5月に入り、自転車競技部に入部した1年生6人も練習に少しづつ慣れてきていた。
今年のインハイ予選も6月にあるし、レースメンバーは俺たち3年3人と2年になると思うが部員全員の力を高めるのは必須だ。
1年の後ろを走りながら、先輩としてアドバイスしていくところも3年の役割。練習ではまだついていけない1年に付き添って走ることも多々あった。
朝練が終わって茶川、三分と教室を向かう。
「柴さんとか秋田部長を見て憧れて入ってきた1年には何か申し訳ないな…。あの人たちほど、特別強いわけじゃないし…」
「何やウチの名アシストが弱音吐いたらあかんやろ」
「名アシストって!俺はクライマーにもスプリンターにもなれないからアシストしてるだけだし」
「いやぁ、2年にもみょうじにアシストしてもらいたいて思っとる奴おると思うで」
「三分みたいに気持ち良く勝てんの見てたら羨ましいやろうなあ」
「あれは三分が強かっただけだって」
「いや、みょうじの発射台がないと絶対無理や」
「まあまあ俺らは三人合わせて柴さんとか秋田部長みたいになればええやん」
「…ん、そうだな!俺は必要であれば誰でも全力でアシストするぞ!」
「みょうじがアシストしたい、って思うように頑張るのもなかなかハードル高いけどなあ笑」
「確かに。みょうじ、走っとる時分かりやすいもんなあ。もっと速く走れるよな?っていう圧がな」
「えっ!俺そんな圧出してない!全然!」
「嘘つけや〜、モロ出てんで。後ろからもっと速く走れオーラ半端ないねんて」
分かるわぁ、たまに痺れ切らして前出て走り始めるしなぁ、なんて言う茶川とニヤニヤ笑う三分に俺は必死で首を振りながら歩く。
3人でやいのやいの言いながら教室に向かい6組と5組の教室にそれぞれ入った。
俺の席を見ると広い背中の後ろ姿が目に入った。座っている金髪頭に、俺は逆にその前の席に座った。
「おい、そこ俺の席」
「やっぱ一番後ろってええよな」
もぐもぐと朝練後のおにぎりを食べる侑は噛み合ってない返事を返してきた。
侑が後ろ、俺が前の席に座ると2年の時の席順を思い出して、懐かしい感じがする。
「トイレ行ってくるからその間に移動しとけよー」
席を立ち上がって廊下に出た時に、萩沼さんとすれ違った。
「萩沼さん、おはよう」
「おはようみょうじくん」
力無い笑顔に顔色があまり良くないように見えた。
「…大丈夫?何か具合悪そうだけど…」
「ちょっと頭痛くて…大丈夫っ」
無理やり作ったような笑顔に「やばかったら、早めに保健室行った方がいいよ」と声をかけておいた。
実際に俺は2年の時に熱っぽいのに無理して授業に出て、帰りは三分や侑におんぶしてもらい寮まで帰った経験がある。その時の経験から痩せ我慢は禁物だと学んだ。
トイレから帰ってくると侑はまだ俺の席で角名と話しながらモグモグしていて、侑を横から押した。
「退けっ、ふんぬっ」
「なまえの力じゃ俺は動かせへんで」
「重いんだよ、くそっ」
「あっ落ちる落ちる落ちるっ!椅子から落ちるやろっ」
「落ちろ!」
喧しいなあ椅子温めてあげたんや、感謝せえと言いながら渋々立ち上がる侑。
背の高い侑が立ち上がるだけで動きが大きく見える。
座ると自分の椅子のぬるい温度に侑がさっきまで座っていたことが椅子ごしに伝わってくる。
変な感じ、と思いながら俺はSHRの開始を待った。
***
昼休み、茶川と三分のところへ行こうと教室を出た時、廊下で萩沼さんが前を歩いているのが見えた。
ゆっくり歩いている小柄な後ろ姿を見て、今朝の具合の悪さは治っただろうか、と気になった。
後ろから声をかけてみる
「萩沼さん、体調ど…う…」
振り向いた萩沼さんは顔色が朝よりも悪く、血の気がないように見えた。
「だ、大丈夫…?」
「だ、だいじょ…」
また笑おうとした途端、萩沼さんの体がガクン、と下がった。咄嗟に出た手は萩沼さんの肩を抱く。
「え、ちょ」
「ほ、けんしつ…」
焦る俺は萩沼さんの切れ切れの言葉に保健室に行きたいのだと察知した。
この状況で歩いていくことは難しいんじゃないかと思い、考える暇もない俺は「ご、めんっ」と一言行って萩沼さんの膝裏に手を入れた。
力無い萩沼さんを横抱きに俺は保健室の方へ向いた。
廊下が騒がしくなった。
「大丈夫っ?!」
「え、なになに?」
教室から顔を出す生徒やすれ違う生徒達の視線が痛いがそれどころじゃない。
とにかく保健室!!
それしか頭になかった。
「なまえっ!」教室内から聞こえた声に侑だと分かる。ちらりと見て「保健室行ってくる!」と返した。
行き交う生徒達の視線が突き刺さる中、最低限の振動で、かつ迅速に、と保健室を目指した。
当たり前に一人の人間である以上、重みはある。小柄とはいえどしっかりと手にかかる体重にじわりと汗が出る。むしろ、アドレナリン放出のうえ焦りからくる発汗の方が大きいかもしれない。
保健室のドアを足で開けて「先生!」と叫んだ。
萩沼さんとその後のことを保健室の先生に任せて、俺は教室に戻った。
教室に入るなり、浴びる視線。
「萩沼さん、大丈夫やった?!」
「朝から具合悪そうやったもん…」
女子から囲まれて俺は「保健室の先生は大丈夫って言ってた…」と伝えればホッとしたように胸を撫で下ろしていた。
弁当を取りに席に向かうと前の席でかたまって弁当を食べている侑達と目が合う。
「大丈夫やった?」
「うん、貧血だって」
「お姫様抱っこしとるみょうじに廊下が騒がしかったで」
銀の言葉に、昼休みというタイミングが悪かったな、と思った。目立つのは萩沼さんも嫌だよな、と少し申し訳なく思う。
「考える余裕なくて、つい…」
「目の前で倒れられたらそうなるわな」
女子をお姫様抱っこするのも初めてだった俺には、今でも手に萩沼さんを抱き抱えた感触が残っているようだった。
廊下側から走る足音が聞こえて開けた窓に目をやると、焦った顔で走っていく7組の小池の顔が一瞬見えた。
「弁当、食べてくるわ」
教室を出て茶川と三分の席に向かう。
「来た〜みょうじ、すごい騒ぎやったで」
三分が弁当を頬張りながら箸を動かした。
「あんま騒いでほしくないんだけどなあ」
「せやけど、あんな廊下でお姫様抱っこして走っていくとか騒がんわけないやろ」
「悪目立ちしたわ…」
「まあみょうじやから、まだマシやろ。あれが宮とかやってみい、えらいことなんで」
そう言った茶川に頭の中で、想像する。
「確かに…侑とかだったら、確実に女子がやばい」
侑がお姫様抱っこして女子を保健室まで連れてったなんてことが起きたら…恐ろしい。
そう考えればクラスの普通の奴が動いた方が後にも響かないかもしれない。それはそれで自分の程度が知れる気がして何だか悲しいが…。
むしろ、俺なんかに運ばれて嫌だったかもしれない…、と考えるとますます萩沼さんに申し訳なくなってきた。
「うああ、やってしまった…。恥ずかしいし申し訳ない…」
「ええやん、日頃、女子を抱き抱えることなんてないやん」
真面目に言う三分に茶川が呆れたように見る。
「俺、チロルしか抱っこしたことなかったわ…」
「いやチロルと比べるんかい」
「チロルも割と人間に近い重さだからな。デカいし」
ただチロルとは違った感触だった。余裕がなくてあまり覚えていないけど、自分とは違う香り、柔らかい感触は残っていた。
女子ってこんな感じなんだ…、と思ったのだ。
非日常的なことを経験してしまった俺はまだアドレナリンが残っているような気がして落ち着かなかった。
昼の休み時間が残り少なくなっていることに気づいて、急いで弁当をかきこんだ。
***
(宮 侑)
昼休みに入ってすぐ、廊下が騒がしくて窓越しに教室の外を見ると、廊下で膝を付く萩沼サンと傍にいるなまえが見えた。
どうしたんやろ、と身を乗り出した瞬間、戸惑った顔をしたなまえは、萩沼サンの膝裏に腕を入れた。
軽々と、とは言えないが持ち上げたなまえについ声をかけてしまう。
「なまえっ!!」
俺をちらりと見て保健室に行くと言って走っていった。
女子を横抱きにして走るなまえに周りが騒ぐ。
「萩沼さん大丈夫やろか?」
「朝から何か体調悪そうやったよね」
「みょうじくん萩沼さんとよく話しとるし、あの二人付き合っとんやろか」
「お姫様抱っこて、ちょっとキた」
「分かる〜好きな人にされたら…やばいわぁっ」
女子の会話が耳に入ってきた。
はぁぁ?付き合ってないし、どっからどう見たらそうなんねん。
心の中でツッコんだ後、傍から見たらそう見えるのか、と複雑な心境に陥った。
女子を助ける男子。しかもお姫様抱っこという注目を受ける行動。それを年頃の生徒達に勘違いされたり、言囃されたりするのは充分考えられる。
か弱い女子なら運ばれる方かもしれない。でもなまえは健康的な、ごく普通の男子。運ばれる事はなくても今みたいに運ぶ側に回ることの方が普通だろう。
あいつだって男なんだ。男らしく女子を助けることだってある、それは分かっていても萩沼サンとなまえが恋人なんて見方をされるのは嫌だった。
保健室から帰ってきたなまえは本人もまだ驚いているようで、言葉数が少なかった。
なまえは弁当を持って茶川達の所に行った。
「お姫様抱っこするとか、かっこええなあ」
唐揚げを頬張りながら言う銀に「俺だって出来るわ」と呟く。
「せやけど、いきなり倒れられたら焦るわ。え、どないしよ、ってなるやん。角名とか放置しそうやし」
「放置はさすがにない。でもなまえみたいに、あれは出来ないかも」
「みょうじ、漢やわ…。ああいうところにグッときて、もしかしたらええ感じになるかもな」
ニヤリと笑う銀に俺は目を細めた。隣の治は弁当の白米を頬張ることに夢中になっている。
「なるわけないやん。ないわ、絶対にない」
「分からんやん。ドキッとくるもんちゃう?」
「なまえやで?どこをどう見てドキッとくんねん、ぜっったいない!」
「お、おお…みょうじ、可哀想な言われようやな…」
断固反対の意思で銀の言葉を否定したい。
もやもやした原因の一つが分かった気がした。
なまえの株が上がるのが嫌なのだ。なまえの良さは自分が知っているだけで良いという性格の悪さを自覚をする。なまえのことを『あ、いいな』と思う人間は俺以外に出てきてもらっちゃ困るわけだ。
「ツム、お前ようオモチャ隠す癖あったよなぁ」
治が俺の顔を見て思い出したように言った。
「あ?なんやいきなり」
「自分だけ独り占めしようとして、隠して」
「それはお前が取るからやろ」
「それもあるけど共有したがらんところがむっちゃ腹立つねんな」
「面白いから一緒にやろう、じゃなくて面白いから誰にもあげない、みたいな?」
横から例える角名に それそれ、と治が頷いた。
「ジャイアンやな…」
銀が引いたように呟く。
「喧しいわ。共有しとるやんけ。むしろ半強制的に色々同じもん使わされてきたやろが」
双子というだけで、一つのものを共有するのは当たり前と考える周りの大人たちのせいで治とはよく喧嘩していた。2つも同じものを買うよりも一つで共有してくれた方が大人達にとっては嬉しいかもしれないが子供ながらに不服だったのは覚えている。
「ほんまに気に入ったオモチャは隠すん変わってないよなあ」
「何が言いたいんや」
治が意味深に俺の目を見てきた。
「……この間買ったゲームソフト、どこに隠したんかっちゅうことや」
ギクリ、とした。
バレている。
俺が治に内緒で買ったゲームソフト。面白そうだったからゆっくりやりこみたいと思っていたのに。
「何で…買ったん知っとんや…」
「バレてへんと思っとったか?」
「お前が先にやったらネタバレするやろ!」
「耳塞いどけば、ええやん」
「はぁっ?!アホか!」
観念して帰ったらやらせろ、という治に却下すると言い放ち弁当のおかずを口に入れた。
***
「角名の組の子、どうなったん」
「早退した」
角名が治に答えた。
「辛かったら休むのが一番だよな。無理は禁物」
放課後、なまえを含めたいつもの5人で昇降口から体育館の方向に向かう途中、俺は足を止めた。
「侑?どした」
「俺やって出来るで」
「え?何が?」
「いや、俺やったらなまえも軽く行けるわ」
「は??」
ずんずんとなまえに近づいて邪魔な黒リュックを奪う。なまえの背中と膝裏に腕を回してすくった。
「うおっ!ちょ、おい!」
「ほら!」
なまえを抱き抱えるよりもウエイトトレーニングの方が何倍もキツい。いきなり横抱きにされたなまえは俺の首に手を手を回した。
「高いっ、降ろせ!」
男子同士でお姫様抱っこするという構図に治が呆れた目で見てきた。
「何してんねんツム、アホか?」
「アホが1名…」
治と角名の言葉に俺はドヤ顔で返してやる。
「お前ら出来ひんやろ。筋肉ない奴には無理や」
俺の煽りに治が一呼吸の間を置いたあと、「俺も出来るで、」と言い出した。
「なまえは軽いやん、俺は角名いけるで」
そう言って角名の背中と膝裏に腕を入れようとした治に角名が「はっ?」と治の腕を掴んだ。
「おい、やめろよ、俺を抱き抱えようとすんなっ」
角名が全力で治と格闘している。抱き抱えようとする治と抵抗する角名に銀がアホ4人や…と呟いた。
「しゃーない、ほな銀や」
「えっ!俺ぇっ?!」
「重さは変わらんやろ。ツムより重いのいけるっちゅうことを証明したんねん」
「はあー落とすなよ」
「ふんぬっ!」
銀をお姫様抱っこした治がドヤ顔で俺を見てきた。
「どや?」
「お姫様抱っこ見せ合うって、何だよこの絵面…!誰かに見られたら…!」
パシャパシャと携帯のカメラを向けてくる角名になまえが手で顔を覆った。
「てか去年の体育祭で俺がなまえをお姫様抱っこして走ったじゃん。あの時すでに全校生徒に見られてるけどね」
角名の言葉になまえが「ああっ黒歴史っ!」と頭を抱えた。
銀は乗り気で何か新鮮や!とウキウキした顔をしている。
「心配せんでもさっきから下校中の奴らがチラチラ見ていきよるで」
「はぁぁっ!早く降ろせ!何か横は怖い!おんぶの方がマシっ」
「うぇーいっ」
降ろせ、というからパッ、と手を離す素振りをして、またすぐになまえの体をキャッチする。
ふわりと、浮いた無重力状態になまえは「ぎゃっ!」と叫んで俺の首に抱きついてきた。
「あああ、あぶねえっ!」
「ちょお、俺も出来るかやってみたいわ、治、俺と交代や!」
銀と治が交代して、今度は銀が治を横抱きにしようとする。
「いけるやろか」
「落としたらスライディングペナルティやで」
「行くで、おおおりゃっ!」
自分よりも背の高い治を持ち上げて仁王立ちしている銀に笑って言う。
「おっほー!銀もやるやん!」
「これくらい、、どうって事ないわ…!」
銀を見ていたなまえが 感心している。
「銀すげえ…俺もワンチャンあるかも…。侑くん降ろしてくれません?」
ワンチャン?無理やろ、と言いながらなまえの足を地面に降ろした。
「ちょい、角名こっち来て」
「は?嫌だ。断る」
「いや、俺もいけるかもしれない」
「無理でしょ笑」
「やってみないと分からないだろ!」
角名はなまえが持ち上げることはできないと見たのか面倒くさそうになまえの肩に手をかけた。
「うわ、怖い怖い怖い。まだ治の方が安心感ある」
「よし、行くぞ…ふんっっ」
頑張って角名を持ち上げようとしたものの、ぐらついて見ているこっちがヒヤリとする。
「無理無理無理無理」
すぐになまえの手から逃げた角名になまえは、さすがに自分よりデカイ奴は無理だったわあと銀を称えた。
「俺もサムいけるで」
なまえと比べると格段に重い、ゴツイ体に手をかける。
「ツム落とすなよ」
「任せぇ、ほっ!どやっ」
「おお〜双子のお姫様抱っこ…」
「この絵面…需要があんのやろか」
治がギャラリー(なまえ、角名、銀の三人)に向けて投げキッスをした。なまえがケラケラと笑う。
「治の投げキッス〜!ウケるわっ、要らね〜!」
投げられたキスをなまえは掴む素振りをしてぶん投げた。
「あっ!俺の投げキッス捨てよった!」
体育館に行く途中でかたまって騒いでいるところに、制服姿の茶川と三分が向かって歩いてきた。
「何してんねん、お前ら…」
「おお、お姫様抱っこが出来るかどうかっていうのやってた」
「元気やなあ、ほらみょうじ行くで。リュック持ちや」
「はあーい」
じゃ、またなと手を振っていくなまえと隣に立つ茶川達。
「幼稚園にお迎えにきたお母さんかっ」
銀のツッコミに角名が吹き出した。
「あるあるやな。遊んどっていつまで経っても帰らんやつな」
「はよ帰るでっ、て怒られたなぁ」
「帰る帰る詐欺よな」
「よっしゃ、俺らも練習行くで!」
自転車部の後ろ姿を見送った後、声をかけて地面に置いたスポーツバッグを拾った。
今からが本当の