れて、内履きに履き替えたところで視界の中に昇降口の掲示板が映りこんだ。掲示板には新しい校内新聞が張り出されている。
「あ、校内新聞」
俺が掲示板に近づいていくと茶川と三分が「俺ら小テストの予習するから先上がるで」と声をかけてきた。
「んー」と軽く返事をして校内新聞に目を移す。
校内新聞の内容は入学式のこと、一年生の親睦を深めるためのオリエンテーション合宿のことだった。
記事の担当者に萩沼さんの名前を見つけて、読みやすい文章に納得がいく。
「…どうかな?」
突如、隣から聞こえた声に校内新聞から視線をずらすと萩沼さんが立っていた。
「お、おおおはよう」
「びっくりしすぎだよ」
くすくすと笑われる。
「いや、つい読み込んじゃって…。これすごく読みやすいね!」
「ありがとう、そう言ってもらえると嬉しい」
1年生へインタビューしてると初々しくて可愛かった、と言う萩沼さんと掲示板の前で談笑する。
萩沼さんって話しやすいし、笑って聞いてくれるしやっぱり良いよなあ、と思っていると萩沼さんの隣に人影ができた。隣には男子生徒が立っている。
「あ、ゆきくん」
萩沼さんがゆきくんと呼んだ男子は服の上からでも良い体つきをしていることが分かる。
見上げる俺にそいつはちらりと一瞥して萩沼さんに向けて言った。
「誰、」
それ俺のセリフな…!と心の中で言う。
「みょうじくん。同じ組なんだよ」
「よ、よろしく〜」
へら、と笑って手を上げるも無愛想な表情しか返ってこなかった。
「みょうじくん、ゆきくんは7組で、小中と同じ幼なじみなの」
「へえ、高校でも一緒なんだ。すごいな」
「うん、腐れ縁なのかなあ。偶然ってすごいよね」
ほわほわした雰囲気で笑う萩沼さんにゆきくんは「偶然なわけないやろ… 」とぼそりと呟いた。
その一言で俺は全てを察した。
あっ…これはもしかして、前に侑が『中学とか前から知ってる仲良い奴がいるかも』とか言っていたあれか…?
ていうか絶対ゆきくん、萩沼さんのこと好きだよな?
だって、さっきから俺のことを見る目が敵意丸出しなんですよ…。
「おばさんがこれ忘れてたって」
「あっ!うわぁそうそう、出た後に忘れてたの気づいて…ありがとうっ」
俺の目の前で手渡された袋に幼なじみの威力を思い知る。
(え、俺はドラマでよくある青春ラブストーリーを目の前で再現されているのか??)
完全に自分がおじゃま虫な気がして、そっと一歩引いた。
「じゃあ、俺、先に行くねー…」
昇降口から去ろうとすると萩沼さんも私も上がるよ、とついてきた。その後ろから「俺も上がる」というゆきくん。
いやいや、この3人の構図はきつくね…!?
それでなくても俺は先程からゆきくんの敵意丸出しの視線に襲われているのだ。
「みょうじって何部なん」
「みょうじくんは自転車部!去年インハイに出たよね!」
「あ、うん」
「ふん…チャリ部なら茶川と一緒か」
「そうそう、茶川知ってる?」
「…1年とき一緒やった」
「おお、そうなんだ。ゆきくんは何部…」と聞きかけてゆきくんが『お前にゆきくんと呼ばれる筋合いは無い』というような怖い目で見てくるものだから言い淀んだ。
だって名前教えてくれてないだろ…!
「ゆきくんは水泳部なの」
「ああ、なるほど」
だから体つきが良いのか。
普通にモテそうだよなあ、とゆきくんを盗み見た。勝ち目ないな、と思った時点で俺はそもそも何に勝とうとしてたんだよ、と自問自答すると共に悲しみに襲われた。
ゆきくんは7組の教室に入っていき、5組の教室まで歩く中、萩沼さんに聞いた。
「ゆきくんって名前だよね。苗字は…」
「小池。小池ゆきって言うの」
「ふうん。小池かぁ。知らなかった…」
「まあ人数多いし顔と名前も知らないまま卒業するのも普通だよね」
萩沼さんと話しながら5組の教室に入り、自分の席に向かった。
席に座った後、今しがた起きたことを思い返す。
心に残っているのは敗北感と虚無。
結局、良い子には、良い相手がいるもんだよな。
現実なんてそういうもんだよなあ。
小柄で眼鏡をかけている萩沼さんは賢いし、そこも良いな、と思うし笑って話を聞いてくれるところも嬉しかった。
萩沼さんが好きという恋愛的な気持ちではなくて、話しやすくていいな、もっと彼女のことを知りたい、色々話を聞いてみたい、興味がある、というレベルだった。
好きではないけど、感じる敗北感とこの虚しさは何なんだろう。
芽吹きかけていた新芽を手のひらで潰されたような感じ。
小池に勝てっこないし、正直俺だって自分が女子なら、俺を選びたいとは思わない。もっと他のかっこいい奴を選ぶはずだ。
はぁ、と重たいため息を吐いたところに前の机にカバンを置く侑が現れた。
隣の席にも角名が座って伸びをしている。
「おっはー」
朝練上がりで暑いのか下敷きをうちわ代わりにパタパタとして見下ろす侑に適当に返事をする。
「はよー…」
侑は大きな図体で椅子にドカッ、と座りバッグの中からたまごサンドを取り出した。
体を横向きに、廊下側の壁を背もたれにしてたまごサンドを食べながら俺をちらと見てきた。
「なんや心ここに在らずみたいな顔して。失恋でもしたんか?」
揶揄うような笑い顔の侑に、俺は机を見下ろしてぼやいた。
「…そもそも、始まってすらなかったんだよな…」
小池の出没により俺の心の中の何かは完全に折られた。言い表せない気持ち、まだ確立していないその気持ちは潰されたわけだ。
「……は?」
動きが停止した侑をちらりと見ると唇の端にたまごサンドのマヨネーズが付いていて、俺は自分の唇を指差して仕草だけで侑に付いているぞ、と指摘した。
侑の赤い舌がペロリとすくってそれはなくなる。
「なんや、いまの冗談やで?冗談も通じんのか?まさかほんまに…」
「…別に失恋なんてしてないし」
だって好きになる前なんだから。これは失恋とは言えないよな?好きになることすら絶たれた状況だ。
「ほな何で、萎えとんのや」
俺の気持ちなんてお前には分からないだろうな、と思って侑を見る。
侑なら恋愛なんて困らないだろう。自慢の容姿と勝ち気な性格でいくらでもグイグイ行くだろうし、失敗することもないだろう。
平凡で特筆すべき点などない俺とは違う。
俺は別に面白くもないし、特別頭が良いわけでもない、特別顔も整っているわけではない、身長も高くないし、特別スポーツの才能があるわけでもない、普通なのだ。話しても後日すぐに忘れさられるレベルの凡人だ。
そんな俺の気持ちなんて、分かるはずがない。これは持っている者と持っていない者の違いなんだ。
「…現実って残酷だな」
よくよく考えたら侑はもちろんのこと、隣の角名も侑程では無いにしろ、モテていると思う。確実に俺みたいな非モテではない。物静かな女子に好まれている印象がある。
2人とも戦闘力高すぎなんだよな…、と隣で机に伏せて寝ている角名を見ながら心の中で呟いた。
「己の戦闘力の無さを痛感する…」
「話が見えん」
「凡人には夢も期待も持てないって話…。知らない方が幸せなこともあるんだわ」
小池の存在を知らなかった昨日までの俺に戻りたいぐらいだ。
「何なん。はぐらかしよって。言えや、お前をそんな顔にしとんのは誰や」
ムスッとした侑が怖い顔で詰め寄ってきた。
「どんな顔だよ」
「…今まで見たことない顔や。ジメジメしとって腹立つからはっ倒したい」
「おい…後半の部分、もはや暴言」
羨ましい。その身長も、顔も、才能も。妬む自分が情けない。
でもスクールカーストの上位に立つクラスメイトを羨ましがらない奴の方が少ないんじゃないだろうか。
頬杖をついて侑から視線を逸らした。俺も上位の男子を羨む下位男子の一員に過ぎない。
「はあ、何も考えずペダルだけ回したい…」
ペダルを回すことだけに集中している時は全て忘れて、一人のロードレーサーとして自由に走れる。
結局、俺はいつもそうだ。
誰かを好きになる前に撃沈するというか、相手には必ず良い人がいて、勝ち目がないと知り、諦める。
別に好きだったわけじゃない。もっと知りたいな、興味があるという程度なのだけど、その時点で先を絶たれることが多い。それで現実を見て、現実逃避も兼ねて自転車に戻るだけ。
自転車に没頭していれば、全てを忘れられる。
「はぁ…」
こんな気持ち、やっぱり侑には分からないだろうな。
吐き出しくなるような憂鬱な思いを無理やり飲み込んで、目を伏せた。