(宮 侑)
頬杖をつき、憂いある表情をするなまえは今まで見たことがない顔だった。
伏せたまつ毛が目元に影を作る。
そんななまえを見て、寄り添う言葉をかけた。
「優しい侑クンが話聞いたるで」
というよりは単純に何が原因でそんな顔しているのか気になる。意訳としては「詳細を言え、話せ」に近い。
それなのにあろう事かなまえは力無い笑みでふっ、と笑い返してきた。
「いや、別に何もないない」
手を胸の前で振るなまえ。
あ、こいつ今、愛想笑いしやがった。
「………」
取り繕うように笑って返すのはなまえがよくやることだ。とりあえず愛想良く、問題を起こすことなく、対応する。他の奴らにしているそれを自分に向けられるのは不快に感じた。
この愛想笑い。これ以上深く踏み込んでくるな、というような壁が一枚あるようでクラス内で付かず離れずの距離感を保つなまえのお得意の顔。
腹が立つ。何やねんその笑い。
そんな中途半端な笑顔、見せられるくらいなら笑わん方がまだマシや。
「話せや」
たまごサンドを咀嚼しながらジト目で促す。
言わんのなら直球で聞くしかないよな。
「……侑には分からない話なんだよ、これは」
は?分からんって何や?話もせず分からんとかあるか?
何で分からんって決めつけんねん、決めつけんなや。
「俺、始まるまで寝るわぁ。おやすみ」
そう言って机に突っ伏したなまえの頭を見下ろして俺はたまごサンドを潰しそうになった。
勝手に遮断して、勝手に終わらせて殻に閉じこもったこいつに口元が引きつった。
非常に不愉快だ。
「くっっそ腹立つ……」
勢いのまま残りのたまごサンドを一口で食べきった。
もぐもぐと口を動かしていると廊下側の窓がこんこんと叩かれた。くもりガラスの窓の向こうには人影が見える。
ガラガラ、と窓を開けると「わ、ほんまに宮くんや」と女子達が立っていた。きゃあきゃあと笑い合う女子に眉間に皺を寄せる。
「…なに?」
「え、何か機嫌悪い…?」「どしたん、話聞こか?」
一年の時に同じ組だった女子もいて、話した事がある女子グループの雑談に仕方なく付き合うことにする。
「別に悪うないし」
「なん〜?また治くんと喧嘩でもしたん?」
「ちゃうわ」
「廊下側の席、侑くんって聞いて来てみてん」
笑う女子達の声が廊下に響く。スカートは短く、甘ったるい香水の匂いをさせ、髪も巻いてメイクもばっちりな女子達は周りの視線を集めている。
まあ派手さで言うたら俺には負けるけどな。
「見に来たとか何なん。見物料とるで」
「え〜、何で許してもらう?」
「飴ちゃん上げるわぁ」
制服のポケットから出してきた飴を受け取ろうとすると、横から出てきた手に阻害された。
「もーらい」
女子から貰おうとした飴を治が手に取っていた。
「わぁ、治くんやん!」
「宮ンズ揃ったぁ〜」
騒ぐ女子に座っている俺は窓の内から治を見上げて目を細めた。
「俺のやで」
「ツムのもんは俺のもん」
ニヤリと笑う治を睨む。
「アホか。寄越せ」
「もぉ〜まだあるって。ほら、」
嬉しそうに飴を出す女子に「おーきに」と返した。
そんな俺に治が「お前、教科書返せや」と言ってきて何の目的でこっちに来たかを把握した。
せやったサムの持っとったんやわ、と『宮治』と書かれた教科書を出して渡した。
それを受け取った治が廊下の窓に手をかけて教室内に頭を覗かせた。
俺の後ろの席のなまえとその隣の角名に目をやって机に突っ伏して寝ている間2人に「何や2人とも爆睡やん。お昼寝ならぬ朝寝タイムか?」と呟いた。
予鈴がなって「え〜もっと話したかった」という女子は名残惜しそうに教室に戻って行った。
治は俺の顔をちら、と見てさっきの俺と同じように目を細めた。
「ツム、俺に当たったらど突くからな」
廊下側の窓から見下ろしてきた目の前の兄弟は顔を見ただけで俺の機嫌がよくない、と分かったんだろう。事前に釘を刺すような言いぶりにも釈然としないため、俺は一睨み返して無言で廊下側を窓を閉めた。
「おい、予鈴なったで」
伏せているなまえの肩をぐい、と押した。起こし方が雑と言われても知らない。女子だったらツンツンとつつくだけだろうし、他の男子なら声すらかけないかもしれない。
「おい、起きろや」
起こしてあげてんのに。もう一度、と触れようとした瞬間、なまえが顔を上げた。
「…寝てないし。てかきゃあきゃあ煩くて眠れなかった」
女子が近くに集まっていたことを言っているのだろう。不機嫌そうな、その表情に俺も感情を隠さない。
「あ?俺のせいか?」
「別に侑のせいとは一言も言ってないんですけど」
「はぁ?」
煽るような返答に「やるか?」と更に言ってやろうかと思ったのに、また物憂げな顔をするなまえにグッと言葉を飲み込んだ。いきなりそんな顔をされると調子が狂う。
悲しそうな楽しくなさそうなその顔で何を考えているんだろうと思った。
担任が教室内に入ってきて朝のSHRが始まろうとしている。黙って前に向き直るも、俺のモヤモヤとした感情は消えなかった。
***
昼休みになる頃には、なまえの調子はいつもと変わらず、元に戻っていた。それでも俺には解き明かせないパズルがずっと頭の片隅に残っているようにひっかかっている。
弁当を食べ終わったなまえは廊下側の窓越しに茶川達と話していた。
「今から雨降るらしいぞ天気予報。今日の外練変更する?」
「そやな、ローラー練に変更しよ」
「2年は奈良木に言っとくわ」
朝は晴れていたが、確かに曇り空に変わってきていた。
「帰り、置き傘あったやろか」
「最悪三分に入れてもらえばいいんじゃね?二人とも同じ方向じゃん」
「せやな、三分頼むで」
「茶川が使えるスペースは三分の一だけやで。半分にしたら俺まで濡れるやろ」
「三分だけに?」
「さっむ!!三分おもろないで!」
ケラケラと笑うなまえを横目に俺らは治、角名、銀と俺の机に集まって駄弁っていた。
なまえには朝の憂いなんてどこにも無くて感情を隠すのが上手いな、と思う。
帰って行った茶川達にくもりガラスの窓を閉めてなまえは携帯を出した。イヤホンをつけて音楽を聴き始めたなまえを見て何を聞いているんだろう、と気になった。
治は銀と話しているし、角名は携帯でゲームをしている。
俺はなまえのイヤホンに手を伸ばして片耳だけ奪った。
「あ、」
なまえが何か言う前に耳につける。
流れてくるのは男性ボーカルの曲。ちょっと前まで恋愛ソングを聞いていたのに、今は早いテンポのラップ調の曲だった。
「取んなよ」
なまえの言葉を無視してイヤホンを付けたまま自分も携帯を出して最新のスニーカー情報とか古着屋の入荷スナップとかを見る。
バレーの情報も見なければ、とチェックしていると、俺の無言の回答に諦めたのかなまえは片耳を空けたまま曲を聴いていた。
お互い無言で同じ曲を聴きながら過ごす昼休み。 会話はなくともどこか繋がっている気がした。
***
午後からの曇り空はさらに深まり、放課後になると強く雨が降り始めていた。
なまえと一緒に教室を出て、昇降口まで階段を降りて向かう。角名は後から来るらしい。
放課後の昇降口は人もまばらだった。数人の生徒が下駄箱から靴を出し、傘を差して外に出ていく。
下駄箱に近づいた時、なまえが「あ、」と声を上げる。視線の先には外を見つめる萩沼サンがいた。
「萩沼さん、どうかした?」
「あっ、みょうじくん。と、宮くん。いや雨ひどいなあって」
「結構土砂降りだよね。帰らないの?」
「傘持ってきてなくって…止むまで待ってようかなって。最悪、バス停まで走る!」
ちゃんと天気予報見ればよかった、と眉を下げて笑う萩沼サンになまえは「いつ止むか分からないよこの雨…」と一緒に外を眺めた。
「そうだ」
なまえは傘立てから傘を一本引っこ抜いて萩沼さんに差し出した。
「えっ、」
「使って」
ほな、お前はどうすんのや。と隣で内心ツッコむ。
「みょうじくんはどうするの…?」
「俺には
「は?」
「えっ?」
隣に立つ俺と萩沼サンの声が被る。
「宮くんの、って…」
「侑、置き傘あるだろ?てか、ただ持って帰るの忘れてるだろ」
「あるけど…」
「部室まで入れてって」
俺の傘に入るのが当然のように見上げるなまえに、こいつ、女子の前でええとこ見せようとしよって…と若干苛立ったが考えようによっては
これは…相合傘か?と頭の中で考えて最終的に「ええけど…」と返事した。
「そういうことで萩沼さん、使ってよ!じゃ、」
手を上げて靴を履き始めるなまえに俺も靴を出した。
「み、宮くん、いいの?」
「ええよ?」
もちろん。どうぞ、その傘を使ってほしい。おかげで俺は今からなまえと相合傘するんで。
「みょうじくん…ありがとう!」
申し訳なさそうにお礼を言う萩沼サンに手を振って外に向かうなまえについて行く。
「カッコつけんなや」
「つけてねえわ!困ってたから傘貸してあげただけじゃん」
「嘘や。絶対ええとこ見せようとしたやろ」
「違いますー」
傘を差して降りしきる雨の中に出た。
「ああっ!俺が濡れる!」
「あほ!俺の肩すでに濡れてんねん!」
「もっと寄越せ!俺が持つ!」
「お前が持ったら俺の頭に直撃や!」
雨音でかき消される声は傘の中でだけ響く。ぎゃあぎゃあと2人で傘を持ちながら、いや奪い合いながら歩いて体育館の方へ進んでいると後ろからパシャ、パシャッと雨の中走ってくる音が聞こえた。
「みょうじ!!」
声に反応して二人で後ろを振り返る。傘を差して走ってきたのは知らない生徒だった。
手には先程なまえが萩沼サンに渡した傘を持っていた。
「小池、」
「これ、要らん」
「え?」
「あいつは俺と帰るから。要らんねん」
「あ、でも使っていいよ?俺この傘あるし」
「ええて、借り作りたくないし」
「お、おう…わかった」
雨の中、差し出された傘を手に取ったなまえを見たあと、俺をちらりと見てそいつはまた走って戻って行った。
「誰や?」
「7組の小池。萩沼さんと小中一緒の幼なじみだって。水泳部」
「…ほお」
ああ、なるほどな。合点した。
なまえに対して敵意丸出しのあの目。萩沼サンに貸した傘をわざわざ返しに来るあたり、なまえを萩沼サンに近づく悪い虫とでも思っているのか。
「…返されちゃったな」
手元の傘を見て、目を伏せるなまえの表情は読めない。
「はは、2人とも相合傘して帰るのかなあ」
傘の中で笑っているのに切なそうに見えるその顔に猛烈に手が出そうになって、傘の柄をぎゅっと握った。
止む様子のない雨になまえの顔が余計に曇って見えた。
「傘、帰ってきたし、もういいぞ。ありがと」
また、へらりと笑った。出た、あの愛想笑い。笑いたくない時は笑わないで良いのに。
自分の傘を差そうとするなまえの腕を掴んだ。
「ほな俺らも相合傘でええんちゃう」
「はっ?何がええん?!」
「相合傘したいんやろ。負けて悔しないんか?」
「いや、男二人の相合傘と男女は違うだろ!ぶっは、てか悔しいって何だよ」
吹き出すなまえ。
「別に相合傘自体をしたいわけじゃないからなっ」
ツボったのか歯を見せて笑っている。
どや、俺の一言でさっきまでのなまえを笑かしとるんや。見たか、小池。お前が曇らせた顔も俺で晴らしとんのや。
と、笑うなまえに俺も口元を緩めた。
「はよ部室行くで、」
歩き出した俺に「あっ!おい!濡れる!」と傘からはみ出ないようにくっついてくる。
「普通女子側が濡れないように自分の肩は濡れても良い、とかなのにさぁ、なんだよこれ。傘の取り合いじゃん。狭いし、ときめきも何もねえわー」
「風邪引いたら困るやん」
「俺だって困るわ!」
「はー、俺は小池の恋、応援するわ。萩沼サンとくっついてほしいわあ」
「はっ?何だよいきなり。つか、応援しなくても成功するだろ。あんなん…」
小池って普通にモテそうじゃん…と唇を尖らすなまえに俺はニヤけそうになった。
俺としては小池に頑張ってほしいし、なまえの萩沼サンへの思いをぶった斬るええ起爆剤や。
ああ、今朝のなまえの憂い顔の原因が分かってスッキリした、と俺は上機嫌になった。
「はぁ、いいよ、どうせこうなるのは昔から分かってるし」
「分かってるって何が」
「だから侑には分かんないんだって。非モテの気持ちなんか」
あぁ…言ってしまった…口に出したら余計虚しいな…と呟くなまえを横目で見た。
「うん、分からん」
「あー、腹立つわ。やだやだ。ホント嫌だ」
「でも好きな奴に好きになってもらいたいていう気持ちは分かるけど」
「それで成功すんのがお前ら勝ち組。失敗するのが負け組の俺達なわけ」
まだ成功はしてないけど、俺は負け組になるつもりなんかさらさらないねんけどな。
「安心しや。俺はなまえのええところ、いっぱい知っとるで!」
「…侑に言われてもな」
「他の奴が知らんだけや。しゃーないな。よう見とかな分からんし」
ギャップのあるところとか、笑ったところとか、面白いところとか、努力家なところとか、本気で走る時のかっこええところとか、他の奴は知らんでええけど。
近づいてくる自転車部の部室。
隣を歩くなまえが俺を見上げた。
「俺の良いところ、10個言って」
「…課題写させてくれるところとかー、コンビニで買った唐揚げ分けてくれるところとかー、」
「おい、そういうとこじゃねえんだよっ」
俺の背中を叩きながらツッコんでくるなまえに俺は口元を緩めた。
内心なまえの良いところをあげたら10個におさまるやろか、と思いながら部室まで俺の傘で送り届けた。
***
「お、みょうじ来た来た。あれ、何で宮と同じ傘?」
「成り行き」
「疑似体験やねん」
「ふうん???」
「三分、気にするな」
「帰りも迎えに来よか?」
「要らんわ!自分の傘がある!」
「ふっふ、ほなまた後でなー」
「…侑、ありがと」
「(お礼は)高いで?」
「早く練習行け。しっしっ」